2-5☆挿絵アリ
「頼もう!」
「入り方」
一足先に職員室に着いていた華澄は勢い任せに扉をスライドさせている。
入学早々、こんな通いなれる場所にはしたくなかったな、華澄といる限りは仕方がないけど。
「……ああ、風見さん? ええ、そうよ。私が呼んだわ。……昼の二時過ぎだったかしら、風見さん宛に電話が入ってね」
春宮先生はまだ三十前後の女性。校内でも人気がある美人、という事らしいけど……右手の薬指がきらりと光った。ああ、既婚者という事か。
「教員春宮! 聞きたいことがある」
華澄が春宮先生の机を片手で叩きつける。まるで犯人を問い詰めるベテラン刑事のような風格……だけど、今適切な所作ではない、と思うな。
真琴も頭を抱えている……このままじゃただの迷惑行為だ。とっさに眼鏡をはずすと、ぼやけた視界の端に見えた真琴に“華澄を引き離して”とアイコンタクトを送る。きっと彼なら伝わるはずだから。
「すみません、あの……差し支えなければ、どういった電話だったのか、教えてもらえませんか? 僕も急ぎの用事があったんですが、内容によっては考えないといけないので」
「……ああ、そうなの? そうね、でも詳しくは聞いてないわ」
少しだけ語気が弱まった気がする。聞き出せるかどうかは問題じゃない。とりあえず今必要なのは“つまみ出されてしまわないようにすること”
僕の言わんとすることを察してくれたのか、真琴は華澄と共に先生の死角へとさりげなく身を潜めてくれた。
「家の方だったんですか?」
「いいえ。えっと……ごめんね、名前は忘れちゃった」
「女性ですか?」
「……若い男性よ……その……」
思った以上に春宮先生は素直な人であるようだ。僕の問いかけにしっかりと答えを返してくれている。僕は真琴とは違う。その答えの真偽は分からないけど、今必要な情報ではないだろう。
「ちょっと、大声じゃ言いにくいんだけど。……警察官の方だったの」
「警察……?」
「ええ、“妹さんの事で至急伝えたいことがある”って」
……え、警察に呼び出されたの?
さらっと、とんでもなく重い情報を聞き出してしまった気がする。本当に急用で帰らざるを得なかっただけなんじゃないか……?
「……このことは聞かなかったことにしておきます。ありがとうございます」
視界の端で、華澄が何やら奇妙な踊りを踊っている。どうやら“時間を稼げ”と言っているようだ。
「と、ところで、この一筆箋と封筒は春宮先生のものですか?」
「……そうだけど、まだ何か?」
「いえ、春らしくていいデザインだと思ったので」
「ああ……私、苗字に“春”が入っているでしょう? だから、つい」
春宮先生の視線がこちらに向いていた隙をついて、華澄が一筆箋から何かを抜き取ったのが見えた。なるほど、気をそらしているうちに楓李さんが残したかもしれない痕跡を探ろうということか。
「手に取って見ても構いませんか? どこで買ったんですか?」
「駅前に新しくできた本屋さんよ」
華澄の不審な挙動を悟られないようにするためには、多少強引でも僕が“上書きする”事が手っ取り早い。雑談をしながらも様子をうかがう。幸い、先生は華澄の行動には気付かなかったらしい。
気が済んだ様子で、華澄は僕を置いてさっさと職員室を後にする。さり気なく横に戻ってきた真琴が代わりに何かを預かったようだ。僕が一筆箋を手渡すと、ぎこちない振る舞いで何かを差し戻していた。
「――“収穫はあったか?”ってよ、水野」
「ああ、下敷き代わりの厚紙に筆跡が残っていた。貴様が教員春宮の気を引いてくれていたおかげで採取完了だ」
僕と真琴が楓李さんの教室まで戻ると、そこにはすでに華澄の姿があった。
何故かしたり顔で楓李さんの席に腰かけ足を組んでいる華澄は、一枚のメモ紙を机に置く。
薄い鉛筆で塗りつぶすことで爪痕のように残った筆跡を映し出したらしいメモには楓李さんの綺麗な字がくっきりと見えた。
“無弥、無阿仏”
「――これだけ?」
「……ふん、オリジナリティのかけらもない単純な暗号だよ。随分となめられたものだ」
「どゆこと……」
苦労して採取したというのに、メモ紙にはたった五文字の漢字が並べられているだけ。
江戸川乱歩をテーマに取り上げた楓李さんの書いた文字だ。この五文字以外に主張したい言葉は無いということだろうと僕は理解できた、けど……。真琴が助けを求めるように僕を見ている。
“理解する必要はないぞ”と華澄は言うけど、置いていくわけにはいかないよね。
「……さっき話した二銭銅貨、って話。あの作品には点字を用いた暗号が使用されていたんだ。点字は……濁点などを除いた、五十音のひらがなは全て六つの点と線で構成されている。二行と三列って形で」
「ああ、あの……あいつ、額に書いてある点々みたいなやつか。誰だっけ、ああそうクリリ」
「“南無阿弥陀仏”、って六文字の経文があるよね。……で、これは同じ構成に置き換え、点の部分だけを書き記すことで文章を紡ぐっていう、そういう事」
僕が真琴に説明をしている傍らで、華澄は実際に書いて試していたみたい。
……は、良いんだけど……楓李さんの残した暗号の紙に直接書き足すのはどうなんだろうか。
「“二銭銅貨”とはどうやら逆のようだ。意味が通じなくなってしまう」
「逆って?」
「二銭銅貨、では……点の部分だけを書き起こす……だけど、逆、つまり点の部分を消している、って事?」
「え、待てよ。という事は」
「ほ、ん……え、それだけ?」
メモ紙の端に書き足された点字、それは二文字のひらがな――
真琴がようやく話に追いついたと分かると、しびれを切らしたように華澄が机を叩いた。
「……なるほど、プロファイリングに失敗していてもちゃんとここにたどり着けるように保険を掛けたのだな、あの女」
――そう、あの本だったんだ。
華澄が引き出しからもう一度小説を取り出す。