変の後・五
鬼は業を煮やした様子で、
「何を迷っておりまする。大王さまがこのようなことを仰せになるは、滅多にあることではござりませぬぞ。
そなたは、すでに主を裏切るという大罪を犯しておるではありませぬか。
今さら、何を気にかけておられるのか」
そう言いました。
すると、光秀公も覚悟を決めたように、こう仰せになりました。
「どんな望みでも叶えてくれるか?」
「出来ることと出来ぬこととがございます」
「わしが秀吉の軍を破り、天下を治めることは出来るか?」
「それは無理にございます。
それに、秀吉さまの寿命はまだ尽きてはおりませぬ」
「では、わしがこの寺から抜け出て、無事に坂本の城までたどり着くことは出来るか?」
「それが望みでございますか」
鬼がゆっくりと言うと、光秀公は、
「いや、待て待て」
そう仰せになり、しばし考えておいででした。
「ならば、この望みはどうじゃ。
わしは秀吉には、いや、秀吉方の兵には生涯決して殺されぬ。
この望みならば叶うか」
光秀公はそう仰せられると、じっと鬼の顔を見ておられました。
死を覚悟なさっておられた少し前とは違い、やや不安げな顔をされておりました。
「それが望みでございますか」
鬼は先程とまったく同じように言いました。
「いかにも、それがわしの望みじゃ」
光秀公は、はっきりした声で、そう仰せになられました。
「承知いたしました」
鬼は言い、頭を下げました。
その顔が上がらぬうち、鬼の姿は煙のように消えて見えなくなったのでございます。




