1-6
「――あら、貴方達はさっきの」
職員室には一人の女性を残し、他には誰もいないようだった。
「海江田先生。もう、大丈夫ですか?」
「え、ああ……さっきは恥ずかしいところを見られちゃったわね、ごめんなさい……えっと」
「一年の綾城です。……えっと、甘いもの食べると、少し気分が落ち着くっていいますから、これ……」
出迎えた女性教諭の名前は“海江田”というらしい。綾城がポケットから何かを取り出した。飴玉のようだ。
どうも顔色が優れないように見えるが……そうだ、思い出した。この人はさっき山田先生と一緒にいた先生。小川先生の名前を呼んで泣き叫んでいた、あの女性教諭だ。
「僕も、もし身近な人があんな姿になって見つかってしまったら、きっと錯乱します」
海江田先生は右手首をさするような形で左手を添えさせている。また朝の出来事を思い出してしまったのだろうか、肩がかすかにふるえていた。
……なるほど。妙に人が少ないと思ったら、恐らく他の教員たちは今日の事故の後処理で忙しく席を外しているのだろう。さっきも随分と泣いていたようだし、憔悴した様子のこの先生に無理させられないという判断か。
「……ありがとう。……きっと小川先生、何か思いつめてたんだと思うの。それなのに私、気付けなくって」
「仲が良かったんですね」
……そういえば、綾城がさっきから流暢に喋っている気がする。
さっきまでチワワみたいにプルプルしていたのが嘘のよう。
華のある顔立ちも手伝っているのか、堂々と、そして優しい言葉を添えていく今の綾城は何というか……天使か何かみたいだとさえ思える。海江田先生の方も、先ほどまでの思いつめたような強張った表情から、徐々に憂いつつも優しい表情へと装いを変えていくのが見て取れる。なんだ、これが美少年パワーか。
「ええ……私と小川先生は……年は向こうが上だけど出身が同じ地方でね。小川先生からは地元の食材をいただいたりして、良くしていただいていたの」
「そうですか、それは辛いですね……。でも、死んでしまったわけではないのだから」
「そうね……」
――あれ?
今、一瞬だけ海江田先生の表情が曇ったような。なんだろう。まるで――
「――おい。綾城」
「……?」
「何? じゃねえよ。お前な、あんだけペラペラ話せるなら俺を頼るな。自分の言葉を自分で喋れ」
――水野との待ち合わせの時刻が差し迫っていたこともあり、俺と綾城は職員室を後にした。
途中通りかかった事故現場にはすでに警察の姿もない。ただ、血の染みついた後だけが生々しく朝の記憶を呼び覚ます。
初日から見てしまった嫌な光景とすでにシワが残ってしまった制服の事を思い出した俺は、後ろをとぼとぼと歩く綾城の方へと向き直った。
「……眼鏡を外したら、視界がぼやけるから……多少ましになるだけ。喋るのは苦手だから、聞き出し専門で……華澄だと、煽り口調になるから、これが僕の仕事……良く見えないから、転ぶし……あんまり、やりたくないけど」
小さな声で細々と答えると、綾城は大事そうに眼鏡を指先で押さえる。
「お前さ……いやなことは嫌だって、たまには水野に言ってやった方がいいぞ」
この、なんだ……? “周りの人が怖い”って顔してるくせに頑張られてしまうと、なんか妙に可哀そうに思えてしまって、この日一日蓄積した苛立ち何かもどうでも良く思えてしまう。
「……うん、でも……真琴がいたら、あんまり怖くないから、大丈夫」
「そっか……野郎と分かり合えても嬉しかねえ。あーもう! せめて綾城が美少女だったらなあ!!」
「そっちの趣味は、ない……」
「ある方が困る」
―――
「――ご苦労。その様子だと、ちゃんと仕事はしてきたようだな。さあ情報をよこせ」
「仕事て」
校門前では、すでに俺達の事を水野が待ち構えていた。
遠くから見る分には、何やら憂いている知的な美少女といった雰囲気なのに口を開くともうだめだ。俺が綾城に代わり先ほど聞いてきた話を説明してやると、水野はなぜか得意げに鼻で笑っていた。
「……なるほど。ちなみに、話していて何か気付いたことはあったか?」
説明し終えると、水野は俺の顔を見上げ首をかしげる。めっちゃ健気に頑張って話を聞いてきた綾城はこの間完全に空気だ。ちょっと可哀そう。
「どうだ?」
「ど、どうだって言われても……俺は話聞いてるだけだったし、海江田先生は終始泣きそうな顔して……あ」
――記憶をたどる。そうだ、そういえば。
「――そういや、何となくだけど……海江田先生、一瞬だけ“嘘ついてる”みたいな顔したような」
そう。俺は一瞬だけ海江田先生の表情が歪んだ気がしたんだ。
それは綾城が“死んでしまったわけではない”と告げた時だ。何となく、だけどあの時だけは先生の表情が“同意しかねる”って言っているように思えた。
――まるで、“死んでしまった方が良かった”とでも言いたげだ、と。
「……さすが、私が惚れ込んだ男だ」
記憶をたどりながら、俺はそのまま言葉を口にしていたらしい。目の前で俺を見上げていた水野がにやりと笑う。……は、いや待て。今この女なんつった!?
「惚れ……っ!?」
……特別に俺がウブだとか、女慣れしていないから、というわけではなく。誰だって面と向かって好意を仄めかされたら戸惑うものだと思うんだ。ああ、別に俺が女慣れしていないからというわけではなく!
そういう意味として捉えていいのだろうか――
「……さあ、行くぞ! やはりこれは傷害事件だ。推理ショーと行こうではないか! うはは! 楽しい! 私は今、最高に楽しいぞ! うっはははは!」
――あ、はい。前言撤回。やっぱりこの女ダメだ危険物だ。
戸惑うばかりだった俺をよそに、水野は突然気がふれたかのように笑いだす。痛快なコメディでも見ているかのような顔で、本当に楽しそうに。
「……今、笑うポイントあったかな」
この女の思考パターンが全く読めない。っていうか今完全に“楽しい”って言ったよな?
俺がぽかんとしているのをよそに、さっさと水野はどこかへ向かい走り出す。走る姿はあまり可愛くないな。今まで空気と同化していた綾城が“追いかけよう”と肩をつついてきたことで、ようやく俺は我に返ったのだった。