運命の再会
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「とは言ったものの……」
アルバイト先である大型ホームセンターの花屋で、青子は展示品のオーナメント(七人の内で一番気が弱そうな小人)に寄り掛かり、深いため息を吐いた。
「どうしたの?宮木さん、なんか元気ないね」
声をかけてきたのは、同じホームセンターの建材コーナーで働いている、九条進という青年だった。良く日に焼けた肌に、地味だが整った顔立ち。体格は細身でひょろっとしているが、これがなかなかの力持ちで、青子は何度か肥料や土を運ぶのを手伝ってもらっていた。
「実は、母が再婚するかも知れなくて……」
青子は石の小人を解放し、簡単に事情を説明した。
「お母さん、やるなぁ。……それで?相手の人との顔合わせが、今日なんだ?」
「はい。凄く良いお家の人みたいで、なんだか気が重くって……」
しかも相手の男性には、青子と同い年の息子がいるという。
肺の中の空気を吐き切り、まだ物足りなさそうにしている青子に、一丁気の利いた慰めを言ってやろうと口を開きかけた、その時。
「ちょっとぉ。サボってんじゃないよ」
同じアルバイト仲間の高瀬美波が、マヤ大陸の神秘の植物コーナーの向こう側から顔を出した。美波に睨まれた進は、二十五キロのセメント袋を担ぎ直して、そそくさと持ち場に戻って行った。「じゃ、またね宮木さん」
「なによ。二人で私の悪口?」
最近失恋したばかりで被害妄想気味な美波は、細くて薄い眉を寄せて、青子をじろりとした。
「そんなんじゃないって。ちょっと相談に乗ってもらっただけ」
「ふぅん?……どうでも良いけど、あの人、絶対青子に気があるよね。いっつも青子のこと見てるもん」
「ない、ない。って言うか九条先輩確か彼女いるよ」
青子がからから笑って否定すると、美波は納得したような、していないような顔をした。
「ねぇ。そう言えば、あんたが欲しいって言ってたカマラの……なんて言ったっけ?」
「ルーナ・ヌエバ?」
「そう、そう、その馬鹿高い香水。東町のディスカウントショップに売ってたよ。ちょっと安くなってたよ」
今日、帰りに寄って行こう。美波の誘いを、青子はやんわり断った。「あー……あれ、もう良いや」
「?なんでよ?あんなに欲しがってたのに?」
美波が不思議がるのも無理はなかった。青子自身、アルバイトでお金を貯めて、今年の冬には絶対買おうと思っていたし、事あるごとに公言してもいた。しかし不思議なことに、欲しい、欲しいという強い気持ちは、ある時を境に、日光を浴びた朝靄のように儚く消え去った。
「べつに。ただ、興味がなくなっただけ」
あんなに心を捕えてやまなかった高級香水は今では、なぜ欲しいと思っていたのかさえ分からなくなってしまった。それだけでなく、ブランド物のバッグにも、流行の洋服にも、ファンシー雑貨にも、心動かされない。少し前までは、ファッション雑誌をめくって自分に似合うアイテムを探すのが、なによりの楽しみだったのに。
彼に出会って、彼女は変わってしまった。
「なにか他に欲しいものでもあんの?」
「……秘密」
青子は口元に人差し指を当てて、いししと笑った。計画というほど大げさなものじゃないが、このまま貯金しておけば、雨霧家の子ども達と、少し豪華なクリスマスパーティが出来る。鶏の丸焼きやイチゴがたっぷり乗ったケーキは、さぞ喜ばれるだろう。蓮吾や都の驚き顔を想像すると、青子は今から冬が楽しみでならなかった。
その夜、青子は今日のためにと母が用意した黒のレースワンピースを着て、タクシーで指定されたホテルへ向かった。
「もう直ぐですよ」
記念すべき初顔合わせの場所に選ばれたホテルは、青子達が良く遊びに行く繁華街から一本外れた通りにあった。付近にはエステサロンや、回らない寿司屋や、マダム向けのブティックなどがあり、通りを歩く人々は、シャネルのジャケットに身を包み、プラダのハンドバッグを肘にかけ、グッチの腕時計をはめて、ルブタンのパンプスでその折れそうに細い足と腰を支えている。
「あの、頭一つ飛び出した建物がそうです」
親切なタクシーの運転手が、高層ビルの群れを指して言った。もう夜だというのに、ガラスの靴みたいにきらきら輝いていた。
「……本当にここ?」
「ここ」
円筒形の建物が、電気の光を煌々と放ちながら、夜空に向かって真っすぐに延びている。タワーホテルと銘打っているだけあり、てっぺんに上ったら星に手が届きそうだ。
エントランス前にタクシーで乗り付けた青子は、さも知り合いを捜している風な素振りで、入り口に向かって行った。お土産のクッキー缶みたいな帽子を被ったドアマンが、素早くセンサーに手をかざし、自動ドアを開け、青子を中に招き入れた。
「青子!こっち!」
天井から巨大なシャンデリアがぶら下がるロビーに足を踏み入れると、綺麗におめかしした母が、フロントデスクのところから青子を呼んだ。青子はほっと胸を撫で下ろした。
