昔のこと(1)
天童というのは、その筋では有名な資本家の名前だ。
そんな家に生まれた俺は、兄と共に英才教育を受けていた。
週に七回の習い事、一流の家庭教師。
小学校は資本家の子息令嬢が集まる名門私立。
低学年の頃は家柄だとか、そういうことは気にならなかったというか、そもそも理解出来なかったのだが、高学年になると見る世界が変わった。
あの子はどこどこの家の子だから、これくらいのランク。
あの子は丁重に扱うこと。
あいつ庶民らしいから人権ないよ。
この学校に、平等という言葉を知っている児童は何人いただろうか。
人の評価は名前で決まり、結果も名前で決まる。
順位を競う何かがあった時、その結果はやる前から決まっている。
なぜ? 大人が決めたからだ。
大人が決めれば、子供は従うしかない。
この世界に自我なんて存在しなかった。
俺は父親の声を覚えていない。
だが、彼との会話なら全て覚えている。
今日の課題は済ませたか?
そうか、ならいい。
何も考えず従っていればそれでいい。
どうせ、おまえには何も出来ない。
以上だ。
自分の生きる環境が異常だと気が付いたのは、あいつと仲良くなったのが原因だっただろうか。
あいつは、庶民の生まれだった。
なんでも優秀な能力があるとかで、特別に入学を許可されていたらしい。
あいつの話は興味深かった。
親が学費を払う為に必死に働いているから、私も頑張らないと。
これは漫画。面白いよ?
ええ!? うみゃい棒知らないの!?
あの歪な空間において、あいつだけは自然だった。
自我があった。
とても目立っていた。
もちろん、悪い意味で。
なに調子に乗ってるんだよ。
貧乏人の癖に。
ヘラヘラしてんじゃねぇよ。
気持ち悪い。
くすくす、くすくす。
きっと、俺が初めて怒りを知ったのはこの頃だ。
俺は叱られた経験なんて無かった。
それは天童という名を持っていて、ついでに親が俺に無関心だったからだ。
教師はいつも笑顔で、親とは事務的な会話しかしない。
だから誰かが怒っているのを見たことなんて無かった。
怒りという言葉を知らないまま、もやもやした何かを抱えて過ごすようになった。
それが爆発したのは、あいつがニヤニヤした集団に囲まれていた時だ。
あいつは髪を引っ張られ、服を破られ、あちこちを蹴られていた。
初めて見る光景だった。
この時12歳だった俺は、しかし何が起きているのか理解出来なかった。
ただ、思ったんだ。
あいつが辛そうな顔をしているのが嫌だって、思ったんだ。
気が付いたら、周りには俺とあいつしかいなかった。
ついでに、俺の拳は血に染まっていた。
床には誰のものか分からない歯が転がっていた。
あいつは大声で泣いていた。
泣きながら俺に謝っていた。
ごめんなさいと繰り返していた。
どうして泣いているのか分からなかったから問いかけたら、謝罪の言葉が返って来た。
困った俺は、ハンカチを取り出して、あいつの涙を拭いた。
あいつが泣き止むまで何か声をかけていたような気がする。
あいつも何か言っていたような気がするが覚えていない。
さて、ここで問題だ。
この出来事において、何が正しくて、何が間違っていたのか答えよ。
もうしわけないが、答えは分からないから君達で見つけてほしい。
その代わり、結果だけは知っている。
だからきっと、あのとき俺がしたことは間違っていたのだろう。
見捨てること、切り捨てることが、正しいことだったのだろう。
それでも俺は、みさきを見て思ったのだ。
何が正しくて何が間違っているのかは俺が決める。
今度こそ、あの笑顔を守ってみせる。




