第15話:出発
地下世界の空気は、いつも重く、澱んでいる。錆びた鉄の匂いと、どこからか漂ってくる黴の混じった湿気。それがこの「掃き溜め」の日常だ。
だが、今日の佐藤にとって、その空気は心なしか軽く感じられた。
「よし、準備はいいですか?」
佐藤は、自作の背負い袋の紐を締め直しながら仲間に声をかけた。中には、廃棄場から拾い集めたバネやボルト、鋭利に研いだ金属片が詰まっている。武器と呼ぶには心許ないが、佐藤はこれらを組み合わせて、その場しのぎの道具を作り出す術を持っていた。
「サトウ、忘れ物はないでしょうね? 迷子にならないのが自慢だって言っても、準備不足で死んだら世話ないわよ」
隣で黒い髪を揺らし、鋭い瞳で佐藤を睨むのはクロだ。口調は相変わらず刺々(とげとげ)しいが、その手は佐藤のシャツの裾をぎゅっと掴んでいる。かつて猫として佐藤のそばにいた頃から、それは彼女の定位置だった。
「分かってるよ。お前こそ、あんまり一人で突っ走るなよ」
「ふん、私を舐めないで」
二人のやり取りを、少し離れた場所でマイアが眺めていた。
「……ふふ、相変わらずね。行くわよ、サトウ」
地下コミュニティのリーダーである彼女は、腰の長剣を確かめ、背中には無骨なパイプライフルを背負っている。
「ここから先は、不適合者やモンスターが潜んでいるかもしれない未踏区域。私から離れないで」
「ああ、頼むよマイア」
佐藤が頷くと、マイアは周囲を警戒しながら歩き出した。その後ろを、一人の少女が軽やかな足取りで追う。ナナイだ。バイアスに代わって同行を許された彼女は、腰に二振りの短刀を差している。
「ねえサトウ、リュックにそんなガラクタばかり詰め込んでどうするの? アンタって面白いね」
ナナイはひょうひょうとした態度で佐藤に並んだ。その視線は、佐藤の背負い袋と、時折ふらりと向けられる周囲の闇を交互に捉えている。
「ナナイ、遊びじゃないんだぞ」
バイアスが背後から苦々しく口を出したが、マイアがそれを制した。
「バイアス、ここは任せたわよ。爺さんも言っていたわ、ナナイの能力は必ず役に立つって」
バイアスに見送られ、四人はついに居住区のゲートを越えた。
一歩足を踏み出すと、そこは人工の光すら届かない真の暗闇が広がるガラクタの山だ。かつては超高度な文明を支えた物たちだったのだろうが、今は異形の者たちの巣窟と化している。
「……待って」
暫く進むと不意にナナイが足を止め、眉をひそめた。視線は右前方の暗がりに向けられている。
「右の換気ダクト……何か違和感がある。何かが潜んでるね」
ナナイの優れた洞察が捉えた微かな異変を受け、クロが鼻を動かし、耳をそばだてた。野生の感覚が、闇の正体を暴き出す。
「……鼠ね。それも、かなり大きいのが三匹。お腹を空かせて、こっちを伺ってるわ」
クロが低く唸ると同時に、マイアが即座にライフルを構え、鋭く指示を飛ばした。
「迎撃準備! サトウは下がって! クロはヤツらがダクトから出て来たら一匹を足止めして。ナナイは私の援護を!」
マイアの指揮が飛び、佐藤は手近に落ちていた重みのある鉄パイプを握り直した。戦闘経験は乏しいが、自分にできるサポートを探して目を凝らす。
地上へと続く道を探すための、本当の冒険が今、始まった。




