嘘か真か。そんな簡単な話ではない。
「お主様、気が付いたかにゃ。」
目が勝手に開いた。外界の光になれるまで苦しむ。
「お主様、大丈夫かにゃ。」
僕は勢いよく捨てられた蔵書を見やる。社の鏡は割れていなかった。
「落ち着いて聞くにゃ、危険が迫ってるにゃ。」
猫又は僕に詰め寄ってこれ以上ない大きな声で言う。耳が痛い。
「お主様は本来この鏡そのものなのにゃ。」
それはつまりどう言う…何を急にこいつは言っている。
「お主様はこの社の祀られる存在そのものなのにゃ。」
僕が…どういう理由でこれを…
「お主様は酒呑童子なのにゃ。」
猫又は何を言って…
「困惑するのは仕方ないにゃ。あんなものを見たからにゃ。でもみせるしかなかったにゃ、この世界を救うためには。」
僕は猫又の目から逃げずに尋ねる。目を合わせるだけではない、猫又の心に聞いていた。
「あのデータ破損は猫又がやったんだよな。」
猫又は沈黙してそれから…そうにゃ。とだけ言った。体は硬直していた。聞きたいことは山ほどある。
「13周目で初めてやってみたのか?」
猫又はこれにもやがて、そうにゃ…と答えた。そして猫又は言う。
「著者がやってくるにゃ。ゲートを作ったからそこを抜けて逃げるにゃ。」
猫又は遥か右を腕で指した。なるほどどうやらあの時と同じゲートがあるようだ。けれど僕は動かない。
足が痛いわけでも心が弱いわけでもない。11月22日と同じだ、体は動く。けれど今回は動きたくない。
「お主様、なんで動かないのにゃ。死ぬぞ、にゃ。」
今更死ぬのを怖がったりしないよ、と僕は言う。
「あれを見たのにゃ、簡単に死ねるはずがないにゃ。」
どうしてそう思う、と僕は言う。
「拷問する意味がどこにある。あの書は僕が奪ったのではない、猫又。君があれを奪って僕に見せたんだろう。」
猫又はただ、急げとだけ言う。
「あの書は確かに恐ろしいことが書いてあった。」
語りの意味を奪うような計画されたらしき意味合いを込めた文章の羅列。でもそれは邪魔者の健闘と管理者の失敗を表す英雄譚のようで…まるで童話の一節ようだった。
「要は信じられないんだよ。」
猫又は絶句した。口を引き下げて身を引いた。崩れ落ちるように僕から離れる。
「そりゃ信じれとは言わないにゃ、あれは世界の核だからにゃ。でも本当なんにゃ。」
猫又は怯えながら声を小さくさせる。あんの時の影かよ…怪異は変わらないな。
「そうだ。けれどそうなんだよ猫又。順序が合わない。今の僕がこの書の事実、つまり世界の核を信じ切れるほどの整合性はないんだ。」
精神が疲弊していれば飛びつくとでも思ったのか。
「順序も因果も辻褄もグチャグチャならそれがたとえ真の情報であったとしても僕にはただのノイズにしかならない。」
猫又はもう何も言わなかった。部屋はあの時と同じ静かだった。
「十三回目の世界…三百年生きているとしたら…恐ろしいな、ほとんど4000歳じゃん。」
猫又はもう何も言わない。ただ聴いていた。
「約束は果たしたいよ。でもループは駄目なんだよ猫又。」
それは辻褄をおかしくする常套手段だから。それに因果さえもおかしくする。
「円環の人生。それが猫又のじんせいだろ。その円を走り進めば進むほど加速しておかしくなってしまう。僕への想いの強さと僕の君への想いの強さは差し詰め十三倍だ。それでは因果は壊滅してるじゃないか。」
僕は君が好きだ…けれど君ほどではない。
「そして今…その13周目で理解したものを僕に見せた…あくまでも自分が書いたと悟られないように…」
…そして褒められるために。
だから僕は猫又の頭に手を置いた。それからワシワシと撫でる。驚いた様子だったが次第におとなしくなる。少しの間の休息、そして労いだ。けれどそれも一旦終わり、僕は聞く。
「アレからすると…あの男が怪しいのか?髭の男が。」
猫又は閉じた口を開いた。
「そう、にゃ。過去十二回全てあいつがお主様を奪ってしまうのにゃ。それでこの世界は滅びるのにゃ。それもただ滅びじゃにゃい、地獄としてここは使われるのにゃ。」
