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ドリィ  作者: 萩尾さく
第三章 生か死か
9/22

3-3

 充分すぎるほどの時間をかけて、行列は大通りを抜けた。そこからは少し歩調を速めて、南の森へと向かう。

 森に入ってすぐ、秘密のお家へ向かう獣道がある。大人たちは誰も知らない道。イデとセージはもう秘密のお家を出ただろうか。いつ、リリの元へとやってくるのだろうか。

 イデとセージに関しては、ちょっとだけ後悔している。もう少し早く、答えを出してあげるべきだったと。リリがもっと早く、彼らに答えを伝えていれば、イデとセージは儀式に乱入するなんていう危険な行為を犯さなくて済んだのだ。

 リリの目が自然と輿の脇を歩く赤いマントへと注がれる。

 オーダーのみならず紅の十三使徒までもが、この儀式に参加しているのは、きっとイデとセージを警戒してのことだろう。

 一週間前、酒場兼宿屋に現れた右腕のない男のことは、すぐに村中に広まった。そして村長は中央政府へそのことを伝え、紅の十三使徒はまたこの村へとやってきた。

 紅の十三使徒がいるところへ乱入してきて、イデとセージは大丈夫なのだろうか。

 祠へはすぐ着いた。もともとこの森はそんなに広くない。行列のゆったりとした歩みでも、そんなに時間はかからない。森の開けた場所に、大きな岩がずっしりと存在していた。その岩の中をくり抜いて、祠にしているのだ。祠の入り口は、別の岩で蓋がしてある。

 生贄は、この祠の中に閉じ込められることになっている。中に入ったら、あの重い岩で入り口を塞ぎ、逃げられないようにするのだ。中は灯りひとつなく、ただあるのは闇。もちろん食糧など与えられない。生贄は、あの闇の中で歩み寄ってくる死を待つのだ。

「何だ?」

「どういうことだ?」

 行列の先頭を行く村長たちが、にわかに騒がしくなった。どうしたのだろうと、リリは首を伸ばして前方をうかがう。

「何で開いてるんだ!?」

「そう簡単に開けられるものじゃないだろう?」

「一体誰が……」

 どうやら、祠の入り口が開いているらしい。あの入り口を塞いでいる岩は、数人の男たちが力を合わせなければ動かせない。それが動いている。どういうことだろうか。祠の中からは、嫌な臭いが漂ってきていた。


「よう、待ってたぜ」

 よく通る声が、あたりに響いた。リリは、いやリリだけではない。その場にいた全員が、声がした方向を一斉に見やる。

 祠の上、そこに男が座っている。右腕のない男が。

「答えを聞かせてもらおうか」

 イデの鋭い目は、リリだけを見ていた。

「マ、マグス!」

 村長たちが驚きの声を上げる。その声に、イデは祠の上から人々を見下ろした。不敵に笑っていた顔が、一気に不機嫌そうないつもの表情に変わる。

「テメーらに用はねえ」

 イデはそう吐き捨てたが、村長を始めとする村の重鎮たちは、その声を聞いていない。

「まさか、これはお前の仕業か!」

 村人を代表して、村長が開いたままの祠の入り口を指差し言う。

「はあ? 何言ってんだ? そんなの知らねぇよ」

「とぼけるな! お前がドリィを使ってやったんだろう!?」

 イデの表情がどんどん険しくなっていく。端から見ていて、彼の機嫌が急降下していくのが良く分かった。

「あーあ、嫌になるね。初対面の人間捕まえて、何の証拠もなしにマグスと決め付けた上、やってもいないことをやったんだろうなんて、どうしてそんなこと言い切れるのかね」

「で、では、お前はマグスではないと……?」

「誰もそんなこと言ってねぇだろ? 俺が言いたいのは、勝手な予測で物事を判断するなってこと。

 ああもう、面倒臭え。確かに俺はマグスだが、この祠の扉に関しては何も知らない。これでいいか?」

 何でもないようなことのようにイデは己の正体を明かし、苛立たしげに頭を掻きむしる。

「なっ! それじゃあやはり……!」

 村人たちの間に動揺が走った。

 イデがニッと笑う。あの人を食ったような笑みだ。

「セージ!」

 ザッ、と風が鳴った。イデの声に呼応するかのように、祠の裏側から何かが中空へと跳び出した。それは祠の上を、イデの頭上を跳び越え、村長とイデの間、開いたままの祠の入り口の前にふわりと降り立つ。

