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完結『あの夏、甲子園の裏で──名門野球部暴力事件の真実。甲子園常連校の暴力問題 腹が立つので書いてみました。』  作者: カトラス


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第七話『主将に相談』

 朝練が終わり、グラウンドに漂う土埃の匂いの中で、拓真は心臓を握られているような緊張を覚えていた。ユニフォームの胸元が汗で張り付き、喉がひどく乾いている。二年生たちの視線を気にしながらも、彼は意を決してキャプテンのもとへ歩み寄った。


 キャプテンは練習器具を片づけている最中で、いつもより険しい横顔をしていた。拓真はその背中を見つめながら、唇を噛みしめる。逃げ出したい衝動が胸を突き上げるが、ここで言わなければ明日もまた同じ苦痛が続くのだと、己に言い聞かせた。


 声をかけた瞬間、喉がひきつり、思った以上に声が震えていた。


「キャプテン……少し、お話いいですか」


 振り返ったキャプテンの眼差しは真剣そのものだった。そのまっすぐな視線に押され、拓真は俯きながら、しかし必死に言葉を絞り出した。


「二年生から“指導”と言われているけど……実際は、暴力や嫌がらせを受けています」


 声が途切れそうになる。膝がわなわなと震え、掌は冷たく汗ばんでいた。それでも、言葉は止まらなかった。ここで黙っていたら、何も変わらないから。


 しばしの沈黙の後、キャプテンは目を細め、険しさを湛えながらも真剣にうなずいた。その表情に、拓真は初めて自分の声が誰かに届いたのだと感じた。


「……分かった。俺が何とかしてやる」


 その一言は、夜の闇の中で差し込む灯火のように、拓真の胸に広がった。長く胸を押し潰していた重石が、ほんの少しだけ軽くなった気がした。思わずこみ上げる安堵の息を吐きながら、拓真はその場で小さく頭を下げた。


 午後の陽射しはじりじりと肌を焦がし、グラウンドに立つだけで息苦しさを覚えるほどだった。照り返す砂の熱気の中、尾上翔コーチの怒号が空気を震わせる。


「お前ら、気合いが足りん! 二年がこんな体たらくでどうする!」


 キャプテンが訴えたはずの「一年生への暴力」は、尾上翔の耳に届いた途端に歪められ、まるで二年生全体の怠慢であるかのように処理されていた。標的にされたのは黒田、村井、高森、江藤──拓真を苦しめてきたあの四人だ。


「ダッシュ三十本追加だ! 止まるな!」


 掛け声と同時に、四人は歯を食いしばって走り出す。砂塵が舞い上がり、汗が滝のように流れる。ノックは容赦なく飛び、グラブをはじいた瞬間に尾上翔の叱責が飛ぶ。素振りは何百回も課され、バットを握る手の皮は裂け、赤黒い染みが木の柄を汚した。


「……ふざけんな……」


 荒い呼吸の合間に、黒田が低く呟いた。その目は血走り、視線の先にいたのは、グラウンド端で立ち尽くす拓真だった。


 拓真の背中に冷たいものが走る。胸の奥が締め付けられ、呼吸が浅くなる。彼らの苦しむ姿を見るたびに、自分の告白がもたらした結果を思い知らされた。


 ──俺が……俺が言ったからだ。キャプテンに打ち明けたせいで……。


「もっと声を出せ! 死ぬ気で走れ!」


 尾上翔の声が雷鳴のように響き渡り、四人は足をもつれさせながらも倒れることを許されずに走り続ける。村井の顔は歪み、江藤の唇からは罵声が洩れた。


「クソ……誰のせいで……」


 その言葉の矛先が自分に向けられているのを、拓真は痛いほど理解した。炎天下の眩しさの中で、彼らの憎悪の目が一瞬、鋭く光ったように見えた。


 勇気を振り絞ったはずの一歩が、取り返しのつかない奈落を開いてしまったのではないか──その後悔が波のように押し寄せ、拓真の胸をひたすら締め付け続けていた。


 夕暮れが迫り、グラウンドは一日の熱を抱え込んだまま沈黙していた。赤く染まる空の下、特訓を終えた二年生たちの肩は大きく上下し、汗に濡れた顔には疲労よりも苛立ちが浮かんでいる。空気はぴりぴりと張り詰め、誰もが苛立ちを抑えきれずにいた。


「ふざけんな……誰が言いやがった」


 黒田の声は低く、しかし地面を震わせるような重さを持っていた。村井が眉間に皺を寄せ、苛立ちを隠そうともせず黒田を睨む。


「お前だろ、コーチに告げ口したのは」


「は? 俺がそんなことするかよ!」


 罵声が飛び交い、互いの目が疑念と怒気に満ちて交錯する。高森が吐き捨てるように言った。


「誰でもいい……けどよ、コーチに伝わったのは確かだ。俺らを潰そうとしてる奴がいる」


 その言葉を合図にするように、一瞬の沈黙が訪れた。そして次の瞬間、四人の視線が同じ方向へと揃う。グラウンドの端に立ち尽くしていた拓真に、突き刺すような眼差しが集まった。拓真は慌てて視線を逸らしたが、その仕草こそが彼らの確信に変わるには十分だった。


