第6話 儲け話は、誰のためのものか
王都財務局補佐官の名が、ただの視察の同行者として書かれているのを見た瞬間、レティシアは背中に細い冷たさを覚えた。
商会だけの話なら、まだわかる。儲かる場所に群がるのは商人の習い性だ。
けれど、その後ろに王都の役人がついているとなれば、目的は利益だけではない。
「お父様、この面会打診ですが」
翌朝、レティシアはクラウスにその書状を見せた。
クラウスは一度目を通し、眉間に皺を寄せる。
「財務局補佐官、か」
「ええ」
「珍しいな。視察に役人が来ること自体はなくもないが、商会の案件にここまで早く噛んでくるのは」
「やはりそう思われますか」
クラウスは頷いた。
「王都で何かしらの思惑が動いているのだろう。黒字になった領地を、単なる地方の成功例ではなく、何か別の形で使いたいのかもしれん」
使いたい。
その言葉が、妙に引っかかった。
レティシアは書状を机へ置く。
「成功例として並べたいのでしょうね」
「領地再建の模範、というやつか」
「聞こえはいいですけれど」
「実際は、都合よく切り取られるだけだろうな」
父の声音には、苦味があった。かつての騒動や領地危機の経験を経て、クラウスもまた王都の「きれいな言葉」へ以前ほど無防備ではない。
ルカが別の紙束を持って入ってきたのは、その時だった。
「例の財務局補佐官、少しだけ名前を拾えました」
「早いわね」
「視察の前に何も知らないのは嫌だったので。前に来た文官の手紙の差出人と、王都からの過去の通達を洗ってたらつながりました」
差し出された紙には、名前と簡単な経歴、それから関わった政策案件らしきものがメモされている。
「農村再建支援策、流通効率化、優良領地の標準化施策……」
読み上げながら、レティシアは目を細めた。
「ずいぶん立派な言葉が並んでるでしょう」
ルカが言う。
「ええ。立派すぎるくらいに」
標準化。効率化。模範共有。
どれも言葉としては美しい。
だが、美しい言葉ほど、どこを削るつもりなのかが見えにくい。
「この『優良領地の標準化施策』って、何をするの」
「ざっくり言うと、うまくいってる領地の仕組みを型にして、他領にも当てはめやすくする案みたいです」
「型に、ね」
レティシアは紙を置いた。
型にする。
つまり、中身の揺らぎや現場の工夫や、その土地ごとの事情を削って、外から扱いやすい形に整えるということだ。
「それで都合がいいのは誰かしら」
「王都でしょうね」
ルカは即答した。
「管理しやすいし、成果として並べやすい。商会側も、型にはまった領地の方が扱いやすい」
「でも、型に合わせるために無理をするのは現場よ」
「ええ」
その時点で、レティシアの中でいくつかの線が繋がった。
王都が欲しがっているのは、ローゼンベルク領の豊かさそのものではない。
この領地がどうやって立ち直ったか、その複雑さを抱えたまま理解することでもない。
欲しいのは、見栄えの良い成功例。
数字だけを抜き出し、他へ貼りつけられる形の結果だ。
「……なるほど」
「何かわかりましたか」
「ええ。これは投資ではないわ」
レティシアは静かに言った。
「収奪の再包装よ」
クラウスが目を上げた。
「そこまで言うか」
「言います。だってこれは、こちらが積み上げた余白や判断まで含めて買おうとしているのではありませんもの」
彼らが欲しいのは、利益率、供給量、成功の見栄え。
反対に、こちらが抱える保守、育成、備蓄、季節変動、現場判断の重みは、最初から計上する気がない。
「つまり」
クラウスが低く問う。
「見せたい数字だけ持っていき、擦り減る部分は領地に残す、と」
「はい。それも、『支援』とか『発展』とかいう綺麗な札を貼って」
部屋の空気が、すっと冷えた気がした。
ルカが肩をすくめる。
「嫌な話ですね」
