第4話:大学の新歓と、背後に迫る黒髪の影
午前中のオリエンテーションが終わり昼前になると、キャンパス内はお祭り騒ぎのような熱気に包まれていた。
あちこちから飛び交う大きな声。カラフルな立て看板。
「テニスサークルでーす!」
「軽音部新歓ライブやってるよ!」
「そこの君、一緒にボランティアやらない?」
右を向いても左を向いても先輩らしき人たちがチラシを配りまくっている。
「うわぁ……これが大学の新歓……!」
圧倒されつつも、私は両手に抱えた大量のチラシを見つめて、小さく胸を躍らせていた。
朝、駅のホームで美空に強烈な『恋人繋ぎ』をされた時はどうなることかと思ったけれど、いざ大学に来てみれば、そこには私の知らない、新しくて広い世界が広がっていた。
(うん、やっぱり私は間違ってない。東京で、まっとうで健全な青春をやり直すんだ!)
美空への未練をスパッと断ち切り、素敵な出会いを見つけるために、まずは楽しそうなサークルを探そう。そう意気込んで歩き出した、その時だった。
「ねえねえ、そこの一年生。サークルもう決まった?」
不意に、横からひょいと顔を覗かせたのは、茶髪にピアスを開けたお洒落な先輩――いかにも『都会の大学生』という風貌の男子学生だった。
「あ、いえ。まだ全然決まってなくて……」
「マジ? じゃあさ、うちのアカペラサークル見に来ない? 今日この後、新歓コンパっていうか、みんなでファミレス行って交流会的なことをんだけどさ。君、めっちゃ可愛いし、絶対みんな大歓迎するよ」
可愛い、とストレートに褒められ、私はとっさに耳が熱くなるのを感じた。地元ではそんな風に声をかけられることなんてなかったから、どうにも免疫がない。
「えっと、でも、私、歌はそんなに得意じゃ……」
「大丈夫だって! 雰囲気だけでも楽しんでよ。あ、そうだ。とりあえずLINE交換しとこ? 予定決まったら送るからさ」
先輩はポケットからスマートフォンを取り出し、慣れた手つきでQRコードの画面を表示させた。
「あ、ええと……LINE、ですか……」
断るタイミングを完全に失ってしまった。
正直、少し強引だし、そこまで興味があるわけでもない。けれど、せっかく勇気を出して声をかけてくれた先輩に、初日から「嫌です」と撥ね退ける度胸は、地方公立高校出身の私には備わっていなかった。
どうしよう。やっぱり適当な言い訳を作って逃げるべきか。私が困り果て、おずおずとバッグからスマホを取り出そうとした、その瞬間――。
スッ、と。私の背後に、濃密な『影』が差した。
まるで、真夏に突然そこだけ凍てつくような、圧倒的な寒気を孕んだ気配。
「――彼女、困っています。そのスマートフォンをしまっていただけますか」
低く、けれどよく通る、冷徹極まりない声がキャンパスの喧騒を割って響いた。
「え……?」
先輩の動きがピタリと止まる。
私が驚いて振り返ると、そこには、信じられない人物が立っていた。
サラサラの黒髪を春風に揺らし、周囲の目を一瞬で釘付けにするほどの美貌。法学部の教科書が入っているらしいトートバッグを肩にかけた美空が、一分の隙もない『氷の美女』の佇まいでそこに佇んでいた。
「み、美空……!? なんでここに……」
美空は私には答えず、ただ目の前の茶髪の先輩を、ゴミを見るかのような冷ややかな一瞥で射抜いた。その目は「これ以上、私のものに触るな」と無言で威嚇している猛獣のようで、見ているこちらまで背筋が凍りそうになる。
「あ、いや、俺はただ新歓の勧誘を……」
都会慣れしていそうな先輩が、美空の放つ異様なプレッシャーに圧されて一歩後ずさりした。
「勧誘は自由ですが、無理な連絡先の要求は迷惑行為です。これ以上つきまとうなら、学生課に通報します」
「あ、そ、そう。じゃあ、俺はこれで……!」
先輩は完全に気圧され、慌てふためきながら人混みの向こうへと逃げ去っていった。
それを見届けた美空は、ようやく私の方を向くと、さっきまでの冷酷な表情が嘘のように、ふにゃりと眉を下げた。
「……危なかった。変な男に騙されるところだったね、楓」
「いや、危なくはなかったと思うけど……って、そんなことより!」
私は美空の両肩を掴んで、声をひそめながら問い詰めた。
「なんで美空が私の大学にいるのよ!? あんたの大学、ここから電車で二十分は離れてるでしょ!? オリエンテーションは!?」
「私のところは午前中の早い時間に終わったから」
