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アグストヤラナの生徒たち  作者: Takaue_K
三年目前期
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第24話-2 開かれた戦端



 翌朝になると、早朝にも関わらず天井の隙間から強い日差しが差し込んでいた。予想できていたことだが、今日も暑い一日になりそうだ。



 最初に起きたアベルは軽く腕を回して体をほぐすと、食事の準備をするため火熾しに取り掛かった。やがて順次目を覚ました仲間たちも手分けして出立の準備にとりかかっていく。



「そういえば、引き上げる際ここはどうしますの?」



 岩屋を後にする際、レニーが訊いた。そろそろ戦況に変化が見えるだろうが、その後の撤収作業についてもそろそろ考えなくてはならない。



「そうだなぁ…水瓶などの重い荷物は置いておこう。かまどは特に弄らないでこのままで。また使う機会が来るかもしれないし、そうじゃなくても誰かが使えるしね」


 アベルがそう言うと、ユーリィンが不満そうに鼻を鳴らした。



「あたしとしてはあんまりこういうのをそのままにして欲しく無いんだけどねぇ」


「森が火におびえるから?」


 リティアナがそう尋ねるとユーリィンは小鼻を膨らませた。



「あのね、あたしたち森人だって別に木々の声を聞いたり痛みを共有するとかは出来ないわよ。あたしらだって火を使ったりするもの。そうじゃなくて、燃えた後の臭いは森の中だとすごく異質だからどうしてもそこに意識が引き摺られるのが嫌なの。人族だって、辺りからずっと血の匂いがしてたら気が散ってしょ うがないでしょ?」


「なるほど…それは確かに嫌ね」



 リティアナも納得したように頷いた。


「なら崩しましょうか」


 そう言いながら蹴り崩そうとしたリティアナをユーリィンが留めた。



「まあ…次来たときにまた組み上げるのは二度手間だから、今回のところは崩さないでもいいわ」


「最初からそういえばいいのに」


 アベルが苦笑すると、ユーリィンはむっとしたように口を尖らせた。



「そりゃあアベルたちからすれば選択肢は無から迷うことは無いだろうけど、あたしはそうもいかないの。しょうがないじゃないでしょ」


「判ってる、判ってるって」


 そういいながらこれまたにやにや笑うリュリュに、ユーリィンは一瞥をくれるだけでこれ以上は何も言おうとしなかった。



「さあ、もう行くわよ」


 リティアナの声に、一行は外に出た。



 しばらく道なりに進み、一行は昨日野営地を見下せた場所まで向かう。焼け付くような陽光の下、埃っぽい砂利の中にぽつぽつと砕けた岩がまばらに見えるだけの単調な景色がいつまでも続いているように思えた。



「見て、あそこ!」


 アベルの頭上を飛んでいたレニーがその場で声を上げた。その表情は暗い。



「どうした?」


 返事の代わりにレニーは砂漠の一点に向けて指を差した。その先で巨大な土ぼこりが立ち昇っている。



「あれって何?」


 困惑したように尋ねるリュリュに、レニーの変わりに目を眇めていたリティアナが答えた。



「かなりの大人数が移動しているわね。少なく見積もっても、百人を下ることは無さそうだわ」


 こくりとレニーが頷く。



「ねえアベル、もしよろしければ私とリュリュとで先行偵察してきたいのだけれどよろしくて?」


 その申し出にアベルは頷く。確かにこの状況は、前もって確認しておいたほうが良さそうだ。



「それじゃあお手数だけど二人ともよろしく頼む。こちらもなるべく急いで向かうから」


「ん、判った、ボクたちにまかせて!」


 先行する二人の荷物を預かり、彼女たちが飛び去った後をアベルたちも追いかけた。 と言っても、彼らのほうは崖を下れる場所から探さなくてはならないので遅々としたものだ。



 ゆるゆるとした歩みで進んでいる間に、向かって右手の土煙から纏まった人波がぼろり、ぼろりと零れ落ちるようにして離れていく。それらはディルと会戦する予定のターナベル国軍の陣地へと細い道となって繋がっていた。



