彼の秘密2
著作権は放棄しておりません。
無断転載禁止・二次創作禁止
居間に連行された青子は、雨霧家の家長代理と正座で向かい合っていた。二人の膝頭の間には数点の写真が並べられており、閏はそのうちの一枚を指差してたずねた。「これ、なんだと思う?」
「……盗撮写真……?」
青子が恐る恐る答え、閏は満足そうに頷いた。
「正解!これは音楽の市橋と養護教諭の野田がホテルに入ってくところ。こっちは美術の岡野が保護者の母親と北海道旅行に行った時の。青子が手に持ってるのは、華道の直江が同僚の財布から諭吉を抜き取ってる瞬間を激写したものだ」
閏は自慢のコレクションを見てくれと言わんばかりに生き生きと説明し(誇らし気な感じさえする)、青子をどん引きさせた。
「言ったろ。どんな手を使ってでも、トップに居続けて見せるって」
「詐欺だ……!」
「努力と言って欲しいな。考えてもみろ。バイオリンだって華道だって、上手いやつは三歳から本格的に習ってるんだぜ。小六まで楽器に触ったこともなかった人間が、そう簡単に一位なんか取れるわけがない」
顔色を失くした青子に、閏は飄々と言った。困惑を通り越し、青子は呆れた。
「全然だめなの?」
「リコーダーで茶色の小瓶が吹ける」
そんなもの、私だって吹ける!どや顔する閏に、青子は心の中で突っ込んだ。
「悪いと思ってるさ。だけど俺の場合は事情が事情だ。理由を話したら、皆さん喜んで協力して下さっている」
「そういうことして、いいの?いいの?」
「天幸寺が欲しいのは、俺が魁星の首席で、他に並ぶ者のないエリートだと言う事実だけだからな。手段はどうでも、出された条件をまっとうしている。なんの問題もない」
ま、ばれたら刑事事件だけどな!
「その写真撮るの、苦労したんだぜ。知り合いに一眼借りて、寒空の下何日も張りこんでさ。一週間は徹夜したね」
絶句する青子に、閏は威張って言った。
「幻滅したか?」
「……幻滅っていうか、あなたは完璧な人かと思ってた」
成績優秀、スポーツ万能で、ルックスは隣に並べた映画俳優が霞むほど。おまけに実質はどうあれ、肩書は超が付くほどの大金持ち。天に二物も三物も与えられた、こんな人間が世の中にいて良いのだろうかと、ほんのついさっきまで疑っていた。物語の中から抜け出してきたような、完全無欠の王子様で、世の女性達の憧れの的。
閏はあははと笑って、青子の眉間を指先で突いた。作り物でない、屈託ない笑顔に、青子の胸は意思に反してどきどきした。
閏は青子の動揺には気付かず、おかしそうに言った。
「テレビの見過ぎだよ。そんな少女漫画の主人公みたいなやつ、いるわけ……」
そういや、一人いたな……
閏は赤い顔をする青子をじーっと、恨めしい目で睨み、彼女を困惑させた。「な、なに?なんだい?」
膝を付きあわせる閏と青子の様子を、蓮吾と強と律の三人が座卓の向こう側から観察していた。
「あーあ、青子、あれを見ちゃったんだ」
「ありゃ、わざとだな。兄貴があんな写真を机の上に出しっ放しにするわけないから」
「どこまでも巻き込む気だな」
かわいそうに、青子……。三人は同情のこもる瞳で青子を見た。同時に、獲物を追い詰める長兄の、嬉しそうなこと!