美空は当然のように言い、私の手をぎゅっと握り締めた。朝の駅と同じ、恋人繋ぎだ。そのまま、キャンパスの出口に向かってスタスタと歩き始める。
「ちょっと、美空! 引っ張らないで! っていうか、なんで私がここにいるって分かったのよ!」
そもそもが別々の大学なのだ。連絡だって取り合っていなかった。それなのに、美空は迷いなくこの広いキャンパスで、ピンポイントに私を見つけ出した。
美空は歩みを止めず、前を向いたまま淡々と答える。
「楓が今朝、インスタのストーリーに『これから新歓回る!』って、キャンパスの時計塔の写真を上げていたから。背景の建物の位置から、大体の現在地を割り出した。……あと」
「あと……?」
「楓のスマートフォン、位置情報共有アプリが入ってるでしょ。高校の時、お互い迷子にならないようにって入れたやつ」
「……あ」
忘れていた。高校時代、一緒に出かける時に「はぐれたら困るから」と美空に言われて入れたアプリだ。上京してバタバタしていて、アンインストールするのを完全に忘れていた。
「まさか、あれで私を追跡したの……?」
「追跡なんて人聞きの悪いことはしてない。現在地を確認して、会いに来ただけ。……お昼を一緒に食べようと思って」
美空は事も無げに言うけれど、やっていることは完全にストーカー一歩手前だ。けれど、そんな風に私を必死に追いかけてきた理由が『お昼を一緒に食べるため』だなんて言われたら、怒るに怒れなくなってしまう。
結局、私は美空に連れられるがまま、大学の近くにあるお洒落な地下のカフェへと入ることになった。
――
注文したのは、期間限定の苺のパフェ。運ばれてきた華やかなデザートを前に、美空は嬉しそうに目を細めている。
「美味しい」
スプーンで生クリームをすくい、上品に口へ運ぶ美空。その仕草は相変わらず綺麗で、さっきキャンパスで男の人を睨みつけていた人と同一人物だとは思えない。
「……もう、本当に心臓に悪いからね。急に現れるの」
私は自分のパフェを食べながら、小さく溜息をついた。
「楓が隙だらけなのがいけない。東京の男の人はみんな野蛮なんだから、私が守ってあげないと」
「私はもう子供じゃないの。それに、ルールその二を忘れたの? 『お互いの私生活には干渉しない』って決めたじゃない」
私が少し拗ねたようにルーズリーフの掟を持ち出すと、美空はパフェを食べる手を止めた。
そして、自分のスプーンで苺とバニラアイスを器用にすくい上げると、それを私の目の前にすっと差し出してきた。
「はい、楓」
「え……?」
「あーん」
「は、はぁ!?」
私は思わず椅子の上で飛び上がりそうになった。
カフェの店内には、他にもたくさんの大学生やカップルがいる。そんな中で、元カノからスプーンを差し出されて「あーん」を要求されているのだ。
「な、何言ってるのよ! 自分で食べられるからいい!」
「ダメ。私のパフェの苺、こっちの方が大きいから、楓にあげる。ほら、あーん」
美空は全く引く気配がない。まっすぐな瞳で私を見つめ、スプーンをさらに数センチ近付けてくる。この女、私が折れるまで絶対にこの姿勢を崩さない構えだ。
周りの視線が、なんとなく私たちの席に集まっているような気がして、私は恥ずかしさのあまり破裂しそうだった。
「も、もう……一回だけだからね!」
観念して、私は目をぎゅっと瞑り、小さく口を開けて美空のスプーンを迎え入れた。口の中に、苺の甘酸っぱさと、ひんやりとしたバニラの甘みが広がる。
「……ん、美味しい」
「よかった」
目を開けると、美空は本当に、世界で一番幸せそうな、優しくて甘い笑みを浮かべていた。高校時代、私が彼女のわがままを聞いてあげた時に、いつも見せてくれた大好きな笑顔。
「……ねえ、楓」
美空は自分のスプーンを愛おしそうに見つめながら、ぽつりと呟いた。
「やっぱり、女の子同士のルームシェアって気楽でいいね。友達だから、こういうことも、恥ずかしがらずに普通にできるし」
「う……」
まただ。女の子同士の友達だから、普通。美空が紡ぐその言葉は、私と彼女の境界線を、いとも簡単に、そして残酷なほどに狂わせていく。
ただの友達は、大学の先輩男子を警戒して追跡してきたりしない。ただの友達は、こんなに愛おしそうな目で「あーん」なんてしてこない。
分かっているのに。これは美空の都合のいい言い訳だと分かっているのに、私の心臓は、さっきから壊れた鐘のように激しく脈打ち続けていた。




