幸福な王子 3
疑心暗鬼になりながら、謎のNPCに言われるままに千鶴の元へ向かう梅吉だが……。
恐怖を覚える緑のジャングルを抜けてたどり着いた城のような屋敷。
室内は赤い絨毯、暖炉、シャンデリアの放つ光は淡いオレンジでまるで高級なホテルのロビーのようだった。
「こっちだよ」
傍らには相変わらずトラのルーシーを従えて副会長はまるで自分の家のように案内していく。
(――こいつも真崎の家の人間なのか?)
それともゲームのシステムを知っているハッカーだから建物の構造なんて分かっていて当たり前なんだろうか。
玄関ホールから吹き抜けの天井、その真ん中に伸びる大理石でできた大きな階段を上がり高そうな絵画が飾られた少し薄暗い廊下を抜け、重厚な木の扉の前、彼とトラはそこでぴたりと立ち止まった。
「ここだよ」
そう言って彼は金色のドアノブに手をかけてゆっくりと回し扉を開ける。
(白い――)
単純にそう思った。まるで雪景色のような真っ白な部屋。シンプルな色の筈なのにここまで真っ白だと逆に落ち着かないのは何故なのだろう。梅吉は身体を少し乗り出して室内を見渡す。ベットはもちろん壁や天井、二人掛けのソファーとそれに向かい合うように置かれた一人掛けのソファも白、ソファの間に置かれた猫足のテーブルも、照明も、洋服が入っているのだろうクローゼットやテレビまで、インテリアや家具、全てが白で統一された部屋。
その部屋の真ん中に置かれたキングサイズのベッドには、丁度、人一人ぐらいの膨らみがあった。
ふくらみの先、微かに見える髪の毛の黒と肌色だけが唯一の色。その事に梅吉は少しだけ安堵感を覚える。
あの膨らみの正体が千鶴だろうか?部屋に一歩踏み込んだ時だ。
「ルーシーいけ」
傍らから静かな声が響く。その声と共にトラがタッ――――と、走り出した。
「え?え?え?」
そして、トラの巨体が大きく弧を描いてジャンプする。それは獲物に飛び掛かる肉食獣そのものの動きだ。 着地点はきっとベッドの膨らみ。ぼふん――と、肉食獣はダイブし着地し、
「ふぎっ!」
瞬間にうめき声があがる。ベンガルトラの体重は約二百キロだとか確か聞いた事がある。これは現実ではないからそれで潰されて死ぬとか骨が折れるとかは無さそうだが、
「重い!どけ!ルーシ!内臓が、出る!」
苦しそうに手足をばたつかせそう喚いているの声は真崎千鶴その人のもので――。
(気の毒だ)
巨体に押し潰されもがくその様は余りに哀れだった。
「ルーシーもういい。中身が出られたら掃除の人が大変だ」
冷淡な声がそう命じればトラはすくりと立ち上がりベッドの下に降りる。その場に座り込みゆらゆらと大きく長いしっぽ世揺らす様はネコ科なのに躾けのよくできた犬のようだった。
「三郎!なんなんだお前!毎回毎回毎回毎回……僕を殺す気か!?」
いやいや、普通の人間ならきっと死んでるから、という突っ込みを梅吉はごくりと飲み込んだ。
千鶴はがばりと千起き上がり、目を吊り上げて大股でつかつかとコチラに歩いてくる。
「――と、おや?寝込みでも襲いに来たのかい?」
しかし途中で梅吉の存在に気が付くと態度をころりと代え途端に笑みを顔に貼り付けた。
(コイツがハッカー?なんかすごい馬鹿そうだけど)
やっぱり、この男より今横に居る謎の多いこの男の方がその可能性は高い気がする。
「お名前、三郎って言うんですか?」
とにかく情報収集をしようと梅吉は初めて意思を持って傍らの男に話しかけた。今、千鶴が口走った事で彼の名前が判明した。もしかしたら何かヒントがあるかもしれない。梅吉は自分の記憶の中で三郎と名の付くものはいたかどうか必死で探ってみる。
が、やはり心当たりがない。
