世はこともなし
先野光介は黙って三条の話を聞いていた。
現場近くのコーヒーショップである。テーブルをはさんで、三条はここまでのあらましを説明した。
「信じられんな……そんな話」
「先野さんならそう言うと思ってました」
「それでもなお、おれにその話をしたというのなら、三条さんの見聞きしたことは、少なくとも本当だと思っている。ただそれが真実かといえば違うかもな。薬で幻覚を見せられたのかもしれない……」
犬霧凰現神父の名刺をしげしげと眺め、そう言う先野だったが、自分の説を信じてはなさそうだ。
「どちらにせよ、先野さんの見立ては違ってましたね」
澄麻希が時下寛也に惚れていると断言していたが、大ハズレである。
「まぁ、マトモな状況でなかったということなら、当てられっこなかろう」
が、先野はそうとりつくろった。
「通常の条件だったら、あれは惚れてたと思う」
三条には負け惜しみのように聞こえたが、このことを深堀りしても意味はないと思った。
「それより時下さんにはどう説明するんだ?」
そんな三条への気まずさをごまかすかのように先野はそう質問してきた。
「嘘は言えません。正直に説明するしかないでしょう」
「だとするなら、犬霧神父を同席させたほうがいいだろうな。それにしても、人の幸運を集める妖精か……おとぎ話だな」
運の良い人間というのは確かに存在する。本人の努力とはべつのところで人生の勝ち組になっていくのだ。IT企業の社長の男も然り。「運も実力のうち」ではなく、「実力も運のうち」ということなら、神に選ばれし存在といえるだろう。が、そんな強運を集めてまわるというのは荒唐無稽も甚だしい。
「あるいは、苗森妻にそそのかされたという話でまとめたほうが無難かもな。時下さんって、いったいなんの運がいい人だったんだろうな」
「そうですねぇ……」
三条は想像を口にする。
「宝くじで大金を手にしたのかもしれませんよ」
「どうだか」
先野は鼻で笑う。
カネの匂いを感じない青年であった。ただ、興信所に依頼できるぐらいの貯蓄はあるのだろう。警察では人間トラブルを事前に防げないとの思いで、自分の身を護るためなら安いものだという判断なのかもしれなかった。その意味では興信所を使ったのは正しいだろう。
「先野さんは苗森さんにどう報告します? 奥さんの浮気はなかったわけですよね」
「おれのほうは調査が進んでいない。三条さんの言った話が本当だとしても、おれはおれの調査で結論を出すさ。もっとも、おれはサブだからな。依頼者への報告はおれじゃなく案件担当者の仕事だ。――今日の話は、ここだけのことにしとくよ」
「信じてないですね?」
「当たり前だ」
先野はぴしゃりと言った。
「眼の前で手品を見せられても、手品師が魔法を使ったとは思わないだろ」
三条は言い返せなかった。見たことさえ疑う……もしかしたら、先野は推理小説に出てくるような名探偵の素質があるかもしれない。
いや、案外――と三条は思った。
(真実は先野さんの言ったとおりかもしれない。わたしたちはなにかしらの幻覚を見せられていた、あるいは見たと思い込まされていたのかもしれない。通常は、脳が認識している世界と現実が一致しているが、いつもそうとばかりはいえない。金縛りなんかがいい例だ。あれで見たものはおそろしくリアルだ。現実ではないにもかかわらず……)
IT企業の社長とのつながりを調べて尻尾をつかみたい――とつぶやいて、先野は冷めてしまったコーヒーを飲み干す。いまはもうそのことしか頭にないようだった。
☆
興信所というのを信用していいのかどうか、今回のことですごく思った。
除霊まがいのことを、ボランティアと称して無償でしているという怪しげな神父と二人して説明を受けて、時下寛也は不信感をつのらせた。妖精に操られた寺澄麻希を偶然大学近くで発見して……という神父の話の最初から、もうあり得なかった。
とはいえ、目下の懸念である寺澄のつきまといは、それを機になくなったのも事実であった。それさえ解決すれば問題ない。これから誰に煩わされることなく平穏な生活が送れるのであればそれに越したことはなかった。
そういう意味においては、どういう理由であれ貴重な財産は守られたわけで、興信所を頼ったのは間違いではなかったといえる。
時下は満足だった。とりあえず――。
☆
ある日を境に妻の様子が以前に戻っていた。家を留守にすることもなく、仕事の終わりにも連絡してくれたし、不審なところは見られない。
もしや、探偵の調査が入っていることに気づいて目が覚めて別れたか、あるいはしばらくは自重するつもりでいるのか。
興信所からの中間報告には、まだ確実な浮気の証拠は得られてないとあり、調査は続行中である。が、調査が長引けば長引くほど費用は膨らんでいく。ここらで他の探偵社に依頼を変えたほうがいいかもしれない。あるいはいったん調査を打ち切ってしまうほうがいいか――。
中間報告にあった「とある集団」というのが気になったが、浮気でないのならそれとなく妻に直接尋ねてみてもいいだろう。
【幸運の妖精】(了)




