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変節の宰相:馮道:9章:劉承祐時代①

〇劉知遠、短くも濃密な帝位の日々


劉知遠りゅう・ちえん劉承祐りゅう・しょうゆう即位そくい


九四七年きゅうひゃくよんじゅうななねん乱世らんせ最中さなか太原たいげん後漢ごかん皇帝こうていとなった劉知遠りゅう・ちえん。かつてはわか武将ぶしょうとして数多あまたたたかいをくぐりけ、その手腕しゅわん胆力たんりょくみだれた天下てんかつかろうとしたおとこでした。しかし、いくさ激動げきどうかれをもむしばみ、帝位ていいについてからというもの、その健康けんこうおとろえていきました。


洛陽らくよう宮廷きゅうていは、かれ病状びょうじょうあんじる家臣かしん侍医じいたちの嘆息たんそくと、いのりにちていました。「陛下へいかのおからだは、いかがでしょうか……」と、めかけるものたちのこえむなしくひびきます。


劉知遠りゅう・ちえんはその重責じゅうせき背負せおいながら、日々(ひび)の政務せいむつづけていましたが、ねつかぬまま次第しだいちからうしなっていきました。かれひとみうつるのは、おのれきずげようとした国家こっか未来みらいと、いま自分じぶんったあと混乱こんらんかげでした。


わたくしは、まだげねばならぬことがやまほどあるというのに……」


むねうち去来きょらいする焦燥しょうそう無念むねん劉知遠りゅう・ちえん幾度いくどもその言葉ことばつぶやきながらも、おのれからだはもはやおもうようにうごきませんでした。


やがて、やみとばりりるように、そのいのちしずかに途絶とだえました。洛陽らくよう宮廷きゅうていひろがるかなしみは言葉ことばにならず、重臣じゅうしんたちは無念むねんなみだをこぼしました。


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劉承祐りゅう・しょうゆうあらたなあさはじまり


劉知遠りゅう・ちえん逝去せいきょは、後漢ごかんにとっておおきな試練しれんでした。しかし、そのこころざし息子むすこ劉承祐りゅう・しょうゆうにしっかりとがれていました。


劉承祐りゅう・しょうゆうはまだわかく、しかしそのひとみにはちち無念むねん背負せおい、くにまも決意けついつよ宿やどっています。あらたに帝位ていいいたわか皇帝こうていまえには、まだまだ不安定ふあんてい国内こくない情勢じょうせいよこたたわっていました。


北方ほっぽうからのりょう契丹きったん脅威きょういうちひそ反乱はんらん、そして民心みんしん動揺どうよう――。幾重いくえにもからった困難こんなんかわねばならないのです。


しかし、劉承祐りゅう・しょうゆうちかいました。 「父上ちちうえきずかれしみちを、わたくしけっして見捨みすてはしない。この乱世らんせしずめ、後漢ごかん未来みらいかならずやひらいてみせる。」


かれこえ力強ちからづよく、朝廷ちょうてい重臣じゅうしんたちはそのわか決意けついむねたれました。洛陽らくよう宮廷きゅうていは、次代じだい皇帝こうてい姿すがた一筋ひとすじ光明こうみょう見出みいだし、ひそかに希望きぼうむねいだいたのです。


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洛陽らくようそらのもと、新時代しんじだいきざ


その夕暮ゆうぐれ、洛陽らくようそら茜色あかねいろまり、やわらかなひかり城壁じょうへきらしていました。まち喧騒けんそうしずまりかえり、人々(ひとびと)はそれぞれのおもいをむねきざんでいました。


戦乱せんらん余波よはきず(ひきずる)るくに首都しゅとに、まだ荒波あらなみちます。しかし、このわか皇帝こうてい一歩いっぽが、やがておだやかなかぜとなってつつむことを、だれもがねがわずにはいられませんでした。


劉承祐りゅう・しょうゆうあゆみははじまったばかりです。かれ未来みらいつのは、栄光えいこうか、それともさらなる苦難くなんか。しかし、その決意けついらぐことなく、後漢ごかんというくに命脈めいみゃくしずかに、しかしたしかにつづいていくのでした。




〇馮道の独白 〜幼帝劉承祐の苦悩〜


馮道ふう・どうかた幼帝ようてい劉承祐りゅう・しょうゆう苦悩くのう


わたくし、馮道ふう・どうかたらせていただきます。これは、後漢こうかん十四歳じゅうよんさい幼帝ようてい劉承祐りゅう・しょうゆうにまつわる物語ものがたりです。


とき乾祐けんゆう元年がんねん西暦せいれきもうせば九四八年きゅうひゃくよんじゅうはちねんのこと。父君ふくんであり後漢ごかん初代しょだい皇帝こうてい劉知遠りゅう・ちえんが、やまいたお急逝きゅうせいされました。そのかなしみとともに、まだ数えかぞえどし十四歳じゅうよんさい劉承祐りゅう・しょうゆう皇帝こうていぐこととなりました。


後漢こうかんとは、五代十国ごだいじゅっこく動乱どうらんなかおこった政権せいけんひとつであり、劉知遠りゅう・ちえんはその創始者そうししゃとしてせております。かれ逝去せいきょは、後漢こうかんにとっても非常ひじょうおおきな痛手いたででした。


