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ゆいとみさきはおともだち!

 2月の終わりに園児が増えるというのは珍しくないが、その園児が5歳となれば話は違う。


 特に、みさきが通う事になった『ぽんぽこ保育園』は、6歳以下の幼児を常時30人ほど預かる小規模な保育園で、しかも預けられるのは地元の子供ばかりだから転園も珍しい。


 みさきのような例は、とても珍しかった。ベテランの保育士ですらそう思うのだから、園児達にとっては起爆剤になってしまうレベルで珍しい。


 だれー!?

 だれだれー!? そのこだれー!?

 ぼくねー! わたしねー!

 わーわー! わー!


「はーい、今から先生がお話しするから、静かにしましょうねー」


 だーれー!?

 だれだれー!?

 おなまえはー!?

 うぎゃー! うぎゃー!


 幼児向けに作られた角の無い机に大人しく座っていられる5歳など居るはずもなく、園児達を受け持つ若い女性保育士は、微笑ましいような困ったような表情を浮かべながら、しー、と繰り返した。


「ちょっと! ママ、じゃなくてせんせーこまってるでしょ! しずかにしなさいよ!」


 そこに救いの手を差し伸べたのは、右目の下にある小さな黒子と可愛らしい二つ結びの髪が印象的な女の子だった。


 ママだってー!

 ゆいちゃんせんせーのことママだってー!

 ぎゃははは!

 ままー、ままー!


「うるさーい! ちょっとまちがえちゃっただけ!」


 いつも通りな園児達を前に、保育士は苦笑いする。それから膝を折ってみさきに目を合わせると、少し大きい声で言った。


「ごめんねー、もうちょっと待ってねー」


 状況が上手く理解できないみさきは、いつものように眉を寄せて、きょとんと首を傾けた。


 20分後。


「それでは、今日からねこさんぐみに新しいお友達が増えます。みさきちゃん、自己紹介できるかな?」

「……ん」


 こくりと頷いて、


「みさき。よろしく、します」


 ぺこりと頭を下げた。

 おー、しっかりした子だなーと保育士は心の中で拍手をする。


「「「よろしくおねがいしまーす!」」」


 再び園児が大人しくなるまでに30分以上の時間を費やしたことは、また別のお話。


 みさきちゃんあそぼー!

 あそぼあそぼー!


 群がる園児達を前に、みさきは困ったような表情を浮かべた。それはみさきがシャイとかいう理由ではなく、園児特有のノリに戸惑っているだけなのだが、そんな繊細な心理が園児に伝わるはずもない。


 あそびたくないのー?

 ねむいのー?

 ねーなにかいってよー!

 あそぼあそぼー!


「こらぁぁぁ! いじめちゃダメー!」


 助け舟を出したのは、先程も声を上げた女の子だった。みさきの心理は分からないけれど、困っているのは分かったらしい。どうやら彼女は正義感の強い子供のようだ。


 いじめてないよー!

 そーだそーだ!

 もういこー?

 ゆいちゃんのバカー!

 ばーかばーか!


「バカっていうほうがバカなんだから! ばーかばーか!」


 果たして、ゆいは園児達の撃退に成功した。それが良いことかどうかはさておき、やっぱり状況を理解できなかったみさきは不思議そうな目で園児達とゆいを交互に見ていた。


「もうだいじょーぶだよ!」


 ゆいは腰に手を当て、えっへんと胸を張る。


「あたし、ゆい!」


 きょとんとするみさき。


「あたし、ゆい!」


 きょとんとするみさき。


「なまえ! なまえをいうの!」

「……みさき?」

「よくできました! ちゃんとできたから、ゆいのいもうとにしてあげる!」

「……いもうと?」

「そう! いもうとは、おねえちゃんについてくること! いくよ!」


 なにひとつ理解出来ていないみさきの手を取って、ゆいは元気よく歩き出した。みさきは戸惑いながらも、特に抵抗しないで後に続く。

 2人を見守っていた保育士は、ゆいが保育園の案内を試みている事に気が付くと、ふっと微笑んで、外で遊ぶ園児達に目を移した。


 そんなこんなで――


 ドキ☆ゆいちゃんの保育園ガイド!


「ここがトイレ!」


 まず部屋の奥に歩いたゆいは、出入口に段差も扉も無い男女共用トイレを指さして言った。


「ちゃんと、おもらしするまえにいくこと!」

「……おもらし?」

「えー!? しらないの!?」 

「……ん」

「おもらしはね、いけないことだよ!」

「……んん?」

「ちゃんとトイレでシーしないとメっ! なんだよ!」

「しー?」

「おしっこ! まったく、レディーがおしっこなんていったらダメなんだから」

「れでぃー?」

「もー! みさきちゃん、しらなすぎ!」


 怒りながらも、ゆいは嬉しそうな表情をする。


「まったく、しかたない。おねえちゃんがいろいろおしえてあげる」

「……べんきょう?」

「そう! ゆいがせんせー!」

「……ん」


 ゆいは先生を自称した!

