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ドリィ  作者: 萩尾さく
第五章 広がる荒野
22/22

5-5

 いつの間にか、場は静まり返っていた。

 ついさっきまで、処刑という娯楽を目前に控え熱狂していた人々は、今はもう言葉を発することもない。セージたちが乱入したせいか、集っていた人々の何割かは大広場から逃げ出してしまったのだろう。それでもまだ多くの者がこの場に残っている。だが誰もが黙したままだ。

 十三使徒の男が振るう剣の唸りが、その静けさに乗って響く。剣の動きは変幻自在だ。斬りつけたかと思えば、すかさず突いてくる。無駄がなく、隙もない。セージは左腕のライフルを収納する暇さえ与えてもらえなかった。

 赤いマントをひるがえす男の様子は、尋常ではなかった。血走った目を見開き、荒い息を吐き出す口元には泡が浮いている。剣を繰り出す腕の動きも、セージへと踏み込んでくる足の動きも、生身の人間とは思えないほどに素早く、力強い。常軌を逸しているのだ。

 そう、それは人間の限界を超えた動きなのだ。だからセージには分かった。反撃などしなくとも、このまま避け続けているだけで、この男は力尽き、自滅していくであろうことが。

 それが分かったからこそ、セージはあえてこちらから攻撃を仕掛けた。左腕の銃を使って。

 銃は好きになれない。けれどこの状況において、たった一撃でもう立ち上がることが出来ないほどのダメージを与えようとするならば、銃を使うのが一番だと思ったのだ。

 セージは振り下ろされた剣を右腕で受け止めた。人工皮膚の下の装甲板がその刃の動きを殺す。すかさずセージは右腕を上へと振り、男の剣を跳ね上げた。男の胴体ががら空きになる。左腕の銃口をその脇腹へと向けた。

 銃声は、一度。

 それだけで充分だ。黒い筒から飛び出した銃弾は、男の左脇腹をかすめていく。それは本当にかすめただけであったが、脇腹の肉を抉り、男の体から引き剥がした。

 男は、仰け反るような姿でビクリと体を震わせ、それからゆっくりと仰向けに倒れていった。

 たったこれだけ。一度だけの攻撃で、凄まじい威力を発する。やはり銃は恐ろしい。

 セージは立ち上がりながら、左腕の恐ろしいものを収納した。

 戦いの決着を見届けた人々が、わずかにざわめく。だがやはり大声をあげる者はなく、またそのざわめきもすぐに消え去った。広場を覆い尽くすほどの人々が集っていながら、どうしてこんなにもひっそりとしているのか。ただこのとき吹いた一陣の風だけが、セージの耳を打った。

「もう……、いいのか……?」

 振り向くと、そこにはイデが来ていた。その後ろには、リリとインビジブルの姿も見える。

「すまない……、遅くなった……」

「いいんだ。こうなったのも、元は俺のせいだしな」

 イデは口元を緩めて微笑む。セージは、イデのそんな表情に少々戸惑いを覚えた。それはセージのメモリーの中にはない表情だったからだ。

「イデ……?」

「何だ?」

「……いや、何でもない」

 セージはゆるゆると首を横に振る。イデはあからさまに不審そうな顔をして、こちらを見上げてきた。

 以前までイデを包んでいた、何かギリギリと張り詰めたものが、今は幾分か和らいでいるように感じる。

 それは勘違いなのかもしれない。けれどセージはそれが勘違いでなければいいと思った。

 イデが目指すものは変わらない。そこへたどり着くまでの厳しさや険しさも。だが今までのイデは、ただがむしゃらに走るだけであった。これからは、もう少し歩調を緩めて歩いて行くことが出来れば良いと思う。時には周りを見て、そして必要とあらば助けを求めて。彼の後ろには、いつでも自分がいるのだから。

「さあ、行こうか」

 イデが促す。

 そのときだった。けたたましいまでの笛の音が響き渡ったのは。

 セージも、イデもリリも民衆たちまでもが一斉に振り返った。音の根源は舞台の上。断頭台がある方の舞台だ。そこでは今さらながらに自らの役目を思い出したのか、役人が警笛を吹き鳴らしている。その笛の音に、今まで集った民衆と同じように、ただこの成り行きを見ているだけだった衛兵たちが一気に職業意識に目覚めたようだ。ざざざっ、と地を鳴らしてセージたちを取り囲む。