「もちろん、見なかったことにしてくれるよな?」
「えー?どうしよっかなぁ?」
「……残念だよ青子。こんな手は使いたくなかったのに」
閏は青子の背後に回り込むと、彼女の無防備な脇の下に両腕を差し込み、その肩をがっちりホールドした。「え?え?」すると示し合わせたように強と律と都が、どこからか孫の手や耳かきを持ち出してきて、目を白黒させる青子の周囲を取り囲んだ。完璧なチームワーク、完璧なフォーメーションだ。「ごめんね、アオコちゃん」
「よし、かかれ!」
「きゃあああ!」
羽交い絞めにされた青子に、強と律と都がいっせいに飛びかかった。孫の手や耳かきの先で足の裏や脇腹を撫でられると、青子はたちまちギブアップした。
「わ、わかった!わかった!わかったから止めてー!」
「さあ、言え!私は何も見ませんでしたと言うんだ!」
「私は何も見なかったー!わーん!」
散々騒いで、転げまわって、夜の十時を過ぎた頃。
「寝ちゃった……」
気が付けば閏は畳みに両手両足を投げ出し、遊び疲れた子どもみたいな顔をして眠りこけていた。
「兄貴、朝方まで都のスモック縫ってたんだ。疲れてふらふらなのに、無理するからだよ。そのまま寝かしといてやって」
青子は部屋から夏掛けを持ってきて、腹にかけてやった。青子は少しの間、彼の胸が規則正しく上下するのを、珍しそうに観察していた。この肩に兄弟九人分の未来がかかっているのだと思うと、額に『M』(ミキサー大帝)って書いてやろうなどという気持ちはこれっぽっちも湧かなかった。
「送ってく」
その夜は閏の代わりに、蓮吾が青子を駅まで送って行った。
星も月もない暗い夜だったので、懐中電灯で足元を照らしながら畦道を歩いた。水田に潜み、頻りに雌を呼んでいた蛙の大群は人の気配を感じていっせいに口を噤んだ。二人が通り過ぎてしばらくすると、遠くの方から順番に、合唱が再開された。二人はなんとなく、静寂を壊さないように歩いた。
「写真のこと……」
車道に出た辺りで、隣を歩く蓮吾が徐に口を開いた。
「誤解しないでやってよ。兄貴だって努力はしてるんだ。ああいうのは、どうしようもない科目だけだから」
「……うん。わかってる」
青子は深く頷いた。
天幸寺の家に多額の援助してもらっている雨霧家は、閏が約束を果たせなくなった時点で詰みだ。自己破産か、一家離散かはわからないが、悲劇的な結末を避けられるなら、少々の悪事に目を瞑るくらい、わけないことのように思えた。青子はすっかり忘れることに決めた。
「あのさ!」
駅に到着し、もう直ぐ次の電車が到着しようと言う時だった。
「今度、家の近くの神社でお祭りがあるんだ」
生ぬるい闇の中を歩きながら、言おう、言おうとタイミングを見計らっていたのだった。一、二の、三で蓮吾は切り出した。
「良かったら、俺と……!」
「青子ー!」
続きの言葉は、黄色い呼び声にかき消された。振り向いて見れば、明るいクリーム色のパンツスーツ姿の女性が、手を振りながらこちらに向かって駆けてくる。
「お母さん!」
「え!?お、お母さんっ!?」
蓮吾は仰天し、おろおろと慌てふためいた。
「良かった。見間違いかと思っちゃった」
「お母さん、どうしたの?デートは?」
「それが、途中で仕事が入っちゃって切り上げたの。……こちらは?」
母の視線が流れてくると、蓮吾は顔を真っ赤にして、髪の毛の先の先まで緊張させた。「は、はじ、はじめまして!俺……!」
「雨霧君。前に話した私のニューフレンド」
しどろもどろになる蓮吾に代わって、青子がさらりと紹介した。母は「ああ!あの、大家族の!」と手のひらを打ち合わせた。
「いつも青子がお世話になってます」
「そんな!世話をかけてるのは、こっちの方で……なんていうか、その……」
素晴らしいお嬢さんですね。
