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「なぜ、ここにいる。」
お腹の奥底から響くような低い声が私に向かって発せられる。
漆黒のように真っ黒な髪と瞳を持つ、強面だが人形のように整った能面が私を睨みつけるように見下ろしていた。
微笑んでいればきっと誰もが彼のことを好きになるだろうに、その顔には一切の笑みが浮かんでいない。
「……私がそれを聞きたいところですわ。気づいたらこの場所に馬車ごと置いていかれてしまいましたの。」
私はそう言って自分が乗ってきた馬のいない馬車を指し示す。
目の前にいる男性は私を見下ろすのをやめ、視線だけを馬車に移すと、眉間に深い皺を寄せる。
「……誰の仕業だ?」
「私がききたいところよ。ねえ、ジャック様は知っているかしら?私がなぜここに置いて行かれたのか。」
他でもないジャックさんの家の前に私たちは置いて行かれたのだ。
もしかするとジャックさんが何かを知っているかも知れない。そう思って、ジャックさんに問いかけるとジャックさんはガタガタと音がするのではないかと思うほど震えて自分自身を抱きしめていた。
「し、知りませんっっ……。こ、このお方がフィラーレ様だということも先ほど知ったばかりでございますぅ。決して妻に似ている髪色だから声をかけたわけではありません……。ど、どうかお許しくださいっっっ。」
なんか言わなくて良いこと言っているような気がするけれど。
なるほど、私はジャックさんの奥さんに髪の色が似ているのね。
「……まあ、いい。行くぞっ。」
「待ってください。私は、フィラーレです。フィラーレ・カンタータ。あなた様のお名前を伺ってもよろしいかしら?」
私を連れて行こうとしている目の前の男の人の名前を知りたくて思い切って声をかけた。
男性はじろりと私を見つめて、「くっ」と喉を鳴らすと私から視線を逸らした。
「ウィリアム・フォレストラーだ。」
「えっ……ええええっ!!!」
彼の告げた名前を聞いて、私は思わず大きな声を上げてしまった。
だって、目の前にいる美しいけど表情筋が死んでいて、何もかもを凍てつくような視線で刺し殺しそうな人が私の結婚相手のフォレストラー侯爵だというのだ。
確かに噂通り死の侯爵と呼ばれるのに相応しい表情をしている。
「……なんで驚く。」
「いえ……あの……お迎えありがとうございます。」
「……ああ。」
目の前にいるこの人が何人もの婚約者を死に追いやったというのか。確かに威圧感はすごいし、迫力もすごい。
蝶よ花よと育てられた温室育ちの貴族令嬢には目の毒かも知れない。いや、劇薬だ。
私だって、怖い。
気を張っていないとこの場に崩れ落ちそうだ。
「さっさと行くぞ。」
フォレストラー侯爵は怒っているのか白い肌をほんのりと赤くして私に手を差し出してきた。どうやらこの手を取れと言っているようだ。
私は恐る恐るその手を取った。
「あったかい……。」
以外にもフォレストラー侯爵の手はここちよく優しい暖かさで私の手を包み込む。
「……馬には乗れるか?歩いてだと少々遠い。」
「いいえ。乗ったことがありません。それに……侍女のメアリーが一緒におります。」
流石に一頭の馬に三人も乗ったら馬が潰れてしまう。
私はフォレストラー侯爵が手綱を引いている白馬に近づき、その鬣を優しくなでつけた。
「ふむ……そうか。ならば仕方があるまい。フィルに馬車を引いてもらうか。」
そう言ってフォレストラー侯爵は愛馬である白馬のフィルを馬車に繋いだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!!その子はフォレストラー侯爵様の愛馬でしょう?馬車になど繋いではなりません。その子が可哀想ですっ!」
「……だが、そうしないと君を連れて行けないではないか。」
その声が迷子の子供のような声色に聞こえて私は言葉に詰まった。
というか、この人本当に死の侯爵と呼ばれている人なのだろうか。
侯爵様なのだから、ここまで一人で迎えに来なくてもいくらでも手足となる人物がいることだろう。その人たちに命令して私を連れて行けばいいだけなのだ。
それなのに自分の愛馬に馬車を引かせようとするだなんて。
普通、貴族は自分の愛馬が馬車を引くのを嫌う。
「……馬車を引くために訓練された馬を一頭貸していただけませんか?」
「私に一度侯爵家へ戻れと言うのか?嫌だ。私は君と一緒に居たい。」
「えっ……。」
なんだろう。急にフォレストラー侯爵が駄々っ子のように見えてきた。
「ようやく君を花嫁にと迎え入れることができたんだ。もう、君を離さない。」
「えっ……。」
頭の上から熱の籠もったような声が聞こえてきて私は頭上を仰いだ。
フォレストラー侯爵と視線が絡み合う。
声を失って違いに見つめ合っていると、
「では、先にお二人で侯爵邸にお行きください。二人乗りでしたら大丈夫でしょう?私はこちらで、馬車と迎えを待っておりますので、使いの者をよこしていただけますか?」
メアリーが雰囲気をぶち壊すように間に割って入ってきた。
すごいわ。メアリー。あなた、フォレストラー侯爵が怖くないの?
なんて疑問はすぐに打ち消された。
メアリーの足がブルブルと震えていたからだ。
どうやらメアリーはフォレストラー侯爵のことが怖くても私のために戦おうとしてくれているらしかった。
「そうね。それがいいわね。フォレストラー侯爵様。お願いできるかしら?」
「……ウィリアムだ。」
「え?」
「そう呼ぶが良い。」
「ウィリアム様。お願いいたします。」
「……ぅ。」
言われた通りにフォレストラー侯爵の名を呼べば、侯爵様は耳まで真っ赤にして私の手をギュッと握りしめ、そのまま少々強引に私を馬上へと引き上げ、自分の腰に私の腕を絡ませた。
「……少々飛ばすぞ。」