「……ちょっと、のんびりし過ぎたか」

 イデが頭を掻きながら言う。その通りだった。衛兵たちはこの時まで、その存在を忘れてしまうほどに何もしていなかった。おそらく、エリートであるところのオーダーたちが次々と倒されてしまうのを見て、気力が萎えてしまっていたのだろう。元々ドリィに恐れを抱いていたせいもあるかもしれない。だがその恐れも、たった一度響いただけの警笛に流されてしまったようだった。

「……強行突破だ」

 声をひそめてイデが言う。その言葉にセージは黙って肯いた。しかし、

「イデ……!」

 リリが切羽詰った声を上げる。何事かとイデとセージは共にリリの視線の先をたどる。

 そこではあの十三使徒の男が、今まさに立ち上がろうとしているところであった。

「……逃がす……かよ……」

 ギラギラした目で、こちらを睨みながら。



 わたしは、うらやましかったのだろうか。

 そう指摘してきた少女に、ミゼルは否定の言葉を叫びたかった。

 だがそれは喉に引っかかって出てこない。何と言えばいいのかが分からない。

 すぐさま否定できないということは、少女の言うことは真実であるということなのだろうか。自分自身のことであるというのに、ミゼルには分からなかった。

 ミゼルも以前は未来を描いたことがあった。タクリと共に生きる未来を。

 しかしその未来は閉ざされ、泡となって消えた。しょせんそれは、はかない夢でしかなかったのだ。

 ミゼルには、イデのいう未来もただの夢でしかないように思える。そもそも、夢と未来の違いはなんなのか。

 去り行く青年の背を見る。その背に駆け寄っていく少女の姿も見える。

 あの少女は、いったい何を思ってイデについていくことにしたのだろう。あの少女もまた未来を見ているのだろうか。ミゼルには見えなかったものが。

 夢。

 未来。


 夢とは、思い描くもの。

 未来とは、必ず訪れるもの。


 ああ、そうか。

 あの青年は、はなから夢など見ていなかったのだ。

 彼が見ていたのは現実。現実の先にあるもの。

 だから彼は自らの理想を信じ、曲げようとはしなかったのだ。理想は、信じなければ現実に決してなり得ないから。

 可笑しくなった。自分は何と滑稽な道化だったのだろうかと。その笑い声は、警笛の音に紛れて、誰にも聞こえなかったけれど。

 ミゼルは舞台から飛び降りた。周りでは衛兵たちが忙しなく動いている。イデたちを取り囲んでいるのだ。そして脇腹から血を流し、それでも立ち上がったシン。

 シンは剣を振りかざしている。「逃がすか……」と口の中でなにやらもごもごと呟いている。脇腹の傷はかなり深いように思えた。

「シン、やめなさい。……死ぬわよ」

 ミゼルはシンに歩み寄り、その腕をつかんだ。シンはギロリとこちらを睨みつけてくる。

「……獲物を、横取りする気か……」

 ゼエゼエという息づかいの合間から、そういう言葉が出てきた。

「そんなつもりじゃないわ。あなたが紅の十三使徒である限り、彼らと戦う機会はいくらでもあると、そう言っているのよ」

 ミゼルはシンの手から剣を奪い取った。もう握力もそんなに残っていなかったのだろう。剣はすぐにシンの手から離れた。そして首筋に手刀を叩き込む。もともと意識が飛びかけていたであろうシンは、あっさりと昏倒した。ミゼルは近くにいた衛兵のひとりを呼ぶ。そしてシンの手当てをするように命じた。

「何のつもりだ?」

 イデがねめつけてくる。

「やあね、そんなに怖い顔しないでよ。逃がしてあげようって言うんじゃない」

 ミゼルのこの台詞に、イデたちはもちろん、衛兵や民衆も驚きの声をあげた。

「正気か?」

「ええ、正気よ。あなたたちがどこまで出来るのか、それを見せてもらうわ。あれだけ大口叩いたんですもの、きっと素晴らしい未来を見せてくれるのでしょうね」

 揶揄するような口調だったが、それは半分、いやそれ以上にミゼルの願望であった。『夢』ではなく『未来』を見せて欲しい。自分やタクリが諦めてしまったものを見せて欲しい。彼らにそれを望むのは、贅沢であろうか。

