01:プロローグ
――自分の息遣いが微かに空気を震わせている。
見回した部屋は地下という事もあって外から陽の光が差し入ることもなく、床に置かれた十数本の蝋燭のてっぺんで揺れる火の儚い光たちだけが私の視界に色をもたらしている。
「――其は幾百億の祈り、其は幾千億の願いの果てに紡がれし混沌なる刹那」
微かに揺れる蝋燭の光に照らし出される床面には赤い塗料で魔方陣が描かれている。
私は幾度か深呼吸を繰り返すと手にした分厚い本へと目を落とし、記された文言を言葉として発する。
「悠久の時の狭間にて産声を上げし生まれなき命なき虚ろなる記憶たちよ。我が眼前に其の姿を現せ」
私の手の上でページを開いている書物は、いわゆる『禁書』に該当するものだった。
屋敷の書庫で偶然に見つけた隠し扉。
その奥で見つけたのは古びた一冊の魔導書だった。
書物のタイトルは『アカシャの書』。
私の血筋というのは古くから魔法を研究している家柄で、その兼ね合いもあって6歳くらいから魔導に関する教育が行われていた。
なので大陸で広く使用されている大陸語だけでなく東方語、魔神語、古エルフ語、古代語、といった言語や、その地方で使用されていた魔法の幾つかを学んでいる。
“アカシャの書”は全編が古代語で綴られた本だった。
そこには“アカシック・レコード”と呼ばれる“数兆年ぶんの、人類が発生してから今に至るまで、或いは全ての生物が絶滅するまでの未来の記録”と繋がるための方法が記載されていた。
アカシック・レコードと接続する事が出来れば、あらゆる願いが叶うと本には記されていた。
だから私はこっそり持ち出して解読、真夜中に部屋を抜け出すと地下室で記載されている通りの儀式を執り行っているのだ。
私は、自認する限り強欲な子供なのだから。
「我が魂は悪よりいずる物なり。我が躯は善よりいずる物なり。ならば今、天秤の理をもって大罪を犯さんと欲する」
私は公爵家に産まれた令嬢で、王家とも血の繋がりがある事を踏まえるならお姫様と呼ぶべき立場だった。
今は12歳だけれども、15になったら他国に嫁入りするか、そうでなければ家臣への報償として下げ渡されるかのどちらかになる。
本当に、ほんっとうにクソッタレな人生だと嘆かずにいられない。
そりゃあ、まあ、確かに大貴族の令嬢ともなれば食事は元より身に付けているドレスや宝石だって一級品、この上ない贅沢品に囲まれているし、両親をはじめ身の回りに居る人間は誰も彼もが蝶よ花よと私をチヤホヤする。
だから私だって調子に乗って我が儘の一つや二つは言ったし、気に入らないメイドが居れば虐めて職を辞させた。近づいて来た婚約者候補とか利権目当ての三流貴族どもを罠に嵌めて失脚させてみたりとちょっぴりやり過ぎた感が否めないところもあるけれど、だからといってそんなの誰かに責められなきゃいけないほど大層な事とも思えない。
だって私は大貴族家のお姫様なのだから。
将来的に政略の道具にされるだけのか弱い女の子なのだから多少は好きにしたって構わないだろう。
「天と地と元素の守り手たちよ、我が声に耳を傾けよ。虚空に漂う亡霊どもよ、我が意に応えよ。我は燃え盛る焰にて吹き荒ぶ氷雪。無慈悲なる大地の脈動。切り裂き音を成す風。太陽の光、月に浮かぶ影なり。ならば我、エルティーナ=フォン=ブラッドネスを鍵の所有者と認め、アーカーシャに至る扉を解き放て」
目を落として本に記されている文字と自分の口から紡ぎ出した言葉が一言一句違い無い事を確認、ホッと安堵の息を漏らすのと同時に気合いを入れ直す。
アカシャの書は禁書として扱われている。
私はその理由を知らない。
まあ、何でも望みが叶うと言うのなら、その時点で普通の魔導書と同列には扱えないだろうから、そういった意味合いでの禁書なのかも知れないけれど。
でも儀式を進めていく間に何となく理解し始めている。
私は今、何やら途轍もなく恐ろしい事をしているんじゃないかと、そんな気持ちになってくる。
十数本の蝋燭に火が灯っていて、地下室の通風口が小さいともなれば次第に室温は上がっていく筈なのに、なぜだか寒気を覚え始めている。
背筋がゾワゾワしてくる。
私の内側にある魔力がある瞬間を境にドバドバと流れ出ていくのを感じた。
「アーカーシャの剣よ。我が魂との接続を開始せよ」
ヴンッ、と視界がブレる。
意識が持って行かれる。
私には欲しいものや遣りたい事がたくさんあって、それら全てを叶える為には力が必要だった。
貴族家の令嬢とかいった無価値な配役を根こそぎひっくり返してしまえるような力が。
だから何だか良く分からない本に縋って、危険極まりない術式に手を染めているのだ。
「古の理よ、顕現せよ!」
意識を失う直前で、呪句の最後の文言を叫んだ。
プツリと視界から光が消え去り一寸先も見通せない暗闇に落ちたかと思えば、今度は凄まじい音と映像が濁流のように私を飲み込んだ。
