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第2話・謁見

『おかえりなさい、純一さん』


 新婚生活。仕事から疲れて帰って来た俺の心を、わざわざ玄関まで出迎えてくれた嫁の笑顔が甘やかに癒す。身体のどこも触られていないのに胸を撫でられるような安心感がそこにあった。


『お風呂にする? ご飯にする? それとも、わ、た、し?』


 そんな冗談を言いながら、俺の仕事用の鞄を受け取ろうとする。夜職を辞めても、しばらくは接待の癖が抜けないようで、俺は柔らかく手のひらで制し、その接待を遠慮する。


 とはいえ、こういう接待が出来るから古き良き嫁であるかと言えば、そうでもない。大切な事を確認しなければ、質問にも冗談にも答えられない。


『是非とも美智子さんを選びたいところだけど、因みに、美智子さんを選んだ後はすぐにご飯にありつけるのかな』


 その確認に、嫁は舌を出した悪戯な表情でこう答える。


『砂糖と塩を間違えた塩から揚げで良ければありますよ』


 おっちょこちょいなのだ、彼女は。


 でも、だからこそ愛おしかった。


『あっはっは! 砂糖から揚げって事!?』


『新メニューです! 不味すぎて面白かったので一応捨てずに残してあります! 一生忘れられない味になりますよ!』


『試すと思ったの!? 捨てて捨てて!』


『そこをなんとか! ほんとに、純一さんと共有したい味なんです!』


『えー……、よし、わかった、おひとつ頂こう』


 本当に一生忘れられない味になってしまった。


 そんな記憶が蘇るほど、目の前に居る少女の顔は、記憶の中の女性に似ていた。


 それでもやはり細かい所は違うし、年齢も若返っているから他人なのだが、どうしても、どこか期待してしまう。俺が前とは異なる身体をもって召喚されたのなら、嫁が若返ってこの世界に居るという事も、もしかしたらあり得るのではないかと、そんな、落ちてくる刃物を手で掴もうとするような、愚かな願いを抱いてしまう。


「やりましたな、勇者様」


 群衆の中から、2人の老人が出て来た。1人は長い白髪と、温和そうな笑みを仮面のように張り付けた老人。もう1人は、経験の深さをそのまま皺にしたような、深い皺だらけの威厳ある老人だ。威厳を放つ老人の頭には冠が乗っている。羽織るマントも所々に宝石がはめ込まれており、身分が高い人物、というより、王様の類なのだと、脳が勝手に判断する。


 さきほど勇者に声を掛けたのは白髪の老人だったようだ。さっきと同じ声で、白髪の老人はこう続ける。


「私の知識の中において、召喚時にこのような反応をする、このような姿の悪魔は存在しません。勇者様の恩恵の通り、思い描いたオリジナルの悪魔を生成し召喚する事に成功したのでしょう。これは素晴らしい事です。国王、この勇者様と悪魔は、人類を救いますぞ」


 早口で語る様から、興奮している事がはっきりと伺える。口ぶりからして敬意を示しているような発言ではあるが、どこか下卑た、実験対象を見る科学者のような如何わしい表情も見え隠れしていた。


 皺の深い老人が咎めるような口調で言う。


「この悪魔が安全である証拠がどこにある。国民の安全もあるのだ、しばらくは城内で監視する必要があるだろう」


 確かにその意見は最もだ。常識的な提案だと俺も思う。ただ1点、本人達の目の前で言うという配慮の無さに、羽虫が顔に当たって鼻の中に入ったような気がするあの時のような、微妙な不快感が鼻につく。


 せっかく悪魔になったというのなら、悪魔らしい事でも言ってやろうか、と思い口を開きかけたところで、先に口を開いたのは勇者のほうだった。


「城内で監視っていうことは、戦うまでも無く衣食住が出てくるって事でオッケー!?」


 口元でピースをしたのかと思ったら親指も立っているのでピースでは無い。あれはなんだろう、この世界バージョンのピースだろうか。


「それは当然だ。死なれても困るからな。だが、悪魔が危険と判断されれば悪魔を処分し、悪魔を制御できないと判断されれば勇者も追放とする」


 テンションの高い勇者と違い、努めて淡々と冷徹に告げる国王。しかし、勇者はめげるどころか国王に近付き、耳打ちするような仕草で、しかし全員に聞こえるように普通に喋る。


「そんなに高いリスクがあるならー、出てくる食事は美味しいものがいいなぁ。悪魔ちゃんだってもしかしたら、美味しいご飯で胃袋掴めるかもしれないよ!」


 普通に喋り過ぎである。もうちょっとこう、敬語とかなんか無いのだろうか。


 だがしかし、国王は少し考える。怒っているのではなく、納得している様子だ。そして実際、俺も関心した。今の一通りの流れ。誰1人として悪役にせず、ポジティブな表現のみで交渉を成立させた。短い交渉なので判断するのは早計だが、年齢の割には、上手い。