「月見里くん。彼の名前聞いたらきっと笑ってしまうよ」
どうすべきだろうと、思案する梅吉に千鶴がニヤニヤと笑って言った。
するとさっきまで表情一つ変えなかった副会長こと三郎は明らかに嫌そうな顔をして眼鏡越しに鋭く千鶴を睨み付けている。
「どうやらまた気絶させられたいらしいな」
低く地響きのようにそう呟くと途端に千鶴の顔が氷ついた。
「な、まっ!だって、どうせいずれ知られることじゃないか!って言うか君自己紹介もしていないのかい?」
慌てて千鶴は後ずさると早口でそう捲し立てる。
一体彼の名前にどんな秘密があるのか、と梅吉はその横顔を見上げた。
「七松だ」
前を見据え、相変わらず千鶴を睨み付けたまま彼はぽつりと呟く。
(七松――)
七松三郎。
「あの、だから七三分けなんですか?」
反射で思わずそう聞いてしまってからそれが彼の地雷なのだと瞬時に理解した。
梅吉の言葉に三郎の眉がピクリとうごいたからだ。
(あ、まずい)
一体なんて言って謝罪しようか――と考える梅吉の耳に
「アッハハハハハハハハハ―――――ッ!!」
高らかな笑い声が飛び込んできた。それはベッドの上でゴロゴロと転がり足をバタバタさせている千鶴から発生しているようだ。
「それを言うのは君で百万回目だ」
くいっと眼鏡を直し、三郎はツカツカとそのまま前へと前進する。
「ハハハハハハッ!お腹!お腹痛いっ!」
これは駄目な予感がする。危ない気がする。主に千鶴の身の危険を梅吉は感じつつ勿論助ける気など起きなかった。
むしろここで彼を助けて自分までそれに巻き込まれたくはない。そして案の定、
「アハハハハッ――って、イタイ!イタイ!イタイ!」
笑い声は悲鳴に変わる。ベッドの上で千鶴は三郎にしっかりと横四方固めされていたのだ。
「雉も鳴かずば撃たれまい」
梅吉はそう呟いて合掌する事ぐらいしかできない。
一しきり千鶴は三郎に締め上げられ、その首は不自然に少し左に小首を傾げていた。
先程まで死ぬと千鶴は騒ぎ、三郎はこんな事では死なないと冷静に言い、その攻防が続いていたが、ようやく落ち着き自分を含め三人で彼の部屋にあった応接セットの白いソファに腰掛けていた。
今は、三人掛けのソファに梅吉と三郎、向かい側の一人掛けのソファに千鶴が座っている状態だ。
「で、何の用なのかな?」
小首を傾げたまま、千鶴はいつもの笑みを浮かべてそう問いかけてくる。
梅吉は心を少しでも落ち着かせようとメイドらしき人にさっき出された紅茶のティーカップに口を付ける。
(におい、強いな)
高級なお茶はこんなものなのだろうか。飲みなれた安いティーパックの紅茶ではないそれは梅吉には香りが強すぎるようだった。
一口飲み込みそのままでは飲みにくいので梅吉はたっぷりミルクを入れて紅色を白く濁らせる事にする。
すると、この真っ白な部屋で数少ない色の一つが白く染まってしまい少し残念な気分になった。
でも今はそんな事を気にしてる場合ではない。ミルクを入れ過ぎてすっかりぬるくなったそれを今度は二口ほど飲み込む。すると、ミルクのおかげで今度は香りはあまり気にならず飲むことができた。
ミルクのたっぷり入ったぬるめの紅茶が胃に落ちた瞬間、すこし気持ちが落ち着く。
そして、ふぅ――っと深呼吸をしてから、どう話を切り出したらいいのだろうかと考える。
「あの、昨日、千鶴先輩も休んだって聞いたので」
とりあいずそれだけを梅吉は千鶴に問いかけてみた。
だっていきなり「昨日自分のうちに来ましたか?」なんて聞けるはずもない。もし聞けたとして本当の事を言うかどうかなんて分からないのだ。
「休んでいない。委員会をサボっただけだ」
すかさず梅吉の言葉にそう返答したのは千鶴ではなく三郎だった。
