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少し飛びますが、18話以後のジーク視点となります。
「頭を冷やしてくる」と言った俺は気持ちを入れ替える為に練兵場へ向かう。騎士たちと剣を交え、汗を流せばモヤモヤするものも無くなると思ったのだ。適当に騎士を見繕い、剣を振るっていると怒気を振りまく騎士団長が近寄ってくる。
「殿下!騎士団の奴らで憂さ晴らしするのは結構でしょう。ですが奴らを様々な側面で再起不能にするのは控えて頂きたい!」
そう言われて周りを見れば、地に沈む騎士たちの姿があった。辛うじて剣を杖にして立っている者もいるが、それすらも危うい。そして彼らを再起不能にした俺にはその自覚が無かった。
「…手厚く遇するように」
青筋を立てる騎士団長に俺は視線を泳がせながらそう答える。ヒューを騎士団から勘当した張本人であり、ヒューの師匠でもある彼を怒らせると恐ろしい。
「次回来られる折には、私にご一報くださいよ」
呆れ半分、と言った感じで怒りを収めてくれた騎士団長はいつの間にか刃を潰した模擬剣を手にしていた。その瞳にはこれから起こることを楽しむような光が宿っている。
「奴らじゃ相手にならなかったでしょう。……どうです?」
そう言いながら模擬剣を構えるといきなり斬りかかってくる。容赦のない剣はとにかく重い。そして騎士団長なだけあって、先ほど手合わせした彼らとは一線を画していた。
俺は一撃目を受け止め、続く攻撃を受け流し、鋭く切り込んでいく。騎士団長は後方へ飛び退り、わずかに距離をとった。だがそれは一瞬で、すぐさま剣を繰り出してくる。
その一連の剣戟を繰り返すうちに、どちらともなく大きく距離をとった。
「……おや、嬉しいですね。殿下とは同じ考えのようです」
言葉とは裏腹に全く嬉しそうではない。むしろギラギラとしている。
「俺に剣を叩き込んだ方は、『斬り結んで決着が着かなければ渾身の一撃で叩きのめせ』がモットーだったので」
わずかな静寂のあと、俺と騎士団長は間合いを詰める。そして剣と剣とがぶつかり合う音が練兵場に響き渡った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
久々に騎士団長と思いっきり剣を交えたため、随分と体は軽い。彼ももうそろそろ若いとは言えなくなっているが、あれほどの剣技とは。どのようにして鍛錬しているのか聞きたいものだ。
体を水で清めたあと、クリスや文官たちのいる執務室に戻るとそこはいつもの雰囲気の場所だった。クリスが俺の姿をみとめると、すぐさま寄ってくる。俺が留守の間、クリスたちにはそこそこの負担をかけたことだろう。
「クリス。……変わりなかったか?」
「はい、滞りなく。…ですが、ヒルダ王女が訪ねてお出ででした」
ここ数日、よく耳にするその名に俺は顔をしかめた。王女が来訪してからというもの、よくない事ばかりが起きている気がする。
「殿下ご本人にお話したいことがある、と仰っておりました」
きっと長々と付き合わされるのだ。心底、面倒くさい。
「…。夜までに俺の仕事を終わらせる。クリス、頼んだぞ」
クリスはまだまだ数少ない平民出身の部下の一人だが、迅速かつ丁寧な仕事ぶりは特筆すべき点が多々ある。特に、俺に回ってくる膨大な資料や書類一式を会議の前にまとめてくれているのはありがたい。
「お任せください、殿下」
日は沈み、夜の気配が辺りを満たす頃になって本日分の執務は終了した。クリスたちは俺が留守の間も細々とした書類を片付けてくれていたらしい。おかげでいつもより早い時間帯に切り上げることが出来た。
ひと通りの執務を済ませると、クリスはにっこりと笑う。
「お疲れ様でした。これで妃殿下と長くお話できますね!」
唐突なクリスの言葉に…、特に想い人のいない部下(絶賛募集中)から生暖かい視線を感じるのは気のせいか。仕事終わりの気の抜けた瞬間という場面も相成ってか、雰囲気は悪くなかったはずだ。
「どういうことだ?」
そう問いただすとクリスは首を傾げた。時折、無自覚で爆弾を落としてくるクリスの言動には注意が必要だ。
「どういう、と言われましても…。殿下ご自身が『夜までに終わらせる』と仰ったではありませんか?それって妃殿下と過ごしたいからなのでは…、と勝手に考えておりました」
でしょ?とクリスは片付けに入っている同僚たちに同意を求める。そうですね、とその場にいる全員が首を縦に振るところを見て俺は呆気にとられた。
つまり、彼らは俺がリーファに会いたくて執務をこなしていた、と見なしていたのか。頭を抱えてうずくまりたい衝動を隠し、俺は言い訳のようなものをつらつらと並べ立てた。
「…確かにリーファとは過ごさなくてはならない。が、俺は執務を疎かにするつもりもないし、彼女一人にうつつを抜かす気もない」
