表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
122/125

第114話 あなたの弱点、見つけちゃった

「綺麗事で俺を見ようとするなよ」


 レオンは視線を戻し、レナを見下ろした。

 さっきまで瞳の底にあった揺らぎは、もう消えていた。

 冷たく澄んでいて、触れれば切れそうなほど静かな目だった。


「俺は、昔も今も変わらない。何の後悔もしていない」


 声は乾いていた。

 不意に記憶の底で光景が明滅する。


 燃える村。

 血の匂い。

 軋む悲鳴。

 焔の向こうで崩れていく木造の家々。


 似たような任務は何度もこなしてきた。

 あの村も、その一つでしかない。


 だが今になって思い返すと、あそこにも確かに、レナが口にしたような平和な日常があったのかもしれなかった。母親に手を引かれる子ども。どこかで聞こえた笑い声。脅かされることを知らないまま、続いていたはずの暮らし。


 一瞬だけ、その中に幼いレナの姿が重なった気がした。


 だが、それだけだった。何も変わらない。


「俺は人を殺しても、何も感じない。奪っても、焼いても、壊しても、眠れない夜なんて来たことがない」


 一歩、近づく。


 その動きだけで、レナの肩がわずかに強張った。


「お前が俺を理解しようとするのは勝手だ。だが、俺には何の意味もない。理解されたいとも思っていない」


 突き放すための言葉だった。

 それでも、最後まで目は逸らさなかった。


 沈黙が落ちる。


 レナは退かなかった。

 喉の奥を震わせながら、それでも言葉を返す。


「それでもいいよ」


 レオンの睫毛が、ぴくりと揺れた。


「私が、そうしたいだけだから」


 赦されたわけではない。

 肯定されたわけでもない。


 なのに、足を掬われたような感覚だけがあった。


 レオンの瞳が、わずかに見開かれる。

 計算でも理屈でも追いつかない反応だった。


 その後、無言のままレナを寮の前まで送った。

 背中が扉の向こうへ消えてからも、すぐには足が動かなかった。


 胸の奥が、焼けるように疼いていた。


 何なんだ、これは。


 殺しも、裏稼業も、どうでもよかったはずだ。

 誰が死のうが、生きようが。誰を抱こうが、誰を捨てようが。

 全部、道具だった。そう割り切ってきた。


 なのに。


 レナが、自分を拒絶せず、あのまっすぐな目で言葉を返してきた瞬間。

 胸のどこかで、何かが確かに狂った。


 分からないと言いながら、否定しない。受け入れられないと言いながら、それでも逃げない。


 その事実が、胸の奥を鈍く締め上げる。


 怖かった。


 自分が、こんなにも拒まれないことに飢えていたのかと。

 たったそれだけで、足元が崩れそうになるほどに。


 ふざけるな。今さら何を。


 頭ではそう吐き捨てても、身体は正直だった。喉が渇く。血が逆流するような焦燥が、指先まで満ちていく。


 あいつが俺から離れるなんて、許せるはずがない。


 レオンは足を止め、すぐに踵を返した。


 向かう先は決まっていた。

 街の外れ。あの女の館。


 門扉を押し開ける音さえ苛立たしかった。

 扉は、ノックを待たずに開いた。


「まあ。戻ってくると思っていたわ」


 リゼが立っていた。

 深紅のドレス。赤い扇子。何もかも見透かしたような微笑。


 レオンは敷居を跨がない。

 ただ扉の前に立ったまま、低く言った。


「また妙な真似をしたら──お前を殺す」


 レオンの声は低く、冷たい。

 だが、その瞳にはいつもの静けさがなかった。


「あらあら、怖いわね」


 リゼは赤い唇に笑みを浮かべたまま、少しだけ首を傾げた。


「レナちゃんには手荒なことをしていないし、ちゃんと報酬も払ったわ。ところで──知ってる? この前、キメラ兵器を作ろうとしていた組織が壊滅したって噂」


「知ってる。それがどうした」


「あなた、模造赤魔石の研究者、ザイラス・カイゼルを倒して学院から栄誉章まで貰ったんですって?」


「学院の命に従っただけだ」


「ふうん」


 リゼの声は軽い。

 だが、目だけが薄く細められている。


「ザイラスの背後には、それなりの組織がついていたはずでしょう。学院は追及できなかったみたいだけど。証拠がないから」


 扇子の先が、宙で小さく円を描く。


「一体、誰が証拠を消して、組織ごと壊滅させたのかしら。何のために? 私は不思議でたまらないわ。──でもね、もっと不思議なことがあるの」


 その視線が、レオンの胸元で揺れる赤魔石のネックレスに落ちる。


「──あの子。レナ、だったかしら?」


 レオンの眉が、わずかに動いた。


「孤児。魔力量は凡庸。経歴に傷もない。見た目も目立たない。悪女でも才媛でもない」


 リゼの唇が、ゆっくりと吊り上がる。


「ねえ、あんな子に……何の価値があるの?」


 呼吸が、一瞬だけ止まった。


 それを見逃すリゼではない。


「本当に不思議よ。存在価値もないような少女が――」


 扇子の先が、レオンの胸元をなぞるように指し示す。


「あなたみたいな怪物の心臓に、触れてしまうなんて」


 その笑みは美しかった。

 美しいがゆえに、残酷だった。


「ねえ、レオン。気づいてる?」


 囁くように告げる。


「あなたの弱点、見つけちゃった」


 その瞬間、レオンの身体がわずかに揺れた。

 赤魔石のネックレスが、かすかに揺らめく。


 一歩。


 無意識に距離を詰める。

 手が剣の柄へ伸びかける。

 指先に宿る衝動は、もはや明確な殺意だった。


 次の瞬間、レオンは拳を握り直し、息を押し殺すように整えた。


 リゼの喉元に刃を滑らせることは、難しくなかった。

 今ここで沈めるだけなら、一息で済む。


 だが、あの女は知っている。

 今の自分が、それをできないことを。


 ここで衝動のまま殺せば、却って面倒事が増える。


「……死にたくないなら、これ以上口を開くな」


 その声は氷より冷たかった。


「レナに近づくな。二度とだ。次は本当に、俺の手で黙らせる」


「まあ……怖い」


 リゼはなおも微笑みながら、口元に指を当てた。


「でも、その顔──」


 ゆっくりと、愉悦を噛みしめるように目を細める。


「堪らなくゾクゾクするわ」

 

 レオンは何も言わなかった。

 これ以上口を開けば、本当にこの場で殺すことになると分かっていたからだ。


 踵を返す。

 背後で扉が閉まる音がした。


 館を出ると、夜気が肌を打った。

 呼吸は整っている。視界もぶれていない。

 なのに、内側だけがひどく軋んでいた。


 レオンは歩きながら、きつく奥歯を噛みしめた。


 リゼの件で、はっきりした。


 誰も信用しない。


 どれほど穏やかな顔をしていようが、どれほど善人を装っていようが、レナに近づく可能性があるなら、それだけで十分だった。


 ただ近くにいるだけで腹が立つ。

 名前を呼ぶだけで、喉を塞ぎたくなる。

 触れようとするなら、手首ごと叩き落としたくなる。


 首元で、赤魔石がかすかに揺れた。


 レナが自分に渡したもの。

 自分だけに残したもの。

 忘れないでくれと、生きていてほしいと、そう言って託した命の欠片。


 それなら、守るのは当然だ。


 近づくものを遠ざける。

 邪魔するものを黙らせる。

 そのために何かを壊す必要があるなら──


 躊躇わない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
読んでいただけたら、ブクマや評価で応援いただけると励みになります。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