第114話 あなたの弱点、見つけちゃった
「綺麗事で俺を見ようとするなよ」
レオンは視線を戻し、レナを見下ろした。
さっきまで瞳の底にあった揺らぎは、もう消えていた。
冷たく澄んでいて、触れれば切れそうなほど静かな目だった。
「俺は、昔も今も変わらない。何の後悔もしていない」
声は乾いていた。
不意に記憶の底で光景が明滅する。
燃える村。
血の匂い。
軋む悲鳴。
焔の向こうで崩れていく木造の家々。
似たような任務は何度もこなしてきた。
あの村も、その一つでしかない。
だが今になって思い返すと、あそこにも確かに、レナが口にしたような平和な日常があったのかもしれなかった。母親に手を引かれる子ども。どこかで聞こえた笑い声。脅かされることを知らないまま、続いていたはずの暮らし。
一瞬だけ、その中に幼いレナの姿が重なった気がした。
だが、それだけだった。何も変わらない。
「俺は人を殺しても、何も感じない。奪っても、焼いても、壊しても、眠れない夜なんて来たことがない」
一歩、近づく。
その動きだけで、レナの肩がわずかに強張った。
「お前が俺を理解しようとするのは勝手だ。だが、俺には何の意味もない。理解されたいとも思っていない」
突き放すための言葉だった。
それでも、最後まで目は逸らさなかった。
沈黙が落ちる。
レナは退かなかった。
喉の奥を震わせながら、それでも言葉を返す。
「それでもいいよ」
レオンの睫毛が、ぴくりと揺れた。
「私が、そうしたいだけだから」
赦されたわけではない。
肯定されたわけでもない。
なのに、足を掬われたような感覚だけがあった。
レオンの瞳が、わずかに見開かれる。
計算でも理屈でも追いつかない反応だった。
その後、無言のままレナを寮の前まで送った。
背中が扉の向こうへ消えてからも、すぐには足が動かなかった。
胸の奥が、焼けるように疼いていた。
何なんだ、これは。
殺しも、裏稼業も、どうでもよかったはずだ。
誰が死のうが、生きようが。誰を抱こうが、誰を捨てようが。
全部、道具だった。そう割り切ってきた。
なのに。
レナが、自分を拒絶せず、あのまっすぐな目で言葉を返してきた瞬間。
胸のどこかで、何かが確かに狂った。
分からないと言いながら、否定しない。受け入れられないと言いながら、それでも逃げない。
その事実が、胸の奥を鈍く締め上げる。
怖かった。
自分が、こんなにも拒まれないことに飢えていたのかと。
たったそれだけで、足元が崩れそうになるほどに。
ふざけるな。今さら何を。
頭ではそう吐き捨てても、身体は正直だった。喉が渇く。血が逆流するような焦燥が、指先まで満ちていく。
あいつが俺から離れるなんて、許せるはずがない。
レオンは足を止め、すぐに踵を返した。
向かう先は決まっていた。
街の外れ。あの女の館。
門扉を押し開ける音さえ苛立たしかった。
扉は、ノックを待たずに開いた。
「まあ。戻ってくると思っていたわ」
リゼが立っていた。
深紅のドレス。赤い扇子。何もかも見透かしたような微笑。
レオンは敷居を跨がない。
ただ扉の前に立ったまま、低く言った。
「また妙な真似をしたら──お前を殺す」
レオンの声は低く、冷たい。
だが、その瞳にはいつもの静けさがなかった。
「あらあら、怖いわね」
リゼは赤い唇に笑みを浮かべたまま、少しだけ首を傾げた。
「レナちゃんには手荒なことをしていないし、ちゃんと報酬も払ったわ。ところで──知ってる? この前、キメラ兵器を作ろうとしていた組織が壊滅したって噂」
「知ってる。それがどうした」
「あなた、模造赤魔石の研究者、ザイラス・カイゼルを倒して学院から栄誉章まで貰ったんですって?」
「学院の命に従っただけだ」
「ふうん」
リゼの声は軽い。
だが、目だけが薄く細められている。
「ザイラスの背後には、それなりの組織がついていたはずでしょう。学院は追及できなかったみたいだけど。証拠がないから」
扇子の先が、宙で小さく円を描く。
「一体、誰が証拠を消して、組織ごと壊滅させたのかしら。何のために? 私は不思議でたまらないわ。──でもね、もっと不思議なことがあるの」
その視線が、レオンの胸元で揺れる赤魔石のネックレスに落ちる。
「──あの子。レナ、だったかしら?」
レオンの眉が、わずかに動いた。
「孤児。魔力量は凡庸。経歴に傷もない。見た目も目立たない。悪女でも才媛でもない」
リゼの唇が、ゆっくりと吊り上がる。
「ねえ、あんな子に……何の価値があるの?」
呼吸が、一瞬だけ止まった。
それを見逃すリゼではない。
「本当に不思議よ。存在価値もないような少女が――」
扇子の先が、レオンの胸元をなぞるように指し示す。
「あなたみたいな怪物の心臓に、触れてしまうなんて」
その笑みは美しかった。
美しいがゆえに、残酷だった。
「ねえ、レオン。気づいてる?」
囁くように告げる。
「あなたの弱点、見つけちゃった」
その瞬間、レオンの身体がわずかに揺れた。
赤魔石のネックレスが、かすかに揺らめく。
一歩。
無意識に距離を詰める。
手が剣の柄へ伸びかける。
指先に宿る衝動は、もはや明確な殺意だった。
次の瞬間、レオンは拳を握り直し、息を押し殺すように整えた。
リゼの喉元に刃を滑らせることは、難しくなかった。
今ここで沈めるだけなら、一息で済む。
だが、あの女は知っている。
今の自分が、それをできないことを。
ここで衝動のまま殺せば、却って面倒事が増える。
「……死にたくないなら、これ以上口を開くな」
その声は氷より冷たかった。
「レナに近づくな。二度とだ。次は本当に、俺の手で黙らせる」
「まあ……怖い」
リゼはなおも微笑みながら、口元に指を当てた。
「でも、その顔──」
ゆっくりと、愉悦を噛みしめるように目を細める。
「堪らなくゾクゾクするわ」
レオンは何も言わなかった。
これ以上口を開けば、本当にこの場で殺すことになると分かっていたからだ。
踵を返す。
背後で扉が閉まる音がした。
館を出ると、夜気が肌を打った。
呼吸は整っている。視界もぶれていない。
なのに、内側だけがひどく軋んでいた。
レオンは歩きながら、きつく奥歯を噛みしめた。
リゼの件で、はっきりした。
誰も信用しない。
どれほど穏やかな顔をしていようが、どれほど善人を装っていようが、レナに近づく可能性があるなら、それだけで十分だった。
ただ近くにいるだけで腹が立つ。
名前を呼ぶだけで、喉を塞ぎたくなる。
触れようとするなら、手首ごと叩き落としたくなる。
首元で、赤魔石がかすかに揺れた。
レナが自分に渡したもの。
自分だけに残したもの。
忘れないでくれと、生きていてほしいと、そう言って託した命の欠片。
それなら、守るのは当然だ。
近づくものを遠ざける。
邪魔するものを黙らせる。
そのために何かを壊す必要があるなら──
躊躇わない。