 夜。寮の廊下は消灯後の闇に包まれ、静寂が支配していた。だが拓真の部屋の前に忍び寄る足音が、その闇をじわりと濁らせる。立ち止まった気配の後、低く押し殺した声が扉の向こうから漏れた。


「おい……聞いてんだろ」


「余計なことは言わねえほうが身のためだぞ」


 ささやきは小さくとも、冷たい刃のように拓真の胸を突き刺す。布団の中で身を縮め、耳を塞いでも、脈打つ心臓の音ばかりが大きく響き、息が浅くなる。天井を見上げることすら怖く、目を閉じても闇は深まり続けた。


 ──俺のせいで……全部、俺のせいで……。


 罪悪感と恐怖が渦を巻き、拓真の胸を押し潰していく。隣室から聞こえる二年生たちの笑い声は、不気味に湿った夜気に混じり合い、眠れぬ時間をさらに長く、そして耐えがたいものへと変えていった。


 夜の寮は静まり返り、廊下の蛍光灯が間引かれてぼんやりと光を投げていた。空気は冷たく、外の虫の声さえ遠のいて聞こえる。そんな中、拓真の部屋の扉が不意に叩かれた。低く押し殺した声が響く。


「おい、ちょっと出てこいよ」


 息を呑む。胸の奥が冷たく凍りつき、手足が思うように動かない。けれど、再びドアが荒々しく揺れ、逃げ場はないと悟った拓真は震える足で立ち上がり、扉を開けた。


 ──来た。


 襖が乱暴に開け放たれる。外の薄暗い廊下には、四人の影が立っていた。黒田の鋭い目が光り、低い声が突き刺さる。


「おい、三浦。ちょっと出ろや」


「……えっ、な、なんですか」


 声が震えた瞬間、村井が無理やり襟首を掴み、廊下へ引きずり出した。冷たい木の床が足裏に刺さるように痛い。息を整える間もなく、背後でスライド戸がガタンと閉められた。


 黒田が吐き捨てるように言った。

「俺らがシゴかれてんのは誰のせいだ? なぁ」


「……し、知りません……」


 返事を終えるより早く、頬に拳がめり込んだ。衝撃で視界が跳ね、壁に頭を打ちつける。星が散るような閃光が頭の中を駆け抜けた。


「この野郎、しらばっくれんな!」村井の怒鳴り声が耳を裂く。


 続いて鳩尾へ蹴りが突き刺さり、肺から空気が一気に押し出された。声を上げようにも息が続かない。床に崩れ落ちた瞬間、高森の足の甲が脇腹を踏み抜くように押し込んだ。


「やめ……やめてください……!」


 必死の懇願は、江藤の嗤い声に塗りつぶされた。

「ほら見ろ、犬みたいにキャンキャン鳴いてるぜ」


 拳が後頭部を打ち抜いた。頭蓋の奥で鈍い音が鳴り響き、視界が白く途切れる。打ち所が悪ければ、そのまま意識が戻らなかっただろう。吐き気が込み上げ、冷たい床に口元を押しつける。


「チクったのはお前だろ」黒田が耳元で唸るように言う。

「ち、ちが……違います……!」


「嘘つくなや!」怒声と同時に、江藤の足がこめかみを掠めた。ほんの数センチずれていたら、脳が揺れて命を落としていたに違いない。


 拓真の体は震え、呼吸は浅く途切れ途切れになる。頭の奥で血が脈打つたびに、鼓動と痛みが混ざり合い、世界が遠ざかっていく。


 ──死ぬ。俺、このまま……。


 恐怖と後悔が一気に押し寄せた。主将に打ち明けた夜のことが頭をよぎる。あのとき声を上げなければ、ここまで追い詰められることはなかったのか。けれど、もう遅い。


「逃げ道なんかねえんだよ」黒田が唾を吐くように言い放った。


 拓真の瞼は重く沈み、暗闇が全身を飲み込んでいった。


「苦しいか? まだまだだ」


 村井の声と同時に拳が頬を打ち抜く。鉄のような味が口の中に広がり、膝から崩れ落ちる。高森が冷笑しながら靴先で脇腹を蹴りつけた。


「主将に泣きついたら助けてもらえると思ったか?」


 江藤が耳元で囁くように言い、拓真の髪を掴んで無理やり顔を上げさせる。その目は冷たく、逃げ場のない闇そのものだった。


──相談なんて、しなければよかった……。


 心の中で叫びながらも声にならない。痛みと恐怖が全身を支配し、立ち上がる力も奪われていく。頭の奥で「逃げ道はもうないのかもしれない」という絶望がじわじわと広がり、意識が暗闇に沈んでいった。



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