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守銭奴女


「では、こちらにも御署名をお願い致します」


次いで出された書類に目を丸くする男とは違い、ストランド伯爵は差し出された用紙を手元に引き寄せると淀みなく署名を終える。


そして、深く息を吐いた。


「鉱石の売値を通常価格に引き戻すなんて、どうしてこんな…っ」


黙する伯爵の隣に座っている私、ライラ・ヒュランデルの婚約者…いやほんの先程まで婚約者であったフィン・ストランドが憤った様子で言った。


その怒りは私だけでなく何の反論も無く署名に同意した伯爵にも向けられているようで、私と伯爵を見比べるように視線を忙しなく彷徨わせている。


「当たり前でしょう。我が領地で採れた鉱石を他より安価でストランド家に提供するのは私と貴方の婚姻があっての事。破談になりそれが叶わないならこの契約も白紙に戻すのが道理です」


今は亡き父がストランド伯爵と取り決めたこの契約は私とストランド家の嫡男、フィンとの婚約を祝しての事だった。

恙なく婚約期間を過ごし、無事に婚姻が結ばれれば私はストランド家に嫁ぎ次期伯爵であるフィンの妻となる。爵位は侯爵である我がヒュランデル家の方が上なので滅多な事は無いだろうが、それでも娘が婚家で大切にしてもらえるようにと見返りは求めずストランド家に有益な契約となっていた。なんともお人好しな父らしい契約だ。


今は一時的に私が当主代理を務めているが嫁げばヒュランデル家は弟のヨエルが侯爵となる。まだ若く至らぬ所も多い弟なので両家の結び付きが重要となってくるだろうとストランド家には更なる便宜を図るつもりだったのだが、もうそんな必要は無くなってしまった。



「ヒュランデル家には色々と力を貸して貰ったというのに、こんな結果になり本当に申し訳ない」


「いいえ、謝らないで下さい」



納得がいかないのか不満を隠そうともしない息子とは対照的に沈痛な面持ちの伯爵に流石に気まずさを感じ視線を逸らす。



悪いのはフィンだ。

少しくらいは私にも悪いところがあったのかも知れないが、それでも不義の言い訳にはならない。

私が気に入らないなら話し合いで婚約を白紙に戻す事も出来ただろうに、フィンはそうしなかった。

私との婚約を続けたまま他の女性と親密な関係になり逢瀬を重ねていたのだ。




ユーリカ・エンロート。

エンロート男爵家の令嬢でフィンとは知人を介して夜会で知り合ったのだが、その場には私も同席していたから驚きだ。こういうのってもっと私の知らないところで知らない人とこっそりやるものじゃないの?


知人に婚約者の従妹が領地から王都に出て来たばかりだから良くしてやってくれと紹介され、そんな言葉を間に受けたのか何なのか悪びれもせず2人は本当に宜しくやっていたらしい。

馬鹿か、馬鹿なのか?


フィンの婚約者だと紹介されエンロート嬢は私とも挨拶を交わしたというのに、それでも2人きりで出掛けるなどそんなつもりじゃなかったなんて言い訳は通用しない。


私だって初心でもなければ鈍感でもない、2人が度々会っている事に薄々気付いてはいた。

けれど一時の気の迷いであれば大事にするべきでは無いと目をつぶっていたら、図々しくも許されたと思ったのか公の場にも連れ立って現れるようになったので呆れて物も言えない。

その派手な頭には綿でも詰まっているのかしら?



貴族の間でも噂が広がりいよいよ放ってはおけなくなったので仕方なく話し合いの場を設ければ、ストランド家とヒュランデル家での話し合いだと説明したにも関わらずエンロート嬢を伴ってやって来たフィンに愛想が尽きるのは一瞬だった。

本当に一瞬で何もかもが枯れ果てた。


私は今の今までこんな愚かな男と人生を共にするつもりだったのがと思うとゾッとしたし、結婚する前にこの男の浅はかさが分かって良かったと心底思った。



連れ立って来た2人に一体どういうつもりだと怒鳴る伯爵と、本当の愛とは何かを滔々と語るフィンと、ただただ泣いてばかりのエンロート嬢。


「泣かないでくれ、ユーリカ。僕らこれからはもうこそこそ隠れなくていいんだ」


いや全然隠れてませんでしたよね?

社交界でめちゃくちゃ噂になってますけど?


「父さん、僕が本当に幸せになれるのはユーリカの隣にいる時だけなんだ!どうか僕たちの事を認めてくれないか?」


貴方はエンロート嬢の隣で幸せかもしれませんが、父親はどう見ても幸せとは言い難い表情で俯いていますけど?


