第1話 虚無の少年とEクラス
一人の少年の周囲に朽ち果てた十数人の骸が転がっている。その傍で、少年が剣を地面に突き立てたまま、膝を折って座り込んでいた。
金色の髪が風に揺れ、澄んだ青い瞳が虚空を見つめている。
生に何も感じない。
死は身近にある。
罪悪感はない。
何の感情も沸かない。
血の臭いには慣れた。
殺した相手は他の組織の者だということ以外は何も知らない。命令を下されたから、遂行しただけだ。
剣を握った手には感覚が残っていたが、心は空だった。
街の外れである光の届かぬ廃路。華やかな街区を一歩外れれば、そこはスラムだ。空気はよどみ、赤錆と腐臭が入り混じる。貧富の差が嫌でも目につく。それすら、当然のこととして受け入れている。
ただの「作業」を終えると、血に塗れた少年は何も無かったかのように歩いていく。
その先に立っていたのは、赤いドレスを着た巻き髪の派手な女──リゼ。
「後の処理は任せる」
それだけ言って、少年は通り過ぎようとする。
「お見事ね、レオン。あなたの戦闘能力には感服するわ。それだけの力があれば幹部も夢じゃないのに、カリグレア学院に行くって本当なの?今更、学校生活なんてつまらないわよ」
少年──レオンはリゼを一瞥するとその声を無視する。
「……報酬は」
「上に報告してからになるわ」
「じゃあ、もう帰る」
リゼの横をすり抜けるように歩きながら、彼は一切立ち止まらない。
「レオン、あなたって……本当に、いつも無表情よね。せっかく綺麗な顔をしてるのに。もったいないわ」
「作り笑顔でも見たいのか?」
「別に。ただ……そうね。“心から笑うとき”なんて、あるのかしら?」
レオンは何も答えなかった。
ただ、振り返ることもなく、音もなくその場を去った。
***
今年もまた、魔術学院の最下層のEクラスに新たな生徒が加わった。
教室の扉が開いた瞬間、空気が変わる。少年は、異様な雰囲気を纏っていた。
無造作に下ろした金髪に、澄んだ青の瞳。黒い制服は身体にぴたりと馴染み、その佇まいだけで場の空気が変わった。初日からその整った容姿と存在感で、周囲の注目を集めた。
「レオン・ヴァレントと言います。よろしくお願いします」
眉目秀麗な少年が丁寧に頭を下げる。完璧な礼儀と柔らかな物腰だが、その笑顔の奥は、深い水底のように冷たく静かだった。
「それでは……空いているあの席、あの女の子の隣に座ってくださいね」
教師の指示に従い、レオンは迷いなく歩み寄る。
「……よろしく」
隣の席の赤い髪の少女が、小さく頭を下げた。
その瞬間、レオンの口元に淡い微笑が浮かぶ。
レオンは教師には礼儀正しく、生徒にも柔らかな笑みを見せる。赤い髪の少女──レナ・ファリスは、レオンが優しそうな人でよかった、とその時は思っていた。
***
その日の朝、レナ・ファリスは窓際の席で静かに座って外を見ていた。教室の中は騒がしく、あまり好きではなかった。
小柄な体格に、やや印象の薄い整った顔立ち。
肩より少し長い赤い髪に、琥珀の瞳。年齢は十三歳。
誰とも目を合わせず、呼ばれなければ返事もしない。そうしているのが一番楽で、波風も立たなかった。
ここは魔術学院──正式名称は「中立魔術教育機関カリグレア」。
世界中の王国、帝国、共和国から“才ある子供たち”が集められる、唯一の中立機関にして最高峰の魔術教育の場である。
貴族の子息から孤児に至るまで、身分も国籍も問わない。ここで求められるのは、ただ一つ。魔術と戦闘の才能だ。
成績によってS〜Eまでの階級に分けられるのだが、この学院ではどれほどの名門出身や実力でも、必ず一度はEクラスから始めるのが掟だ。
そのため様々な経緯で来た者達が混在したEクラスでは、素行不良の生徒も多い。目をつけられたくないから、レナは出来るだけ大人しく、質素な振る舞いをしていた。
そんなEクラスに教師に連れられて、新入生がやってきた。金色の髪に、蒼い瞳。端正な顔つきの少年だった。
「よろしく」
少年は、口元だけで優しく笑った。
その仕草は、妙に印象に残った。
「それでは、授業を始めるぞ。席に着いて、教本を開け」
教師の声が響いた。
レオンは表情を切り替えるかのように無表情になり、静かに席につき、整った筆記具を並べた。誰とも話さず、周囲を見渡すこともない。ただ、何かを観察するように、教室を眺めていた。
(……なんだろう)
目が合ったわけでもないのに、レナは息を詰めてしまっていた。
***
数日後、実技室。
「魔法実技は、二人一組のパートナー制だ。いつもの相手と組むように」
担当教師の声が響く。
“攻防訓練”と呼ばれる、魔力を使った基礎応用実習。
魔術、回避、防御、反応――全てを見られるため、上位クラスでは成績を大きく左右する重要な授業でもある。
だが、Eクラスにとっては、場合によっては命に関わる危険な授業だった。
しかも、このパートナー制は一度決まると、原則として数ヶ月は変更できない。仲間を得られなければ、それだけで生存率は落ちる。
レナ・ファリスは立ち尽くしていた。
組む相手がいないからだ。
魔力評価は最底辺。
実習では毎回失敗続き。
当然、話しかけてくる者もいない。
彼女は“誰とも目を合わせないこと”で、自分を守っていた。
そんな彼女の前に、影が落ちた。
「なあ、お前、今パートナーがいないんだって? さっき先生に聞いたら、お前と組めって言われた」
顔を上げた瞬間、レナの瞳に金色の髪が映り込んだ。レオン・ヴァレントは、静かに、そして柔らかく微笑んでいた。その声に、まわりの生徒たちがざわめいた。
「あいつ、レナと組むのかよ?」
「成績、下がるのに……」
レナの中に、わずかに恐れが浮かぶが、それ以上に心のどこかで思う。
この人も、自分と同じ“匂い”がする。
孤独の匂い。居場所のない者が纏う、言葉にならない、静かな痛みがそこにはあった。
「……はい、いません。よろしくお願いします」
それが、ふたりの最初の繋がりだった。
誰にも知られず、誰にも気づかれず、確かにそこからすべてが始まった。