第34話 ナイススイング
「あら。悪くない右ストレートね。母親がまっすぐぶっ飛んだわ」
葵と五月は思わずにらみ合いを止めて親子の動向に注目する。
「……これで一応目論見通りですか?」
「そうね。結果オーライよ」
「ですが……これでいいのでしょうか」
「いいんじゃない。っていうか、あの子ちゃんとガス抜きしてないと、下手すると母親殺してたわよ?」
「……」
五月は答えられなかった。
確かに今の真子の剣幕はそうとしか思えない迫力があった。
尻もちをつき、殴られた頬を押さえる真子の母親は何が起こったのか理解できていないようだった。
そんな母親を血走った眼で見下ろす真子。
感情をぎりぎりで抑えた声で母親に質問を始める。
「お母さん。あたしがき、霧吹きの水捨てちゃったときのことお、覚えてる?」
「え?」
質問の意味も内容もピンとこなかったのか、一瞬ぽかんとした。
「や、やっぱり覚えてないんだ。じゃあ、い、一から説明するね。あたしがあ、アイロンに使う霧吹きを、ま、間違って捨てたことあ、あったんだ。お母さんなんて言ったと思う?」
「え? それはもちろんきちんと話し合って……」
どご、と重い音が響く。今度は真子が母親を蹴っ飛ばした。
「そんなことするわけないじゃない! お、お母さんはずっと怒ってばっかりだった! あたしがわざとじゃないって言っても、ちゃ、ちゃんと洗っておけって言われたからそうしようと思っただけだって言っても、ぜ、全然聞いてくれなかった!」
蹴り飽きたのか椅子を掴んで母親に叩きつける。母親の顔は行き過ぎた漫画表現のようにぐにゃりとねじ曲がったが、すぐに元通りになる。
「何を言ってるの!? 私があなたを怒ったことなんてあるわけないでしょう!?」
母親の怒号を聞いた二人は。
「いや、ありえないでしょそれ。誰だって怒ることくらいあるじゃない」
「そもそも子供を一度も怒ったことのない親というのもそれはそれで問題でしょう。怒ると叱るは違うと言いますがそれを理解できているようには見えません」
呆れが混じったため息を出す。もう二人は完全に傍観モードだった。
「お、お母さんはいつも怒ってばっかり! 自覚無いの!?」
プロレスの試合のように椅子を大きく振り上げ、叩きつける。
完全に主導権は真子にあった。
「アレルギーがあるあなたのためにお弁当を作ってあげてるの誰だと思ってるの!?」
「そ、それは感謝してるよ!? でもあれってす、スーパーで買った野菜切って詰めてるだけじゃない!」
いやそれもうお弁当じゃないでしょ、とは葵の呟きだった。
娘が本気の怒りを見せていることをようやく理解できてきた母親の表情は醜悪に歪み、現実を否定するような言葉を吐き出す。
「真子をどこにやったの!? あの子がこんなこと言うはずないわ!?」
「こ。これがあたしだよ! お母さん、ずっと、あたしのことみ、見ようとしなかったじゃない! ず、ずっとこんなとこ嫌だって、も、もうやめたいって、お父さんに会いに行こうって、い、言ったのに!」
「あの男のはな」
言葉が終わるよりも先に真子が振りまわす椅子に頭を吹っ飛ばされる。
「話はしないで! それにこの緑の会は私に居場所をくれたのよ! どうしてわからないの!?」
「い、居場所!? お、お母さん知らないの!? 聞こえてないの!? みんなお母さんのこと間抜けだって、体のいい財布だって、陰口叩いてたよ!?」
耳いいのかしら、と葵は呑気に考えていた。
「そんなこと言うわけないでしょう! 私の家族が!」
ついに逆上した母親は真子にとびかかった。
「お、お母さんの家族は、わ、私じゃないのかって、い、言ってんだよおおおおおおお!!!!」
真子はメジャーリーガーばりのきれいなスイングで母親を吹き飛ばす。これが現実ならもう十五回くらいは死んでいるだろう。
ごろごろと会議室の床を転がった母親はついに動かなくなった。