「あっそうなんですか、具合が悪いのかと」
そう言えば、誰も「千鶴が休んだ」なんて言っていなかった。それに委員会は基本放課後にある。梅吉があの人物に遭遇したのは一体いつだっただろうと思考を巡らせる。
時計は見ていない。唯一覚えているのは風が強かった事ぐらいか――。
そう考えて梅吉は自分の考えの間違いに気がついた。
放課後、しかも生徒会自体が無かったなら誰でも梅吉の家に来た可能性が出て来てしまうのだ。それこそ周だって、本当は来ているのかもしれない。中身が人間なら梅吉に聞かれて嘘もつくだろう。
(まて、落ち着くんだ)
自分にそう言い聞かせながら梅吉は状況の整理をする。あの後、目覚めたのは十八時――母が帰宅して来た時だった。
眠ろうと目を閉じたのはたしか十五時ぐらいだった気がする。
十五時から十八時の三時間なら、確かに全ての人間に可能性がある――だが、梅吉が千鶴が一番怪しいと思う事にそれ以外の理由もあったはずだ。
(……そう)
そもそも自分は『用事ができた』と言って参加しなかった千鶴が怪しいと思ってここに来たのだ。その『用事』が何なのかが時間帯よりもそれは大事なのではないだろうか。もしそれが梅吉の家に来る事だったなら――そして彼の中身がハッカーなら梅吉が体調を崩している事ぐらい分かった筈で、
「千鶴先輩真面目そうなのに、サボるなんてするんですね」
しかしその真実をどう裏付ければいいのか分からない。遠回しに会話を詰めてはみるものの『君に会いに行ったんよ』なんて言う筈もない。
いや、千鶴のキャラが本当にこのままならそれも言いそうだが、
「君に会いに行ったんだよ」
そう、もしそんな風にあっさりと言ってくれたなら苦労はない。別にものすごく自分は頭が悪いわけではないがそんな頭脳プレイが出来る程頭がいいわけでも――…………?
「え?」
イ マ ナ ン テ ?
千鶴のセリフに梅吉の思考は完全に静止してしまう。
それから怒涛のように疑問ばかりが浮かび上がる。
じゃあ、やっぱりあの青年は千鶴だったのだろうか。
じゃあ、過去梅吉と千鶴は出会っていうるのだろうか。
千鶴は自分に何か恨みがあるのだろうか。
こんな仕打ちをするほど、下手をしたら死んでしまうかもしれないのに、死んでも構わない殺してしまいたいと思う程の恨みが。
もしあるならそれは何なのか。
そんな風に恨んでいるなら何故あの時、優しく自分を励ましてくれたのか。
目的は一体――。
こんなにあっさりと薄情されて、逆に疑問ばかりが浮かぶ一体何の為に、そしてどうして?もしかして、
(罠?)
俯くとミルクを入れ過ぎて白く濁った紅茶に自分の顔が写っていた。
信じられないと、物凄く怯えた顔をしている。
顔を上げ、正面を見れば千鶴が不敵な笑みを浮かべていて、
(こいつが!?)
嘘だろう?と思いながら助けを求めるように横を見るが三郎は背筋を伸ばし、前を見据えたままその言葉に何の反応も示さない。まるで、聞こえてないような――。
もし千鶴がハッカーならNPCに聞こえないように梅吉だけにその言葉を聞かせる事も可能なのではないだろうか。
危機感を感じ梅吉は勢いよく立ち上がった。
ここから逃げないといけない。そう思ったからだ。
けれど、
「待ちたまえ」
そう力強く腕を掴まれる。掴んだのは三郎だ。
「まだ話は全て終わっていない」
その行動に、もしかして彼も……そう思って梅吉は一気に血の気が引いた。そうだ、いつからハッカーが一人だと思い込んでいたのだろう。複数犯の可能性だってあったのに。
自分の読みの浅さを今反省した所でどうにもならない。
花見の時のように助けてくれる誰かは今はいないのだ。
(どうしよう)
今はただ、その言葉しか浮かばなかった。




