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第1話・異世界召喚

「すみませんが、うちではこれ以上の捜索は出来ません」


 スーツを着た、細身だが渋さのある長髪の男にそう告げられ、喉に真綿を詰められたみたいな不快感と息苦しさが込み上げた。


「……そうですか。わかりました」


 諸々の手続きと支払いを済ませて、その事務所を出た。笠井探偵事務所と書かれた看板が、夜の闇の中、雨粒と共にライトアップされている。その明るさが俺の焦燥を馬鹿にしているような気がして、蹴り飛ばしたいという衝動が込み上げる。でも、そんな事をしても彼女は見つからない。唇を噛んで、その痛みで、耐えがたい不快感を上塗りする。そして、傘を差し、夜の道へと歩を進める。


 嫁が失踪して、数か月が経過した。


 俺の人生は、あまり良い人生とは言えない人生だったと思う。年齢=彼女居ない歴だった俺にはあまりにも勿体ない美人な嫁と結ばれて、これから幸せになっていくし、幸せにしていくんだと思っていた。子供が出来た時のための貯金も、順調に貯まっていた。そんな時、唐突に、嫁が消えた。


 自分の実家、嫁の実家、親戚、友人関係全ての力を借りて、残っていた有給も全て使って、警察と一緒に捜索活動に当たったが、少しの足取りすら掴めなかった。しばらく休職して、貯金を崩して生活費にして、捜索活動を続けた。それでも、嫁が見つかる事は無かった。


 本当は、嫌だったのだろうか。


 そんな嫌な考えが脳裏を過ぎる。


 そしてそれは、あり得ない事は無い。出会いはキャバクラで、キャバ嬢をしていた彼女と、客として接待を受けた俺。これが出会いだったのだ。


 新卒での就職先が合わずすぐ辞める事になり、なかなか再就職出来ず、奨学金が残っていた事もありキャバ嬢になった、という話は、しばらく通ってから、アフターの際に教えてくれた。


 彼女の美しさと、明るく冗談好きで、なにをしでかすか解らない自由奔放な性格にすっかり惚れ込んでいた俺は、残った奨学金を肩代わりすると申し出た。嫁は20代後半に差し掛かったところだが、俺は30を過ぎていて、それなりに貯金もあったため、背伸びすれば払える額だった。


 勿論、やましい気持ちはあった。1回や2回抱けるんじゃないかという妄想は脳の片隅に確かにあった。実際に、借金の返済を一括で済ませた帰りに、彼女は遠回しにホテルへ行く事を打診してくれた。恩返し

のつもりだったんだと思う。でも、30過ぎても童貞だった俺は、勇気の無さと拗らせた正義感のせいで、その提案に乗れなかった。


 それからなんやかんやあって、彼女からのアピールで交際が始まって、彼女に迫られ結婚した。その日々はあまりにも幸せだった。


 けれど、心のどこかにはあったのだ。金目当てだろうという疑いが。


 そしてもしかしたら、その疑いが真実だったのかもしれない。金目当てで結婚したけど、考えてみたら嫌になって逃げだしてしまった、というのは、浅はかな割に行動力がある彼女なら、絶対に無いとは言い切れない。


 でも、そうならそうと、伝えてから離れてほしかった。だってそんな可能性はずっと承知の上だった。彼女のためになるなら、彼女の力になれるなら、彼女の必要であれるなら、金目当てでも構いやしなかった。


 なのにこんな、こんな何も無い状態では、俺は彼女を諦められない。それになにより、心配が勝ってしまう。


 今、彼女は無事なのだろうか。逃げたとかではなく、誘拐などの被害に遭ってはいないだろうか。殺されたりなどしていないだろうか。だとしたらそれだけでも知りたい。それを知れるなら、悪魔に魂を売ったって構わない。


 そう思った瞬間だった。


 不安を煽るばかりの強い雨音をかき消すほどのラッパのような爆音が近くで鳴って、それが近づいて来るのが解った。


 次に、まるで世界の主人公に選ばれましたとでも言わんばかりに、俺が強烈にライトアップされる。


 音のほうに視線を運ぶと、目の前にトラックが迫っていた。


 そうして、俺は死亡した。




 ――という夢を見たのかもしれない。




 目を閉じてもいつまでも衝撃が来ない。車に轢かれたはずの俺がいつまでも意識を保っている。これはおかしい。さっきまでの夜の諸々は夢で、嫁が消えたというのも夢で、全部夢で、このまま目を開けたら隣のベッドで眠る嫁がぐーすかと豪快に寝ているかもしれない。


 そう思って目を開けると、知らない景色が広がっていた。


 広い白い部屋。真ん中には赤いカーペット。ただの赤では無い。両端は金で装飾された、豪華なカーペットだ。そのカーペットの外側を大理石が飾り、その両端を、何本も並ぶ太い柱が区切る。これがこの部屋の道だと、その空間の全てでもって表現する。その道の先には、扉があった。両開きのそれを両方とも開ければ5人は余裕で通れるであろう大きさの扉。


 知らない景色だが何故か解る。これはいわゆる、謁見の間とか、玉座の間とか言われるもので、現代でも現役で稼働している場所は少ないであろう、いわゆる歴史上の空間。


 どうも、夢はこっちっぽい。それとも、これが死後の世界なのだろうか? と考えながら振り向こうと視線を動かした瞬間、驚きのあまり「ひえっ!」という声が出た。沢山の人が居たのだ。俺がさっきまで向いていたほうには1人も居なかったのに、後方にはずっしりと人が居た。


