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28話 交渉~神代side~



 午前八時。

 美浜スカイタワーの最上階。神代浩二は、朝陽に照らされた街を眺めながら、磁器のカップに注がれた紅茶の香りを静かに楽しんでいた。


 窓の外では、黒い煙が幾筋も空へ向かって伸びている。昨日放たれた「猟犬」たちが、期待通りにこの街を蹂躙し、偽りの平和を食い散らかした痕跡だ。


 その時、コンソールパネルの一角で、赤いランプが規則的に点滅を始めた。


 傍らに控えていた黒服の部下が、タブレットを確認して神代に歩み寄る。


「……ボス。粛清の準備が整いました。しかし、外部から通信が入ってます。市役所の防災地下回線をジャックされました。発信元は、県警の合同対策本部です」


 神代は満足げに目を細めた。


「意外と早かったね。昨夜の爆破で通信網を叩いたはずだが、警察専用の予備回線を掘り起こしたか。……繋いでくれ。彼らの『挨拶』を聞こうじゃないか」


 スピーカーから、僅かなノイズの後に男の声が響いた。


 低く、穏やかで、それでいて相手の警戒を解くような、不思議な柔らかさを持った声。


『――こちらは警察です。まずは、対話に応じてくれたことに感謝します』


 神代は優雅に椅子に深く腰掛け、マイクに向かって微笑みを浮かべた。その声は、かつて市の職員として市民の相談に乗っていた頃のような、丁寧で温かみのあるものだ。


「いいえ、構いませんよ。こちらこそ、もうすぐあなた方警察から連絡が来るんじゃないかと思って、待ちわびていたところです」


『ははっ。そうですか。それはお待たせしてしまって、申し訳ないことをしましたな』


 男の返答は軽やかだった。だが、神代はその声の裏側にある、冷徹な観察眼を感じ取っていた。


『では、少しゆっくり話しましょうか。まずは……あなたのお名前をお聞きしてもよろしいかな?』


「私は、神代浩二と申します。といっても、ある程度目星はついていたのでしょう? 隠す必要もありません」


『いやいや、まだこちらもバタバタしていましてね。こうしてお名前を直接聞けただけで、まずは大きな前進ですよ。神代さん、とお呼びしても?』


「ええ、お好きにどうぞ」


 神代は紅茶を一口啜り、不意に声のトーンを一段落とした。


「ところで……あなたの方は、ずいぶん落ち着いた声だ。その声質、発声の仕方から察するに、体系は少し痩せ型。そして、極限状態の相手を刺激しない絶妙な言葉選びと、懐に潜り込むような優しい口調……。警視庁捜査一課、特殊犯捜査係。交渉担当警部補の、篠原さん。……違いますかな?」


 スピーカーの向こう側で、僅かに息を飲む気配がした。


 数秒の重苦しい沈黙。


 神代は、その静寂すらも楽しむように目を閉じる。


『……なるほど、なるほど。どうやら、こちらの内部情報にも随分と詳しいようだ』


 篠原と呼ばれた男の声から、先ほどまでの「柔らかさ」が剥げ落ち、プロの鋭さが滲み出た。


「交渉人が接触してきたということは、街を囲っている山の向こうに部隊を待機させ、突入の準備がある程度整ったということでしょう。それと、人質……この街全体に仕掛けられた爆弾についての情報が欲しい。そうですね?」


『……どうやら下手な小細工は時間の無駄なようですな。神代さん、率直に聞こう。あなたの目的はなんだ? 街を孤立させ、無差別に市民を襲って、一体何を成し遂げようとしている?』


「私の目的は、美浜町の浄化と粛清だ。篠原警部補」


『浄化と粛清……? あなたは美浜町に対して、何か深い恨みがあるのだろう。だが、この街には何も知らない無実の人々も大勢いる。私は、罪のない人たちにこれ以上傷ついて欲しくはないのだ』


 神代は、耐えきれない滑稽な冗談を聞かされたかのように、低く笑った。


「それは間違っているぞ、篠原警部補。この街で『罪のない人間』なんて、一人もいない。皆、等しく罪人だ」


『どういう意味だ?』


「この街の繁栄は、不正と隠蔽の上に築かれた。行政、警察、そしてそれを黙認し、恩恵に預かってきた住民たち。彼らは真実から目を背け、一人の男の家族が奪われるのを笑って見ていた。……無知は罪であり、無関心は悪だ。誰もがこのシステムを維持する歯車である以上、皆、共犯者なのですよ」


『……あなたは、非常に思慮深い人間のようだ。神代さん、そんな知性のある人が、ここまでの惨状を引き起こす。その恨みの正体は、いったい何なんだ? 解決の方法は、破壊以外にもあったはずだ』


「恨み、か。そんな安い言葉で片付けないでほしいな」


 神代の瞳に、赤い焔が宿る。


「私の家族はこの街に殺された。……そして、あなた方警察もその片棒を担いだのだ。十年前、この街の上層部が行った不正を、あなた方は握り潰した。私の告発を金で見ぬふりし、証拠を闇に葬った。私から愛する者を奪ったのは、この街という歪んだ巨大な意志だ」


『神代さん、それは――』


「言い訳は不要だ。……さて。言葉での対話はここまでにしよう。あなた方に、私の『正義』の証をお見せする」


 神代はコンソール上の特定のボタンを、慈しむように押し下げた。


 刹那。


 ズゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!

 

 スカイタワーの窓ガラスが僅かに震えるほどの重低音が、美浜町の外周全域から響き渡った。


 丘陵地帯、海岸沿い、崖。街を外部から隔絶するように、神代があらかじめ設置しておいた何百もの爆弾が一斉に起爆したのだ。


 凄まじい衝撃波が山々を揺らし、立ち上がった火柱が天を突く。


 美浜町の外縁は、瞬く間に紅蓮の炎の壁によって囲まれた。それは、外部からのいかなる侵入も、内部からのいかなる脱出も許さない、文字通りの「地獄の結界」だった。


「……っ、神代! 何をした!」


 篠原の悲鳴に近い叫びがスピーカーから漏れる。


「私の要求はただ一つ。外部の警察は、黙って外から見ていたまえ。一歩でも突入や、余計な動きを試みてみろ。……その時は文字通り、この街全体を四十万人の人質ごと、粉々に吹き飛ばしてみせよう」


『ま、待ってくれ! 神代さん! 話せば――』


「では、ご機嫌よう、篠原警部補。これから行う、特に『罪深き者たち』への粛清……。特等席で、指を咥えて見届けるといい」


 神代は冷徹にスイッチを切り、通信を遮断した。


 スピーカーからは虚しいノイズだけが残り、部屋には再び静寂が戻った。


 神代は冷めた紅茶を一口飲み、窓の外の炎の壁を見つめた。


「さあ……今日のメインイベントを始めようか」


 彼の瞳には、これから始まる凄惨な儀式への歓喜と、救済という名の狂気が、静かに、だが確実に渦巻いていた。


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