33/Sub:"試運転"
店員について行って歩いて行った先にあったのは試運転室だった。コンクリの部屋の床真ん中に、赤いサークルが描かれている。その中に立つことで幻術を見ることができる、という寸法らしい。霊力を逃がすための専用のアースを身体に巻き、サークルの中に並べられたパイプ椅子に二人とも座った。桜は部屋の端で、こちらをわくわくした表情で眺めていた。
「よし、じゃあ、軽く回してみるとするか」
アルマが腕をぐるぐると回しながら言った。ユーリも、準備を整える。
「いつでもいいですよ」
ユーリがそう言うと、操作パネルの前に立った店員が、では行きますねー、と声をかけてくる。ユーリが静かに座っていると、周囲の赤いサークルが輝きだした。底が抜けたような感覚。視界が一気に真っ白になる。まるで雲に飛び込んだかのようだ。方向感覚が分からない。足元だけが地面の感触を伝えていた。どこまでが現実で、どこからが幻覚なのか、わからないようなそんな不思議な感触。
ふわりと風が吹いた。感覚のフィードバックは正常の様だ。周囲の白がどんどん消えていく。霧が晴れているのか、とユーリは思っていると、いつしかユーリとアルマは広い助走路の真ん中で、いつのまにか立ち尽くしていた。ある意味ユーリに見慣れたアスファルトのそれではなく、芝生の平原である助走路が真っすぐと滑走路のように伸びていた。
「ユニオンのテクノロジー、か」
隣でアルマが呟く。そちらの方を見ると、アルマが手を開いたり握ったりを繰り返していた。
「今でも似たようなのは使っているんじゃないですかね」
「それにしたって、民間用の物に比べて精度も何もかも、段違いだろう」
ユーリはふと、咲江の幻術を思い返す。明らかに精度も処理速度も違う、彼女の魔術式。改めて彼女の実力を実感した。そんな気がした。
「吾妻先生の幻術か?」
アルマがユーリに言う。それに思わずユーリはぎょっとした。
「そんなにわかりやすかったですか?」
「ああ。誰かと比べている。そんな表情だった。少し妬けてしまうな」
そうアルマが笑う。アルマが誰に何を妬いているのか、それをユーリは聞く気にはなれなかった。ユーリはため息をつきながらクラウチングスタートの姿勢を取る。アルマも自然と、ユーリの横に並んだ。生憎、自分たち以外には誰もいない。離陸を許可してくれる存在は、誰もいない。
「お前に合わせる。好きに走り出していい」
「了解」
アルマがユーリの横で同じようにクラウチングスタートの姿勢を取りながら言った。
ユーリは飛行術式を展開する。翼膜が青白い輝きに包まれた。あの術式を六基起動させるやつは、やらない。流石にフライトスーツが焼き切れてしまうかもしれない。飛行術式の高音が響く中、横を見るとアルマの翼にも同じように飛行術式の輝きが宿っていた。橙から赤に色が変化するそれは、本当に炎の様だ。
ユーリは慎重に飛行術式の霊力流量を増やしていく。同時に、フライトスーツのフライトコントロールシステムを起動。水平指示器、方位計、対気速度計等を起動していく。水平指示器のゼロインがすぐに終了し、視界に水平指示器がARで表示された。
ランウェイクリア。視程よし、風はなし。
クリアフォーテイクオフ。
飛行術式の高音が一気に膨れ上がる。噴射光がダイヤモンドコーンを描いて伸びる。推力が背中を押す感覚。ぐん、と大地が後ろに流れていく。どんどん速度が上がる。翼を広げ、境界層を制御する。抵抗が大きいのを推力で相殺して、翼に揚力を宿す。ひと羽ばたきすると、脚が大地から離れた。
ああ、この感触。
推力を維持して、加速しながら上昇を続ける。対気速度を増していくにつれ、翼の境界層を弄って翼の抵抗をゆっくりと減らしていく。段々と、翼が空を自由に切り裂くようになってきた。
いつ味わっても、幻覚だったとしても、空を飛ぶ感覚は、好きだ。
上昇率を抑えて水平飛行に移ると、隣にアルマが並んできた。念話での会話が飛んできた。
『どうだ、調子は?』
『そうだね、悪くない』
実際、選んでくれたフライトスーツは求めた性能に届いているようにも感じた。だが、霊力の立ち上がり、特に離陸時に霊力流量が増えた段階で、抵抗が増していたような気もする。飛行術式に関係する訳ではないので飛行事態に直接的に問題は無いが、高速度域になってスーツの方に回す霊力に変な『引っかかり』があるようでは、飛んでいる時に余計な負荷やストレスの元になりそうだ。
そんなことをアルマに伝えて見ると、彼女も同じ感想を抱いたようだ。
『もう少し、廻してみるか』
『そうですね。一通り、マニューバを試してみようと思います』
『ほう? 空戦なら付き合うぞ』
そう言うと、アルマは一八〇度ロール。器用にもユーリの下に滑り込んできた。そしてそのまま、ユーリの下で背面飛行士ながらユーリと向き合う。
『まさか、空戦なんてしたら、スーツの回路が焼き切れかねないでしょうに』
『むう、なんだか、不完全燃焼のような気分だ』
背面飛行しながら、アルマは器用にも腕を組んで見せる。明らかに、飛行技術が上がっている。
ユーリは右にロールしながら同時に軽くヨー。アルマの方を向いたまま、逆バレル・ロールとでもいうべきマニューバ。すぐにアルマは反応し、同じようにユーリの方を向いたまま逆バレル・ロールを充ててくる。
『どうする?』アルマは獰猛な笑みを浮かべながら聞いてきた。『ここには、私とお前しかいないぞ?』
