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第14話 僕

     14


 雨が止んだ。久しぶりに気持ちのいい青空を臨める――わけではなく、まだこのあとの空模様はつかめないような曇り空が広がっていた。本来なら、再び降り出すかもわからない。

 しかし今日に限って言えば、僕は雨が降らないということを100%の精度で予想できる――予報では午後に再び雨が降り始めると言っていたが、先を知っている僕の方が正しい。汚れものが溜まっていたので、出勤前に洗濯物を干してきた。

『綾城彩花探偵事務所』のドアを開けると、綾城さんが電話をしていた。

「――うん、そうか。それはたしかに面白いね。うん、うん、ありがとう。それじゃこのへんにしようか。また」

 綾城さんが通話を切ったタイミングで挨拶をする。

「おはようございます」

「おはよう。ようやく雨が止んだみたいだね」

「そうですねー。今日は久しぶりに傘が要りませんでした」

「だが、午後からまた雨が降るようだよ。傘がなくて大丈夫かい?」

「ああ、それなら――」

 大丈夫、と言いかけて、そのセリフはおかしいことに気づいた。まるで未来予知ではないか。いや、ある意味そうなのだけど。

「コンビニで買ってくるんで、大丈夫です。いやー、忘れてました。一応天気予報は見ておいたんですけどね」

 誤魔化して、念のために近場のコンビニでビニール傘を買った。

 金欠なのに、要らない出費……。

 トイレの個室で仕事をサボるとき、出がけに水を流しておくのを忘れるタイプだな、僕は。




 そろそろ来るかなと思って時計を見ていたら、ジャストタイミングで累くんが『綾城彩花探偵事務所』にやってきた。

 そのかたわらには同伴者が。

 杉下僕。

 というか。

 彼女の姿に目を奪われる。

 肩まで伸ばした黒髪。前髪は眼鏡にかかるほどの長さ。陰か陽かで言うなら間違いなく《陰》の側にいるであろう雰囲気の、高校生。

 そう、彼女は――

「君は」

 僕が言うと、向こうも気が付いたようで、

「あっ! あんた……」

 古本屋の! と僕らは声を揃える。

 以前、というかつい昨日、古本屋で会った妙にミステリに詳しい女子高生。

 なんと彼女が杉下僕だったのだ。

「奇遇だね。こういうこともあるんだな」

 僕くん――いや、杉下くんが面白そうに笑う。

「七原くんの知り合いかい?」

「ええ、たまたま本屋で顔見知りになりまして……まあ名前も知らない程度の仲ですが」

 本当は知っているが、僕はそう答える。

 というか、そうか――彼女が杉下僕か。

 そうとわかって実際に相対してみると、ちょっと拍子抜けな感がある。古本屋で二度も会ったということとは関係なしに。

 原作の記述では、彼女は最後の最後まで性別を明かさない。一人称を明かさない。だが、僕が会っていた杉下僕は最初から女性だし、最初から「私」と言っていた。

 いまさら、「実は彼女、叙述トリックが仕掛けられてるんですよ」と云々されたところで、「はあ、そうですか」としかならないし、ぶっちゃけて言えば、「だからなんですか」という、この一言に尽きる。

 でもまあ、叙述トリックとはそもそもがそいうものであって、だからよく小説の帯に「映像化不可能」という惹句(じゃっく)がついたりするのだ。

「で、愛川さんと――」

 綾城さんが杉下僕に視線を固定する。

「そちらは――」

「杉下です」

 杉下くんは下の名前を言わなかった。それが、自分の名前が嫌いな彼女の、自己紹介の常である。

「――杉下さんね。それで、おふたりはなんの用でこの事務所まで? 昨日もお話したとおり、わたしは報酬のない仕事は一切受けません。それとも、その用意が?」

 累くんがなにかを言おうとするのを、杉下くんが前に出て制す。彼女は挑戦的な笑みを浮かべて、

「いや、悪いけど仕事を持ってきたわけじゃないんだ。ただ、与太話がしたくてね」

「与太話」

 椅子の背もたれに凭れかかっていた綾城さんは、ここで姿勢を正した。杉下くんの言葉に興味を引かれたようだ。

「与太話にかこつけて、サービス労働をさせようという腹じゃないだろうね」

 綾城さんは客人に対する口調ではなく、挑戦を受ける側の口調で喋っていた。

「もちろん。だって、愛川藍の行方はもうわかってるからね」

「ほう。どうしてわかるんだい?」

「推理だよ。あんたも探偵なんだから、推理するんだろ?」

「まあ、そうだね。そうせざるをえない状況なら、何度か経験があるな」

「なら、いまがその状況だな――」

 杉下くんは綾城さんのデスクの前まで寄ると、机上に手をついた。

「ゲームをしよう。私は愛川藍の行方を知っている。それを、あんたも推理で当ててみなよ。まさかただのクイズで金を取ったりしないだろ?」

「それに興じることで、わたしになんのメリットがあるのかな?」

「メリットなんてないよ。ただの知的遊戯だ。面白いからやる。探偵ってそういうもんだろ? ――だけど、そうだな。あんたは一般人の高校生でもできるような推理さえろくにこなせないような探偵がいる、なんて噂が立ったら嫌だろう?」

