3-3 ダイニングだったもの
手の跡が顔にくっきりと残ったアンジェは、また忙しなく鼻を動かす。
俺たちが入った部屋はダイニングのようで、中央には長いテーブルが鎮座していた。掛けられたクロスは所々破れている。
「生活感がまるでないな」
「うえー、これいつのパン? そもそもパンなの?」
「こら、むやみに触らないの」
まるで幼児のように、あちらこちらを物色するアンジェを窘める。
ほかに魔物がいないか警戒しながら、室内を見渡した。割れた食器はどれも上等そうだが、今では見る影もなく朽ちている。
周囲のものは、触れただけで崩れてしまいそうだ。現にネージュはドアノブを回しただけで、キッチンへ続く扉にとどめを刺してしまった。ドアノブだけを残して木くずと化した扉が、ぼろぼろと床に散らばっている。
「扉だけでもこんな有様なんだ。この屋敷も、いずれ崩れるだろうな」
「魔物も住み着いて、汚し放題ですからね……」
「ねぇ! なんか変なの見つけた!」
振り返ると、アンジェが部屋の隅、倒れかけたランプの下を指さしていた。
床から、植物の根のようなものが覗いている。表面は苔に覆われ、小さな棘がびっしりと生えていた。
「床下から生えてるのかな。魔物に近いにおいがする」
「床が脆くなって、木の隙間に種でも入り込んだのかもね」
「ん? それ、あれじゃねぇか?」
何かに気づいたネージュが、剣を鞘から抜く。
しゃがんで根を見ていた俺とアンジェの頭上から、剣先を勢いよく振り下ろした。ガッ、と床板が抉れ、根が真っ二つに割れる。
「ちょっとネージュ! やるなら先に言ってくれる!?」
「びっくりしたぁ……」
「これくらい避けられるだろ。何びびってんだ」
心臓を押さえていると、床下からめきめきと、何かが破裂するような音が響いた。
切断された根が床板を押し上げ、切り口から緑色の液体を垂らしている。
「ああ、やっぱりな」
「え、え? 何が?」
足元が大きく揺れた。
急いで盛り上がった床から飛び退く。割れた窓や穴の開いた壁から無数のツタが伸び、瞬く間に部屋中を這い回った。
テーブルにツタが絡みつき、大きな音を立てて崩していく。飛び散った木片がネージュ目がけて飛んでいったが、彼女は焦ることなく、わずかに首を傾けただけで避けてみせた。
ぽっかりと崩れ落ちた床から、黒ずんだ根が絡み合う球体が姿を現す。
うねる根は、血管のように脈打っている。意志もなく、ただ生きるためだけに蠢くその姿に、ぞっと背筋が冷えた。
「な、な、何これー!」
「ブライアーだな。生き物から栄養を吸う、植物型の魔物だ」
俊敏に襲いかかるツタを避けたアンジェは、天井に残されたシャンデリアの残骸を掴み、振り子のように身体を揺らしてツタを蹴り上げる。
ネージュは先ほどから一歩も動かず、片手だけで次々とツタを切り落としていた。
床を埋め尽くしていく光景に圧倒され、自分の足元へ忍び寄る一本を見落とす。
ぐっとふくらはぎを締めつけられた直後、視界が大きく揺らいだ。
重力に逆らって胃が浮き上がる。真っ逆さまに吊り上げられた身体が左右に揺さぶられ、胃液が逆流しそうになった。
「タカラ!」
「ひぇっ」
「クソガキども。お前らだけで何とかしろ」
「んえ!? これを!?」
「うぷっ……そうだった!」
今回の依頼条件を思い返す。
律儀にそれを守るネージュの姿勢には驚いたが、あれでもギルドの人間だ。
腰に下げていた短杖を取り出し、魔力を集める。
無意識に思い描いた武器は、使い慣れた短剣ではなかった。
緩やかに湾曲した刃。その姿から、不吉なものを連想させる武器。
「お、いいのあんじゃねぇか」
「でもちょっと怖いよ!!」
鎌を一振りすると、周囲のツタが刈り取られ、ばらばらと床へ落ちていった。長い柄は意外にも軽く、切れ味も申し分ない。
身体強化をかけたおかげで、吊り上げられた高さからでも軽やかに着地できた。それでも古びた床は、ぎしりと軋む悲鳴を上げる。
