第16話 私から、読者の皆さまへ
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僕の通報により、愛川藍の死体は発見された。僕が愛川藍の死体を事前に確認したうえで、いったん通報を保留した件は、当然伏せておいた。
また、密室の件についても『綾城彩花探偵事務所』で繰り広げられた推理により説明はついた。
こうして愛川藍失踪事件は、単なる自殺騒動として幕を閉じた。
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これで『暗闇』は終わりだ。原作では、杉下僕が《綾城彩花》シリーズに再び登場することはなかった。
だけど、物語が閉じたあとも人生は続く。小説の終わりのページの後も、関係が消失することはない。
僕はまた古本屋に寄った。なんとなく、杉下くんに会いたいと思ったからだ。
ノベルスのコーナーで、杉下くんは相変わらず立ち読みをしていた。
彼女がつねに古本屋にいるのは、家に帰りたくないからだ。原作小説で、僕は彼女のバックボーンを読んでいる。
杉下僕は親の虐待を受けて育った。彼女はシャーマンの一族の生まれだった。悲劇は、杉下僕が女として生まれたこと。杉下家は男系だったのだ。杉下僕の父は、長男であるにも拘わらず家督を継げず、その怒りを幼い杉下僕にぶつけた。それは、現在も続いている(ちなみにこの突飛な設定は、「一人称と思っていたら三人称だった」叙述トリックを成立させるための伏線として、地の文に杉下僕以外の人物の心の声を記述するのに不自然さを抱かせないよう、「シャーマンの血筋を引いているから心の声がわかるんです」という読者への言い訳として設定されたものだ。もちろん彼女にそんな能力はない)。
この場所は彼女にとって唯一の逃避先。だから、長時間の立ち読みくらい許してあげてほしい。
「やあ、杉下くん」
「七原さん、先日はどうも」
杉下僕は丁寧に本を閉じて棚に戻したが、その目がページ数をしっかりと確認していたのを僕は見逃さなかった。
「前に推理ができなくなった探偵がどうとか言ってたけど、まさか探偵の助手をしていたとはね。もしかしてその探偵って、彼女のこと?」
げ。そういえばそんなことを言ってたんだった。僕は首を横に振る。
「いや、違うよ。綾城さんは立派な探偵だよ。これまで多くの事件を解決してきたすごい人なんだ」
「でも、密室の謎を七原さんに丸投げしたぜ」
「それは、探偵の助手としての修行の一環だよ。本当、あの程度の謎なら綾城さんにはわけなかったんだ」
「まあ実際、助手のあんたにも解けたわけだからな。私にゃ解けなかったから、完敗だよ。愛川からあの探偵の話を聞いたとき、なんか私までムカついて『目にもの見せてやる』って事務所に乗り込んだのにね。でも、いまにして思えばあの探偵もそんなに悪いやつじゃなかった」
「もちろん、綾城さんはいい人だよ。ただ、仕事である以上は責任と言うものがあって、簡単にただ働きをするのは――」
「そうじゃないよ。あの探偵――最初から手を貸すつもりでいたんだ」
ほう?
それは原作小説には描かれていなかった説だ。
「私が愛川藍の居場所を伝えてから、彼女が推理するまでの間がほとんどなかったの憶えてる? あのときは、『昨日、事件のあらすじを聞いた時点で思うところがあったから』なんて言ってたけど、愛川を事務所から追い返してその後ノータッチでいるつもりだったなら、事件のあらすじをちょろっと説明されたくらいであそこまで推理を固めたりしないだろ」
「なるほどね。でも、本当に推理が速かっただけなのかも」
「いや、それだけじゃない。事務所に行く前に私が《シティハイツ与那覇》まで愛川藍の死体を確認しに行った話、しただろ? あのとき実は、マンションの裏手の地面に足跡があったのを見たんだよ。その時点ではこの足跡がどう事件とどう関わるのかなんとも言えなかったし、硬めの土だったから、もしかしたら愛川藍が落ちる前からあった足跡なのかもしれないと思って話さなかったけど――あれはあの探偵の足跡だったんだな」
げげげっ!
それ、僕の足跡じゃん!
杉下くんが事務所を訪ねてくるのは知っていたし、もし推理対決が始まったときに、綾城さんが僕に水が向けてきてもしっかり答えられるようにしておこうと、前日確認に行ったのだ。
まさか、足跡を残していたなんて!
僕、まじで業務中のトイレサボりできない人間だな……。
犯罪などもってのほか。
でも、杉下僕はあれが綾城さんの足跡だと思っているようだ。
「あの探偵も、自分の推理の確証が欲しくて実際に現地に足を運んだんだろう。そして、探偵としてではなく、ただの一般市民として警察に通報する用意をしていたんだろうな。そこに私らが来て、話をややこしくしてしまったのかもしれないけど」
……なんか勝手に解釈してくれている。
よし、誤解は解いておかないでおこう。
「まあ、なんだ、だからその、改めて礼を言っておくよ。綾城さんにも、あんたにも。
――ありがとう」
照れくさそうに言う杉下くん。僕は、素直に受け取った。
「どういたしまして」
「そうだ。あんたにはまだ、私の下の名前を言ってなかったっけ。恩があるっていうのに、失礼だったな。私の名前――僕っていうんだ。僕って書いて、シモベ。変だろ? 嫌いなんだ、この名前」
彼女が嫌いな下の名前を教えてくれるというのは、信頼の裏返しだろう。秘密を打ち明けてくれたことに、僕は嬉しくなる
「教えてくれてありがとう。お礼に、私からも。実は私、ゴガツって名前だけど、本当は五月って書いてサツキって読むんだ。でも、妹の名前が芽衣でさ、ほら――」
「ああ、トトロ」
「そう。トトロ姉妹ってからかわれるのが嫌で、ゴガツって通してたんだ。そしたら、そっちが本当になっちゃった。だから、私も自分の名前が嫌いなんだよ」
僕は《七原》の秘密を打ち明けた。
そのことで、なんだかお互い、より打ち解けた雰囲気になった気がする。
「なんか、私らって似たもの同士なのかもな」
「そうだね。なんというか、すごく波長が合うかも」
僕たちは笑い合った。
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