「僕はユーリカを…ユーリカだけを愛しているんだ…!」


「フィン…!」


下らない三文芝居を見せつけられうんざりする。

フィンと手を繋いだエンロート嬢の大きな瞳から止めどなく流れ続ける随分とお安い涙を眺めながらため息を禁じ得ない。

隣で怒りに震えている伯爵が見えないのだろうか。


きっとフィンにとっては初めての恋だったのだろう。幼い頃から親の決めた婚約者がいて将来は決まっている。今までは婚約者に誠実であろうと他の女性に手を出すような人でなかったからこそ遅い初恋にのぼせ上がっているのだ。



ひたすら2人の仲睦まじい姿を見せつけられ、これでは全く話にならないとその日は帰宅しすぐさま婚約破棄と契約書の改訂の準備をしたのは言うまでも無い。


愛だの恋だのいくら綺麗な言葉を並べたって、婚約者がいると分かっている男に手を出す女と、そんな女に軽々靡いた男でしかない。


その行動が自分や周りにどんな影響を及ぼすか想像もしない、そんな人間に私の人生に関わって欲しくないと思うのは当たり前だ。




そして後日2枚の書類に署名を求める為にストランド家を訪れたのだ。


エンロート嬢が隣に居ないせいか苛々と貧乏揺すりの止まらない息子を尻目に伯爵は慰謝料の支払いを申し出る。

こちらから請求する気は無かったがくれると言うなら拒む理由も無い。


「ご配慮痛み入ります」


深々と頭を下げて席を立つ。

本来ならこちらが頭を下げる必要など無いのだが何事にも謙虚な姿勢は必要だ。ここで私が傲慢な態度や過度な被害者アピールを見せれば後々おかしな噂を流されかねない。

たとえこの部屋には三人しか居なくとも、どこにでも目と耳はあるのだから。


もうここには用は無いので早急にお暇しようとドアノブに手を掛けたところで背後でもう我慢ならないとばかりに立ち上がる気配がした。



「君には、情というものが無いのか・・・・!」



フィンが私の背中に言葉を投げつける、とても乱暴に。

父親が自分を諌める声もきっと彼の耳には届いていない。


私とて鬼ではない、情くらい持ち合わせている。

一人の女として彼を愛していたかと問われると否と答えるしかないが、それでもこれから先の人生を共に歩んでいくパートナーとしての情はあった。


なるべく良い妻になろうと思っていたし、いずれは良き母にもなるつもりでいた。

夫となるフィンの為、ひいては婚家であるストランド家の為になる事をと思って行動していたしこれからもそうするつもりでいたのに。



「その情が無くなったから破談になったんでしょう。お分かり?」



不義理を働いたくせにまだ私から情を与えてもらえる立場だと思っていたのか。なんとも図々しい男。

そんな自分の図々しさに気付いていないフィンは私を憎らしげに睨みつけながら拳を握り締めている。



「この・・・守銭奴女め!」



悔し紛れに彼の口から放たれた一言は使い古された耳馴染みのある言葉で、今更何にも響かない。


守銭奴女。


私を評する際によく使われる言葉だ。


父を亡くし、当主代理として働き始めた私の目標は「父が遺してくれた物を何ひとつ欠ける事無く弟に引き継ぐ事」。


突然の父の死を悲しむ間も無く当主代理となり家族や領地を守るのに必死だった。

叔父に教えを乞い鉱山を運営し、父を亡くし気落ちした母に代わり家を切り盛りし、まだ頼りない弟に少しでも多くを残す為に無駄な出費を抑え新しく事業を始めたりもした。


その必死さがお金への執着と捉えられたのか、いつしか他人は私を守銭奴と揶揄するようになった。


跡を継ぐ弟の為に、遺された母の為に、死んだ父の為に。


その為に頑張る事の何がいけないのか。

他の誰に分かってもらえなくても貴方にだけは分かって欲しかったのに。



何も言葉を返さず部屋を出るとよく見知ったストランド家の執事長と護衛が気まずそうな表情で立っている。ドアノブに手を掛けた時にわざと少し扉を開けておいたので会話が聞こえていたのだろう。


少し離れたところで控えていたメイドたちにも聞こえるように言う。


「いつも手厚く迎えてくれた事、感謝しているわ。今までありがとう、どうか皆様もお元気で」


薄く笑みを浮かべれば皆が一様に深く頭を下げる。

将来は私もここで暮らすのだからとこの屋敷で働く者への礼節は欠かさないようにしていたので印象派悪くなかったはずだ。



恐らく近い将来この屋敷に嫁いでくるエンロート嬢の為人は知らないが、私に対し良くしてくれた彼らが無用な苦労をしなければいいと思うくらいには情はある。誰かさんと違って。



短く息を吐き、玄関へと向かう。


背筋を伸ばし、前を向いて。


恥じる事は何もない。



来た時よりもすっきりとした気持ちで私はストランド家を出た。





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