悲鳴を上げる間もなく意識が刈り取られる。
あまりの苦痛から手を伸ばして助かろうとする。
なのに伸ばした手は指先から砕けて塵になっていく。
手首から腕へ、肩へ、胸へと広がっていく崩壊。
止まらない。痛みを感じないのが逆に恐ろしい。
恐怖のあまり悲鳴を上げた、つもりだった。
けれどこの時にはもう金切り声をあげるための唇さえも残ってやしなかった。
(ああ、こんな事なら、止めときゃ良かった……)
後悔の念を覚えたのが最後。
意識すらも泡と消えて、私は全てを失い塵となった。
……なった、はずだった。
「――かはっ!? はぁ、はぁ、はぁ」
ある瞬間、急に息を吹き返した私は荒い息を吐く。
何が起きたのか分からない。
気怠い体に鞭打って身を起こし、見回せば元居た地下室。
床に描いたはずの魔方陣は跡形も無く消失し、あたかも最初から無かったかのようで。
しかし火を吹き消された十数本の蝋燭が、確かにそこで儀式めいた魔法が執り行われていたのだと暗に告げている。
「ふ……ふふ……そうか……そういう事だったのね……クソッタレ!」
私の唇からようやっと吐き出されたのはそんな言葉。
儀式を終えてから分かった事がある。
それは――。
「まさかこの世界が遊戯盤で、私が王女の取り巻きAだったなんて。舐めやがって……」
――私は、知識を獲得した。
アーカーシャ、別名アカシック・レコードとは、ありとあらゆる世界で起きた事象や発明された物の構造原理といった知識が空間に焼き付いている状態を指す言葉であり、アクセスすることでそれら無数の情報をデータとして脳内にダウンロードする事が出来る。
そこには不特定多数の誰とも知れない人格や記憶なんてのも含まれているワケだけれど、人間一人の脳の許容量で全てを記憶するなんて到底無理な話で、だから自然と自分が生きている世界と親和性の高い情報を選別、取得することになる。
おかげで私は自分がそれまでどういった人間だったのか分からなくなってしまった。
体は12歳の女の子。
でも中身は多重人格的な何か、といった具合だ。
とは言っても生活している環境に目まぐるしい変化があったり過度のストレスに晒された環境でもない限り、それら雑多な人格というのは順応し統合されてやがて一つの人格になる。
だから私の脳内で今まさに行われているカーニバルだって時間の経過と共に沈静化するってな話だ。
まあ、そんな事はどうだっていい。
目下、問題なのは私が生まれ育ったこの世界というのが別世界、厳密に言えば地球という惑星のニホンという国で売り出されているRPGそのものの世界観で、私という存在がドット絵だけでスチル絵はもとより台詞すら無いモブ子であるということ。
うむ、ここでゲームの概要を述べておこう。
主人公は召喚の儀で呼び出される4人の少年少女たちの内の一人、勇者ヨシハル(名前変更可)。
こちらハイファン王国の第二王女フィリアが勇者召喚とかいう大魔法を発動させる所から物語は始まり、勇者、聖女、賢者、それから初期は無能だけど覚醒イベントを経て影の勇者になるキャラの四人は、何やかんやで魔王軍と戦い魔王を討伐するとかいう話になっている。
ここまで聞けばよくあるRPGなんだけど、実はこのゲームには恋愛システムが搭載されており勇者への好感度が高いヒロインは最終的に彼の妻となり、続編だと二人の子供が主人公になるクソ仕様だったりする。
いや一対一ならまあ分かるんだ。
純愛ラブってのも、ある意味リアリティがあるし素敵な事だと。
けれどそうじゃない。
勇者は何人でも妻を娶ることが出来るし、他の男性キャラと恋仲になっている女の子だって寝取ったり脅迫したり洗脳したりでハーレムの一員に加えることが出来る。
現実に居たらソイツは紛う事なき女の敵なのである。
一方で勇者を召喚したフィリア王女も清純かといえばそんなことは無い。
手駒にしている暗殺者集団を使ったり、あれこれと画策して勇者達を戦争の道具にしようと企てる。
物語の後半でフィリアは勇者の手に掛かって死ぬが、この時にも条件次第で奴隷化、勇者の夜のお世話係にされた挙げ句に娼館に売り飛ばされるなんて流れもある。
うん、表現が抽象的でマイルドになっているだけで18禁指定になっていても全然おかしくない内容だと思うんだ。
それで問題は王女の取り巻きAであるこの私エルティーナはどうなるのかと言えば、大した活躍も無いまま王女と命運を共にする事になる。
これだったら乙女ゲームの悪役令嬢みたく断罪されて国外追放にされる方がまだ幾らかマシだろう。
「よし決めた。私は家を出て隠遁生活を送る! 彼らには最初から最後まで一切関わらないようにしよう!」
床に並べ立てた蝋燭をいそいそと回収し一切の痕跡を残さないよう綺麗に掃除しつつの私はそっと決意を口にするのだった。




