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アンブロシアの種  作者: でれ
第2章
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33/33

3-3 ダイニングだったもの

 手の跡が顔にくっきりと残ったアンジェは、また忙しなく鼻を動かす。


 俺たちが入った部屋はダイニングのようで、中央には長いテーブルが鎮座していた。掛けられたクロスは所々破れている。


「生活感がまるでないな」

「うえー、これいつのパン? そもそもパンなの?」

「こら、むやみに触らないの」


 まるで幼児のように、あちらこちらを物色するアンジェを窘める。


 ほかに魔物がいないか警戒しながら、室内を見渡した。割れた食器はどれも上等そうだが、今では見る影もなく朽ちている。


 周囲のものは、触れただけで崩れてしまいそうだ。現にネージュはドアノブを回しただけで、キッチンへ続く扉にとどめを刺してしまった。ドアノブだけを残して木くずと化した扉が、ぼろぼろと床に散らばっている。


「扉だけでもこんな有様なんだ。この屋敷も、いずれ崩れるだろうな」

「魔物も住み着いて、汚し放題ですからね……」

「ねぇ! なんか変なの見つけた!」


 振り返ると、アンジェが部屋の隅、倒れかけたランプの下を指さしていた。


 床から、植物の根のようなものが覗いている。表面は苔に覆われ、小さな棘がびっしりと生えていた。


「床下から生えてるのかな。魔物に近いにおいがする」

「床が脆くなって、木の隙間に種でも入り込んだのかもね」

「ん? それ、あれじゃねぇか?」


 何かに気づいたネージュが、剣を鞘から抜く。


 しゃがんで根を見ていた俺とアンジェの頭上から、剣先を勢いよく振り下ろした。ガッ、と床板が抉れ、根が真っ二つに割れる。


「ちょっとネージュ! やるなら先に言ってくれる!?」

「びっくりしたぁ……」

「これくらい避けられるだろ。何びびってんだ」


 心臓を押さえていると、床下からめきめきと、何かが破裂するような音が響いた。

 切断された根が床板を押し上げ、切り口から緑色の液体を垂らしている。


「ああ、やっぱりな」

「え、え? 何が?」


 足元が大きく揺れた。


 急いで盛り上がった床から飛び退く。割れた窓や穴の開いた壁から無数のツタが伸び、瞬く間に部屋中を這い回った。


 テーブルにツタが絡みつき、大きな音を立てて崩していく。飛び散った木片がネージュ目がけて飛んでいったが、彼女は焦ることなく、わずかに首を傾けただけで避けてみせた。


 ぽっかりと崩れ落ちた床から、黒ずんだ根が絡み合う球体が姿を現す。


 うねる根は、血管のように脈打っている。意志もなく、ただ生きるためだけに蠢くその姿に、ぞっと背筋が冷えた。


「な、な、何これー!」

「ブライアーだな。生き物から栄養を吸う、植物型の魔物だ」


 俊敏に襲いかかるツタを避けたアンジェは、天井に残されたシャンデリアの残骸を掴み、振り子のように身体を揺らしてツタを蹴り上げる。


 ネージュは先ほどから一歩も動かず、片手だけで次々とツタを切り落としていた。


 床を埋め尽くしていく光景に圧倒され、自分の足元へ忍び寄る一本を見落とす。

 ぐっとふくらはぎを締めつけられた直後、視界が大きく揺らいだ。

 重力に逆らって胃が浮き上がる。真っ逆さまに吊り上げられた身体が左右に揺さぶられ、胃液が逆流しそうになった。


「タカラ!」

「ひぇっ」

「クソガキども。お前らだけで何とかしろ」

「んえ!? これを!?」

「うぷっ……そうだった!」


 今回の依頼条件を思い返す。


 律儀にそれを守るネージュの姿勢には驚いたが、あれでもギルドの人間だ。


 腰に下げていた短杖を取り出し、魔力を集める。

 無意識に思い描いた武器は、使い慣れた短剣ではなかった。

 緩やかに湾曲した刃。その姿から、不吉なものを連想させる武器。


「お、いいのあんじゃねぇか」

「でもちょっと怖いよ!!」


 鎌を一振りすると、周囲のツタが刈り取られ、ばらばらと床へ落ちていった。長い柄は意外にも軽く、切れ味も申し分ない。


