チャプター29
〜ドナー山 山道〜
「っ!」
ツァイネに標的を定めたガーゴイルは、先ほど見せたような速度で襲ってきた。ゲートムントと相対した時の様子から、そしてその身から放たれる気配から、まともに受ければ危険だということは肌で感じてしまう。
己の速さをもってすれば回避することも可能かもしれない。しかし、本当に可能なのだろうか。少しでもタイミングが遅ければ、大きなダメージを負ってしまうかもしれない。道幅にはまだ余裕があるものの、吹き飛ばされれば崖下へ落下してしまうかもしれない。かたや相手は翼を持っている。勢い余ってもへともないだろう。
短い時間にいろいろな作戦が頭をよぎる。その中で、とっさに選んだのは、
「受けた!」
少し離れた台車のそばで様子を見守っていたエルリッヒたちは、ツァイネの選択に驚きを隠せなかった。
多少のリスクを負っても回避を選択するものだと思っていたのに。
「ゲートムントくんですらあれだけ盛大に吹き飛ばされた攻撃なんだ、受けるだけでも大変なはずだよ」
「だよね……」
心配に心配が重なる。見ていることしかできない今の状況がもどかしかった。
「くっ!!」
重い。その攻撃はあまりに重く、気を緩めると勢いのままに吹き飛ばされてしまいそうだ。相手に攻撃を緩める気がない以上、なんとか攻撃をいなして体制を立て直さなくては。しかし、その余裕がない。
「キキッ!」
いたずらっ子のような善悪のなさそうな表情でなおも攻め立ててくる。押しの一手がこれほど強いとは、想像もしていなかった。これが、この小さい体から生み出される力なのか。
「……小さな体に、大きな力?」
不意に、エルリッヒのことが浮かんだ。すぐそこで、心配そうに見守ってくれているその華奢な姿が。
エルリッヒもまた、異様なほどに重たいあのフライパンを軽々と振るう、小さな体に不自然なほど大きな力を持っている。普段はそうでもないのに、調理器具を扱う時は別らしい。
「エルちゃん! エルちゃんのためにも、負けられない!」
こんな所で屈していては、楽しい旅が道半ばで終わってしまう。そう考えるとどんどん力が湧いてきた。たとえこの先どんな強敵が待っていようとも、力を出し惜しんでいる場合ではない。
「でぇぇい!!」
渾身の力で剣をなぎ払い、攻撃をいなす。勢い余ったガーゴイルは、そのまま中空へと飛び出してしまう。その隙を突いて、山肌を背に体勢を立て直した。どうせ空を飛べる相手には大した隙にはならない。これくらいが精一杯だった。
「よ〜し、これなら崖下に落ちることはないぞ〜」
空高くを旋回し、再びこちらに標的を合わせたガーゴイルが、やはり襲ってくる。他の誰でもない自分が狙われるのなら、嬉しい限りだ。どうやって戦うつもりなのか、どんな勝算があるのか、心の中に問いかけても答えはなかったが、今はやるしかなかった。今一度剣を構え、猛攻に備える。
「これだけの距離が開いてれば!」
「キキッー!」
持ち前の素早さを活かし、飛びかかってきたガーゴイルを直前で回避する。そして、一瞬で背後に回りこみ、翼を斬りつける。
「キキッ!!」
回避からの攻撃だから、斬撃自体は浅い。それでも、翼に一撃を与えることには意味があった。飛べる相手と戦うのは、明らかに不利だ。同じ条件で戦えば、まだいくらも商機が見出せるに違いない。まずは翼を封じるだけの攻撃を与えなければ。
とりあえず、今の所は素早さは勝てている。この戦法を繰り返し、小さくダメージを与え続けることにした。
「はぁ…はぁ…丈夫な翼だなぁ……」
攻撃回避とそこからの翼への斬撃を繰り返す。しかしなかなか攻撃は通らず、いまだ元気に羽ばたいている。紫と黒のガーゴイルなら、すでに翼を切り落とすところまで行っているかもしれないのに、それが適わない。スピード、体力、攻撃力、耐久力、その全てが比較にならなかった。
しかも、だんだんこちらの攻撃が読まれ始めている。相手も馬鹿ではない、同じ攻撃がそう何度も通じるはずはなかった。
「そろそろ次の作戦を考えないと……」
手負いの魔物ほど手強い相手はいない。何か強力な一手を与えなければ。再び、知恵をしぼる。
「ツァイネ……」
岩肌に張り付いたまま、ゲートムントはツァイネの様子を見守る。ダメージの回復を図るとともに、攻撃の隙を窺う。もちろん、ツァイネと交戦する姿を見ながら作戦を練ることも忘れない。
自分はもちろんのこと、ツァイネが苦戦するほどの難敵、一筋縄では敵わない以上、正面から当たるのは得策ではない。先ほどの攻撃をまた喰らうわけにはいかないのだ。
「スピードとパワーだけでもなんとかできれば……」
あれこれ考えていると、再び激しい鍔迫り合いが始まった。鋭い金属音が響き、爪による攻撃を剣で防いでいる。今から駆けて行ってその背中を一突きにできたらすぐにでも片付くのに、そこまでの体力が戻っていない現状があまりにももどかしい。
「くそっ!」
今は毒づくだけで精一杯だった。
「くっ!」
相変わらず攻撃は重たい。受けるだけで精一杯だ。度重なる攻撃で疲労が溜まっている。ガーゴイルとて相応にはダメージを負っているはずなのに、その行動には微塵の衰えも見られない。以前悪魔と戦った時よりも腕が上がっている自分たちをして、あの悪魔よりも下級に見えるガーゴイルを相手に、あの時以上に苦戦している。これが一体何を意味するのか、ツァイネにはわからなかった。
あの時の悪魔が実は下級の存在だったのか、このガーゴイルが魔族では中級から上級に位置しているのか、それとも、一番考えたくない可能性か。
(魔王の復活で……力を増してる?)