 セージだ。

 誰もが驚愕の声を出すことすら忘れて、セージの登場を見守った。セージの登場は、セージが間違いなくドリィであることを示していた。

 祠は大きい。中の広さは、リリの家とそう変わらないだろう。高さだって、大の男が爪先立ちで手を伸ばしたとしても上まで届かないくらいだ。その上を跳び越えてきたのだ。しかも、その上に座るイデの頭上をも越えて。

 人間には出来ない芸当だ。

 リリはあらかじめ知っていた。セージがドリィであることを。しかし、心のどこかでそれを信じていなかったのかもしれない。セージはあまりにも人間的すぎる。ドリィがあんなにも優しく笑うだろうかという思いが、リリにはあったのかもしれない。でなければ、今の状況に驚いている自分に説明がつかない。

 いち早くこの状況を飲み込み、動きだしたのは、オーダーたちであった。リリが乗った輿の脇にいたオーダー四人が、ほとんど足音を立てずに、村長たちを押しのけ、セージの前に出た。四人は一斉に剣を抜き放ち、その切っ先をセージへと向ける。

「出たな、オーダー」

 笑みを崩さずにイデが言う。

「四人か。……それに、十三使徒が二人。思ったより多かったな。相手出来るかセージ?」

「俺はお前の言葉に従うだけ。命令を」

「そうか。じゃ、やれ」

 問答無用な命令に、セージはふう、とため息をつく。そして、

「イエス、マスター」

 と答えた。

 オーダーの四人が、示し合わせたかのように同時に動く。剣を振りかざし、セージへと突進していく。セージは登場した時と同じように、向かってくるオーダー達の頭上を跳び越え、背後をとった。

「ターゲットの戦闘レベルをCと認定。反撃に出る」

 その台詞を嚆矢として、一気に場は混乱におちいった。

 セージは振り向きざまに足払いを掛ける。ちょうど、セージの背後に詰めていたオーダーのひとりが、その足払いに見事にひっかかり転倒した。そしてセージの右側から迫る剣をギリギリでかわすと、素早く身を沈め、体重を乗せた掌打を相手の胴体に繰り出す。続いて、立ち上がりざまに後ろへ足を伸ばし、左側から振り下ろされようとしていた剣を弾いた。

 速い。素人目から見ても分かる。セージの身体能力は、四人のオーダーたちをはるかに凌駕していた。

 しかしひとりがやられている間に、もうひとりは体勢を立て直し、また襲いかかってくる。それを退けても、また別のひとりが斬り込んでくる。更に加えて村人たちがセージへと殺到し、さすがのセージも思い通りに動けない状態だ。

「今のうちだ!」

 いつの間にか、輿のすぐ傍に来ていた村長が叫ぶ。

「生贄を早く、閉じ込めてしまえ!」

 いきなり輿が前方へと傾く。

「きゃあ!」

 リリの口から悲鳴がこぼれる。リリの体は輿の上を滑り、尻から地面に叩きつけられた。その痛みが消えないうちに、男衆によって両腕を捕まれ、引っ張り上げられる。

「さあ来い!」

 そう怒鳴って、リリを引っ立てるのは誰か。よく分からない。それは確かに顔見知りの村人であったはずなのに、リリの腕を抜けそうなほどに引っ張り、肩を押すその姿が、まるで別人のように見えた。

 リリは周りを見回す。そこにいた村人のすべてが怖い顔をしていた。睨みつけるように戦うセージを見ていた。その目が血走っているように見えるのは、リリの気のせいだろうか。

「邪魔だ、どけ!」

 イデが叫ぶのが聞こえた。彼はどこだ。どこにいる。彼に一言伝えれば、この騒ぎは収まる。たった一言。「死を選ぶ」と。

「ぎゃっ!」

 リリの左腕を引っ張っていた村人が、そう潰れた声を出し、リリから手を離した。村人は腕を押さえている。その押さえた箇所から血が流れ出ているのが見えた。

「どけよ!」

 腕を押さえている村人を突き飛ばした者がいる。イデだ。彼は左手に短剣を握っている。その切っ先からは血液が垂れていた。

「来たぜ。さあ、答えを」

 彼はこの場にいる誰よりも落ち着いているように見えた。ただ真剣な眼差しをリリへと向けている。

「わ、わたし……」

 さあ、伝えるのだ。さんざん考え抜いた末にたどり着いた答えを。

 しかし、リリの声は続かなかった。

 背後から何者かがリリの肩をつかみ、引き倒す。リリはバランスを崩して、尻餅をついた。そして尻餅をついたリリとイデとの間に、赤いマントが割り込んでくる。

 紅の十三使徒!

