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ナレソメ  作者: kaoru
そして恋のはじまり
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そして恋のはじまり

著作権は放棄しておりません。

無断転載禁止・二次創作禁止

 その日、市内の某有名私立高校に通う雨霧家の長男坊は、中廊下に設置された今時珍しい黒電話(市外局番の前に〇を回さなければならない、変わったタイプの電話だ)の前を、行ったり来たりしていた。漸く覚悟が決まったのは、彼女をデートに誘おうと思い立ってから実に三日後の、夜九時を三分ほど過ぎた頃だった。

 汗ばんだ右手を都お気に入りのキャラクターTシャツにこすり付け、ガチャリと受話器を持ち上げる。ダイヤルに指をかけたところで一旦動きを止め、家のどこかにいる兄弟達の気配を探った。強と律は風呂に入っているし、和子と蓮吾は二階で勉強中、都はとっくに夢の中だ。……よし、邪魔が入る心配はない。

 手早くダイヤルを回し、電話線を絡めた左手の人差し指で、とん、とん、とん、とリズムを取りながら、早く出て欲しいような、永遠に出て欲しくないような矛盾した気持ちで応答を待つ。

 七コール半で、彼女は出た。

『はい、宮木です』

 受話器から彼女の声が聞こえてくると、閏は息を呑んだ。(こう来るだろうと予想していても、何故かいつも衝撃を受ける)「青子?俺だけど……」と前置きして、本題を切り出した。「実は、買い物に付き合って欲しいんだ」

「世話になってる教授の娘さんが誕生日でさ。年頃の女の子が欲しがるものって、良くわからなくて……ああ、うんそう、明日の日曜。……どうかな?」

 時間をかけただけあり、我ながら上手い口実だと彼は思った。実際、彼女は彼の下心に気付く様子もなく、あっさり了承した。

「じゃあ、十時に駅で……悪いな。……都?元気だよ。元気過ぎて困るくらい。口を開けば、あんたに会いたいって言ってる」

「大丈夫、無理なんかしてないよ……本当だって、ちゃんと寝てる。……冷凍庫のカレー?ああ、美味かったよ。俺一人で食った」

 日本家屋を真っ二つに分断する広くて長い廊下は、奇妙なほどにしんと静まり返っていた。開け放たれた居間の掃出し窓から、ヒグラシの鳴き声と共に、通り風が青田を駆け抜ける、サラサラという音が流れ込んでくる。強と律は湯船で恒例のゲーム(水の中でどっちが長く息を止めていられるか)に興じていて、和子は勉強するふりをして月刊の少女誌を読み耽っている。そして……

「「…………」」

 次男と末の妹はエージェントRとMになり切って階段の死角に潜み、手すりの隙間から、いつになく昂揚している長兄の声に耳を澄ましているのだった。

「お前達、どうしてっ……」

「青子と出かけるんだろ。俺も行く」

「うる君、ずるーい!都もアオコちゃんに会いたい!」

 翌日、バッティング・センターに出かけたはずの次男と、その彼にくっ付いて行った末の妹が駅前のロータリーのところに立っているのを見て、閏は痛感した。兄弟が多いと、抜け駆けは難しい。

「ごめん、待った?」

 二人を追い返す暇もなく、彼女を……宮木青子を乗せた電車がホームに到着した。気が利かない兄に代わって、蓮吾がすかさず「今来たところ」と答えた。

 閏は青子の尻に纏わり付く弟と妹を、残念なような、少しほっとしたような、複雑な気持ちで見ていた。しかし、白いカットソーから覗くデコルテに、ブルーのクリスタル・ガラスが飾られているのを見ると、もやもやは瞬く間に霧散してしまった。 