『そんな事ありませんよ。外でモニターされています』
『霊波通信の内容まではしていないさ。つまり、二人きりということだ』
アルマとユーリの高度が下がり始める。GPWSが鳴り始めた。Sink Rate, Sink Rate, Sink Rate。謎のチキンレースが始まる中、アルマはユーリの方を真っすぐ見据え続けていた。
「くっ!」
ユーリは咄嗟にもつれあいを解いた。頭上を空にして急激にピッチアップ。急上昇を図った。翼が白い減圧雲に覆われる中、その後にアルマが続いた。
『我慢比べは私の勝ちだったな、ユーリ!』
『勝負したつもりはありませんよ!』
ユーリはアルマに並ぼうとハイ・ヨー・ヨーで位置を変えるが、アルマはそれをバレル・ロールで躱し、ユーリの後ろについたままの位置を保持し続けている。まるで、いや、ドッグファイトそのものだ。
『こないだの事、根に持っているんですか!?』
『私はお前の事を忘れたことはないさ!』
うしろでぐん、とアルマが高度を落とした。高度と速度を入れ替え、ユーリを下から襲おうとするマニューバ。ユーリは急激に左旋回。すんでのところでアルマを躱した。本当だったら霊出力に任せた大出力で振り切りたいところだが、そうしたらフライトスーツの回路を焼き切るのがオチだ。いわば、お互いハンデをつけられていることになる。
『初めからこれが狙いでした!?』
『さぁな! だが、こうしてルールを決めて戦えるようになったのは幸運だ!』
アルマは獰猛に嗤う。ユーリは背中に冷や汗が流れるような感覚を覚えた。
急旋回は容易にできない。速度の回復がいつもより容易にできないから、いつもより速度管理はシビアになる。急旋回と減速により背後を取り返すのができないなら、やることは一つ。
ユーリは一八〇度ロール。天地がひっくり返り、そのままピッチアップ。翼端から白い糸の様な飛行機雲を引き、急降下。
『いいぞ! そうでなくてはな!』
アルマが楽しそうに笑った。黒い竜は銀の竜を追いかけて急降下。空に二対の白い飛行機雲を引いた。
『いつまでこんな事を続けるんですか! もうスーツのテストは十分でしょうに!』
『無論、お前を捕まえるまでだ!』
『随分熱烈ですね! 嫌いじゃないですよ!』
『愛しているぞ、ユーリ!』
本気か、空戦の熱か、アルマが叫ぶ。ユーリはなんてことを言うんだと気恥ずかしい気持ちになりつつ、雑念を振り払って機動をコントロールする。速度を維持し、推力を上げつつ旋回。上昇して速度と高度を入れ替える。急旋回による翼面からの空気剥離により、ぶるぶると翼が震えた。凄いな、ここまで再現しているのか。
「アルマ……やるっ!」
ユーリは思わず叫んだ。アルマの機動はユーリにただ追従しているのではない、ユーリの進行方向をある程度予想してユーリが機動をした瞬間に、機動をする前に反応している。ユーリはフェイントをかけてみることにした。右に急旋回。ロールを右で終わらせず、そのまま一八〇度ロールを続けて左にフェイントをかけた。アルマは、即座に対応した。
『クク、私がお前のことを見越していると判断してフェイントをかけたんだろう? お見通しだ!』
『そこまで『見て』貰って光栄ですね!』
ユーリはアルマに向かって叫ぶ。一体彼女の何がここまで駆り立てるのか。ユーリはそのことを聞きただしたい気持ちでいっぱいだった。
推力を維持しながら左に急旋回。アルマがこちらを捉えながらユーリを追いかけてくる。翼が白い減圧雲をヴェールのように纏い、翼が大気を滑らかに切り裂いていく。
『これ、いつになれば終わるんですか!』
『無論、ずっとだ!』
参った。捕まえたら、とか、逃げ切ったら、とかいう話ではない。完全にアルマは『出来上がっている』。しかしここは実際の空でも個人のシミュレーターでもない。なんとかして終わらせないといけない。
なら。
『僕が、貴女を捕まえます!』
『いいだろう、来いっ!』
ユーリはバレル・ロール。アルマは即時に急旋回のシザーズを充てて対応してきた。二人の機動が空中で絡み合う。空と地面が目まぐるしく動く中、ユーリは視界の端の対気速度計を睨み続けた。400、350、300。ユーリは急旋回。アルマとお互い背を向け合いながら、お互いの尻尾を噛み合おうとする、まさしくドッグファイト。
「――くうっ!」
次の瞬間、ユーリは一気にピッチアップ。気流が一機に翼の表面から剥離し、ユーリは推力だけで自身の機首方位をコントロール。アルマの方を向いた。空力を一切無視した、推力による純粋な戦闘機動。それはアルマも同じだった。翼を一気に広げ、失速。ユーリの方向を向くと、目をぎらつかせて笑った。
「ユーリいいいっ!」
「っ!」
ポストストールマニューバの強烈なG。ユーリは視界が暗くなるような錯覚を覚えながら、視界の中のアルマが大きくなっていく。彼女が両手を広げる。それが巨大な竜の顎に見えて、残り50フィート、40、30、20――。
ガクン、と。視界が暗転した。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
思えば、肩で息をしていた。視界が戻ってくる。先程までいた大空ではなく、先程までいたコンクリ張りの試運転ルーム。ふと、隣に目をやる。そこには、ぐったりとパイプ椅子にもたれかかって脚を投げ出しているアルマ。
ユーリは、大きく息をついた。