 リリの目が自然とセージの方へと向いた。セージは変わらず四人のオーダーを相手に戦っている。

 それではこのリリの前に立つ赤いマントは……。

「シン・トゥール……」

 そうだ、警護についていたのはオーダー達だけではない。あと二人、この場には紅の十三使徒が存在したはずだった。そのうちのひとり、シン・トゥール。その名を呟いたのはイデの声であった。

「ほう、俺を知っているのか?」

 シン・トゥールの声はいたって冷静だ。この場で一番冷静なのは、イデではない。シン・トゥールの方がもっと落ち着き払っている。誰もがセージの存在に撹乱されている中、シンはその主人の存在を忘れていなかった。

「知っているのか、だと?」

 イデがそう言って舌打ちをする。それからイデはしばし沈黙した。

 リリからは、シンのマントが邪魔をして、イデの姿が見えない。彼は今、どんな顔をしているのか。何を思っているのか。それを見てとることが出来ない。

 だが、リリには彼の苛立ちが分かった。イデの全身から苛立ちが発せられているのだろう。それがシンの体を通り抜け、リリまで伝わってきたのだ。

 そして、苛立ちに続いて伝わってきたのは――怒り。

「ああ、知ってるとも。俺はこの六年間、テメェのツラを忘れたことはねぇよ。その不細工なツラをな!」

 イデの言葉が揺れている。それを聞いて、リリは胸が締め付けられるような感覚に陥った。

 何故だろう。リリはドレスの胸元を握り締めた。

 イデの言葉か運んだのは怒りだけではない。――悲しみ。それがリリの胸を締めつけている。

 リリは這いつくばるようにして、シンの右側へと移動した。純白のドレスが汚れたが、もうそんなことに構ってはいられない。イデの姿が見えるところまできて、リリは止まる。イデは歯をギリギリと食いしばり、何かに耐えているかのような表情をしていた。

「六年? ……ああ、そうか。思い出した」

 リリの目が、シンの方へ移動する。シンはイデとは対照的に、口角を上げ、どこか楽しげですらあるように見えた。

「お前、あの時のガキか」

 クククク……、と喉を鳴らしてシンが笑う。気味の悪い笑い方だ。

「そうか、お前、マグスになったのか。ちょうど良かったじゃないか。俺が切り落とした腕が役に立ったなあ」

 我慢しきれないといった風に、シンは声を盛大に上げ、笑い出した。

 どういうこと? イデはシンを知っていて、シンもイデのことを知っている。それに――、

 俺が切り落とした――?

 確かにシンはそう言った。それは真実なのか? だとしたら、イデの右腕は、この赤いマントの男によって奪われたというのか。それはマグスのしきたりによって失ったのではなかったのか。

「黙れ!」

 イデの魂を搾り取るかのような叫び。

「そうだ俺はマグスになった。六年前のあの時の俺とは違う。俺は力を手に入れた!」

「なるほど、『偉大なる力』ね」

 シンはチラリと横目で戦うセージを見た。

「でもそれは自慢にならない。確かにドリィはすごいが、すごいのはあくまでもドリィであってお前ではない。お前には何が出来る? 左手一本で俺と戦うのか?」

 シンからは笑みが消えない。その笑みにより、イデの苛立ちはさらに増す。怒りも、悲しみもまた増大していく。

「うるさい!」

 先にしかけたのはイデだった。イデは地を蹴り、左手に握った短剣をシンへと突き出す。しかしそれは空を切った。シンは深く身を沈め、それをかわしたのだ。そしてそのまま剣を抜き放ち、それで弧を描く。

「くっ……!」

 イデは上体を反らすことで、何とかそれを避けた。だが、上体を反らしたことにより、イデはバランスを崩してしまった。シンはそんなイデへと足払いをかけ、イデの体を倒す。すかさず、シンは倒れたイデへ剣を振り下ろした。

「危ない!」

 リリは思わず叫んでいた。その声に反応するかのように、イデは地面を横に転がり、シンの剣から逃れる。シンの剣先が地面にめり込んでいるのが、リリからは良く見えた。

 その隙にイデは素早く起き上がり、シンへと走る。シンの剣はまだ地面から抜けていない。イデが短剣を逆手に持ち直し、それを大きく横へと振るった。いや、振るおうとした。

 シンは地面にめり込んだ剣から手を離さないまま、足を一歩だけイデへと踏み込んだ。その足の動きにイデの足が一瞬鈍る。シンにはその一瞬の間だけで充分だったのだろう。剣から手を離し、踏み込んだ方とは反対の足から蹴りを放つ。それは正確にイデの左手首をとらえていた。イデはたまらず短剣を取り落とす。

