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しんどい興信所の超常探偵  作者: 赤羽道夫
幸運の妖精

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230/231

妖精戦

 夜の公園で三条とわかれたあと、先野光介は直感的に尾行対象を変更していた。

 あの光景から察するに、妻が浮気をしているという、依頼者である夫の見立ては見当違いかもしれない──そう考えた。夜の公園に集まっていた集団の正体をつきとめることで苗森妻の疑いは晴れるだろう。もっとも、場合によっては浮気よりも始末が悪いかもしれないが、そこはもう当事者同士でなんとか穏便に解決してほしいと望む先野である。

 集団のなかで、これはと目をつけた人物は、四十歳ぐらいの男性だった。どことなく普通の人間とは異なるオーラをまとっていた。その直感は図らずも当たっていた。なんと、急成長をしているIT企業を創業した社長だったのだ。

 これは大きな魚を見つけたかもしれない。そう思い、その会社について調べた。どんな経緯でいつ頃設立したのか、現在の年商や取引先との関係など。

 そんなことをしているときに電話がかかってきた。事務所のデスクでパソコンを開いていた先野は、スマホの表示を見る。

(三条さん……?)

 何事だろうかと、通話アイコンをタップ。

『先野さん、いまどこですか?』

 いきなり訊かれた。

「どこって……事務所だが……」

『取り込み中ですか?』

「いや、ネットで調べ物をしていたんだ。そうそう、あの集団に大物がいたぞ、実はな――」

『すぐに出られませんか?』

 三条は、らしくもない口調で先野のセリフをさえぎった。

「どうしたんだ?」

『苗森蒼美さんの職場に来てほしいんです。電話では説明しにくので会って直接お話します。わたしもそこへ行くので』

「そこへって……だが三条さんの担当は……なにかわかったんだな」

『はい』

「わかった。すぐに出るよ」

 通話を切った。事情は話してくれなかったが、あの様子だと相当重要なことだと思えた。

 システム手帳をスーツの内ポケットに入れ、先野は席を立つ。

「ちょっと出かけてくるよ」

 事務所を出ようとしたとき、すれ違ったマネージャに一言告げる。

「三条さんからの呼び出しなんだ」

「あれま。緊急事態かしら? 行ってらっしゃい」

 事務所を出て最寄り駅に向かった。ここからだとスムーズに行けても到着に三十分はかかる。正午の少し前ぐらいになるだろう。

 三条はなにをつかんだのか――おそらく例の集団の核心に到達したに違いないと先野は推測する。苗森蒼美は浮気ではなく別のことで動いているという証拠を見つけたのだとすると、調べていたIT企業の社長ともつながっているかもしれない。

(これで解決か――さすが三条さんだな)

 乗っていた電車が突然ブレーキをかけて停止した。そして車内アナウンス。

「お客様にお知らせします。ただいま先を走る電車に車両トラブルが発生し、全線で一時的に運行を停止しました。安全が確認されるまでしばらくお待ちください」

(なんだと?)

 先野は腕時計を見る。

(まいったな……すぐに運転再開されたらいいが……)



  ☆



 すぐにでも妖精を退治しなければ――。

 そう言う犬霧凰現神父のただならぬ熱意に負けて、三条は、苗森妻の働くオフィスビルに神父と、そして寺澄麻希を案内した。寺澄には大学に戻っていいと三条も犬霧も言ったが、自分を操っていた正体が知りたいとついてきた。

 ついでながら先野光介にも電話した。担当案件に関わることだけに、事務所にいたところ、すぐに行くとの返事だが。

「感じる……妖精の気配が……」

 オフィスビルを見上げ、犬霧神父はそう口にした。こんな厨二病のようなセリフを吐かれて、聞き流さずにいるのは苦痛でもあった。

 会社の事務所に行くわけにもいかず、苗森夫に電話で外へと呼び出してもらうことにした。三条が必要なことですと頼むと、わかったと引き受けてくれた。

 ほどなくして、紺の事務服を着た苗森蒼美は出てきた。きょろきょろと夫の姿をさがして――犬霧神父の顔を見た途端、表情が豹変した。てっきり夫がビルの玄関口にいるとばかり思っていたのに、そこにいたのは……。

「退がって!」

 神父が三条と寺澄に叫ぶと一歩前へ出た。

 そのせつな、苗森妻の双眸が異様に大きく開いたかと思えば、瞬きする間もなく神父との間合いをつめてきた。そのスピードは明らかに人間離れしていた。瞬間的に、犬霧凰現神父が只者ではなく、大きな脅威であると感じた行動だった。

 神父の首に苗森の両手が伸びて締めつけようとした次の瞬間、

「ぐわぁぁ!」

 苗森妻が天を仰いで悲鳴をあげた。獣のような声だった。

 神父の手が韻を結んでいた。手首を回して別の韻は別の形へ。口からは日本語ではない言葉――ラテン語?

 苦しそうに喉をかきむしる苗森妻の顔が緑色に変化してゆく。目や鼻の造形も、肌の色も変化するにつれて異形のものに変わっていった。

 三条と寺澄は、言葉もなく目を見張るしかない。まるでハリウッド映画のワンシーンのような光景が眼の前で展開されているのが信じられない。

 苗森蒼美だったものの体から紫色の湯気が立つ。それとともに輪郭がおぼろげになっていき、それは空気に溶けていくかのようだった。もはや明らかに人間ひとではない。

 耳に残るような悲鳴をあげながら、みるみるうちに消えていき、やがて痕跡すら残らず消滅した。

 犬霧神父がその場にしゃがみこむ。全力疾走した直後のように息が荒い。

「だいじょうぶですか!」

 三条はその背中に声をかける。

 振り返った神父は額に汗を浮かべているが、どこかホッとした表情で口元に笑みを浮かべ、だいじょうぶだと返事した。

「これはいったい……」

 一部始終をその眼で見ていたにもかかわらず、三条はこの現実が受け入れ難い。一方、寺澄麻希は絶句したままだ。

「妖精は退治された……。早晩、本物の苗森さんは解放されるだろう」

 一分にもみたないわずかな時間であったが、激しい闘いであったのだろう。

「入れ替わっていたときの記憶はあるんですか?」

「あるが、それを話すことはできない。話そうとしても話せないのだ。その話をしようとしても口が動かず声もだせない」

 ということは、妻の口から夫に真実は告げられない。妖精に〝監禁〟されていた間のことは墓場まで持っていくことになる。

 となると……と、三条はすでに時下いらいしゃへの報告書のことを考えてしまう。これを正直に書くべきか……。虚偽の報告はよくない……かといって、見たままを書けば正気を疑われかねない。下手をすると興信所かいしゃの評判まで悪くする。

「もう安心なんでしょうか?」

 寺澄はまだ不安を覚えている様子。

 もちろんだ、と犬霧神父は微笑む。

「操られていた他の人たちも、何事もなかったように元に戻るだろう。もしなにか異変が起こったのなら、名刺にある番号に連絡してくれればいい。では、私はこれで」

 仕事を終えた神父は愛想もなく背を向けて歩き出した。

「じゃあ、わたしも」

 後を追うように寺澄も去っていく。今度こそ大学の講義を受けないと。

 三条だけが残された。

 二人の後ろ姿を見送っていると、その道の向こうから先野がどたどたと走って来るのが見えた。

(間に合わなかったか……)

 ため息をついた。わざわざ来てもらった先野になにを話したものかと、少し考えてしまう三条だった。


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