「お母さん」
「遅かったわね。晃一さん待たせてるから、早く行きましょう」
青子はこの時、母の婚約者の名前をはじめて知った。(前に聞いたかもしれないが、覚えちゃなかった)
母と青子は、地上三十四階にあるレストラン・バーに急いだ。
「やっぱり良いね、そのワンピース。良く似合ってる」
母は狭く小洒落たエレベーターの中で、青子の正装を称賛した。
「そう?ちょっと大人っぽすぎない?」
「そんなことないよ。もう高校生だもん。そのくらい、平気平気」
喋っている間にエレベーターはぐんぐん天に向かって昇って行き、内臓が浮き上がるような危うい感触を経て、目的の階で停止した。
ピン!という無機質な音と共に、ゆっくりと扉が開いた。横着な青子は母と会話したまま、後ろ向きにエレベーターを降りようと試み、案の定、向こう側からやってきた人物と衝突した。
「どうもすみませ……ひっ!」
振り向いた先には、ジャックナイフと剃刀を足してキャロライナ・リーパーで割ったような顔の男が立っていて、野生のヒグマ二、三頭は射殺せそうな鋭い視線で青子を見下ろしていた。
「晃一さん、どうしたの?」
冬の十勝平野みたいになった頭に、母ののん気な声が流れ込んでくる。
「遅いので、様子を見に行こうとしていたところだ。……君が青子君か」
にこりともせずに問われて、青子は震え上がった。
「は、はい。(母が)いつもお世話になっております……」
母に肘で小突かれ、青子が得意先にするみたいな挨拶をすると、母の婚約者の男性はふっと目元を緩めた。
「香苗さんに良く似ているな」
なるほど、笑顔はクリント・イーストウッドに、似ていなくもない。いや良く見れば、苦み走ったいい男だ。清潔感があるし、口元のほくろなんか、えも言われぬ色気がある。
青子は少し緊張と警戒を解いた。
「そう言えば、龍太郎君は?」
「それが、まだ来ていないんだ。今日は大切な日だと言っておいたのに、どこをほっつき歩いているんだか……」
三人は窓際の席に落ち着き(素晴らしい眺望だ。高過ぎてちょっと怖い)、ワインとジュースで乾杯した。足長のウェイターに給仕されると、レストランといえばファミリー専門の青子は、少々気後れがした。
「実はね、晃一さん、何度かあなたのことを学校まで見に行っているのよ」
前菜の鴨のテリーヌを食べながら、母が暴露した。
「香苗さん、それは秘密にする約束じゃなかったか……」
「良いじゃない。これから家族になるんだもの。隠し事は無い方が良いわ」
母は尤もらしいことを言い、渋面を作る晃一を強引に納得させた。
「私、なにしてました?」
「……遠目で良くわからなかったが、同級生とポルカを踊っていた」
「え……!?」
「ひょうきんなお嬢さんだと思ったが、こうして話してみると印象が違うな」
たぶんそれ、私じゃありません……
絶妙なタイミングで次の料理が運ばれてきてしまい、青子は誤解を解くチャンスを失った。
スープと魚料理を食べ終え、口直しのグラニテ(ゲームの必殺技みたい)が運ばれて来ようという時だった。
「遅かったな、龍太郎」
斜め向かいに座る晃一が、青子の背後を見て口を開いた。
「申し訳ありません。道が混んでいたもので」
どこかで聞き覚えのある声だった。
振り向いて見て、青子は視界に飛び込んできた青年の姿に眼を剥いた。
(えっ……!?)
真っ直ぐな鼻梁から米神に向かって緩やかに垂れ下がる瞼に、その奥の静かな、夜色の瞳。明るい茶髪は今は後頭部に撫で付けているが、実はくせ毛であることを、青子は知っている。
「まあ、良い……紹介しよう。こちらは宮木香苗さんと、娘の青子さんだ。香苗さんは知っての通り、私の婚約者だ」
「はじめまして。野城龍太郎です」
龍太郎は青子の困惑を余所に、簡単な自己紹介をした。同一人物かと半分疑っていた青子は、名前を聞いて確信した。彼こそ私の運命の人!
「では、私はこれで失礼します。皆さんは食事を楽しんでください」
「待て、龍太郎。帰るとはどういうことだ」
「私は来いと言われたから来たまでです。挨拶は済ませたのだから、もう良いでしょう」
「良くはない。食事をしていきなさい」
「お断りします。義務は果たしました」
素早く立ち去ろうとする龍太郎を、母が席を立って引き留めた。「待って!」
「龍太郎君の意見を聞きたいの。お父さんと私が……その、結婚することについて……」
「……お二人の好きになさったら良いでしょう。私に了解を得る必要はありませんよ」
肩越しに振り返った龍太郎は、嘲笑とも冷笑とも取れそうな、暗い笑みを浮かべていた。彼はアルマーニのオーダーメイドスーツに包まれたすらりと長い脚を駆使して、あっという間に歩き去った。
「なんという奴だ……」
晃一は聞えよがしな舌打ちをして、青子をびびらせた。
「すまないな、青子君。せっかく来てもらったのに……」
「あ、あのっ……」
「ん?」
「私も、失礼します!」
がったーん!
