人生ゲームを作った日(4)
このボロアパートに住み始めてから、日付や時間の感覚は薄れていった。
金があれば使い、なければ働く。
金を使っていない時は、ずっと眠っていた。
日中に眠れば、当然夜は目が冴える。
今と同じように、深夜に何もせず起きている事は珍しくなかった。
みさきと出会ってから多くのことが変わったが、闇に慣れた目が薄らと映す天井は少しも変わっていない。あの頃と違うのは、身体を包む温かい布団と、微かに聞こえる寝息だけだ。数えてしまえば、たった2つ。しかしそれが俺に与えた影響を数えたら、とても2つでは足りない。
少し前、母親と話をした。
そうして初めて彼女の本音を知った。
同時に初めてみさきの本音を聞いた。
俺はただ後悔した。
後先を考えられない代わりに、目の前にあるものだけを見て生きて来たつもりだった。なのに、結局目の前にあったものすら見えていなかった。
きっと俺は、考えるのが苦手だ。
そのせいで、人生ゲームをプログラミングすることが出来ないのだと思う。
プログラムを学んでみて分かったのは、理解は出来るということだ。
あのふざけた本を読む前は、もっとこう、意味不明な物だと思っていた。だが現実には、みさきにだって理解できるような内容だった。
限られた道具を使って、如何に考えるか。
少しだけ喧嘩に似ていると思った。テメェに与えられた手札を使って如何に相手を黙らせるか。ただし喧嘩と違って、プログラムは俺の知らない世界だ。もちろん、喧嘩を初めから知っていたのかと考えたら違う。何度も繰り返して、ようやく覚えたんだ。
ならばきっと、プログラムだって同じだ。
しかし今回は直ぐそこにタイムリミットがある。
残り一週間。
たったそれだけ。
……クソ、どうすりゃいい? 結局のところ、使えるのは箱と鍵と眼鏡だけ……それでボードとかルーレットとか、金とか、いったいどうやって表現すればいい?
ボードはプリントエフとかいうので表示するしかないだろ? 金もそうだ。だがルーレットは? ランダムに数字を表現する方法なんて何処にも書いてなかったぞ。考えろってことか? なんだそれ、出来るわけねぇだろ。いやダメだ、考えろ。きっと方法はある。そういう前提で、あいつは俺にこの本を渡したんだ……冷静に考えるほどバカにされてるって思えてくるけどな。
……待てコラ、文句を言う暇があったら考えやがれ。
ボードを文字で表現したとして、プレイヤーはどう表現すりゃいい? 現在地とか、各プレイヤーの所持金とか……つっても、使える道具は限られている。とりあえず数字とかは箱に突っ込むしかないよな。だったらプレイヤーと同じ数だけ箱を作って、その中身を弄ればいいんじゃねぇか? ……それって具体的にどうやるんだ? 一個ずつ弄る事なら出来るが、ゲーム中に何度もプログラムを書き直すのか? そんなのゲームじゃねぇよ。
……ダメだ、何も思いつかねぇ。
いや諦めるな、考えろ。
考えることを止めるな。
考えるんだ。考え続けろ――
「りょーくん?」
ここで鍵を使って、いや、これじゃ意味は無い……クソっ、この案もボツだ。
「りょーくんっ」
「……ああ、みさき、起きてたのか」
体を揺らされて、初めて気が付いた。
いつのまにか部屋の中が明るくなっている。
どうやら朝になっていたようだ。
しかも、みさきは保育園に行く準備を完了させていた。
「わりぃ、もう時間だったか?」
コクリと頷いて、保育園に通わせる際に買ってやった安い腕時計を見せるみさき。
「……ちょうど、いつもの時間か。わりぃ、一分だけ待ってくれ」
力いっぱい両頬を叩いて目を覚ました後、急いで準備を整えて部屋を出た。
いつもと同じように並んで歩く。
その途中、みさきが俺のズボンを引っ張った。
「だいじょうぶ?」
やべ、心配されちまった。
「大丈夫に決まってんだろ」
強がって笑いかけた俺の目に、みさきの無垢な目が映った。その目は、俺を心配しているように見える。少し前なら、それしか思わなかったはずだ。でも今は、みさきも不安なんだと分かる。そりゃそうだ、テメェを育ててる親が不景気な面してたら、ガキは不安になるに決まってる。
「……」
ポンと、みさきの頭に手を乗せた。
「俺、今ちょっと頑張ってるんだよ」
少し前に恥ずかしくて言えなかった言葉は、拍子抜けするくらいあっさりと声になった。
「だから……心配すんな」
最初の一言で思わぬ力を使っていたのか、二言目は上手く言えなかった。そんな自分に苦笑しながら、みさきの頭に乗せた手をどかす。すると、直ぐにその手が何かに掴まれた。
「みさき?」
みさきの小さな手が、俺の小指を、きっと精一杯の力で握り締めている。
「……がんばって」
思わず、口が開いた。
きっと今の俺は間抜けな表情をしているに違いない。
だけど、いいさ。
笑いたいヤツは笑えばいい。
「任せとけ」
たった一言で、何でも出来る気がしちまったんだ。
俺ですら、自分のことをバカなんじゃねぇのって思ったよ。
ところで、みさき? いつまで指を握ってるんだ?
……別に問題とかねぇけど、それ肩とか疲れねぇか?
やべぇ、俺のせいでみさきが肩を痛めちまったら!?
「お、おいみさき、そろそろ手を下ろした方がいいんじゃねぇか?」
「……」
ぷいっ。
「ほら、肩とか痛くならねぇか?」
なんでだ!?
目を合わせてくれなくなったぞ!?
……あぁクソっ、やっぱまだ何を考えてるのか分かんねぇ!!