 二時間ほど進んだだろうか、先行していた二人が戻ってきた。



「嫌な予感が当たりましたわ」


 そういうレニーの顔は青い。



「どういうこと?」


 アベルの疑問に、リュリュが気分悪そうにしているレニーの代わりに答えた。



「…あれ、戦争じゃないよ。虐殺だよ」


 普段明るいリュリュが、吐き捨てるように呟くのに レニーも頷いた。


「戦場の秩序なんてまったく介在してませんわ。なす術も無く、ただ殺されるためだけの進軍…」



 その言葉に、一同は言葉を失った。



「そんな…そんな相手を、ディル皇国の連中は殺しているっていうの?!」


「違うよ」


 ようやくのことで顔をこわばらせて叫んだユーリィンに、リュリュが訂正する。その言葉にアベルたちは驚いた。



「殺されてるのは…ディル皇国の兵隊なんだ」


「はぁあ?!」


「な、なんでよ?」


「ど、どうして?! ディル皇国は攻め込んでいるんだろ?」


「ボクにだってわけわかんないよ!」


 堪えきれなくなったのか、リュリュが感情的に叫んだ。



「でもそうとしか言い様無いんだもん! 武器を構えもせず、ただ横並びの兵隊たちが前進してくるだけなんだよ! そんなもん、他にどう言えってのさ!」


 そんなリュリュの背中を撫でて宥めながら、レニーも補足する。



「ターナベルの兵も困惑していたようですわ。当初は意気も高く戦線を維持していましたが、相手が幾ら死のうともひるまないのを見て逆に混乱したのでしょう。勝ち戦にも関わらず兵たちが逃げ出しましたわ」


 そうすると、先ごろ見た土煙はそのときの混乱で生まれたものなのだろう。



 まだ混乱しているが、少し考えた末アベルは決断した。



「いずれにせよ、僕らも現場へ行こう。わざわざ見に行ってきてくれた二人を信じてない訳じゃないけど、訳が判らなさ過ぎる。少しでも多く報告する情報が欲しいから、それを確認し次第学府へ戻ろう」


 レニーとリュリュにも異論は無かった。



「…そうですわね。私も、改めて見直してみたいですわ。気が動転していたせいかも知れないですもの」


 二人とも、実際に目の当たりにしたとは言え信じがたいという気持ちで一杯だった。目撃していないアベルたちにしてみれば尚更のことである。




 太陽が沈みはじめたころ、五人は戦場跡が真下によく見渡せる高台に到着した。


 すぐ眼下に広がる戦場の様子がしっかり確認できたが、誰もが言葉を無くし黙り込んでいる。


「本当に…酷い…」


 アベルがたったそれだけ、喉から搾り出した。


 戦いはすでに終わった後だった。


 砂しかない大地に、倒れ伏した人の姿が幾つも見える。


 垣間見える地表はあちこちが黒く変色しているが、それが流れ出た大量の血液が固まったものだと気付くのにそう時間は掛からなかった。


「…ん?」


 ぼんやりと死体を見ていたアベルは、違和感を覚えた。


 リュリュは先ほど、何と言った?


 それを思い直したアベルは、違和感の原因に到った。


「レニー、リュリュ。二人が見たときは『ディル皇国兵が何もしないで殺された』んだよね?」


 アベルの疑問に、リティアナとユーリィンはあっと声を上げた。


 そう、ディル皇国兵が自ら命を投げ出したのならば。


 ここに転がっている、決して少なくない数のターナベル兵はどうして死んでいるのか?


 その疑問はすぐに解けることとなる。


「あっ」


 リュリュが隣で小さく息を呑んだ。


「生きてる人がいる! あそこ見て!」


「なんだって?!」


 リュリュの指差すはるか先、手をひさしにして目を細めてみると、陽炎の揺らめく中芥子粒ほどの大きさだが確かに動いている人がいた。格好を見る限り、取り残されてしまったターナベルの兵士のようだが、何か様子がおかしい。


「…なにかから、逃げてる?」


 ひっきりなしに背後を気にしながら、足を引きずるようにして移動をしている。


 視線を横にずらしてみると。


「ディル兵か?! …いや、だけど妙だな?」


 数人のディル皇国兵と思しき人々がすぐ後を追っている。だが、誰もが武器を持っていないことにアベルは違和感を覚えた。


 その動きも、軍隊として統率されたものではなくてんでんばらばらだ。


 もしかして彼らも逃亡しているのか?とも思ったが、それにしては隊全体の動きがターナベル兵と同じだ。なら、ターナベル兵を追撃している? だが、たった一人を何故わざわざ?


「あっ、捕まる!」


 そうこうしているうち、リティアナが叫んだ。


 その言葉通り、丁度ターナベルの兵士は大きな岩に追い詰められた格好になってしまった。これから捕虜として連行されるのか、そう考えたアベルだったがその推察は過ちだとすぐに気付くことになる。


 ディル皇国兵たちは武器を構えることなく、無造作にターナベル兵へ歩み寄っていく。ターナベル兵は必死に剣を振り回し、数人のディル皇国兵を切り伏せたが、ひるまない相手の前にすぐに無力化させられる。四肢に絡みつかれ、岩に張り付けられた形で無力化させられたターナベル兵は、必死に頭を振って助けを求めているように見えた。


