第12話 依頼
いったん削除していた12話の再投稿です。
11
よく変わった名前だと言われる。
いくどとなくからかわれ続けてきたこの名前が、小学生のときから嫌いだった。
昔、授業の一環で母親に名前の由来を尋ねたことがある。
「私の名前はどういう意味なの?」
母は、なんて答えただろうか――
僕の記憶にはもうない。
12
開いて閉じてをくり返し、傘にかかった雨粒を払う。傘立てに傘を突っ込んで、僕は『綾城彩花探偵事務所』に足を踏み入れた。
綾城さんは例によってブックカバーのかかった本を読んでいたが、ページの厚みからして中身は変わっているようだ。
挨拶をして、僕は連続で事故に遭遇したことを冗談めかし「もう二度と車には乗りませんよ」と言う。すると綾城さんが本から顔を上げて、ただ一言、
「……良かった」
と微笑んだ。
「いや、良くないですよ。こっちは散々だったんですからね」
ぼやきながらソファーに腰掛けると、「ぐえっ」、何かを巻き込んだ。腰を浮かしてソファーを見る。そこには携帯を手に横になった硯ちゃんの上目遣い――もとい睨み顔が。
「あ、硯ちゃん。いたんだ」
言いながら僕は向かいのソファーに座った。
「いたんだ、じゃないですよ七原さん! ごめんなさいでしょ! 普通は!」
「ごめんね」
「許すかボケ! 死ねよ!」
硯ちゃんは勢いよく上体を起こし、両手で中指を立てて僕に舌を出した。その舌先から飴玉が転がる。ガラステーブルの上に常備している飴玉だろう。慌ててキャッチして、再び口の中に放った。
この少々品のない言動を取る子は名を芥子川硯と言い、ときどき綾城さんの手伝いをしている。
まだ高校生だが、先日の『死の配役』の事件でも服部進之介の通う高校に潜入し、劇の台本にまつわる噂話を蒐集するという活躍を見せていた。
まあぶっちゃけ物語のプロット上におけるサポート役というか、ストーリーの進行にあたって立ちはだかる「この情報をどう手に入れる!?」などといった障壁をなんの説明もなく突破するためだけに配置されたであろう女の子だ。プロットにおける情報面での不自然を隠蔽するための、《名探偵》とはまた違った機能。要するに「忍者だからこの情報取ってこれました」みたいな便利キャラなのである。
もちろん現実の彼女はただの《機能》ではなくひとりの人間だ。
長い金髪にはところどころ黒が交じっており、これもまた彼女の俗っぽい印象に一役買っている。ただし頭頂部を見れば、プリン頭ではないのが分かる。身長は平均より低めだが、平均よりもだいぶ大きなバストがスクールシャツを押し上げていて…… 童貞には目の毒な子だった。
「今日は平日でしょ。学校はどうしたの?」
「サボり。でも遊ぶ友達もいないし、暇だからここに来た感じですかねー」
「ここは遊び場でも溜まり場でもないよ。一般的には職場というんだ」
「いいじゃないですかーお互い暇そうですし」
「暇も仕事のうちだよ」
「ていうか七原さん雰囲気変わりました? そんなキャラでしたっけ?」
久方ぶりの会話でいきなり核心を突いてくる。おかげで僕は内心冷や汗びっしょりだ。常人ならここでボロが出るだろう。
しかしそこは僕。即座に最適解を演算し、極めて冷静に切り返す。
「は、はあ!? 意味わかんねー! 何言ってんの!?」
「え、ええ……。あたしそこまでおかしなこと言いました……?」
当惑する硯ちゃん。その様子に、僕はますます焦りを募らせる。――と、視線を感じ、デスクの方へ目を向けると、綾城さんが読み止しの本を机上に置いてこちらを見ていた。ニヤニヤと何を考えているのか分からない顔。
「で、デビューだよデビュー。硯ちゃんだって高校デビューとかしたでしょ?」
「そういうのって何かの節目にするもんだと思いますけどね……。まあ、べつになんでもいいですけど」