それってつまりは惚気……、とどこかで不謹慎な発言を耳にする。
「とにかく、だ。今日の執務は終了、各自持ち場に戻れ」
ぶっきらぼうにそう言い放つと、俺は執務室を出た。そして自然と足は私室のある方向へ向いた。執務が予定より早く終わった今日はリーファもいるのではないか、と淡い期待が胸を占めている。しかし、早いと言っても普通なら寝室に入っている時刻だ。そんな保証はどこにもない。
大公家の関係者のみが入ることが許されたプライベートエリアに入ると、そこに侍女たちの姿はなく、いとも簡単にリーファは寝入ったことがわかってしまう。どうしても王族の女性に付けられる侍女の数は多く、大抵の場合は侍女の具合で動きがわかるのだ。
チクリとした痛みと共に、どこかで諦めのような苦みが胸に広がっていく。もしかしたら、もう……。
「あ、殿下じゃないですか。お疲れさまですー」
はっとして顔を上げると、そこにはヒューの姿がある。執事でもあるヒューは、プライベートエリアに入ることが許されているのだ。俺は廊下の真中で立ち尽くしてぼんやりとしていた状況らしく、ヒューは怪訝そうにこちらを見ていた。
「あ、あぁ。……少し、考え事をな」
「こんなところで?珍しいですね」
未だ首を傾げているが、歩き出したところで後に付いてくる。
「妃殿下はもうお休みになっているはずですよ」
ヒューの言葉はいつでも的確に核心を突く。それは直感的なものなのかを悟らせることはないためにタチが悪かった。
俺は無言を貫き、何食わぬ顔で居間の扉に手を掛ける。シンとした室内は暗く、人の温かさはない。
しかし寝室の扉が開いており、わずかな光がこぼれている。ヒューに居間で待機を命じ、俺は寝室への扉を開けた。
リーファがいるはずの寝室にはだれもいない、もぬけの殻。ぐるりと部屋を見回した瞬間、胸をえぐられるような痛みとが広がった。
「リーファ……、リルフィリア!しっかりしろ!!」
床にひれ伏す姿はルイーゼを喪ったときと酷似していた。忘れてはならない思いが頭の中を駆け巡る。
俺はリーファに駆け寄り、腕の中に囲う。そして居間に控えているであろうヒューを呼んだ。しかし俺の大声に何かを察知したのか、ヒューはひょいと顔を覗かせている。
「殿下ー?何かあったんですか?」
「ヒュー!!!医者と侍女を手配しろ!おそらくは何らかの……」
最後まで言わせず、ヒューは扉を開けたまま走りだす。あの調子ならすぐさま舞い戻ってくるだろう。
毒の類ならば初期対応が最も大切だ。医療には最低限の知識しかないが、リーファの様子を見るに、茶を飲んでいて毒に倒れた訳ではなさそうだ。茶を飲んでいたならば、割れて散らばっ た陶器の破片があるはず。となると、残る可能性は香りを使った毒の可能性が高い。
俺はあえて冷静に状況を判断し、「大丈夫だ」と何度も言い聞かせる。以前抱き上げた時とは違い、リーファはぐったりとしていた。何らかの処置を施さないと、また俺は失ってしまう……。そう思うと、底知れない恐ろしさでリーファを抱きしめる手が震えた。
「殿下!ヘレン殿をお連れしました!」
白衣を着た大公家の専属女医・ヘレンは、常の優雅さをかなぐり捨てて肩で荒い息を繰り返している。もうそろそろ五十路に差し掛かろうかという年齢だという彼女は険しい表情だ。
「殿下、妃殿下は倒れられてどのくらい経ちますでしょうか?」
手を清めながら手早く処置の準備をすると、彼女はそう問うた。真面目に問われたのだが、俺は正確に答える術を持っていない。
「……俺は執務でリーファの側にはいてやれなかった」
「それは……、失礼を致しました」
少なからず困惑したヘレンはちらりとヒューを見た。ヒューは何も言わずに小さく頷くだけに留め、俺に退出を促す。男である俺が、治療される女性の近くにはいられないからだ。
「俺は外にいる。…適切な処置を、どうか頼む」
俺は深く頭を下げてヘレンにそう伝える。上に立つものとして、王族としては間違った行動だと言われるだろう。だが俺は一人の人間として、ヘレンにリーファを託したかった。
「殿下、私には過ぎたお言葉にございますよ。殿下の " 大切な方 " は必ず、必ずお救い致します。このヘレンにお任せください」
さぁ、とヒューにもう一度促されて俺はようやく外へ出る。何もできない自分がこんなに歯がゆいだなんて、思ってもみなかった。
「……リーファ……」
ため息とと共に紡ぎだした言葉は自分でもわかるぐらいに切ない。
「……大切、なんだ」
大切な方、というヘレンの言葉を反芻する。
あぁ、そうか。
無意識のうちに心はずっと叫んでいた。彼女が欲しい、と。
彼女が目を覚ませば、何者でもない一人の男として……
リーファを愛していると、伝えよう。