 でたらめな探偵観だが、彼女も理屈で喋ってるわけじゃない。綾城さんを舞台に引きずりおろすため、せいいっぱい駆け引きに出ているのだ。年齢相応のつたなさで、年齢不相応に頑張っている。

「面白い。いいだろう」

 綾城さんは応えた。仕事と言う建前さえ剥がせば、多少の融通も利くのだろう。

「でも、どういうルールなんだい? 思いつくままに愛川藍の行方を推理していけばいいのかな? でも先ほども言ったように、杉下くんの目的がわたしにただ働きをさせることなら、わたしはまんまとはめられたことになるが」

「私が愛川藍の居場所を言うから、どうしてそうなったのか、過程を推理してほしい」

「過程というか、君の思考を推理すればいいわけだ。なるほどね、わかったよ」

 綾城さんは楽しそうに足を組んだ。

「で、居場所はどこなんだい?」

「愛川藍の居場所は――彼女が住む《シティハイツ与那覇》というマンションだ」

「ふむ……」

 彼女は顎に手を添えて考える素振りを見せた。

 解けるのだろうか?

 さっきは『一般人の高校生でもできるような推理さえろくにこなせないような探偵』とか煽られてたけど、それがあながち間違いでもないのがいまの綾城さんなのだ。僕の助けなしで推理ができるか?

 しかし。

「わかったよ」

 と綾城さんが余裕たっぷりに言うので、僕は内心驚きでいっぱいだった。

「速いね、さすがに探偵だ」

「まあ、事件の概要は昨日聞いていたし、その時点で思うところはあったからね。まずあらすじからを振り返ろう。三日前、愛川藍は失踪する直前にそこの愛川くんに電話をかけた。たしか内容は――」

『どこか真っ暗な場所にいる。なにも見えない。助けて』

「そして現在も行方が知れず、誘拐の線で捜索が続けられている。――だが、これは明らかにおかしいことだよ。『なにも見えない』なんて、どうしてだい? 彼女は携帯電話を使って愛川くんを呼び出したんだろうが、それならダイオード――画面が発光することで、多少は周囲を照らせるわけじゃないか。なのになにも見えなかったなんて不自然すぎるね。この事実が指し示すのはひとつ、彼女は真っ暗な場所にいたわけじゃなくて、目が見えなかった――失明していたのだ」

「なるほど、それで?」

「もちろんそれで話は終わりではない。ただ単に失明していたというだけなら、その後からいまに至って音信不通なのはおかしい。

 ところで、彼女はどうして失明したのだろう? ただ失明するだけの突発性の病気なら、やはり音信が途絶えるのはおかしいし、たとえば眼球をくりぬかれたのなら、『真っ暗な場所にいる』なんて電話口では言わないよね。

 結論を言えば、彼女は自殺しようとしたのだ。自殺に使用したのは、おそらくメタノールだ。メタノールは服用することで死に至るが、そうでない場合は劇的な視力低下、最悪失明を引き起こすことがある。愛川藍は、自殺のためにメタノールを服用したが、死にきれなかったのだろう。いちど意識が途絶えたものの、彼女は結局目を覚ました。だが、その目は二度と光を取り込まなくなっていた。

 そして、薬品により前後の記憶が混濁した彼女は、自分が自殺しようとしたことも忘れ、混乱し果て――なんせなにも見えないんだからね――愛川くんに助けを求めたんだ。目が見えなくても、電話帳を開いてリストの一番上の人物をコールすることは不可能ではないだろう、あ行の愛川累くん?」

 呼びかけられた累くんは苦い表情だ。

「だがまあ、電話をかけたあとで、彼女は自分がメタノールの摂取により自殺を図ったことを思い出したのだろう。彼女は再度自殺を図った。だから連絡が途絶えたのさ。まあ、自殺未遂の直後にもういちど自殺を図る話はあまり聞かないが、彼女の場合、目が見えなくなったことで、今後の人生を憂いたのかもしれない。

 さて、では二度目の自殺の方法だが、失明していることからそう難しい方法は取れないとわかる。そして、死体が見つかっていないことを鑑みれば、部屋のなかで死んでいるのはありえない。であれば、おそらくベランダから飛び降りたのだろう。いかにもすぐに発見されそうではあるが、第三者が絡んだ誘拐と目されるこの事件では、ベランダから飛び降りたという可能性は考慮されない。ゆえに、いまだ愛川藍の死体は発見には至っていない。灯台下暗しというやつだな」


 挿絵(By みてみん)


 綾城さんはそこまで言って、どうだ? と言わんばかりに杉下僕を見た。

 なんだ、綾城さん、やればできるじゃないか!

