チャプター34
〜ドナーガルテンの街 職人通り〜
三日後、三人は鍛冶屋にやってきた。この三日間、それぞれがこの街で思い思いの時間を過ごしていた。
エルリッヒは街を散策するほか、長老のところへ赴き茶飲み友達さながらに旧交を温めたり、長老以外の顔見知りを訪ねたりと、街の内外をあちこちを歩き回っていた。
一方の男二人は、街にいても特にすることがなかったが、武具を預けているため外に出ることもままならない。そこで、二人はギルドに出入りし、武具を借りて腕を振るっていた。この国に拠点を置く人間ではないため正規の団員にはなれないが、見習い団員のような形で依頼をこなしていた。
自分たちの国のような国土全土にわたる強固な自治組織がないからか、ただの土地柄か、より手強い獣や凶悪な盗賊団がいた。討伐依頼に対しては、まるで水を得た魚のように生き生きと討伐に向かい、元気なまま依頼を果たして帰ってきた。
その手腕にはギルドの職員も唸るほどで、彼らが自称した「王都じゃ少しは名の知られた戦士だ」という看板が伊達ではないことを強く物語っていた。
それは、観光同然に立ち寄ったというのがもったいないと思わしめるほどに。
「おじさーん! こんにちはー! きたよー!」
実のところ、ゲートムントたちの武具が仕上がるのはまだ少し先だと言われているのだが、エルリッヒのフライパンが仕上がる日なので、ぜひとも同伴したいと付いて来ていた。
もちろん、エルリッヒにそれを断る理由はない。ワクワクする気持ち、待ち遠しい気持ちは、みんなで共有した方が楽しいのだから。
「おー、待ってたぞー」
「おじさん、できてる?」
店先から顔をのぞかせながら、仕上がりを確認する。といっても、その答えを聞くよりも早く、鍛冶屋の表情と声色で十分に察しがついたのだが。
きっと、上出来だったのに違いない。
「最高の一品に仕上がったぜ! ちょっと待ってな!」
鍛冶屋は店の奥に引払い、何かしらをガサゴソと探している。もしかして、出来上がったフライパンを奥にしまいこんでいるのだろうか。物音が騒々しい。
ちょっと心配になりながらも三人が待っていると、五分くらい経った頃だろうか、ようやく鍛冶屋が出てきた。手にはちゃんとフライパンが握られている。しかし、どこをどう探していたのか、まるで煤まみれだった。
とはいえ、その表情があまりにも晴れがましかったので、出来映えに関しては一級に違いないと、思わず心が躍ってしまう。
「ほら、お待たせ! どうだ? この輝き、重量感、何より光を吸い込むこの色合い、どれを取っても最高の仕上がりだぜ!」
ひとしきり出来栄えを語った後、自信たっぷりに手渡してくれる。手にした瞬間、馴染みの手触りがエルリッヒを出迎えてくれた。握った感触から、柄の部分はそのままに、金属部分だけを直してくれたようだった。こう言う小さな心遣いが嬉しい。丸ごと新品にされたのでは、わざわざここに来た甲斐がないとすら思える。もちろん、素材の関係上他のお店で鋳造してもらうわけにはいかないのだが。
そんな長年の相棒だが、鋳直されただけではなく、少しだけ、前とは違うようだった。
「あれ? これ、前より重い?」
「お、気づいたか。さすがだな。実は、グラビタイトの分量を少し増やして、厚みを増してあるんだ。これで、強度や耐久性は結構マシになったと思うぞ? 熱の伝わりには影響の出ない程度にしてあるから、料理にも影響は出ないはずだしな。……もちろん、持てない重さじゃないだろ?」
挑戦的な一言。エルリッヒの秘密を知る数少ない一人は、自ら製造したこの重さが竜人族にとっても常識から外れかかっていることを百も承知で、このような言い方をした。当然、へともないんだろう? というニュアンスを込めて。
それを受けたエルリッヒが、鍛冶屋の意図を汲み取れないはずはなかった。重さがどれくらいで馴染むか、まるで料理をしているかのようにフライパンを振るい、感覚を確かめていた。そうしてしばらく感触を見た後、にこりと笑みを浮かべながらこう答えた。
「うん、いい感じだよ!」
「ハハッ、こりゃいい! 余計なお節介かとも思ったけど、やって正解だったぜ!」
豪快に笑い飛ばした鍛冶屋の様子を見ながら、今まで口を挟めないでいたゲートムントたちが、ようやく一言だけ発した。
「マジかよ。あれがますます重たくなったのかよ……」
「ちょっと、想像できないよね……」
その声色は、もはや旋律と言っても過言でないほどの恐れを帯びていた。修行の果てに、あのフライパンを多少は振るえるようになってきたという自負心が、羊皮紙のように軽々と吹き飛んでしまった。
それは、この旅で何度目かわからない、カルチャーショックだった。