 衣装は現代日本のそれでは無い。大きな布をオシャレに身体に巻き付けたような、中世風の装いで、音楽室等に飾られている偉人達のような髪型の人たちと、フルアーマーの鎧と槍を握り、その刃先をこちらに向けている騎士達。その表情は統一されている。皆、目を剥いて驚愕していた。


「えっと、これはいったい」


 と声に出した瞬間に、声が止まる。俺が出した声が、俺の声じゃなかったからだ。


 いや、俺の声ではあったのだ。やたら高い音が出たような気がした。


 なんだ、と思い自分の手を見てみると、それも自分の手では無かった。いや、見慣れたほくろがいくつかある。これは俺の手だ。でも、俺の手じゃない。艶があり、シワも消えた、若い頃の俺の手とでも言うべきか。


「これは、どういう……」


 自分の身体を、見れる範囲で見てみる。


 小さくなっている。若いどころではない。小さい。手足の未成熟な感じからして幼いし、何よりも俺の俺が小さい。俺の俺は確かに小さかったが、それにしたって今俺の股間に着いている俺の俺は小さいどころか皮も被っていてちょっと待ってくれ、俺、今、全裸じゃん!!


「うわあああああああああ!!」


 股間を手で隠し、恥ずかしいので尻尾で顔を隠した。細い尻尾なので目元しか隠せないが、無いよりはマシだろう。目の前を細くて黒い尻尾が覆って……なんで尻尾が着いてるの? 俺。


 驚愕の連続で腰が抜け、その場で腰を打った。カーペットから外れ大理石に打ったらしい。あまりの傷みに悲鳴を上げながらのたうち回る。なんとか尻尾を操って、ケツの穴が誰かに見られないようにだけ気を付けた。


 なんだこれ。本当になんだこれ。


 これだけの傷みがあってなお目が覚めないという事は、これは夢では無いのだろうか? だとしたらどういう状況だ? 何が起きている。


 無茶な酒の飲み方をして酩酊しているかのような気分だった。頭が混乱して、視界は良好なのに目が回るような感覚に陥る。


 ようやく痛みが落ち着いて、のたうち回るのをやめる事が出来たところで、またも次の出来事が俺を襲う。


「うおおおおおおすげぇえええ!!」「本当だ、本当に召喚してみせるなんて!」「しかもあの羽、あの尻尾、もしかして、悪魔族じゃないのか!」「すごいものを召喚したな! 流石、選ばれし勇者様!」


 俺を見ていた群衆が、歓声を上げたのだ。


 召喚。悪魔。俺にあるはずの無い尻尾も既に自分で確認済。となれば、これが夢では無いとしたら、俺は召喚された悪魔という事になる。だが、見覚えのある黒子や声の感じからすると、身体そのものは若返って小奇麗になった俺の物な気がする。


 さて、困った。羽もあると言っていただが、確かに背中でパタパタ何かを動かせているのは解るが、小さすぎて身体を覆えるほどでは無い。全裸のまま堂々と立てるほどの順応力は俺には無いので、手と尻尾を隠して誰にともなく言う。


「服……その……衣服をどなたか、貸していただけませんか……」


 その言葉に、近くに居た1人の中年男性が、自分に巻き付けていた布のひとつを外し、駆け寄り、俺に渡してくれた。


「ありがとうございます」


 そう言って受け取ると、中年のおじさんは狼狽した様子で首を横に振る。


「い、いいいえ、気が利かず、申し訳ありません」


 言葉は通じているようだ。受け取った布で、下半身に巻き付けて、俺の俺だけでもと隠してから立ち上がった。


 さぁ、呑み込めずとも飲み込む必要がある。これは夢では無い。さっきの傷みでも覚めなかった以上は、現実か、そういう病気になってしまい、夢と現実の区別が着かず、妄想の世界に入り込んでしまったかのどちらかだろう。


 後者だった場合、自力での回復は困難だろう。現実におけるさっきまでの状況からしても、壊れてもおかしくは無かった。病気であるなら、今頃誰かが精神病棟に預けてくれていると信じるしかやれる事は無い。やれる事が無いので、この選択肢はいったん除外する。


 なら、これを現実として受け止めて、今するべきことは、俺を召喚したという勇者との対話だろう。


 誰が勇者だろう、と周りを見ると、すぐにそれと解った。


 群衆は少し離れた所で立ち見だというのに、両ひざと両手を床に着き、フルマラソン後のように激しく息切れをさせながら俯いている人間がすぐ近くに居たのだ。うなだれる細い黒髪と、耳や手の肌が若々しい事から、10代に見える。


 息切れが落ち着くのを待つべきか、こちらから声を掛けるべきか悩み、しばし時間が流れる。


 そして、こちらからは声を掛けられないまま、ついに勇者が顔を上げた。


「…………え」


 歳は高校生くらいだろう。髪は黒く、目も黒い。


 なのに、その顔が、その眼の形が、輪郭が、嫁に似ていた。


 嫁は20後半だった。髪はシルバーに近い金髪にがっつり染めていた。派手な髪色が好きだったし、化粧も好きだった。


 今目の前に居るのは、髪も肌も何もいじっていない、高校生くらいの少女である。明確に他人だ。


 それでもその少女は、俺が愛した女性と高校生時代に出会えていたなら、きっとこんな感じだったのだろうと妄想させてくるほどに、探し続けていた嫁に似ていた。

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