デート
「お待たせ!」
支度を整えて階段を軽く駆け降りてきた綾は、何時ものようにニッコリと希恭に笑い掛けた。
髪を軽くブローし、控え目な色のルージュも引いていて、そのせいか何時もより大人びて見える。
「じゃあ、行こうか」
希恭は眩しげに目を細めて綾の顔を見ると、彼女を促した。
綾は用意しておいた靴を履くと、希恭の横に来て並んだ。
「ねぇ、遊園地行こうか……?」
肩を並べて歩きながら、ふと思いついたように綾が言った。
「どこでも好きな所連れてってやるよ」
希恭がニッコリ笑って答えた。
「じゃ、決まり!」
綾もニコニコと嬉しそうだ。
二人はさっそく最寄りの駅に向かい、そこから遊園地行きのバスに乗り込んだ。
バスは結構混んでいたので、希恭は綾だけを座らせて自分は直ぐ側に立った。
時々希恭を見上げる綾と目が合うと、ニッコリと微笑む。
すると、やはり綾もニッコリ笑い返してくるのだ。
綾の笑顔を見ているとバスの混雑も気にならない。
やがてバスは市街地を抜け、家並みが疎らになった道を海辺に向って走り始めた。
近頃は車が多いせいか、遊園地行きのバスに親子連れはあまり見受けられなくなった。
その代わり、乗客の殆どを十代の若者が占めていた。
数人のグループや若いカップル等が狭いバスの中にひしめき合っていたが、その中でもスラリと背の高い希恭の姿はやはり際立っていた。
綾の少し後ろに座っていた女の子達が
「ねぇねぇ、あの人カッコいいね……」
などと話している。
それが聞こえたのか、綾は少し心配顔で希恭を見上げた。
希恭はそんな綾の気持ちを察したように被っていた帽子を脱ぐと綾の頭に被せ、連れである事を示してニッコリ笑った。
ただでさえ希恭は女の子にモテる。
その上誰にでも優しいのだから、綾はいつ他の誰かに盗られるのではないかと時々不安になってくるのだ。
それがどうしても顔に出てしまうのだが、希恭は何時も然りげ無くその不安を打ち消してくれた。
綾はそんな希恭の何気無い優しさがとても好きなのだ。
初めはカッコよさに惹かれていた綾だったが、付き合っていくうちに彼がとても優しくて思いやりのあることを知って、今はもう益々夢中になっていた。
『次は終点遊園地前、遊園地前でございます、お忘れ物のございませんよう……』
終点を告げるアナウンスが流れ、速度を落とし始めたバスが暫く走った後、広い駐車場にゆっくりと横付けして停止した。
希恭は立ち上がった綾とはぐれないように手を繋ぎ、他の乗客と並んで料金を払うと、綾を気遣いながらバスを降りた。
それから入口までの少しだけ長い距離を、手を繋いだまま綾の歩調に合わせてゆっくりと歩いた。
入口へ着くと、希恭は昨夜『貯金を下ろして払うから』という約束で恭子を拝み倒して、やっとの事で借り受けた三万円の内から二人分の入場料を払って中に入った。
遊園地の中は風船売りや売店等が賑やかに彩りを添えていて、誰もが不思議と無邪気な童心にかえってゆける。
「あ〜遊園地なんて何年ぶりかなぁ、中学以来かな……?」
綾が手を広げながら、遊園地のノビノビとした空気を吸い込むように深呼吸して言った。
「俺なんか小学校以来だ」
希恭が返す。
「よ〜し!じゃあ、早速あれ乗ろう、アレ!」
綾は瞳を輝かせながら、指を差して希恭を引っ張って行く。
こんな所では大抵女の子のほうに主導権が有るようだ。
「キャーキャー!ワーワー!」
と騒ぎながら遊園地の乗り物に片っ端から乗り込んで、この分では全部の乗り物に乗ってしまわないと収まりそうにない。
怖いもの見たさじゃないけれど、女の子はスリルの有るものが大好きな事を希恭は思い知るハメになったのだった。
「次あれ乗ろう!」
綾はまたもや希恭を次の乗り物へ引っ張って行く。
「ちょっ、ちょっと待って綾、何か食べさせてくれよ、俺ハラ減って力が入んないよ……もう二時過ぎてるんだぞ」