「鎌がちょうどよかったから……」
「まあ、農作業にはちょうどいいもんね」
向かってくるツタを迎え撃つように床を蹴り、身体を捻る。面白いほどあっさり切れる。それなのに、いくら刈っても数が減らない。
アンジェは壁を蹴って駆け回り、長い爪でツタを切り落としていく。刃物とは違い、その爪は乱雑な切り跡を残していた。引き裂かれたような傷口が、なんだか痛々しい。
ふと、その断面が盛り上がる。
直後、そこから新緑色のツタが伸び、鞭のように周囲を打ちつけた。
「再生するのね……」
「えーん、きりがない! 燃やしたいよぉ!」
一撃はそれほど強くない。それでも、圧倒的な数と再生能力のせいで、こちらが少しずつ追い詰められていく。
だが、これは魔物。どこかに弱点があるはず。
「植物系なら火……でも、ここで燃やしたら屋敷ごと焼けるな」
「心臓!! 心臓があるはず!!」
「ええ? 植物に心臓なんてあるの?」
「だけど生きてるじゃん! 心臓部っていうか、コアがあるはず!」
確かに、アンジェの言う通りだ。
植物に見えても、これは魔物だ。再生するための力が、どこかに集まっているはず。
ツタを避け、切り払いながら、根の塊へ目を凝らす。
あまり動かないそれは、ただ脈打つことを繰り返している。意識もなく鼓動だけを刻む生き物のようで、ひどく気味が悪い。
根の動きを止めたい。だが、炎は使えない。
それなら――。
ネージュの方を見ると、つまらなそうな顔で、お弁当用に忍ばせていたパンを食べていた。
それ、俺のだよね。
「ネージュが動くほどでもない相手、ってことですよね?」
「さあな。早くしろ。魔力切れになんぞ」
パンくずを口につけたまま、真横から襲ってきたツタを切り落とす。
「アンジェ! 根っこから離れて!」
「あいよ!!」
アンジェが軽やかな身のこなしでツタを踏み、空中を駆ける。
それを見届けて、根の塊を目指して床を蹴った。
行く手を阻もうと、無数のツタが俺の身体へ伸びてくる。しかし、背後へ回ったアンジェがそれを掴み、力任せに引きちぎった。
邪魔するものは、もうない。
鎌を大きく振りかぶり、冷気を思い描きながら柄へ魔力を流し込む。
指先から凍てつく空気が伝わり、湾曲した刃を白い氷が覆っていく。
勢いのまま振り下ろした瞬間、バキッと根が割れ、刃がその奥深くへ食い込んだ。
「うっ、ぐぅ……!」
柄を握る腕に力を込め、さらに魔力を送り込む。
周囲に冷気が漂い、鼻先が痛いほど冷えていく。伸びていたツタは徐々に動きを鈍らせ、やがて力なく項垂れた。
根は脈打つことをやめ、表面がぽろぽろと剝がれ落ちていく。
深く息を吐き、食い込んだ刃先へ意識を集中させた。
分厚い氷が中心から広がり、幾重にも絡み合った根を包み込む。最後には、根の塊そのものが巨大な氷の球体へと変わっていた。
「はぁ……はぁ……」
「小僧、魔力は?」
「使いすぎてない? 大丈夫?」
呼吸を整えながら、自分の内側に残る魔力を確かめる。
まだ余裕はある。
大丈夫だと伝えるように手のひらを見せると、二人は揃って小さく息を吐いた。もっとも、冷気に晒された手は青白くなっていたので、安心させるには向いていなかったかもしれない。
「まあ、これぐらいで駄目になるようなら、魔獣の餌にしてたな」
「すごいよ! 安定してきたね、動きも魔力も!」
「自分でも驚いてるよ。実戦のおかげかな」
「今更すぎるだろ。そもそも、初手で戸惑うような相手でもねぇ。自惚れんな」
膝を蹴られ、喜ぶ暇すら与えてもらえなかった。
ネージュは剣を握ったまま、氷漬けになった根を見下ろす。そして再び、剣を勢いよく振り下ろした。
鋭い破砕音とともに氷の球体が砕け、凍った根もろとも床へ飛び散る。
「最後に、ここまでやれ。減点するぞ」
「何の!?」
「点数つけられてたっけ?」
点数制度なんて初耳だ。