青子は椅子を蹴倒して立ち上がり、駆け出した。
「青子!?どこへ行くの!?」
青子は母の制止の声も聴かず、レストラン・バーを飛び出し、他の客が乗ろうとしたエレベーターを強奪して一階のエントランスへ急いだ。途中ロマンス・グレーのコンシェルジュに「お客様、どうされましたか?」と声をかけられたが、無視して振り切った。
ロビーを駆け抜け外へ出てみると、龍太郎の姿は既になかった。がっくりと肩を落とし、ホテルの中に戻ろうとした、その時だ。
突然後ろから二の腕を掴まれ、青子はぎくりとして振り返った。
「あっ……」
龍太郎は有無を言わさず、青子を強引に引っ張って行った。背後ではクッキー缶帽のドアマンが、対応に困っておろおろしていた。
青子が連れて行かれたのは、ホテルの立体駐車場だった。車一台分のスペースを占領して、排気量1300ccもありそうな大型バイクが停まっていた。節足動物を思わせる奇怪な形に、フランス国旗に似た配色。車体の側面にはHondaのロゴマークが入っている。
「乗って」
龍太郎は、青子にヘルメットを投げて寄越した。レストランに残してきた母を思い、少し躊躇ったが、「早く」と促されると、迷いは瞬時に消えた。
「しっかり捕まってて」
はじめは遠慮していた青子だったが、バイクが公道を走り出すと、振り落とされるかもしれないという不安感から、遠慮なく彼の鳩尾にしがみ付いた。
「ねえ!どこ行くの!?」
「なに!?聞こえないよ!聞こえないって!」
そんなやり取りを数回繰り返し、たどり着いたのは、山の上の郊外にある、小さな展望台だった。誰が作ったんだか知らないが、数台の駐車スペースと、錆くれてがちゃがちゃの観光望遠鏡と、ベンチが二脚あるだけの、つまらない設備だ。
「わーっ……」
しかし、仮にも展望台というだけあって、そこから望める夜景は素晴らしかった。舳に立って、光の海を眺めているようだった。手前のひっそりとした住宅地から、奥の繁華街に向かって、街は輝きを増して行く。向かって左手の製紙工場の煙突から立ち上る白い煙が、風に乗って、西へ西へと流されていく。
「きゃっ!」
ぼんやり見惚れていると、両肩に冷たい掌が置かれて、青子は悲鳴を小さな上げた。
「おっと!なにもしないから、鞄は投げないでくれよ」
「あっ……!」
「やっぱり、あの時の子か」
龍太郎は格好よく整えられた眉をハノ字にしておかしそうに笑った。
「お、覚えてたのっ……?」
「まあな。君が一番目立ってたからな」
からかうように言われて、青子は肩をすぼめた。龍太郎は上着を脱いで、ひと回り小さくなったその肩にかけてやった。甘い香りに包まれると、青子はくらくらした。
「それにしても驚いた。君が親父の婚約者のお嬢さんだったなんて」
「私も……」
「さっきは悪かったな。変なところを見せちゃって……俺はどうにも、親父と反りが合わなくて」
それを言うなら青子だって、少し前まで母と口も利かなかった。親子なんてそんなものだ。仲良くなるには、切欠が必要だ。
「……参ったな……もっとちゃんとしてくるんだった」
「え?」
「親父のやつ、相手の女の人に連れ子がいるとしか言わなかったから。俺はてっきり、男の子が……それも、もっと小さな子が来ると思っていたんだ。レストランの入り口から君の姿が見えて、慌ててセットしてきたんだ」
でも、失敗した。キメ過ぎた。龍太郎は前髪をぐしゃぐしゃにしながら、はにかんだ。
「だから遅刻したんだ?気にすることないのに」
「そういうわけには行かないさ。未来の妹になるかもしれない女の子にダサいって思われたら、目も当てられない。それに俺、もう一度君に会えたら良いって、ずっと……」
龍太郎が思わずといった風に口走り、青子の瞳が期待に輝いた。会いたいと思ってた?彼が、私に……?
「……ごめん、こんなこと、急に言われても困るよな。変な意味じゃなくて……」
「私も!」
「?」
「私も、会いたいって、思ってた……」
谷底から吹き上げる湿っぽい風が、へりに立つ青子のスカートをはためかせた。目下に広がる街は未だ熱気を失わず、オレンジや赤や緑の光が、宝石を散りばめたように、きらきら輝いている。
夜景をバックにした龍太郎は、失神しそうな程格好良くて。意思の強そうな夜色の瞳で見つめられると、青子は背筋がぞくぞくした。そんな青子の気持ちを知ってか知らずか、龍太郎は不意に手を伸ばして彼女の頬に触れ、「冷たい」と囁いた。青子は暗闇に感謝した。
「……戻ろう。風が強くなってきた」