「それ、使ってくれてるんだな」

 閏は青子の胸元を指差して確認した。

「うん……だって、かわいいし。気に入ってる」

「良く似合ってる……思った通り」

「そ、そう?そうかな?えへへ」

 閏が青子をよいしょして、二人の間に独特の、(二人きりなら、手ぐらい繋げたかもしれない)甘い空気が流れた。都は瞼を三日月形にしてにたーっと笑い、「うる君、今朝一時間も鏡の前にいた」などと暴露して閏を慌てさせ、青子はそれを軽くうっちゃった。「そうなの?お洒落なお兄さんで、いいねぇ」都は『やれやれ』と首を左右に振り、蓮吾はがっくりする閏を見てほくそ笑んだ。

 三人は電車でもう一駅行ったところにある、百貨店へと足を延ばした。

 お盆中ということもあり、店内は買い物客で賑わっていた。右を向いても左を向いてもまるで人の洪水で、種類も職業も顔立ちも様々な人間達が、白く真新しい店内を埋め尽くしていた。密度が高く、床の色もわからないほどだ。

「凄いお客さんだねー!」

 喧騒に負けないよう、青子は大きな声で感想を叫んだ。蓮吾が負けじと答えた。「お盆中だしね!それに今日は三階で、ナントカって有名なアイドルがイベントやってるらしい!」

 うっかりするとどこかへ流されてしまいそうだったので、はぐれないように手を繋ごうということになった。まず、青子と都がしっかりと手を繋ぎ、都のもう片方の手を閏がとった。青子は空いた右手を蓮吾に差し出した。

「お、俺はいいよっ……」

「なんだ、恥ずかしいのか?お兄ちゃんと繋ぐか?」

「いらないよ!」

 四人は蓮吾を先頭に、ごった返す店内を、人波をかき分けるようにして進んだ。

「服はサイズがわからないし、アクセサリーはちょっと意味深かなあ?ぬいぐるみってのもなあ」

 知らない女の子へのプレゼント選びは、かなり骨が折れた。何しろ好みがわからないので、広い売り場を足が棒になるほど歩き回る破目になった。五階で婦人服やバッグを、二階で化粧品、六階で生活雑貨を見た後に、再び五階に戻って帽子を物色した。

 そうして、くたくたになった頃。結局消え物が一番無難ということになり、都が愚図り出したのもあって、地下一階の生鮮コーナーでバームクーヘンを購入し、慌ただしく店を後にした。

 帰る前に、四人は近くのファースト・フード店で遅い昼食をとることにした。

 考えることは誰しも同じで、時間を外したというのに、店内はそこそこ混み合っていた。四人が自動ドアから入って行くと、レジに並ぶ女性達の視線が、わっとこちらに集中した。視線は青子と都を通り越して、閏に注がれていた。

 一時間も鏡の前にいたと言うだけあって、今日の彼は頭の先から爪の先まで、ばっちり決まってた。これがいつもの格好だったら(全身鼠色のスウェットだったり、美少女戦士のイラストがプリントされたTシャツだったり、トランクス一枚だったり)若い女性アルバイトがコーラを打ちまけることは、なかったかもしれない。

「きれーい。芸能人……?」

「私、雑誌で見たことあるよ。ほら、名前なんだっけ?」

 女性達は小声でひそひそと噂し合った。その内の何人かがバッグの中からスマートフォンを取り出して掲げると、流石に居心地が悪くなった。

「アオコちゃん、手、出して」

「都ちゃん……?どうしたの?怒ってるの?」

「良いから、手、出して!」

 青子は言われるまま手を差し出した。仕事人都は、青子の左手と閏の右手を素早く連結して命じた。「注文はれん君と都でするから。邪魔だから、うる君連れて先に行ってて」

 都は蓮吾と共に列の最後尾に並び、入り口の前には閏と青子が残された。

「ごめん……少し、いいか?」

「う、うん……」

 座席までほんの五メートルの、短い恋人ごっこだった。衆人環視の中、男の子と手を繋いで歩くって言うのは、ランウェイを歩くファッションモデルとも、ヴァージンロードを歩く花嫁とも違っていて(たぶんね)、青子の胸はドキドキした。都の作戦はてき面に効いて、無遠慮な視線と好奇心はやがて散り散りになった。

