一人の男が引き金に
夕暮れの酒場は騒がしかった。冒険者たちの笑い声。
皿のぶつかる音。肉と酒の匂い。
ミコはその隅で、プルと一緒に座っていた。
テーブルの上には木皿。
そこへ、ぷる、とプルが乗っている。
「今日はいっぱい撫でられたね」
「人気者だ」
向かいではガルドたちが疲れ切った顔で酒を飲んでいた。
「頼むから騒ぎ起こさないでくれよ……」
「起こしてないよ」
ミコは即答する。
実際、彼女から騒ぎを起こしたことはない。
全部、“プルに何かしようとした側”が悪い。
ガルドは頭を抱えた。
その時。酒場の扉が開く。ギィ、と。
入ってきたのは、黒いローブの男だった。
細い目。痩せた指。胸元には銀の徽章。
リナの顔色が変わる。
「……魔導研究院」
ガルドが舌打ちする。
「あー最悪」
男は店内を見回し、すぐミコたちを見つけた。
正確には。プルを。
男は静かに近づいてくる。
「失礼。少しよろしいかな」
「なに?」
男は笑みを浮かべた。
「私は魔導研究院所属のラウスと申します」
丁寧。柔らかい声。だが目だけが違った。
獲物を見る目。
「そちらのスライムについて、お話を伺いたい」
ミコはプルを抱き上げる。ほんの少しだけ。
距離を取るように。ラウスは見逃さなかった。
「警戒しなくても結構」
「してない」
「では、その個体を少し見せていただけませんか?」
個体。その瞬間。ガルドが顔を覆った。
ユウトが小声で呟く。
「言葉選び終わった……」
ミコは静かに聞き返す。
「個体?」
「ええ。珍しいスライムですので」
「プルはプルだよ」
「もちろん。しかし学術的には分類が必要でして」
ラウスは自然な動作で手を伸ばす。
プルへ。ぴたり。ミコの視線が止まる。
酒場の空気が沈む。
コップに入った酒が、びり、と震えた。
ラウスも異変に気づく。
だが遅い。ミコが言う。
「ねぇ、何勝手に触ってるの?」
「……触る前に許可とって」
声は小さい。
なのに、背筋へ氷を入れられたみたいに冷たい。
ラウスは笑みを崩さない。
「失礼。ただ、魔物は通常危険ですので保護の必要もありまして」
「危険?」
「場合によっては王国管理下に置く必要が」
ミコの腕の中で、プルがぷる、と揺れた。
たぶん不安そうに。その瞬間。
バキッ。酒場の壁へ亀裂が走った。
誰も触っていない。天井のランプが揺れる。
客たちが青ざめる。ラウスの笑みが初めて引きつった。
ミコはプルを撫でる。
「大丈夫」
ぷる。
「怖くないよ」
だが。周囲は怖かった。めちゃくちゃ怖かった。
ラウスが慎重に口を開く。
「……君は勘違いしている」
「なにを?」
「そのスライムは研究価値がある。個人所有していい存在では」
そこで。プルが。ぷるん。小さく震えた。
ただ、それだけ。ミコの瞳から感情が消える。
「……返事した」
「え?」
「プル、嫌って言った」
ラウスは理解できなかった。いや。
酒場の誰も理解できなかった。
だがミコには分かったらしい。
完全に。
「嫌だよね」
ぷるっと反応した。
「うん。分かった」
ラウスが一歩下がる。本能だった。
この少女。今。ものすごく怒ってる。
静かすぎて逆に分かる。ミコは立ち上がる。
酒場の床が、みしり、と沈んだ。
「ねえ」
「……な、なんだ」
「研究って」
一歩。「そんなに偉いの?」
二歩。窓ガラスに亀裂。
客たちは壁際へ避難開始。
「生き物を怖がらせてまで触っていい理由になるの?」
ラウスの額から汗が落ちる。魔力圧。桁が違う。
ありえない。こんな少女一人から出ていいものじゃない。
ミコは続ける。
「プルは道具じゃないよ」
「ちゃんと生きてる」
その瞬間。ラウスは理解した。引き金を引いた。
この少女にとって。スライムへの扱いは、世界そのものの扱いと同じなのだ。雑に触れた瞬間。敵になる。