不審そうなジト目でそう言い、携帯いじりに戻った。
彼女が『綾城彩花探偵事務所』にいるのは、『誰が探偵を語るのか?』において、綾城さんとの掛け合いをおこなうはずの七原五月が不在であるため、その代役として配置されたからだろう。思い返せば、あの短編集は硯ちゃんの事務所滞在率が妙に高かった。
作者の事情というやつに思いを馳せながら、僕は本日『綾城彩花探偵事務所』にやってくることが決まっている少年を待った。
◇◆◇◆
愛川累という少年が訪ねてきた。
茶色がかった頭髪。使い込み具合が伺えるが、手入れが行き届いているのか汚れはないスニーカー。少しはだけた高校指定のワイシャツからは、派手な色のTシャツがのぞいている。
細身で、斜に構えた感じのするなりだが、しかし目だけはまっすぐな印象だった。
「うええ、お客さまだ」
と硯ちゃんがソファーから飛び上がってなんとも言えない空間に所在なく立った。硯ちゃんは、サポート役ゆえエンドユーザーとの直のやり取りはない。依頼人を前にするのは初めてである。
おっ、累くんが硯ちゃんの胸をチラ見したぞ。男子なんだなぁ。
僕は累くんにコーヒーを差し出して、綾城さんの脇に控えた。彼は、遠慮がちにコーヒーを一口啜ると、「美味い」と呟いて目を瞠った。ふふん。コーヒーを作るのがめちゃくちゃ上手いという理由だけで雇われ、月給をもらっている身なのだ、こちとら。
彼は続けて二口三口、喉を湿らせてから、本題を切り出した。
「姉を捜してほしいんです」
姉の名は愛川藍。彼の言によれば、行方がわからなくなって今日で三日になるという。
失踪の直前、彼女は累くんに次のような電話をかけた。
「どこか真っ暗な場所にいる。なにも見えない。助けて」
この台詞から、誘拐なども視野に含めて捜査がおこなわれているが……結果は芳しくないとのこと。
最後に姉の声――それも助けを求める声だ――を聴いた彼は、強い責任を感じているようだった。警察が捜査をしているにも拘わらず探偵を頼ろうとするほど。まあ焦る気持ちは分かる。誘拐事件では、被害者の生存の見込みは時間とともに大きく減少する。二十四時間が生死の分け目なのだそう。
しかし、そんな彼に対し、綾城さんはドライだ。
「依頼となると、それなりの額をいただくことになりますが」
彼女はにべもなく依頼料を提示した。
一介の高校生では簡単に払えないような額をふっかけた。
……わけではない。これはどの依頼人にも提示している標準価格だ。
「これが仕事っていうのはわかってますよ。でも、もう少しなんとかならないんですか」
「わたしはあくまでも職業探偵であり、慈善活動家ではありません。そして『綾城彩花探偵事務所』に学生料金はありません」
綾城さんの探偵活動はビジネスであって、ボランティアではない。いかに同情すべき事情があれど、それが仕事の依頼である以上、相手の立場や背景で融通を利かせてはならない。
しばらくの押し問答のすえ、累くんは悔しそうに去っていった。
「綾城さん、なんだか冷たいですね」
「芥子川くんは、貧乏にあえいでいる家庭のために、自分が経営しているスーパーの商品を無償で差し上げるかい?」
「えー、あたしだったらそうするかも」
硯ちゃんがそう言うので、僕もつられて可哀そうに思えてきた。累くんは、姉が失踪して気が気でないのだ。
加えて、僕は答えを知っている――それも、愛川藍がすでに亡くなっていることも知っているので、沈黙を保つことが極悪非道な犯罪行為であるような気にすらなってくる。
だが、放っておいても事件はいずれ解決するのだ。
明日、彼はこのことを杉下僕に愚痴るだろう。そして、杉下僕が答えを引っ提げて『綾城彩花探偵事務所』にやってくる。
僕はただそれを待てばいいのだ。