「大変だね。いつもこうなの?」

「まあ、大体は。だからいつもは、変装してる。マスクしたり、サングラスかけたり」

「不審者。コンビニ強盗」

「そう思って、今日は控えたんだ。頑張れば、親子連れに見えないこともないし」

「親子連れ?」

「そう。仲良し親子。お父さんと、お母さんと、息子と娘」

 それは、とても良いアイデアだね。青子と閏は微笑み合った。繋いだ手はせっかくなので、蓮吾と都が注文した料理と共に戻って来るまで、テーブルの上に飾っておいた。(蓮吾は何故か怒ってた)

「どうせなら、青子の料理が食べたかったな」

 大きな口でハンバーガーを頬張りながら、蓮吾がぼやいた。

「嬉しいこと言ってくれるじゃん。じゃあ、今晩作りに行くよ。お邪魔でなければ」

「まじで!?やった!俺、肉じゃがが食べたい!」

「アオコちゃん、またケーキ焼いてー!ケーキ!」

 興奮する蓮吾と都を、閏はちょっぴり複雑そうな顔で見つめた。「随分嬉しそうだなあ」

「兄貴の料理は微妙なんだよ。硬かったり柔らかかったり。しょっぱかったり甘かったり」

「うる君、お鍋にミカン入れた」

「カレーにコーン入れるだろー。酢豚にパイナップルとか。一緒だよ」

 蓮吾と都は長兄の料理センスについてああだこうだと議論し合った。半分はただの悪口だった。青子がきょとんとしていると、閏は決まり悪そうに笑った。

「良かったよ。星学の必修科目に料理がなくて」

 家の近くのスーパーで夕食の材料を購入し、帰宅して見ると、強と律が居間から飛び出してきた。二人は学校のプールに行っていたようで、近付くと乾ききらない頭から、塩素の香りがした。

「ずっりー!三人だけ美味いもの食ってきたんだろー!ずりー!ずりー!」

 俺達なんか、またカップラーメンだけだったのに!強は律の分の不満も請け負って、上の兄弟達を非難した。こっそり出かけていたことを忘れていた閏と蓮吾は、顔を見合わせて笑った。

「昼飯はハンバーガーだった。ほら、証拠のレシート」

 強は閏の手からレシートを引っ手繰って、疑いの目でチェックした。……よし、シェイクは頼んでないな。

「……夕飯は?」

「時間も早いし、炊き込みご飯と肉じゃがにしようと思って」

 青子が答えて、ボール箱の中の食材を確認して、漸く二人の溜飲が下がった。

 豆は入れるのか、しらたきは入れるのかと大騒ぎしていると、声を聞き付けた和子が二階から降りてきた。「こんにちは、和子ちゃん」青子が気付いて挨拶すると、和子はくっと目元に力を入れて見返して、二階に舞い戻ってしまった。あらら。

「さあさあ青子お姉さま、こちらへどうぞ!」

「座布団どうぞ。ただ今麦茶をお入れします」

 強と律は、青子を賓客(労働力)として歓迎した。

「お前達、夏休みの宿題は終わってるのか?遊んでないで、勉強して来い」

 長兄はふざけたがる強と律を捕まえて、年上らしくびしっと命じた。「俺は終わってるよ」蓮吾は彼の魂胆を見透かして、すかさず付け足した。

 前庭の新設備(迫田氏が制作したブランコと、修理した水道)を都の案内で視察した後、青子は張り切って料理を開始した。

 青子がじゃがいもの皮を剥いたり、玉ねぎを刻んだりしている間、閏と蓮吾は続き間になっている居間から、キッチンの前を忙しなく行き来する(ちょうど目の高さにある)お尻をぼけっと見ていた。「なにか手伝おうか?」三度申し出て、三度とも断られた。「いいから、座ってて」しばらくして、二人は味見の係を任された。一際大きなじゃがいもの切れを選んで頬張り、あうあう言いながら親指を立てた。

