1 北天の一等星とおしゃべりな星々
よく晴れた春の夜のことだった。
おばばタミが鬼籍に入ったその日、小さな家の窓を開けて、ニレは夜空を眺めていた。
死んだら自然へ還るだけだよ、とタミが言ったから、ニレは泣いてはいなかった。
ただ、ほんの少しばかり淋しいだけだ。
タミは、ユマの一族では最後のひとりとなる星の巫女だった。
あるいはもうこの大陸、いや世界中のどこを探しても、星の声に耳を傾ける人はいなくなってしまったのかもしれない。
大自然と寄り添い、その恵みに頭を下げて生きてきたこの土地の人々は、星々がしきりに騒めいたその翌朝、海を渡ってやってきた人々と遭遇する。
東から到来した人々は、中央大陸から来たのだと言い、土着の人々が『星降る大地』と呼ぶこの広大な土地を『新大陸』と呼んだ。
中央大陸の人々は、新大陸を発見し、大量の移民を送り込み、開拓していった。
時に反抗する部族もいたが、最新式の武器と数の力の前には無力であった。
やがて、白い肌をした中央大陸の人々は、褐色の肌をした土着の人々と入り混じり、土着の部族のほとんどは吸収されるように血を薄れさせ、消えていった。
いま純粋な血をわずかでも残しているのは、戦わない掟をもって、移民の人々と物資のやりとりなどしながら森の奥で細々と暮らしてきたユマの一族くらいなものだろう。
そのユマ族ですら、年々集落の規模が小さくなりつつあり、とうとう最後の巫女まで失ってしまった。
タミのあとには、巫女の素養を持つ者が生まれなかったのだ。
ニレは元はと言えば移民の子であり、ユマ族の血を引いてはいない。
十二年前のある晩、白い肌の移民らしき女性がタミの家の戸を叩いた。
落ち着かない様子で辺りを気にしながら、女性はタミの知らない国の言葉で早口に何をか訴えると、腕に抱いた乳飲み子を差し出したという。
すでに星の知らせを受けていたタミは何も言わず、ただ女性を安心させるようにひとつ頷いて、赤子を抱きとった。
子どもは柔らかいおくるみに、深い愛情を感じさせる丁寧さで包まれていた。
タミは、女性に同業者の匂いを嗅ぎ取っていた。
系統は違ったとしても、先読みやまじないを生業とする者は、同じ生業の者にはなんとはなしに気づくものだ。
女性もまた、それと知ってタミに預けることにしたのかもしれない。
女性はほんの数秒、赤子にひたと吸い付くような眼差しを向けたのち、自らを引き剥がすように身を翻し、そのまま振り向くことなく足早に立ち去った。
タミは赤子に、北天に輝く一等星の古い呼び名を与えた。
母親だけでなく、赤子にもまた、先読みの素養を感じ取っていたからだ。
タミは養い子であるニレに、星の声を聴くコツを丁寧に教えてくれた。
けれどニレは、いつまで経っても星の声を聴けるようにはならなかった。
争いを好まないユマの人々は、明らかに移民とわかる外見のニレを部族の一員として受け入れてくれていたし、巫女の才能を開花できないままの彼女を責めることはなかった。
しかし、星の巫女の後継が育たないことを、当然残念がってはいただろう。
おまえの星は輝きが強すぎるから、他の星の声をかき消してしまうのさ、とタミは慰めてくれた。
心配することはない、いつか聞こえる日が来ると。
ユマ族において北天の一等星は、沈黙の星という別名を持つ。
おしゃべりな他の星々とは異なり、北の空に燦然と輝きながらも、黙したまま何も語らないのだ。
その名に相応しい天命をもって生まれたのだから、胸を張って生きよと、タミは笑っていた。
タミのいなくなったその夜、見上げた北天の一等星は、輝きが褪せたかのようにその姿をくすませていた。
ふと、どこからかしゃらしゃらと貝殻を揺らすような音が聞こえてきていることに気づく。
耳を澄ますうちに、ひそやかな音の連なりが言葉として意味を成し始めた。
《来るよ、来るよ、新しい波が来るよ》
《北天のぬしの子、やっと声が届いたね》
《星の軌道が、変わるよ》
《にぎやかな所へ、行くよ》
《迎えが、来るよ》
ニレは目を見開いた。
後れ毛をさらうそよ風に混じって、ほれ見たことか、と言いたげなタミの笑い声が聞こえたような気がした。