「え、もうそんな時間?分かった、じゃあ何か食べに行こ」
そう言われて時計に目を遣った綾は納得したようだ。
「良かった」
「な〜に?」
「このまま昼抜きなんじゃないかって心配してた」
「やだ、恭ったら心配するほどの事じゃないでしょ?それに一食くらい抜いたって死なないから」
綾が茶化すように笑っている。
「俺は一食抜いたら死ぬんだ!」
希恭の声には妙に力が込もっていた。
「大袈裟ねぇ、恭ももっと早く言ってくれれば良いのに」
少しだけ非難を込めて、それでいて申し訳無さそうに綾が苦笑して言った。
「ハンバーガーで良い?」
希恭が尋ねた。
「うん、良いよ」
綾が答える。
付き合い始めたばかりの頃は希恭の前で大きな口を開けて物を食べる事など考えられなかったが、近頃はそんな事気にしなくても良いんだと思えるようになっていた。
無理をして良い所ばかり見せていては何時か疲れてしまう。
それよりも有りのままの自分で自然に付き合える事が大切なのだ。
それを教えてくれたのは希恭だったし、希恭自身、それを一番望んでいた。
それが分かったから綾は希恭の前で自然に振る舞えるようになったのだ。
二人は遊園地の端に有るハンバーガーショップに入って希望の注文を済ませると、二人掛けのテーブルに座って待った。
その後、番号を呼ばれた希恭は注文した品を受け取りに行き、二人分のトレーを両手に持って戻って来た。
「綾、そんなんで足りるのか?」
希恭は今しがた自分が綾の前に置いた、ハンバーガーが一つとフライドポテト、それにコーラが乗ったトレーを見て言った。
「大丈夫、それに今ダイエットしてるから、これでも多いくらいよ」
「ダイエットなんかしなくても今のままで良いだろ?無理なダイエットしてると体壊すぞ、女の子は少しくらいポッチャリしてても良いと思うけどな……」
希恭は綾の体を心配して言ったのだが
「それって中年思考!」
綾は少し非難するように言った。
「そうかなぁ……」
「そうよ、それに恭は自分がスリムだからそんな事言えるのよ、いくら食べても太らないんだから……痩せの大食いっていうやつ?ホント羨ましい」
綾は口を尖らせる。
「だけど食事はちゃんと摂らなきゃ、ちゃんと食事して体力をつけておかないと、イザと言う時俺は綾を守りたいから……ちゃんと食事してるよ」
「恭……」
綾は希恭の言葉がとても嬉しかった。
が、直ぐに何か思いついたように話し掛ける。
「あ、だけどね恭……」
「ん?」
ハンバーガーに勢い良くかじり付いていた希恭は、そのままの格好で応えた。
「腹八分にしといてよ、まだ色々乗るんだから……戻しても知らないからね」
綾が悪戯っぽく注意を促した。
「しまった!!それがあったんだ……」
希恭はそう言うと、ハンバーガーが三つも乗ったトレーを後悔するようにマジマジと見た。
「やだ恭ったら忘れてる」
綾がクスクスと笑っている。
「あんまり腹減ってたもんだからつい……」
「ま、いっか。しょうがない、少し食休みしよ」
綾は呆れるように言って笑った。
それから他愛の無い話しをしながら食事を済ませた二人は、店を出て食休みのための散歩を始めた。
人混みを縫うように歩きながら、時々売店の前に立ち止まって、小さなぬいぐるみの付いたキーホルダーやちょっと風変わりなアクセサリーなどに見入ってはお喋りをしながらまた次へ移って行く。
希恭は綾が何かに見とれている間に素早く使い捨てカメラを買うと、ファインダーの中に綾の姿を捕らえたまま声を掛けて、彼女が何気無く振り向いた瞬間シャッターを切った。
「あ、ズルい!恭ったらいつの間に!?」
「カメラ持って来なかったから、今そこで買った」
「いきなり撮ったりして、変に写ってたら怒るからね!」
綾はちょっとだけ膨れっ面をして見せた。
「腕が良いから大丈夫!」
希恭はそう言って笑った。
「もう……」
