18. ねこがなかまになりたそうにこちらを見ている!
仲間がほしい。
そんなふうに思っていた時期もありました。
「にくい……アダムが憎い……」
揺れる馬車の隣の席で、恐ろしいことを呟く獣人少女に、ボクの心は休まることはありません。
(そうだ、リリィさん)
女の子同士、話が通じるものがあるかもしれない。そう思い、ボクは向かいの席に目をやった。
「北の町には、腕のよい調理人がいるんです。人族の方にも食べやすいものがあると思いますよ」
「……へぇ」
「やはり元気がありませんね、リリアンヌ。魔界の空気が合いませんか」
「……隣にいるあんたが嫌」
向かいの席には鬼のミサ。その隣には、死んだ魚の目つきでなるべく離れて座るリリィ。残念ながら、2人掛けの座席であるため、ほぼ距離を稼げていない。
勇者とその仲間、監視役と魔界四天王。狭い4人乗りの馬車に乗り合わせるには、あんまりな顔ぶれだ。
隣では怨嗟の声が続く。向かいの鬼はにこにこと食えない笑顔。
胃がいたい。まだ何時間も、この馬車で揺られる必要があるというのに。どうしてこんなことになったかというと――
***
襲いかかってくる獣耳娘に、ボクは咄嗟に防御した。だけど獣耳娘の爪は鋭い。瞬時に構築した土壁守が、薄布のように切り裂かれてしまう。
(硬度を!)
土壁守の強化を行う前に、爪がこちらへ到達した。
カキィーーーン!
聖剣でガードするも、ボクは後方へと吹き飛ばされた。
壁でしたたかに背を打った。衝撃に意識が飛びかけるが、それでもなんとか体を捻る。
間一髪、強烈な斬撃が、すぐ脇をざっくりと抉り取った。
「こ、殺しは禁止ですよね!?」
「……ご心配なく。何事も事故は付き物です」
淡々と答える少女の目がこわい。完全に殺しに来てるじゃないか!
カァーーーン
再び爪を聖剣で受け止めた。だけど次の瞬間には彼女はいない。
速い。次々と繰り出される斬撃を、辛うじて聖剣で弾き返していく。剣を握る手がジンジンと痛みを訴える。
得意の全方位への土塊砲撃も、あまり効果がない。逃げ場のないはずの弾幕の中を、獣耳の残像が抜けていった。爪が繰り出されるたびに、袖が裂け、前髪の一部がはらりと落ちた。次は無傷では凌げない――
(まずい。奥の手を……使うしかないか?)
秘蔵すべきとは分かっている。だけどこのままじゃジリ貧だ。ボクは判断を仰ごうと、頭上はるか遠く、観覧席のリリィを探す。
「目をそらすんじゃないわよ! バカ!」
リリィの怒鳴り声に、慌てて正面に向き直る。そんな。視線は切らさなかったはずなのに、いない――
「断絶――」
背後からの死刑宣告のような声に、ボクの背筋は粟立った。
振り返った先に、獣人少女はまさに腕を振りかぶったところ。その鋭い爪に、具現化した緑の風が、濃密な気配を放っていた。
(やばい――!)
真っ二つに切り裂かれる自分を幻視した。しかし衝撃は訪れない。
なぜか少女の爪先に宿った力は霧散していた。彼女の視線はボクを逸れ、ボクの背後を見ているようだ。
(観客か!)
見れば丁度ボクの真後ろで、横断幕を掲げた狐たちが、わたわたと逃げ出していた。
「ねこさん!」
いちかばちか、呼びかけてみよう。
彼女は狂人ではない。今も周囲の狐たちの避難を待って、斬撃を繰り出していた。
ここまでの戦いで、ひとつ感じたことがある。
(憎悪――)
焦げ茶の瞳に宿る、昏く鋭い光。それに、戸惑いを隠せない。
何も知らない相手から、それほどの憎しみを向けられる所以がない。
「ころす……勇者は殺す」
相変わらず恐ろしいことを呟いているけれど、狐たちに気を配る、優しい面もある人だ。それにボクはまだ、「勇者」になって数か月。そんな肩書きを理由に、殺されるなんて納得いかない!