「何をしてるの…ひっ?!」


 まずユーリィンが、小さく息を呑んだ。目が良いために見えてしまったのだろう。


 次いで、何かに気付いたリティアナが警告を飛ばした。


「み、みんな、見ちゃ駄目!」


 だが、遅かった。アベルははっきりと見てしまった。


 四肢に絡みついたディル皇国兵は無力化させるために取り付いたのではない。


 いやいやと首を振りつづけるターナベル兵に数本の手が取り付いたかと見ると、彼の身体が持ち上げられる。その状態がいつまでもつづくかと思われたが、すぐにターナベル兵は口から大量の血を吐き出し――次の瞬間、首を引きちぎられた。


「ひいっ」


 誰かの悲鳴が聞こえたが、まるで遠くから聞こえるようだった。


 その間にもまるで出来損ないの泥人形を壊すように、ターナベル兵はディル兵によって無造作に四肢をちぎり取られていく。 その光景は、さながら蝶を解体する蟻の群れのようだ。


 少なくないターナベル兵の死体は、ディル皇国兵によって生み出されたと言うことだろう。レニーは戦いの一部分を目撃しただけに過ぎず、ディル皇国兵は無抵抗で死んだのではなく武器を使わない戦いを挑んでいたに過ぎない。


 もっとも、どちらにしろ正気の沙汰と思えない戦いぶりであることには変わりは無いのだが…。


「な、な…」


 呆然とする一行だが、惨劇はまだ終わらない。


 返り血を浴びたディル皇国兵たちは、哀れな犠牲者が死んだと見るやそれに喰らい付き、貪り出す。


 そしてそれすら食い尽くすと、今度は互いの身体に掴みかかり、喰らいあっていく。数分と立たず、彼らもまたターナベル兵同様無残な屍をさらすこととなった。


 信じがたい光景を目の当たりにした五人は言葉も無い。想像を絶する眼前の惨状に、アベルたちは激しい衝撃を受けていた。吐き気を堪えきれず胃の内容物を戻す者、起きたことを理解できずただ呆然とする者、混乱の余り何かを言おうとするも言葉にならず喘ぎつづける者…アベルもまた、例外ではなく取り乱していた。


「……そうだ、助けないと」


 呆然としたように呟き、ふらふらとそちらに向かおうとしたアベルの肩を、顔を青ざめさせたリティアナががっと掴んで止めた。


「離せよ、リティアナ!」


 リティアナは必死に頭を振る。


「もう、遅いわ……」


「レニー! リュリュ!」


 ならば空を飛べる二人に頼もうとするアベルへ、レニーは黙って首を振って見せる。


「駄目ですわ。仮に生き残りがいたとして…私たちまで襲われかねませんわ。そうなったら、アベルはどうなさるおつもり? 彼らを殺せますの?」


 答えに詰まったアベルへ、ユーリィンが更に畳み掛けた。


「それに忘れたの? これは戦争なのよ。下手に手出しをすることは、ディルからだけではなくターナベルからも敵視される可能性がある。そうなったら、下手をしたらアグストヤラナ全体まで巻き込まれることになる。それだけは避けなくてはならない…あなたは班長として、みんなの命、未来を預かっているんだから!」


「そんなことっ…!」


「…あたしを恨んでも構わない。だけど、どうしてもと言うなら…あたしは戦ってでも止めるわ」


 そういうと、弓を素早く構え番えた矢を喉先へ向ける。その動きに、一抹の躊躇いも無い。


「ぐ、く…ぅっ」


 冷たさすら感じさせるユーリィンの言葉に硬く拳を握り締めたアベルだが、どうにか思いとどまることが出来た。


 アベルも、彼女の言うことが正しいことは理解できる。今の状況に冷静さを欠いているのは自分でも判っていた。


 しかし、それでも目の前で無残な死を迎えたターナベル兵のことを思うと、どうにもやるせないのだ――自分たちなら、助けることが出来たのではないか、と。


 非常な努力をもって視線を外し、ゆっくりと深呼吸を繰り返すことでようやく頭の血が下がった。


「いや…僕の方こそ、礼を言うよ。ありがとう、そしてすまなかった。言いにくいことを言わせてしまって」


「まったくだわ。貸し一つね」


 そう言ってユーリィンは弓を下ろすと、いつの間にか大量に噴き出していた玉のような額の汗を目立たないようそっと拭った。軽口を叩いていても、最悪の場合は戦いを覚悟をしていたのだ。


 己の未熟さを反省したアベルは一同を見渡し、そしてもう一度戦場を見下ろした。この騒ぎの合間にディル兵たちも移動してしまったようで、もはや他に動くものは見つけられない。 これ以上長居しても、危険なばかりで得られるものは何も無さそうだ。


 五人はしっかりその惨状を双眸に焼き付けると、振り向いた。


「僕たちの役目は終わった。アグストヤラナへ戻ろう」


 誰も反対する者はいなかった。


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