表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偏差値71の妖怪怪異譚  作者: 暮葉畏啓
語り手は僕。故に物語は決して決して始まらない。
PR
6/61

猫と僕の今生の別れ

悪鬼…か。

僕は口を小さく開けて猫又の声を反芻する。そして、その言葉をクルクル回して考える。


「そんな気がしないこともない。僕が悪鬼…それは想像できない、ことではない気がする…」


猫又はその目を本来の猫のように細めて言う。


「そんなに回りくどい言い方をするでにゃいよ。けれど不死鳥よりは明確に信じられるじゃろ?」


僕は猫又の二つに分かれた尾に視線を合わせながら右手に力を入れて言う。


「そうなんだ。悪鬼であった僕。妙に納得がいく。」


猫又は顔を上下に動かして頷いて見せる。そうしてそのまま右足を前にずらして僕に近づいて見せる。


「そうと決まればおぬしはここにはいてはいけない。悪鬼は珍しいのにゃ。重要種にゃ。」


僕は猫又の顔を見つめながら傾聴する。今、語り手は猫又で僕は観客だろう。


「悪鬼は複数世界を管理する存在にゃ。明確な形もないにゃ。それは上位種かつ概念側であるからにゃ。」


僕は自分についての説明であろうその言葉を一つ一つ噛み締めて聞く。僕の耳に届くのは街からやってくる冷気と猫又の言葉だけだ。


「そしてここは妖怪に捨てられた世界にや。無理もない、死に逝くのにゃ。」


死に逝く…それは何故。今ならその言葉の真相を知れそうだった。


「猫又。それはどうしてだ?」


猫又は目を大きく見開いた後、今度は左足を前に出して僕に近づいて訝しげに答える。


「マーガナルム。知ってるかにゃ。やつが月を食ったのにゃ。」


月浪マーガナルム。北欧神話に登場する狼。すべての死者の肉を腹に満たし、月を捕獲して、天と空に血を塗る。それが目的であり習性。


「この世界では怪異のバランスが崩れたのにゃ。意図的にか、自壊かわからにゃいが。」


この世界での月はドーナツのようにくり抜かれていた。今更だが、ようやく合点がいく。


「月のうさぎも、嫦娥も桂男も、みんないなくなってしまったにゃ。当たり前にゃ。管理側であるはずの怪異も太刀打ちできないくらいにマーガナルムは肥えて強くなってしまったからにゃ。」


この世界は僕の想像以上に大変なことが起きていたようだ。くり抜かれた月に、静かな世界。静かなのはどうやらこの教室だけでなかったようだ。静かで気を感じない。気配がない。その直感は存外正しかったのであろう。8月8日。夏真っ盛りだと言うのに寒気が足を撫でるのも北欧神話の月浪と関係があるのだろう。

猫は語る。


「この世界のことはもういいにゃ。おぬしには関係のないことにゃ。早く元の世界に帰るにゃ。」


猫又はついに両足を同時に前に出してさらに僕に近づく。もう目と鼻の先を超えてぶつかる。たとえ好意的な言動をする怪異であっても近づけば気味の悪さくらい簡単に伝わる。


「でも…お前には関係のあることだろう。それに僕は故意に帰ることはできないし。」


猫又は少し顔を遠ざけて今度は僕を見下ろすようにして言う。


「それなら心配にゃいにゃ。わしはこの世界の最期を見届ける所存にゃ。そしてお前は帰れる。自分の存在に行き着いたからにゃ。」


猫又は僕の上からさも当たり前のように僕に押し付ける。その言葉。信じるに値するのだろうか。多くの怪異が逃げた世界。見捨てられた世界でのうのうと生きる怠惰が。世界の最期を見届けることの辛さが。何よりも孤独が。この猫を簡単に潰し引き裂くであろう。二百年生きた猫ならば誰よりも痛切にわかっているはずだ。お前を待っている未来に希望などない、と。


「理解と思いは違うにゃ。わしはこの世界が好きにゃ。たとえ昔とは変わってしまっても、にゃ。思い出も名残もこの世界に全部染み付いたままにゃ。それに今更知らない世界に逃げてまで生き永らえたいとは思っていにゃいにゃ。そこまで老害じゃないにゃ。」


 言葉を吐いた後、猫又は僕の目の前で踵を返す。猫又の二つに割れた尾は上下に激しく揺れている。まるで思いを示しているよう。


「さあ早く帰るにゃ。体は元に戻っているようだから安心するにゃ。ゲートを開くからそれを潜れにゃ。」


猫又はそう言う。すると今度は二本足で立ち上がったかと思うと、前足を重ねて印を作りなんだか呪術的なことをしている。

そんなのでできるのか…?

すると、''さようなら''と赤い血で書かれた黒板に穴ができたかと思うと暗い闇を纏った鏡のようなものが生まれる。けれど中は見えない。暗くて、暗いことだけがわかる。その奥が抜けていそうだということも。


「ゲートにゃ。早く入れにゃ。おぬしは悪鬼。役目があるにゃ。」


気づけば四肢半壊していたであろう体は元通り繋がっていた。五体健全とまではいかないが、それでも歩くことくらいはできるようであった。何故こうも肉体は傷ついたのであろう。そんなことを考えながらゆっくりとゲート位向けて歩み寄る。そんな僕の様子を一通り眺めて安心したのか、ゲートの近くで手招きをしていた猫又は突然頭を垂れた。僕に向かって。いや…僕ではない何かに向けて。そして猫又は言った。


「遅らせながらこうしてようやく恩を返すに至りました。あの時の感謝、今でも覚えています。もし次会える時があれば、いや…不敬だにゃ。慎みながら今もこうしてあなたを思います。」


その言葉は僕が答えて良いものではない。そう感じた。これは、この猫の独白だ。独白。そこを差し違える自分ではない。頭を垂れ続けて決して顔を上げない猫を片目に僕はゲートを通る。


「もし…僕がこの世界に戻ってきて…悪鬼でもなんでも僕に力があったのなら…」


その言葉は会話ではない…これもまた独白だ。あくまでも独白だ。答える義務はないし聞く義務もない。誰にも。


「もしあったのなら…僕は必ずこの世界を思い出させる、妖怪たちに。そうだよ…僕がもう一度この世界を拾うんだ。捨てられたなんて言わせない。」


その独白に、どこまで行っても独白なのに反応してしまった馬鹿な猫がいた。その猫は垂れた頭を上げ直す。驚きのせいか、感動のせいか。どちらにせよ普通ではないだろう…積年の思いと割り切った希望。それを煮え繰り返したのだ。僕もタチが悪い。頭を上げた猫と僕はまた、そうして然るべくして目が合う。だから僕は感謝と情を持って最大限の笑みを返す。当然のことだ。馬鹿な老猫も微笑み返す。当然のことだ。けれど僕と猫又でしかできないことだった。

 8月8日。教室にて。僕はようやくその地を離れることに成功する。もう一度再訪することを堅く誓って。がゲートを通り過ぎて元の世界に戻る時、僕は声を聞いた。それは罵声でも祝詞でもない。涙を含んだ猫の声だ。


「待ってる、にゃ。」


___初めて友達ができた時だった


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