 ここのところ僕の助けなしじゃろくな推理もできなかった綾城さんが、見事な論理で鮮やかに真相を看破するなんて!

 累くんは、綾城さんと杉下くんを見比べて、「同じだ……」と驚いたように呟いていた。杉下くんが累くんに事前に話していた推理と綾城のそれが一致していたからだ。

 僕は『暗闇』を読んで、綾城さんの推理が正しいことを知っている。

 だが、『暗闇』はそこで終わらない。

「素晴らしい推理だ」

 杉下くんはわざとらしく拍手を送った。

「だけど、完ぺきとは言い難いね」

「さて、どこに瑕疵(かし)があったかな」

「いや、私のミスだよ。前提を伝え忘れていたんだけどね、私もそこまで推理して、愛川を通して警察の人にそのことを伝えたんだが――愛川藍の住む《シティハイツ与那覇》八〇二号室は施錠がきちんとされていたんだ。ベランダへ出るためのガラス戸に鍵がかかっていた。笑われたよ」

「なるほど、それじゃあベランダから飛び降りたという推理は成り立たないね」

「ところがそうでもない。綾城さん、あんたの推理は完璧じゃないが、それはただ『足りていない』というんであって、『間違っている』わけじゃない。愛川藍は、確かにベランダから飛び降りたんだ」

「どうしてそう断言できるんだい?」

「死体を見てきたんだよ。《シティハイツ与那覇》の裏まで」

「はあ!?」

 累くんが声を張り上げる。

「なにやってんだよお前。だったら、なんで通報しないんだよ」

「お前が、この探偵の鼻を明かしたいって言ったんだろ? 通報ならあとでするから、いいから黙ってろよ」

 昨日、綾城さんに袖にされたのがよっぽど悔しかったらしく、綾城さんに目にもの見せたいがために勇んできたようだ。

「まあ、そんなわけだから、ベランダから飛び降りたっていうあんたの推理は間違っちゃいない。補足だけど、愛川藍の転落死体は番号が《○○二》号室になっている部屋のベランダのちょうど真下だったし、あのマンションに屋上はない。よって、愛川藍は確実にベランダから飛び降りたと断言できる。

 あんたには、この密室――外に向けて(とざ)された、いわば《逆密室》の解法まで推理してもらう」

「ふむ――」

 綾城さんは腕を組んで考え込んだ。

 愛川藍の行方の謎は、いまやベランダの逆密室の謎へと変わっていた。

 実は彼ら、綾城さんにぎゃふんと言わせたいのもあるが、自分たちではこの逆密室の謎が解けず、綾城さんに推理させるためにここまで来たのである。

 愛川藍がどうして密室を作ったのか、その真意を、その動機が知りたい。そこにこそ自ら死を選んだ姉の、最後の思いが窺えるのではないかと信じて。

 だが、この密室は《真意》を求めると途端に答えが分からなくなる構造だった。

 彼らにはきっと解けないだろう。

 しかし今日の、名探偵の絶対性を取り戻したかに見える綾城さんなら、原作小説で見せてくれた鮮やかな論理展開でもって真相を解き明かしてくれるんじゃないか?

 僕は期待のこもった目で綾城さんを見た。

 綾城さんは不敵な名探偵スマイルを浮かべ、

「ふ。なるほどね。この程度の謎なら、わたしが解くまでもないな。あとのことは、助手である七原くんに任せよう」

「えっ?」

 ぼ、僕?

 なんで僕なんだ。謎の答えがわかるなら、自分で言えばいいじゃないか。

 まさかこの探偵、謎が解けないってんで、助手に解答を丸投げしようって魂胆なのか!?

 最悪だこの探偵! 僕は、答えを知っているからたしかに解答できるけれど、客のふたりを見ろ。あまりにも突拍子もない発言に意表を突かれて、目を白黒させているじゃないか。

「ええ、助手で本当に大丈夫かよ……」

 累くんに心配される始末。

「あんた、この密室トリックが分かるのか? そこの探偵に無茶振りされてるんじゃないだろうな」

 杉下くんまで!

 とはいえまあ、心配には及ばない。

 僕は、

「わかりました。では僭越ながら、この七原五月がベランダの逆密室のトリックを明かして見せましょう」

 高らかに宣言した。

「本当かよ……」

「無論です! 早速、取り掛かりましょうか」

 勢いで言ったが、緊張で喉が渇いてきた。

 原作既読勢として、本来知りえないことまで僕は知っている。言ってはいけないことはないだろうか、頭の中で整理する。

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