「ん、二人とも、どうしたのさ、そんな顔して。なんなら持ってみる?」
「え、えーと……」
「ど、どうしようかな……」
嬉しいとも困ったとも言えない申し出に、即答することができない二人は揃って言葉を濁してしまった。顔を見合わせ、思案する。
ここでその重さに屈してしまえば、男としての沽券にも関わる。一方で、細腕のエルリッヒにだけ持たせてはいられない、ぜひとも持ってみたい、などと色々な思いが渦巻いていた。
その様子を見ながら、気持ちを察しているのかニヤついた笑みを浮かべる鍛冶屋と、裏表を感じさせない爽やかな表情で返答を待っていた。
当然、この間もフライパンは片手で軽々と握られたままである。
「で、どうするの? 持ってみる? やめとく?」
「う〜ん……」
「悩むぜ」
内包する気持ちの優先順位が、心の中で行ったり来たり、せめぎあっている。しかし、そのせめぎ合いに決着をつけた者がいた。ツァイネである。
「エルちゃん、持たせて」
妙に真剣な面持ちで、右手を差し出す。そして、エルリッヒからフライパンを受け取る。
「うおっ!」
重たいことはわかっているので当然心の準備はしていたし、元のフライパンの重さは知っているので、そこから増えたという重さの予想をした上で受け取った。しかし、その心と体の準備をあっさりと裏切るように、フライパンは床に吸い込まれていった。
それほどまでに、このフライパンは重たかった。二人が言う「少し」という言葉がどれほど信用ならないかが窺われる。
「ちょ! こ、これ、どうなってるのさ! お、おかしいんだけど……」
「なんだツァイネ、情けねーなー。重いのは百も承知だろ? わかってて受け取ってその態度は何だよ。もちっとしっかり持てって」
ツァイネのことを軟弱と笑うゲートムントに、苦々しい視線を送る。持ってみたらわかるんだ。思い知ればいい。
「じゃあ、ゲートムントも持ってみなよ、ほら」
「おう。今の俺なら楽勝だって!」
どうしようもなくて床に置いてしまったフライパンから手を離し、ゲートムントに譲る。場所を譲りながら、なんとかこの自信満々の表情を崩してやりたいと思ってしまった。それほどまでにゲートムントの表情には余裕と自信が満ち溢れていた。
「よーし、いくぜー?」
気合いを入れる姿を、三人はそれぞれ見ていた。ツァイネは「それ見たことか」と言う準備をし、鍛冶屋とエルリッヒは挑戦者を応援するような気持ちで。
そのような態度を前にして、ゲートムントはますます気合が入っていた。
「どりゃっ!」
両手でしっかと握り、力一杯持ち上げた。すると、
「おおっ!」
「ゲートムント!」
「兄ちゃん!」
てこの原理を応用して柄を上にした後、わずかな間、全体が持ち上がった。時間は短かったが、確かに持ち上がっていた。しかし、それも限界がきたのか、またすぐに床に置いてしまった。ついつい、大きな音が出る。
「はぁ……はぁ……ツァイネ……悪かった。こいつ、想像以上だったわ」
「でしょ? とりあえず、少し重くなった、ていう程度じゃないよね」
その重さに打ちのめされた二人をよそに、エルリッヒはひょいと持ち上げて、ことも投げに言って見せた。
「まーったく、だらしがないなぁ。二人とも、腕利きの戦士なんでしょ? もうちょっと精進しなきゃ」
「だな! 頑張りゃ人間にも持てるようになるからな。それはそうと、お前さんたちの武具は仕上げにまだ何日かかかるぜ? もしかして、受け取りに来たってことは、ないよな?」
竜人族の腕力とエルリッヒの謎について考えていた二人の思考を、急速に奪うような話。そうだ、二人も武具を預けているのだ。仕上がりが楽しみでならないのは事実だが、さすがにそこは忘れてはいない。
息を整えたゲートムントが答える。
「いや、今日はこのフライパンの受け取りに同伴しただけだよ。急かしたって意味ねーしな。きっと、凄いんだろ?」
「ま、任せとけって! もちろん、扱う奴の腕前あっての武具だけどな」
「俺たち、楽しみに待ってますから!」
無垢な瞳で期待を口にする。歴戦の戦士のどこにこれほど純粋な気持ちが宿るのだろうかと、鍛冶屋は不思議にすら思った。
だが、子供のように期待されては、それに応えないわけにはいかない。己の胸を強く叩く鍛冶屋であった。
「はっはっは、大船に乗ったつもりでいてくれ! 三日後、三日後には仕上げておくからよ!」
「おお〜!」
「楽しみだね!」
「それじゃ、話もついたところだし、行きましょーか。おじさん、ありがとねー」
用は済んだし長いしても邪魔になるばかりと、エルリッヒは鍛冶屋を後にする。ゲートムントたちも、それに続いた。置いていかれてはたまらない。
「おう!」
威勢良く見送る鍛冶屋の表情は、とても晴れやかだった。
〜つづく〜