「ええ。でも、やっと形が見えたわ」
正体が見えれば、対処の仕方も変わる。
ただの好条件ではない。
領地の裁量を削り、成功の形だけを外へ差し出させる話なのだ。
午後、レティシアはハンスとディートルフ、それからベルタ、イーダ、オットーを再び集めた。今度は売上の話ではなく、「外から見たこの領地」が何として欲しがられているのかを共有するために。
「難しい話でしょうか」
ハンスが少し不安そうに聞く。
「いいえ。むしろ簡単よ」
レティシアは机上の二枚の紙を並べた。
一枚は、王都側が示した利益試算。
もう一枚は、領内で実際に起きている小さな遅れと先送りの一覧。
「向こうは左だけ欲しいの。右は見ないか、見てもこちらで何とかする前提なの」
ベルタが鼻を鳴らした。
「都合がいいわね」
「ええ。とても」
イーダが一覧を見つめる。
「これ、支援っていうより、綺麗な数字だけ持っていく感じですね」
「その通りよ」
オットーが短く言った。
「楽なとこだけ食う話か」
あまりに端的で、レティシアは少しだけ笑いそうになった。
「ええ。たぶん一番正確だわ」
ハンスは考え込むように口を閉じ、それからおそるおそる言った。
「でも、他の領地も助かるなら、全部が悪いわけじゃないんじゃ……」
その言葉は、若く素直なものだった。だからこそ大事でもある。
レティシアは頷いた。
「ええ。共有すること自体は悪くないの。問題は、何を共有するかよ」
「何を、ですか」
「数字だけを真似しても、続かないの。必要なのは、どうやって止めるか、何を削らないか、どこで無理をしないかまで含めた考え方でしょう」
ディートルフが深く頷く。
「作柄の良い年の真似をしても、雨の少ない年に潰れるようでは意味がないですからな」
「ええ。豊作の姿だけ配って、凶作の越え方を隠したら、真似した方が困るのです」
ハンスははっとした顔になった。
その顔を見て、レティシアは少しだけ安心する。
この領地の中では、まだ考え方を共有できる。
数字だけではない中身を、皆が受け取れる。
会議が終わったあと、クラウスが廊下で立ち止まった。
「お前の言う通りだとすれば、これから先、もっと強く押してくるぞ」
「でしょうね」
「断れば、融通の利かぬ田舎領主とでも言われるかもしれん」
「それでも構いません」
レティシアはまっすぐ答えた。
「領地をすり減らしてまで、賢く見られたいとは思いませんから」
クラウスはしばらく娘の顔を見ていたが、やがて小さく笑った。
「強くなったな」
「前より、です」
「前のお前なら、賢く見えることの方を優先したかもしれん」
「ええ。だから、前より少しだけましになりました」
その夜、執務室で一人になったレティシアは、王都からの書状を改めて見返した。
発展。連携。模範。効率。共有。
綺麗な言葉はいくらでも並んでいる。
だが、そのどこにも「この領地が冬を越すために残すべき余白」は書かれていない。
インク壺の横で、ルカがまとめていった覚え書きが目に入る。
――成功例としての利用価値、王都財務局案件の可能性あり。
――商会単独ではなく、政策側の関心も強い。
レティシアは新しい紙を一枚引き寄せた。
これから必要なのは、断るための感情ではなく、切るための論だ。
相手が綺麗な言葉で包んでくるなら、こちらも中身を暴けるだけの帳簿を揃えなければならない。
そして、ペンを取る直前、彼女は窓の外を見た。
広場の灯りはまだ消えていない。誰かが片づけをしているらしく、小さく人影が動く。
あの灯りを守るための黒字だったはずだ。
王都の見栄えを整えるためのものではない。
「誰のための儲け話かなんて」
誰に聞かせるでもなく呟く。
「最初から、ちゃんと数えなければ駄目よね」
紙の上に、最初の一行を記す。
――対外契約と領内維持費の再試算について




