19 跡継ぎ問題と烏
「ニレ、おまえ女帝陛下からの申し出を断ったって本当なのか?」
夕刻、色とりどりのポピーがカンテラに照らされる庭の四阿で、長兄アイザックに問いかけられたニレは首を傾げた。
「何かまずかった?」
「そりゃおまえ、フィノーイの跡継ぎにと望まれて普通、断る馬鹿があるか?!」
「はぁ、馬鹿で申し訳ございませんね」
フィノーイの女帝に表向き子はいないことになっているが、実はかつての婚約者グレートフとの間に男子がひとりいることは公然の秘密であり、そのひとり娘、つまり女帝にとって唯一の孫がニレである。
女帝とグレートフは和解したが、この年になって今さら皇配と離縁してグレートフと再婚するというのは、諸外国の手前もあるので、とどちらも乗り気にはならなかった。
いずれにしても女帝デメティも齢五十を超えて、今から子を持つわずかな見込みに賭けるわけにもいかない。
となれば、女帝の実子ディミーロを認知して後継に据えるか、となるわけだが、当のディミーロは頑なに拒否した。
これには、女帝の側近たちも大いに慌てたようだ。
そもそも側近たちは、女帝のグレートフへの憤りが引いてきたタイミングで、ディミーロを後継に推挙する算段でいたのである。
当てが外れた側近たちの目は、次は当然ニレへと向かう。
後を継いでくれないかと懇願されて、にべもなく断った彼女に、いい歳をしたフィノーイ帝国重臣の皆様は、ほとほと困り果てた様子であった。
結局、ディミーロを女帝の実子と認知はするが、ディミーロ自身を後継には指名せず、ただし、女帝のお声がかりで彼とエテンシアを正式に娶せ、これから生まれるかもしれない子に望みをかけることとなった。
それまでの間は、神殿へ上がっていたデメティの妹が、一時的に還俗して皇太子代理を務めるそうである。
「あの大国フィノーイの女帝になれるだなんて、そんな栄誉なことを、なんで断ったんだ?」
「じゃ聞くけどね、私がフィノーイの皇太女になったら、アイザック兄さんとはもう赤の他人になるわけで、」
「あ、ああ、まぁ…そうだな、」
「百貨店の売上に貢献することもできなくなるし、」
「ゔ、ゔぅ、」
「それに、ここのところ平和が続いているけど、百年以上前には戦争もあったわけで、いつなんどきまた、きな臭いことになるか分からないでしょ?はい、ここで問題です。戦争に負けた国家元首はどうなるでしょうか?」
もはやぐうの音も出なくなったアイザックが、恨めしげにニレを見た。
「アイザック兄さん、諦めなよ。今までに一度だって、ニレに口で勝てたためしがないじゃないか」
四阿のテーブルに頬杖をついたジョシュアが、呆れたように長兄を見る。
「僕だって、ニレが敵国に捕まって処刑でもされたら嫌だしさ。なんだかんだで庶民が一番自由でいいよ、」
「ニレ〜!!ちょっと聞いておくれよ!」
がさがさ音がしたと思えば、茂みから出てきたのは父親のディミーロだった。
「お父さん、どうしたの?」
「このところ、僕が話しかけてもロムが無視するんだ!昨日も今日もだよ!」
ロムは霊鳥なので、普通の鳥とは異なり、人の言葉をおおむね理解している様子は見受けられるが、ロム自身が人語を話すわけではない。
ただ、人語を真似する鳥類もいることから、このところニレはロムに人語を発声させるのに夢中になっており、ようやくニレの名らしき音を発声できるようになってきたところだった。
ディミーロは、ロムとは古くからの付き合いだというのに、自分より娘が先に名を呼ばれたと言ってしばらく落ち込んでいた。
とは言え、ディミーロの名を呼ぶわけでなくとも、話しかけられれば頷いたり、「キョッ」という独特の鳴き声で答えたりしており、両者の長年にわたる信頼関係を思えば、無視されるというのはおかしな話だ。
「お父さん、ロムは今どこに?」
「エテンシアの部屋の窓際にいるよ」
ディミーロはエスター家に滞在する時、エテンシアの部屋を間借りしている。
エテンシア自身がエスター家の間借り人なので、間借りの間借りということになるが。
ロムは基本的にディミーロについて移動するので、ディミーロがエスター家にいるときはロムも近くにいるのだが、たいていはニレかエテンシアの部屋におり、窓台で日光浴をしながらうとうとしている。
ニレが母の部屋に入ると、ロムは父の証言に違わず窓辺にいた。
部屋の主は不在である。
にわかファッションショー以来、エテンシアは百貨店の店員から大人気で、新作ドレスやらスーツやらをまとって、売り込みをしているらしい。
たまにエテンシア目当ての不埒な客も来るので、社長のダヴィッドが警備員を増やしたと聞いた。
なお、その流れでニレから無邪気に「お父さんは仕事ないの?」と聞かれたディミーロがショックを受けて、ベンじいさんに弟子入りした。
実は貿易業を営むディミーロだが、会社はフィノーイにあるため、手っ取り早く働いている姿を娘に見せる方法を選んだと見える。
ニレが窓辺へ近づくと、布を敷き詰めた籠にぴったりと収まったロムが首を上げた。
親指の腹で頭を撫でると、目を細めている。
眠そうではあるが、機嫌は悪くなさそうだ。
そこへ、黒っぽい鳥影が空に現れたかと思うと、見る見る間にこちらへ近づき、窓の外枠に降り立った。
ロムが甘えるように、親しみのこもった小さな声を上げる。
どうやら知り合いらしい。
ロムより一回り大きく、全身の羽毛は燻し銀を思わせる暗めの銀色だ。
「わぉ、かっこいい!」
ニレが窓を開けつつ感嘆すると、燻し銀の鳥は羽を広げてニヒルに片目を瞑って見せた。
どうやらこやつも普通の鳥ではないらしい、とニレは心の中でつぶやいた。
その時、ロムがおもむろに立ち上がった。
「えっ、」
ニレは絶句した。
ロムのふかふかな腹毛の下に、昼から夜に移り変わる空をそのまま映し出したかのような、薄藍とラベンダーのマーブルに染まった卵が三つ、眠っていた。
ロムが籠から出ると、燻し銀の鳥が代わって卵の上に座った。
つまりこれは、
「番ってことなのね」
ニレの独り言に、ロムが誇らしそうに「キョッ」と鳴いた。
「いつ産んだの?昨日?え、今朝?」
ロムははっきりした言葉を話せるわけではないが、ニレが辛抱強くコミュニケーションを試みた成果か、最近ではある程度の意思疎通ができるようになってきていた。
「番さん、お名前はあるの?」
「トクゾウ」
「ん?」
答えが返ると予想していなかったニレは、出鼻を挫かれて戸惑った。
「ごめん、もう一度聞くね。お名前は?」
「トクゾウ」
しばし考えてから、質問を変えてみることにする。
「ご出身は?」
「ワモン」
ワモンとは、とある島国の名である。
なるほど、ちゃんと質問を理解した上で答えているようだ。
「ワモン出身のトクゾウさんですね?」
「イカニモ」
「種族をお聞きしても?」
「シンシ、ノ、カラス」
「?」
いまいち意味を理解できなかったニレだが、いくつかの質問を重ねることにより、トクゾウの言いたかったことを理解した。
神使の烏。
「い、一大事〜!!!」
ニレはとるものもとりあえず、次兄のところへすっ飛んで行った。