 時間は瞬く間に過ぎて、あっという間に夜になった。

「青子、まだ帰らなくて大丈夫か?」

 洗い物を一手に引き受ける青子に、蓮吾が気を使ってたずねた。反り返って居間の時計を見上げると、丁度七時だった。

「言ってあるから、平気」

 大らかな母は、青子が雨霧家に入り浸るのを、心配するどころか、独りで家に置いておくより安心だと喜んでいるのだった。

「実はね、うちのお母さん、今日デートなんだ」

「デート?」

「うん。だからたぶん、帰りは遅くなるよ」

 出かけに会った母の顔を思い出し、青子はうふふと笑った。(もういいおばさんなのに、少女のように恥じらっていた)

 夜八時を過ぎた頃、閏は都と蓮吾を連れて風呂に行ってしまった。居間には強と律と和子、それに青子がいた。

「どうかしたか?」

 じっと廊下の一点を見詰める青子に、強が聞いた。青子は暗がりを指差して言った。

「いま、そこに誰か……」

 いたような気がする。

「……ああ、そりゃきっと、亮だ。引きこもりで、すっげーデブの、キモイやつ。豚」

 強が大人顔負けの罵詈雑言を披露し、青子は肝を冷やした。普段聞きなれている言葉も、子供が言うとぞっとする。青子が一言注意しようと、口を開きかけたその時だった。

「そういうこと言っちゃいけないんだよ!キモイって言う方がキモイんだよ!」

 遅れて夕食をとっていた和子が、堪りかねて、手に握っていた箸をバーン!とテーブルに叩き付けた。青子は面食らい、のど元まで出かかった言葉をごくんと飲み込んだ。

「お兄さんに言い付けてやるから!」

「やってみろよ!このヒステリーのブス女!お前もキモイんだよ!死ね!」

 和子は憤然と席を立ち、食べかけの皿をそのままにして、居間を出て行ってしまった。

「……あんた、あれは酷いよ」

「そっかー?あんなの普通だよ」

 困惑する青子に、強は何でもない風に言った。

「和子のやつ、前の学校の担任にそっくりなんだ。ブスのくせにお節介で、口五月蠅くてさ。ヒステリーはお袋に似てる。お袋は最低最悪のスーパーヒステリーだった」

 きゃんきゃん!きゃん!きゃん!母親の真似のつもりなのか、強は突然チワワの鳴き真似をしはじめた。律は笑い転げているし、取りつく島もないので、青子は強を放っておいて、和子を追いかけることにした。

「和子ちゃん?大丈夫?」

 二階の和子の部屋のふすまに向かって声をかけてみたが、返事はなかった。中で泣いているのかもしれないと思うと、青子は切ない気持ちになった。

 やっぱり、強に一言厳しく言ってやろう。

 居間に引き返そうとした青子だったが、階段を降りようとすると、普段閏と蓮吾が使っている部屋から物音がした。がたがた、ごと、ごと。

「和子ちゃん……?」

 室内には誰もおらず、窓から吹き込んだ風が、ふすまを揺らしていた。

 畳の上には、書類や写真が派手に散らばっていた。机の上に出しっ放しになっていたのが飛ばされたのだ。拾って片付けてやろうなんて、親切心を出したのはまずかった。写真を拾い上げた青子は、そこに写っているいるものを見て固まった。

「…………」

 壮年の男女がホテル街を歩いている。頭にネクタイを巻いたスーツ姿の男の手は、なんと、女性のブラウスの胸元に突っ込まれているではないか。写真は数枚あり、青子の手元から順番にコマが進んで、最後には『Doomsday』と書かれた看板の店に消えて行った。

「……ごくり……」

 直感でやばいと判断した青子は、写真をもとあった場所に戻し、そっと立ち上がった。このまま部屋を出て、何事もなかったように下へ……

「……見たな。俺の秘密を」

 ひゃん!!

「見てません!なんにも見てません!」

「そうかそうか。ちょっと話そうか」


一度は完結にした手前ちょっと恥ずかしいのですが、続きを書いてみることにしました。楽しく読んでいただけると嬉しいです。のろのろ更新になるかと思いますが、応援よろしくお願いいたします。

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