 今は黙っているのが吉だと理解しているのだが、どうしてかハラワタが煮えくり返っている。言わないでいる事を我慢出来ない。


「国王よ。この場において不敬と存じますが、悪魔たる私にも、発言権を頂けますか?」


 俺がそう言うと、国王は警戒に眉を(しか)めさせ、白髪の老人は目を剥いて驚き、勇者は両手で口元を覆って嬉しそうにしていた。


 国王は数秒ほど考えた後に続きを促すようにこう言う。


「良い。申せ」


 簡潔な上から目線。これには腹が立たないのは、多分、俺に向けられたものだからだ。俺が下に見られる事は構わない。社会人生活で慣れている。だが、彼女の扱いが雑な事に納得が出来ない。


「何故、勇者に対してそのような高圧的な態度を取られるのでしょうか。私は悪魔ゆえに人間の文化には疎いのですが、そういう敵対的な態度は、敵では無い者も敵に回してしまうこともあります。勇者や悪魔の力を活用したいならば、もう少し、勇者への接し方を改めて頂けないでしょうか」


 その言葉を聞き終えると同時に、国王の顔が見る見る赤くなっていく。怒ってしまったようだ。当然だ。怒らせたのだから。


「――さもなくば、処分を待たず、今ここで私が死にましょう」


「え」と白髪の老人。「はへ」と勇者。「なぁ!」と国王。


 そして、「えぇえええええええええ!」と大合唱する群衆。


 それもそのはず。これほどのオーディエンスをもってして行われた召喚実験。それなりの期待値があったはずだ。その成果物が自決すると言えば、交渉カードにはなりうると判断した。


 これは、この命がとうに惜しくないから出来た提案だ。別に、本当に死んでも惜しくなかった。


 勇者が、当たり前のような口調で、こう言うまでは。


「あ、この悪魔が死んだら私も普通に死ぬから。よろ」


 と。


 感情としては複雑だった。愛する嫁と同じ顔の、しかし嫁より10歳ほど若い少女が、俺が死んだら自分も死ぬと言い放ったのだ。欺瞞であっても、どこか満たされてしまう。行方不明になった嫁を探す数か月で枯渇していた、美智子に会いたいという渇望が、どうしようもなく歓喜してしまう。


 しかもこのちょっと頭が悪そうな喋り方まで似ているのだ。頭がおかしくなりそうだ。


 冷静になれ、頭を冷やせ、と、自分自身に言い聞かせるため、深呼吸して脳みそに冷たい風を送る。


 そして、勇者に続いて、こう言い加える。


「この勇者になにかありましたら、私もただでは死にませんので、その辺りは何卒、ご理解・ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます」


 と。


 だが、ここに来て白髪の老人が慌ただしく動いた。


「ご安心くだされ皆さま方、敵対などする必要はございません。勇者様と悪魔様には最大限の歓迎をご用意しております。ああ、ところで勇者様、こちらの悪魔様のお名前はなんとお呼びすれば良いでしょうか」


 巧妙でもなんでもない、雑な手法だが、話を逸らした白髪の老人。今の話が継続する事は俺も望まないので、俺も話題の変更に乗る意思を示す。


「お好きなようにお呼びください、勇者よ」


 その提案には理由があった。嫁にそっくりなこの顔に本名で呼ばれたら、多分俺は遠からず気が狂うためだ。だから、違う呼び方で呼んで欲しかった。違う呼び名ならなんでも良かった。


 だというのに、勇者は満面の笑みでこう言った。


「ならピッピね!」


「お好きなように、にも限度がありますよ?」


 え、俺、これからピッピって名前になっちゃうの? と思うと、流石に前言撤回である。


 だが、俺の前言撤回など意にも介さず、勇者は言う。


「だめでーす、自分の発言には責任持ってくださーい。あなたは今日からピッピ。これ、決定だからね」


 馬鹿らしい話だ。馬鹿らしい話し方だ。馬鹿らしい提案だ。その馬鹿らしさが、俺の喉を締める。喉元の頸動脈が脈打っている。キャバ嬢時代の嫁のノリと、あまりにも一緒だった。


「承知いたしました」


 俺は引き下がり、そう答える。そう答える変わりに、質問する。


「なら、私は勇者をどのようにお呼びすればよろしいでしょうか。お名前を聞いてもよろしいですか?」


 まだ微かに期待していた。心のどこかで、この問いに対して『梶山美智子(かじやまみちこ)』あるいは『田宮美智子(たみやみちこ)』と答えてくれるのでは無いかと、それか『神谷美路(かみやみち)』でも良い。嫁の名前が出てきたら――という淡い期待を、抱いていた。


 勇者は誇らしげに自分の名前を名乗った。


「ティファ・ハートアンダーブレード! ティファって覚えてね!」


 と。


 恥ずかしいほど全然違った。

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