 みさきの好感度がちょっぴり上がった!


 次に2人は部屋を出て、ゴムで作られた柔らかい廊下の上に立つ。ゆいは振り向いて『ねこさん』と書かれたプレートを指さした。


「ここがねこさんぐみ! ゆいとみさきはねこさんぐみ!」

「……ねこさん?」

「せいかい! よくできました!」


 右を指さして、


「あっちがたぬきさん!」

「……たぬきさん?」

「そう!」


 左を指さして、


「あっちがうさぎさん!」

「……うさぎさん?」

「だいせいかい! たいへんよくできました!」


 ゆいはみさきの頭を撫でた!

 みさきは閃いた!

 工事現場で日雇いのバイトをする龍誠はクシャミをした!


 次にゆいは廊下を歩いて、狸組より奥にある小さな体育館のような場所に向かった。


「おひるねするところ!」

「……おひるね?」

「すやー!」

「……すやー」


 ゆいはジェスチャーで表現した!

 みさきはマネをした!

 ゆいは満足した!


 とことこ駆けて、外靴に履き替えた2人は地面の上に立った。


「おにわ!」

「……おに?」

「がおー! これはおに! こっちはおにわ!」


 ゆいはノリツッコミをした!

 みさきには難しかった!


 ゆいは少し遠い所に見える滑り台を指差して、先に外で遊んでいた園児達に負けないくらい大きな声で言う。


「ぞうさん!」

「……ぞうさん?」


 次に、小さな悪魔達が鋭利な武器を片手に狂気の宴を行う草木も生えぬ死んだ大地を指さして言う。


「おすなば!」

「……おすなば?」


 砂場を指差したまま、ゆいは硬直する。

 次は? そんな風に繋いだ手をくいっと引くみさき。


「……」

「……」


 ゆいはネタが尽きた!


「……レ、レディーは、おそとで、はしゃいだり、しないの」


 冷や汗をかきながら、ゆいは強がる。


「みさき、おべんきょうはすき?」

「……ん」

「だったら、いっしょにおべんきょうしよ!」

「……んっ」


 ゆいはみさきを連れて『ねこさんぐみ』に戻ると、自分の荷物から勉強道具を取り出して、机の上に並べた。むふんと鼻息を荒げながら、1冊の絵本を開く。


「これ、よめる?」

「……ん」

「ほんとにー? じゃー、よんでみて!」

「……むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました」

「やるじゃない……」


 ゆいは本気を出した!


「じゃあこれ! これよめる?」

「……ん」

「またまたー、つよがらなくてもいいんだよ?」

「……広い海のどこかに、小さな魚のきょうだいたちが、楽しくくらしていた。みんな赤いのに、1ぴきだけは、からす貝よりも真っ黒。およぐのは、だれよりもはやかった。名前はスイミー」

「やるじゃない……」


 ゆいは負けを悟った!


「ごうかくよ、もうおしえることはなにもないわ……」

「……ん?」


 ゆいは、あっちを見たり、こっちを見たりしながら、深呼吸を繰り返す。


「みさき!」

「……ん?」

「わたしと、みさきは……たいとう」

「……たいとう?」

「そう。だから……おともだちに……なってあげても、いいよ」

「……おともだち?」

「しらないの!?」

「……ん」

「まったく……えっとね、おともだちは……いつもいっしょ! たのしいときは、いっしょにわらって、くるしいときは、いっしょにたすけあうの!」


 精一杯の勇気を振り絞って、ゆいはみさきに手を伸ばす。


「……」

「……」


 1分。

 ゆいはめげない。


「……」

「……」


 5分。

 ゆいはめげない。


「……」

「……」


 10分。

 みさきは少し手を動かした。

 ゆいは目を輝かせる。

 みさきは手を止めた。


「……」

「……」


 ゆいは無言のまま泣き出した。

 みさきは焦った。


「……だいじょうぶ?」

「へーき!」


 みさきは考えた。

 そこそこ悩んで、なんとなく、ゆいのマネをしてみた。

 ゆいは目を見開いて、さっとみさきの手を取る。


「……ふ、ふん! しかたないから、おともだちになってあげる!」

「……んん?」



 ――お昼休み。


 二人の保育士が、布団を並べて眠る園児達を見守っていた。

 ふと、ねこさんぐみを担当する保育士が、いつもの布団にゆいがいないと気付いた。

 顔を真っ青にしながら辺りを見て、直ぐに安堵した表情に戻る。


 小さな二人の女の子が、手を繋いで眠っていた。


「……ゆいと、みさきは、おともだち」


 可愛らしい寝言を聞いて、思わず保育士は口元を抑える。

 

 この日を境に、ずっと独りだった女の子達は、いつも一緒に過ごすようになったのだった。

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