 続いて、蹴りを放った足を地に降ろして、その足を軸に身をひるがえし、回し蹴りを繰り出した。イデはその蹴りに胸を打たれて吹き飛ばされた。

 イデが倒れたのを確認してから、シンは悠々と地面に突き刺さったままの剣を引き抜く。

 イデは痛みをこらえてなんとか立ち上がろうとしていたが、シンがイデの元へと行く方が早かった。シンはもう一度イデの胸元へと蹴りを入れ、仰向けに倒れたところを踏みつける。イデの動きは封じられた。地面から抜き放った剣を、イデの喉元に突きつけながら、シンは言う。

「ほら、ドリィに助けを求めてみろ。お前には力なんてない。お前は六年前と何も変わっちゃいない。泣き喚いて地面に這いつくばってるのがお似合いのガキなんだよ」

 イデはそう言うシンを横たわったまま睨みつけている。自分を踏みつけるシンの足を左手でつかみ、爪を立てているが、シンは痛みも感じていないようだ。

「さあ、どうする? 六年前と同じように、額を地面にこすりつけて命乞いでもしてみろよ。そうすれば命は助けてやってもいいぞ。まあ、今俺が助けたところで、どうせマグスは処刑だがな」

 シンはせせら笑った。イデを踏みつける足に力を込める。イデが低くうめいた。

 一体、六年前ふたりに何があったというのだろう。分かるのは、イデがシンを憎んでいるであろうということ。そしてシンがイデの右腕を奪ったかもしれないということ。

「リリ! 来るんだ!」

 村長がへたり込んでいるリリの腕を引っ張り上げる。リリはイデとシンから目を離せず、その場から動くことも出来なかった。村長はそんなリリをむりやり祠へと追いやる。

 セージは相変らず、四人のオーダーや男衆と戦っている。イデはシンに剣を突きつけられ、リリに意識を向けることすら出来ないでいる。どちらもリリのことを見ていない。

 伝えなくては。イデに伝えなくては――。

 でなければ、このままだとイデは捕まって処刑されてしまう。

「わ、わたし……!」

 叫んだが、イデはこちらをチラリと見ることも叶わない。セージにいたっては男衆に囲まれて、その姿すら見えなかった。

 村長がリリの腕を引っ張る。セージに飛び掛っていた男衆のひとりが、駆け寄ってきて、もう一方の腕を取った。さらにもうひとりがリリの背中を押す。三人の男に力ずくで動かされ、リリはなす術もなく開いたままの祠へと押し込まれた。祠の中は、ひんやりとしていた静かだった。外の喧騒が嘘のようだ。

「さあ、閉めるぞ!」

 村長が叫ぶ。

「ちょっ……! ちょっと待って!」

 リリは慌てて立ち上がり、入り口へと飛びついた。村長が、祠の外へ出ないように、リリの体を押さえた。

「何だ、今更怖くなったなんて言うんじゃないだろうな」

「違う! そんなことじゃなくて、あの二人を……!」

 イデとセージを助けてあげて!

 そう続くはずだった言葉は、男衆の怒鳴り声によってかき消された。

「おい! 誰か手を貸せ! 扉を閉めるぞ!」

 リリはもう一度突き飛ばされた。

「あの二人はちゃんと捕まえる。また公開処刑だ。心配することはない」

 村長の声が降りかかってくる。

 違う、そうじゃない。リリはあの二人の死など望んでいない。でも村長が勘違いをするのも仕方がない。リリがイデとセージを匿っていたことを、誰ひとりとして知らないのだから。

「いくぞ! せーの!」

 男衆の声が重なる。そして岩の扉が徐々に閉まっていく。

「待って! お願い!」

 もう誰もリリの言葉を聞いてくれない。

 閉じていく扉を止めようと、開いた部分に体を入れようとするのだが、その度に男衆や村長により押し戻された。あとちょっとで完全に扉が閉まる。その時、リリはより激しく突き飛ばされた。リリはたまらず倒れこむ。そして立ち上がる間もなく、扉は閉じられ、祠の中から光が消えた。

 何も、見えない。

 祠の中が、ここまで暗いとは思っていなかった。外の騒ぎが僅かに聞こえてくるが、祠の中には音もない。肌に触れる空気は冷たく、身震いするほどだ。そして祠いっぱいに充満している異臭。

 リリは閉められたばかりの扉に手をつく。少し力を入れてみるが、もちろんそれは動かない。リリひとりの力でどうにかなる重さではないのだ。

「イデ……、セージ……」

 どうしたらいいのか、リリには分からなかった。このままではあの二人は殺されてしまう。でももうリリには何も出来ない。この祠に入ってしまったが最後、あとはもう死を待つことしか出来はしないのだ。

「お願い、逃げて……」

 そう呟く声も、もう届かない。



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