などと蓮吾が口走ったので、母は堪えきれずにけらけら笑い出した。
「そう思われますか?実は、私もそう思っているんです」
料理も掃除も良くできる、自慢の娘なんです。
母はますます赤面する蓮吾に言った。今度は青子が小さくなる番だった。
母は、がっかりしてると思ってた。成績は小・中・高とびりから数えた方が早く、特別な取り柄があるわけでもなく、ただ日々を漫然と、流されるままに生きている青子のことを、恥ずかしく思ってるって。
「ねぇ、そう言えばさっき、なにか言いかけなかった?」
母が先に電車に乗り込み、静かになったホームで、青子は蓮吾にたずねた。
「いいんだ。べつに、大した用事じゃないんだ」
「そう?じゃあ、またね」
青子が座席に腰を落ち着けると、電車は直ぐに発車した。
「良かった。青子が楽しそうで」
ガタンゴトン、ガタンゴトン、電車に揺られながら、斜め前の席で船を漕いでいるサラリーマン男性に遠慮するように、母が小さな声で言った。
「あの子、雨霧君だっけ?礼儀正しくて、いい子ね」
「うん」
青子はしっかりと頷きながら、心の中だけで付け足した。お母さん、蓮吾はね、礼儀正しいだけじゃなくて、優しくて、とっても兄弟思いなの。
「青子は、あの子のことが好きなの?」
青子の頬に浮かんだ優しい笑みを見て、母がたずねた。思いもよらないことだったので、青子は驚き、目を丸くした。蓮吾はまだ中学生だが、大人びているので、母が誤解するのも無理なかった。
「そうだって言ったら、どうする?」
青子は後で種明かしをするつもりで聞き返した。
「べつに。ただ、岡野君はどうするのかなー?って」
「?……岡野?なんで岡野が出てくるの?」
青子は怪訝顔をした。岡野貴志は、いわゆる腐れ縁の幼馴染というやつだ。家が近所で、学校もずっと一緒で、一週間と傍を離れたことがない。青子は彼を弟のように思っていて、彼は青子を妹のように思ってる。
「だってお母さん、青子は岡野君と付き合ってるんだと思ってた。仲良いし」
青子が『まさか!あり得ない!』という顔をすると、母は苦笑した。
「覚えてる?小学生の頃、あの子毎日家に来て、あんたを学校に誘ってくれたの」
「……うん……」
そうだった。父が亡くなって、母が外に働きに出なければならなくなって……独りぼっちになって寂しくてたまらなかった時、彼はいつでも青子の傍にいた。しつこいくらい纏わりついてくる彼がいるから、立ち直れた。
でも、それとこれとは別問題だ。岡野は良いやつで、友達だが、運命の人じゃない。「私、他に好きな人いるから!」青子はきっぱりと宣言した。
「青子は将来、どんな人のところへお嫁に行くのかなあ?」
しみじみ言う母を、青子はいよいよ不審に思いはじめた。
「どうしたの?急に……お母さん、今日はなんか変」
「……実はね……」
かくかく、しかじか。
「ええ!?プロポーズ!?」
青子の声に斜め前のサラリーマン男性がハッと目を覚まし、迷惑顔でこちらを睨んだ。母と青子は肩をすぼめた。
母はいっそう声を低くして、青子に意見を求めた。
「どう思う?もしも青子が嫌なら、お母さん……」
「私、応援するよ。応援する」
青子は意気込んで、二度、繰り返した。
「お父さんが亡くなってから、もうずいぶん経つし……ずっと一人で頑張ってきたんだもん。お母さん、幸せになって良いと思う」
母は唇を引き延ばして、それは嬉しそうにほほ笑んだ。彼女の笑顔の理由は、単に結婚を許されたというだけではなかった。いつの間にか、大人になっていた娘。自分の知らないところで彼女の成長を手助けしている誰かに、母は深く感謝した。
「相手、どんな人?」
「クリント・イーストウッドと室伏広治を足して杉良太郎で割った感じ」
「わっ!おっとこまえー!」
「ふふっ。今度青子にも紹介するね」
「うん。楽しみにしてる」