「見せてやるよ。絶対に」

 イデが不適に笑う。理想を信じて疑わないその瞳。ミゼルは、きっとその瞳が欲しかったのだ。

「でも……、厳しいわよ。あなたの言う未来へ向かうには。あなたは……ひとりで歩いていけるの?」

「ひとりじゃない!」

 答えたのはイデの傍らに立つ少女だ。

「ひとりじゃないよ。セージがいるしインビジブルもいる。……そしてわたしも」

 少女の瞳には、イデと同じ光が灯っていた。

 ミゼルが失ってしまった光。今からでも、あがけばそれを手に入れることが出来るだろうか。

「さあ、行きなさいな。私は追わないけれど、他の人たちはそうはいかないでしょう? 逃げ切ってみせてよ」

「言われなくても!」

 イデが叫び、身をひるがえす。彼のドリィが後に続き、少女もまた走り出す。そして最後にタクリの瞳を受け継いだドリィが……。

 ああ、やはり――

 やはり、ミゼルは彼らがうらやましいのだ。



 それから後は、もう何がなんだか分からないぐらいに混乱していた。静まり返っていたはずの人々も、再び怒号と悲鳴を発し始めていた。走り出したリリたちの行く手を衛兵や民衆がさえぎる。それをセージが銃を使ってけん制する。一般の民たちはそれだけでもう喚きながら逃げていった。あの黒い筒が気味悪いのだろう。リリだってそれが武器だと説明されていなければ、不気味で仕方なかったに違いない。

 それでも衛兵たちはまだしつこく追ってくる。リリはどちらかと言えば、あまり走ることは得意ではなかったし、体力もない方であった。だから、全力疾走を続けることはきついことであったが、それでも必死にイデとセージの背中を追って走った。

 しばらく走った後に、リリたちは路地裏へ入って身を隠した。

 乱れる息を何とか整えようとするが、なかなか治まりそうもない。足がガクガクと震えて、もうこれ以上は走れないと訴える。リリはそんな泣き言を言ってくる足を平手で何度も叩いた。

「お前……」

 同じく息を乱していたイデが話しかけてくる。もちろん声をひそめて。

「お前、分かってるのか? 俺たちと一緒に来るってことが、どんなことだか……」

「……分かってるよ。でも決めたんだ。自分で考えて、自分で決めたんだよ」

 リリは大きく息を吸ってから、また続ける。

「わたし、やっぱりまた父さんや母さんやナキルに会いたい」

「それは……っ」

「分かってる。もう戻れないことは分かってる。でもそう思うの。また皆と暮らしたいって。そのためには、イデが言ってたみたいにマグスやクラフトやドリィへの誤解を解かなくちゃ駄目だとも思う。だから一緒に行くの」

 イデが見ている未来を、リリもまた見たい。その未来がやってくれば、リリはまた父や母やナキルに会える。きっと、会える。

「いつまでかかるか分からねぇぞ」

「うん」

「死ぬほど辛いぞ」

「分かってる」

 それでも、前へ進むことを決めた。

「……なら、もう止めない。だけどな、弱音のひとつでも吐いてみろ。俺たちは容赦なくお前を置いていくからな」

「うん、頑張る」

 リリは肯いた。イデもまた肯いた。

「いたぞ! こっちだ!」

 衛兵の声が聞こえた。どうやら見つかってしまったようだ。弾かれたようにイデはまた走り出す。リリもその後を追った。セージは衛兵の足止めのために残り、インビジブルはリリが走る速度に合わせてついてきた。

 ガクガクしていた足を叱咤しながら、また走る。これぐらいで音をあげたりしない。これから先に待っている試練は、もっともっと厳しいだろうから。

「インビジブル!」

 走りながら、隣を行く黒衣のドリィへと話しかける。

「わたしね、何となく分かったんだ!」

「……リリ、何が言いたいのか分からない」

 インビジブルの声はやはり平坦だった。それが何となく可笑しくなって、リリは笑う。

「前に言ってたよね、自由がなんなのかって」

「確かに、言った」

「自由ってね、きっと自分で考えて、自分で歩いていくことなんだよ」

 だから今、リリは自由なのだ。

「……それは、私にも出来ることか?」

「そうだね、今はまだ難しいかもしれないけど、でもきっと出来るよ」

 リリは今まで安全でなだらかな道を歩いてきた。その道が突如として途切れ、もう戻ることが出来ない。リリの前にはもう道がない。リリはそのことに戸惑い悩んだ。

 けれど、リリの前には果てしない荒野が広がっていた。

 そこには道などなく、ただ荒廃した大地があるだけだ。

 だけど、どこへでも歩いて行くことが出来る。

 イデが指差す。遥か遠い場所を。

 リリにはそれがまだ見えない。だから見えるところまでイデやセージと共に歩もうと思う。

 踏み出そう一歩を。

 一歩を――――




 ――――おわり――――


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