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幼帝ようてい郭威かく・い


しかし、おさな承祐しょうゆう即位そくいにあたって、すぐに政治せいじ実権じっけんわたされたわけではありません。劉知遠りゅう・ちえん遺言ゆいごんにより、重臣じゅうしんたちがその補佐ほさにあたりました。そのなかでも郭威かく・いというおとことくおもきをなしました。


郭威かく・い後漢こうかん建国けんこく立役者たてやくしゃ一人ひとりであり、まこと忠誠心ちゅうせいしんあつく、また非凡ひぼん政治せいじ手腕しゅわん人物じんぶつです。劉知遠りゅう・ちえんかれ能力のうりょくたか評価ひょうかし、かれ信頼しんらいしていたのです。


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わか皇帝こうてい葛藤かっとう


しかし、十四歳じゅうよんさいわか皇帝こうてい劉承祐りゅう・しょうゆうは、次第しだいにその状況じょうきょう不満ふまんいだはじめます。たしかに経験不足けいけんぶそくかれわって国政こくせいまかせることはいたかたないとしても、郭威かく・い権勢けんせい日増ひましにたかまるなかで、みずからの皇帝こうていとしての権威けんい次第しだいうすれていくのを感じ(かんじ)ずにはいられなかったのでしょう。


郭威かく・いまつりごと表舞台おもてぶたいかがやきをすたびに、幼帝ようていこころあせりと苛立いらだちでうごきました。かれにとって、それはなによりもえがたいことだったのです。


ただ、いささかのわかさゆえ、そうした複雑ふくざつ心情しんじょうだれにも素直すなおにはえず、ひたすらむねうちめておりました。


わたくし馮道ふう・どうは、そうしたわか皇帝こうてい孤独こどく葛藤かっとうを目のまのあたりにし、ただただその成長せいちょう見守みまもることしかできませんでした。


皇帝こうていとは、ただの権威者けんいしゃではなく、おのれうちつよこころざし覚悟かくごたねばならぬもの。しかし十四歳じゅうよんさい劉承祐りゅう・しょうゆうには、それがどれほどむずかしいことであったか……。


このあとかれあゆみがどのようなものとなるのか、その結末けつまつはまたべつ機会きかいにおはなししましょう。




〇馮道の独白 〜幼帝劉承祐と奸臣の讒言〜


わたくし、馮道ふう・どうがまたかたらせていただきます。劉承祐りゅう・しょうゆう――乾祐けんゆうがんねんちち劉知遠りゅう・ちえんうしない、十四歳じゅうよんさいにして皇帝こうていとなったわか君主くんしゅのその後の物語ものがたりでございます。


後漢こうかん宮廷きゅうていは、つね波乱はらんちておりますが、おさな皇帝こうてい周囲しゅういにはとく奸臣かんしんたちのかげがちらつきはじめました。


かれらは、権勢けんせいほこ郭威かく・いや、そのほかの功臣こうしんたちの悪口わるくちを、こっそりと皇帝こうていみみみました。こうした讒言ざんげんこころみだれるのは、いかにわかくともひとつね血気盛けっきざかんな劉承祐りゅう・しょうゆうは、安易あんいにこれをしんじてしまいます。


うたがいの郭威かく・いをはじめとする重臣じゅうしんたちにけられ、かつての信頼しんらい次第しだいうすれていきました。


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幼帝ようていによる粛清しゅくせい反乱はんらん


乾祐けんゆう2ねん(949年)、ついに劉承祐りゅう・しょうゆう決断けつだんします。枢密使すうみつしであり、郭威かく・い対立たいりつしていた楊顒よう・ぎょう史弘肇し・こうちょうというふた重臣じゅうしんを、理由りゆう郭威かく・いとの対立たいりつということでしたが、殺害さつがいしてしまったのです。


この強引ごういん粛清しゅくせいは、朝廷内ちょうていないおおきな波紋はもんこしました。忠実ちゅうじつ功臣こうしんたちのあいだには不安ふあん恐怖きょうふひろがり、だれもが皇帝こうてい真意しんいはかりかねました。


さらに翌年よくねん乾祐けんゆう3ねん(950年)、劉承祐りゅう・しょうゆう郭威かく・いにまで謀反むほんうたがいをかけました。


郭威かく・いは、かねてより皇帝こうてい忠誠ちゅうせいちかい、幾多いくた苦難くなんともえてきたおとこ。しかし、疑念ぎねんさらされるとなり、危険きけんを感じざるをませんでした。


やむなく、郭威かく・いへいげて反乱はんらんおこします。忠臣ちゅうしん幼帝ようていみぞは、ここに決定的けっていてきなものとなりました。


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馮道ふう・どう憂慮ゆうりょ


こうした内憂ないゆう最中さなか、わたくし馮道ふう・どうは、くに将来しょうらいおもいをせ、しずかにその動向どうこう見守みまもっておりました。


わか皇帝こうてい未熟みじゅくさがもたらした悲劇ひげきともえましょうが、権力けんりょく渦中かちゅうにあっては、ひとこころ容易よういうごくものです。


このあと後漢こうかんは、はたたしてどのようなすえ辿たどるのか――それはまた、べつ機会きかいにおはなしいたしましょう。

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