それは正当な処理だと分かっているにゃ。ラグナロクを完遂させないための方法だとも分かっているにゃ…けれど許せないのにゃ。
「僕は君を信じたい。なぜなら友達だから。」
猫又は顔を挙げて僕を見やる。その瞳には水滴がついていた。
「けれど今の僕があれを信じてしまうと、本当に世界は僕を消しにかかる。あれは解釈次第で語れるほどの事じゃないから。」
…そう、事じゃない。事件では…ない。
「さぁ、あのゲートを抜けるか。」
猫又は何も言わない。僕は近づく。
「なんだこれ…なんか扉から熱気がするぞ。」
猫又…どこに繋がっているんだ、と。
猫又は応えない。けれど僕は気づいてしまった。この腐肉を煮詰めたような臭気、そして釜茹で特有の熱気、何かの叫び声。そう…地獄だ。
「猫又…」
猫又は言う。
「過去十二回も今回も全て、お主様がワシを助けるのにゃ。ただの猫だったワシをどんな形でも助けるのにゃ。だからワシはお主様が大好きにゃ。けれどこの世界を救ってくれないなら…それは裏切った人なのにゃ。」
中途半端に救うのだけはやめてくれ…と猫又は言った。僕は応えるその思いに…重すぎる想いに。
「僕はまだこの世界についてよく分かっていない。それにあれだけ情報が出されてもまだよくわからない。過去十二回の君の旅を僕があれだけで悟ることはできない。」
それはたとえ偏差*血*71であってもだ。
「たとえ純潔に近い高貴な血であってもそこまでは…やっぱり無理かにゃ。」
猫又はそう吐き捨てる。そして俯いてそれから鳴いた。
「そのゲートはワシが開いてしまったにゃ。その扉は誰かが通るのを待っておるにゃ。こちら側から通らないと、あちら側からやってきてしまうのにゃ。」
猫又は俯いたまま、扉のそばに立つ僕に近づく。そして僕の肩を撫でる。
「管轄外って言ったあの理由…あれはアノ本に書いた理由がおそらく正しいにゃ。」
猫又はそう言って、それからそれだけでは終わらせなかった。
「地獄の死者が来れば確実にこの屋敷も鬼神も消え失せる…お主様は殺されるにゃ、大罪だから。ワシの失敗だにゃ。」
…もっとお主を信じるべきだったと、猫又は悲痛な声で言う。
「成仏た時も今回も…ワシは嫌じゃないにゃ。」
…君を死なせずに済んだから、と。恩返しは出来なかったけれど…と。
猫又はそう言って扉に堕ちた。僕はただ見るしかできなかった。
約束はどうやら守れそうにない。けれど守るしか彼女を救う手立てはない。
「この世界に囚われて円環する彼女…猫又を真に救うためには、この世界は救うことが必要がある…そうでないと真にこの物語は終わらない。」
誰かが納得しなければ終われない。
「世界を知るって、相変わらず馬鹿なことを言っていたな。どれだけの思念が暴走してるんだよって話だろうこの世界は。」
それでもやるしかない…世界を知ってあげないと世界が納得してくれないから。勝手に終わらせることを許してくれないから。
「世界を知ることこそが物語を終える上での絶対条件。それだけでなく全ての思念を納得させる必要がある…と。」
無理ゲーじゃねぇか。
「あの本は参考にはなる。けれど髭の男がアレを実際にやっていたかって言うのは意味深な所だな。あくまでも繰り返しの事実と、計画性は汲み取るべきだ。猫又のためにも…髭男のためにも。」
僕はヤシロで祀られた鏡を見つめる。
「僕が鏡だっけか。僕が酒呑童子とも言っていたな。」
それは本当だろうか。
「信じればそれになる。あくまでも言葉に過ぎないが…だっけ。」
僕はその鏡を手に取る。そして大きく天高く掲げる。
「よく分からない。けれど僕の狙いが正しければ…これで髭男がやってこれるようになるはずだ。」
掲げた鏡を全力で床に投げる。甲高い破壊音とともに綺麗に破片が飛び散る。
猫又がせっかく直してくれた鏡…僕が酒呑童子になるため方法を、僕はしぶしぶ叩き捨てた。
僕が助かるためじゃない…今回で終わらせないといけないんだ。
怒号が聞こえた。再開だ。




