変節の宰相:馮道:序章:青年時代①
〇幽州の寒門に生まれた少年 — 馮道のはじまり
882年のこと――。中国の北のはずれ、幽州(現在の北京市)にある薊県という小さな町で、ひとりの赤ん坊がこの世に生を受けた。彼の名は馮道。まだ目も開かぬ生まれたてのその姿は、まるで乱れた時代の静かな証人のようであった。
________________________________
唐末の乱世、その時代背景
馮道が生まれたのは、いわゆる「晩唐」の時代。かつて栄華を誇った唐王朝は、すでにその輝きを失い、国内はさまざまな勢力が入り乱れる混迷期に入っていた。
中央政府の力は弱まり、地方では兵士や豪族が力を持ち、農民たちの不満が爆発し始めていた。黄巣の乱という大規模な反乱も起きており、唐王朝は存亡の危機に直面していたのだ。
________________________________
馮道の生まれた家は寒門
そんな混乱の時代にあって、馮道の家は裕福とは言えない「寒門」の身分であった。つまり、名もなき庶民の家庭で、日々の生活は決して楽ではなかった。だが、そこには堅実な生活と、穏やかな誠実さがあった。
馮道の父母は質素に暮らしながらも、彼の将来に秘かな希望を抱いていた。乱世の中で、いかに生き抜くか、それが問われる時代であったからだ。
________________________________
まだ見ぬ未来へ
生まれたばかりの馮道には、これからどんな道が待ち受けているのか、誰も知る由はなかった。彼はこの乱世の中で、数々の君主に仕え、幾度もの政変をくぐり抜けていくことになる。やがて、その知恵と才覚が時代の荒波を乗り越える力となるのだ。
〇若き才覚、郷挙里選で認められた馮道
900年ごろ、まだ十代後半の若き馮道は、科挙という難関試験に代わる「郷挙里選」でその才能を見出されることとなった。
________________________________
科挙から郷挙里選へ、変わりゆく官吏登用の形
ここで少し説明を。科挙とは、中国の官吏を選ぶための筆記試験であり、実力ある人物が国の役人になれる厳しい試験のこと。だが晩唐の混乱のなか、この科挙の制度は次第に機能しなくなっていた。
そこで代わって使われたのが「郷挙里選」。これは村や郷の役人たちが、その土地の優れた人材を推薦し、官吏として登用する制度だった。つまり、より身近な場所での「推薦」制度へと変化したわけだ。
________________________________
唐朝の力が弱まり、地方が台頭する時代
このころの唐王朝は、中央の統制力を大きく失い、地方の勢力が力を持ち始めていた。軍を率いる節度使という地方軍司令官の力は強大で、彼らのもとに有能な幕僚を必要としていた。
________________________________
若き馮道、節度使の幕僚に抜擢される
そんな激動の時代にあって、郷挙里選でその才を見いだされた馮道は、ついに節度使の幕僚となる。まだ若い彼の知恵と洞察力は、複雑な地方政治の中で大いに発揮されることになったのだ。
若き馮道の歩みは、唐朝という大きな帝国の「揺らぎ」を背景にしながらも、未来を切り拓く希望の光のように輝いていた。
________________________________
唐末の乱世のなかで、馮道という若者の才能が、地方政治の荒波に乗り始めたその瞬間――物語はさらに動き出す。
〇馮道の独白 ~乱世を語る~
「私が生きた時代は、まさに激動の連続でした。900年ごろから907年までの、唐王朝末期の話を少し聞いてほしい。」
________________________________
まず、唐王朝。これは618年に始まった大きな帝国で、長く中国を治めていました。しかし、私が若かった頃、唐はすでに衰えの兆しが見えていました。朝廷の力はどんどん弱まり、官吏の試験制度も乱れていました。
「科挙」と呼ばれる官吏登用試験が有名ですが、私のような地方の若者にとっては、その壁はあまりにも高かった。そこで使われるようになったのが、「郷挙里選」という、地元の有力者が才能ある人を推薦する制度です。これが私の運命を変えたのです。
________________________________
だが、唐の衰退はただ試験制度の乱れだけにとどまりません。大きな問題は、地方の節度使たちの台頭でした。彼らは自らの軍隊を率い、ほぼ独立した権力を握っていました。節度使はもともと軍の長官ですが、その力は中央政府を凌ぐほどになっていたのです。
そのため、中央は彼らに依存するしかなく、次第に国全体の統制が乱れていきました。
________________________________
最終的に、907年、私がまだ若く動き始めた頃、朱全忠という節度使がついに唐王朝を滅ぼします。彼は自ら皇帝となり、「後梁」という新しい国を建てました。
こうして中国は「五代十国時代」と呼ばれる、多くの小国に分かれて争う時代に入っていくのです。
________________________________
「この乱世の中で、私は才覚を磨き、何とか生き抜いてきました。だが、そんな私の物語はまだ始まったばかり。乱れた世の中でどう立ち回るか、それがこれからの課題でした。」
________________________________
馮道の語りは続く。動乱の時代に翻弄されながらも、彼がどのように生き抜いたのか、次第にその姿が見えてくる。