綾は呆れるように言うと、また店の中へ目を移す。
「あ、これカワイイ!」
彼女はビーズで出来た3cmほどの人形が付いたキーホルダーを指差して、何か特別な物を見付けたような喜びを含んだ声を上げた。
「これ限定品なんですよ」
店員か少し自慢げに教えてくれた。
「買ってやるよ」
希恭は綾の肩越しから覗き込むようにして言った。
「本当!? あ、でも恭にばっか払わせちゃ悪いよ……私だってお金持って来てるんだから自分で買うね」
「いいから、どれが良い?」
「じゃ、恭はこれ買って私に頂戴」
「これ男の子だぞ、良いのか?」
綾の指差した物を見て、希恭が確認した。
「うん、いいのいいの」
「じゃあ、これ下さい」
希恭はキーホルダーを店員に手渡して一緒にレジに向った。
その間に綾は女の子の付いたキーホルダーを別の店員に渡して希恭の知らない内に買い入れたのだった。
希恭が店を出て綾に小さな袋を手渡すと
「ありがとう、じゃあこれは私から恭に」
彼女は同じく小さな袋を希恭に差し出した。
「何買ったんだ?」
「内緒!帰ってから開けてね」
綾はニッコリ笑うと、受け取った袋を大事そうににポシェットにしまい込んだ。
「ありがとう」
希恭も綾から受け取った袋を上着のポケットに収めてから
「行こ」
と彼女を促した。
それから二人は、通りがかりの人にツーショットの写真を撮って貰ったり、お互いに写し合ったりしながら乗り物の方へ歩いて行った。
「ねぇ恭、観覧車乗ろうよ……?」
「時間無くなるから、他の物に乗れなくなるぞ?」
「うん、これで最後にするから」
「じゃ、そうしよう」
希恭ほ快く承諾した。
少し高くなった乗り場で待っている二人の前に空いているゴンドラがゆっくり降りてくると、係員が扉を開けて希恭達に乗り込むよう合図する。
希恭達はゴンドラの動きに合わせてスルリと乗り込むと、向かい合わせに座を占めた。
係員が安全を確認するように確りと扉を閉めると、もうそこは二人だけの空間になった。
ゆっくりと大きな円を描きながら段々と昇っていくゴンドラの中から、目を見張って外の景色を見詰める綾の横顔に希恭は暫く見入っていた。
やがて、ゴンドラを支えるアームが水平を過ぎた頃、希恭は綾の隣へ席を移して後ろから覗き込むように彼女と視線を並べた。
「綾……あの時の事……」
希恭は改まったように綾の耳許で静かに言った。
俯いた彼女は胸に軽く手を重ねて
「もういいの……」
と言うと、希恭の方へ向き直った。
「正直、とてもショックだった……悲しくて悲しくて、何も手に着かないほど悩んでた……それでも……やっぱり私は希が好きで、悔しいけどどうしょうも無いくらい好きで、大好きで……だから……」
昂る思いを堪えきれず、綾の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「綾……」
「だから私は……恭にとって一番でいたい、何時も……一番大切な存在でいたいの……」
綾のいじらしさに希恭の想いもまた高まっていく。
「綾……俺にとって綾は一番だよ、何時だって大切な……大切な綾だ……」
希恭の言葉に綾の唇が小刻みに震え、また一つ涙が零れ落ちた。
その涙を優しく指で拭いながら、希恭はじっと綾を見詰めた。
心做しか希恭の瞳も切なげに潤んでいる。
自分を見詰める希恭の瞳がゆっくりと躊躇いがちに近付いて、それを感じ取った綾はぎこちなく瞼を閉じた。
胸がドクンドクンと激しく脈を打ち、頬が熱くなる。
その綾の艷やかで柔らかな唇に希恭はそっと唇を重ねた。
綾にとってそれは、短くて長い、切なくて優しい初めてのキスだった。
希恭はまたそっと唇を離すと、そのまま綾を抱き締めて
「好きだよ綾……大好きだ……」
と囁いた。
「恭……」
綾は思わず希恭にしがみついてその胸に顔を埋めた。
そして何よりもこの幸せを噛み締めていた。