なんと恐ろしいことか。もしそうだとしても、今は考えていても仕方ない。大きくかぶりを振って頭を空っぽにして、目の前の攻撃に耐えることに専念する。
「あいつ、防戦一方じゃないか……」
先ほどまでの作戦はどうしたのだろうか。それは考えるまでもなかった。ツァイネもまた、決定打に欠ける作戦には限界を感じているのだ。だからこそ、防戦一方になってもじっとその場に留まり、いい作戦がないか考えているのだろう。
遠巻きに見ているゲートムントの胸中に、一層のもどかしさが募る。
「せめてこの槍でなんとかできれば!」
手にした漆黒の槍は、未だその斬れ味を失うことなく輝く穂先を湛えている。ダメージの回復もままならない今の状態では、いかに武器の状態がよかろうと、意味をなさない。
激しい鍔迫り合いを繰り広げた後、ガーゴイルはおもむろに距離を取った。何をするつもりだろうか。
猛攻に備え防御の姿勢をとるツァイネ。そんな様子を見て、ニヤリと笑ったような表情をしたガーゴイル。やはり、何かを企んでいるらしい。次の瞬間、大きく息を吸い込んだかと思うと、口の中が赤々と光りだした。
まぎれもなく、ガーゴイルは炎を吐くつもりだ。しかも、少しでも威力を高めたいのか、口の中でその勢いを溜めている。もし、これを遮るために攻撃をしたらどうなるだろうか。
ひとしきり頭の中でシミュレートしてみるが、あの速度と力を持ってすれば、こちらの攻撃を防ぐのはたやすいだろう。まして相手の爪の射程圏内に入ってしまうことの方が危険であり、さらに言えば炎を吐くために間合いを開けたとはいえ、近い方が一層威力は高まるのだから、やはりこれ以上近付くのは危険だ。もちろん、背後に回ることはできるがそれではみんなに被害を出しかねない。そして、それらを踏まえて安全な場所に避難することも、困難だろう。適切な間合いを保つことなど、ガーゴイルにとってたやすいのだから。
そうして思案した結果、出てきた答えは一つだった。
『鎧の耐火性能を信じるしかない』
魔王時代、人間が日常的に魔法を使っていた時代に設計されたこの鎧は、敵が魔法による攻撃を仕掛けてきたり、魔法による自己強化をしての物理攻撃を仕掛けてきたりすることを考慮している。
もちろん、当時から王族を守る親衛隊、近衛隊といった代々の組織で着用されているため、生半可な攻撃は防いでしまう。今は、その設計思想に頼るしかなかった。
「くっ!」
みんなを守るためなら、自分がダメージを負うことくらいどうということはない。それがツァイネの信条でもあった。
表情に、決意と苦悩が混じり合う。
「あいつ、もしかして!!」
少し離れたゲートムントの目にも、ガーゴイルの口内が赤く光る様はよく見えた。そして、瞬時に考える。ガーゴイルがドラゴンさながらに口からの火炎放射による攻撃を持ち合わせていること、上位のガーゴイルの方が強力な炎を吐いていたこと、そして、このガーゴイルが出会ってきた下位の二種と比べて明らかに強大な力を有していること。
必要な答えを導き出すのに、少ない材料があれば十分だった。
「やべえ! あいつの炎、とんでもないぞ!!」
決してドラゴンほどでなくとも、今あの距離で防御を決め込んだツァイネが軽傷で済むとはとても思えなかった。もとより自分より小さな背中が、今はさらに一回り小さく見えた。
このままにはしておけない。何か打てる手はないか、必死に考える。
「くそ、このままじゃ!」
なんとか槍を杖代わりに立ち上がると、憎々しげにツァイネ越しのガーゴイルを睨みつけた。
当のガーゴイルはそれに気付く様子もなく、ただただ炎の威力を高めるために力を溜めていた。小さい体のやせ細った腹部が大きく膨れ上がり、中に高温の炎が詰まっていることを思い起こさせた。
(っ! そうか! まだ、やれることはあるぞ!)
ガーゴイルの様子を見て、ゲートムントの頭に天啓が降りた。
見る見る間にガーゴイルのお腹が膨らんでいく。そして、だんだん目の前のツァイネにも熱が伝わってきた。
「まさか……こんな……」
想像される威力に、少しばかり戦意を喪失しかける。
その一瞬の表情の曇りを見逃すまいと、ガーゴイルはいよいよ炎を吐き出す体制に入った。その時、
「ツァイネ! 右に避けろ!!」
「えっ?」
背後から響くゲートムントの叫び。長年の付き合いである。考える間もなく、体が動いていた。
直後、まるで地獄の様な業火が吐き出される。ドラゴンの放つ火球とは異質の、持続性のある炎。わずかにかすめた鎧が熱を帯び、伝わってくる。
言われるがままに回避したその刹那、その炎を貫く様に黒い何かが視界に飛び込んできた。次の瞬間、それはガーゴイルの鳩尾を鋭く貫き、その体からは勢いの良い紫色の血が吹き出す。
黒い何かの正体は、ゲートムントの槍だった。
「へっ、どうだ!」
若干弱々しくも威勢のいいセリフが響いた。
〜つづく〜