 身体強化をかけたおかげで、吊り上げられた高さからでも軽やかに着地できた。それでも古びた床は、ぎしりと軋む悲鳴を上げる。


「鎌がちょうどよかったから……」

「まあ、農作業にはちょうどいいもんね」


 向かってくるツタを迎え撃つように床を蹴り、身体を捻る。面白いほどあっさり切れる。それなのに、いくら刈っても数が減らない。


 アンジェは壁を蹴って駆け回り、長い爪でツタを切り落としていく。刃物とは違い、その爪は乱雑な切り跡を残していた。引き裂かれたような傷口が、なんだか痛々しい。


 ふと、その断面が盛り上がる。


 直後、そこから新緑色のツタが伸び、鞭のように周囲を打ちつけた。


「再生するのね……」

「えーん、きりがない! 燃やしたいよぉ!」


 一撃はそれほど強くない。それでも、圧倒的な数と再生能力のせいで、こちらが少しずつ追い詰められていく。

 だが、これは魔物。どこかに弱点があるはず。


「植物系なら火……でも、ここで燃やしたら屋敷ごと焼けるな」

「心臓!! 心臓があるはず!!」

「ええ? 植物に心臓なんてあるの?」

「だけど生きてるじゃん! 心臓部っていうか、コアがあるはず!」


 確かに、アンジェの言う通りだ。

 植物に見えても、これは魔物だ。再生するための力が、どこかに集まっているはず。

 ツタを避け、切り払いながら、根の塊へ目を凝らす。


 あまり動かないそれは、ただ脈打つことを繰り返している。意識もなく鼓動だけを刻む生き物のようで、ひどく気味が悪い。


 根の動きを止めたい。だが、炎は使えない。


 それなら――。


 ネージュの方を見ると、つまらなそうな顔で、お弁当用に忍ばせていたパンを食べていた。

 それ、俺のだよね。


「ネージュが動くほどでもない相手、ってことですよね?」

「さあな。早くしろ。魔力切れになんぞ」


 パンくずを口につけたまま、真横から襲ってきたツタを切り落とす。


「アンジェ! 根っこから離れて!」

「あいよ!!」


 アンジェが軽やかな身のこなしでツタを踏み、空中を駆ける。

 それを見届けて、根の塊を目指して床を蹴った。


 行く手を阻もうと、無数のツタが俺の身体へ伸びてくる。しかし、背後へ回ったアンジェがそれを掴み、力任せに引きちぎった。


 邪魔するものは、もうない。


 鎌を大きく振りかぶり、冷気を思い描きながら柄へ魔力を流し込む。


 指先から凍てつく空気が伝わり、湾曲した刃を白い氷が覆っていく。


 勢いのまま振り下ろした瞬間、バキッと根が割れ、刃がその奥深くへ食い込んだ。


「うっ、ぐぅ……!」


 柄を握る腕に力を込め、さらに魔力を送り込む。


 周囲に冷気が漂い、鼻先が痛いほど冷えていく。伸びていたツタは徐々に動きを鈍らせ、やがて力なく項垂れた。


 根は脈打つことをやめ、表面がぽろぽろと剝がれ落ちていく。


 深く息を吐き、食い込んだ刃先へ意識を集中させた。


 分厚い氷が中心から広がり、幾重にも絡み合った根を包み込む。最後には、根の塊そのものが巨大な氷の球体へと変わっていた。


「はぁ……はぁ……」

「小僧、魔力は?」

「使いすぎてない? 大丈夫?」


 呼吸を整えながら、自分の内側に残る魔力を確かめる。


 まだ余裕はある。


 大丈夫だと伝えるように手のひらを見せると、二人は揃って小さく息を吐いた。もっとも、冷気に晒された手は青白くなっていたので、安心させるには向いていなかったかもしれない。


「まあ、これぐらいで駄目になるようなら、魔獣の餌にしてたな」

「すごいよ! 安定してきたね、動きも魔力も!」

「自分でも驚いてるよ。実戦のおかげかな」

「今更すぎるだろ。そもそも、初手で戸惑うような相手でもねぇ。自惚れんな」


 膝を蹴られ、喜ぶ暇すら与えてもらえなかった。


 ネージュは剣を握ったまま、氷漬けになった根を見下ろす。そして再び、剣を勢いよく振り下ろした。


 鋭い破砕音とともに氷の球体が砕け、凍った根もろとも床へ飛び散る。


「最後に、ここまでやれ。減点するぞ」

「何の!?」

「点数つけられてたっけ?」


 点数制度なんて初耳だ。

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