「ボクはあなたの敵ではありません!」
聖剣の前に幾重にも、薄い土壁守を展開。よし! なんとか爪の衝撃を防ぎ切った。
「……『勇者』なのでしょう? 主様の敵――」
「確かに、ボクの使命は『魔王アダムの討伐』ですが」
まちがえた。つば競り合いをしながら、せっかく返事をもらえたのに、これじゃむしろ煽ってるみたい――だけど相手の反応は、予想外だった。
「『魔王アダム』を、討伐……?」
ふっと聖剣越しの圧が止んだ。獣人少女が立ち止まっている。指を唇へと運び、何かを悩んでいる様子だ。
理由はわからないが、これはチャンスだ。
「使命だからといって、無闇に殺そうだなんて思ってません」
攻撃の手が止まったこの機会に、ボクは相手を刺激しないよう、努めて真摯に訴えかけた。
「実際にこの目で見て、魔界も、魔界の住人も、思ってたのと違いました」
「まだ、分からないことばかりですけど、まずは会ってみようと思うんです。闘技場制度、魔界のルールに従って、手順を踏んで、魔王アダムに――」
さらに言葉を重ねようとするボクを、少女はさっと片手で制した。
「『魔王アダムの討伐』ですか。よいでしょう――」
「え?」
なにが良いというのだろうか。
「あなたに協力いたします。ともに『魔王アダム』を倒しましょう」
手が差し出された。握手を求められているのだと、遅れてボクは気がついた。
先ほどの殺気はどこへやら。お淑やかにほほ笑む少女に、ボクは困惑するばかりで――
***
「ね、ねこさん」
恐る恐る、となりの獣人少女に話しかけてみた。
「……はい、なんでしょう?」
馬車の中で、きっちりと姿勢を正して座る彼女は、こうして見ると、ただの礼儀正しい少女にしか見えないのに――
「その。一緒に来て大丈夫なんですか?」
「と、いいますと?」
こてりと首が傾げられる。一緒にふわふわの三角耳も傾いた。
「あ、ええと……四天王のお仕事、とか?」
「それでしたら問題ありません。書記官たち、良い人材に恵まれておりますから」
おおすごい。数日くらい、主不在でも回るように、日ごろから人材教育に力を入れているのだそうだ。
(よく考えたら、魔界なのに人族が領地を治めてるってすごいなあ)
思わず感心してしまったが、本題はそこじゃない。
「それで……いいんでしょうか。その。四天王が、魔王に――」
「はい?」
にこやかに聞き返されただけなのに、背筋を冷汗が伝っていく。圧が。圧がすごいです。
「ボクと一緒に魔王討伐って、裏切り行為とかじゃ……あ、腕試し的な?」
「もちろん、殺しますよ」
安心してください、とほほ笑まれるが、ちっとも安心できない。
「いいんですか? だってねこさん、勇者アダムの右腕だったんでしょう?」
いつかリィゲン先生が「勇者史」の授業で話していた。勇者アダムの四人の仲間、その一人が"反逆の獣人奴隷・切り裂き猫"――つまり目の前のねこさんだって。
「私はアダムに忠誠を誓ったのではありません。主様に忠誠を誓ったのです」
主様?
「主様は魔王アダムです」
まったくわけがわからない。
「主様は、アダムの亡霊に憑りつかれているんです。だから私が殺してさしあげないと――」
物騒な内容に反し、うっとりと語る彼女は、まるで恋する乙女のようだ。
よくわからない。が、要するに、”かつて敬愛した主が道を外れた。だからせめて自らの手で終わらせよう”ということだろうか。
「もう主様のこと、好きじゃないんですか?」
もしそうだとしたら、胸が痛い。この人は、愛する人を手にかけようと決心したんだ。辛すぎる決断だ。そりゃあ情緒不安定にも――
「は?」
今日一番の圧に、ボクは押しつぶされそうになった。
「そんな低俗な言葉で、主様と私の絆を貶めるなんて――適当なこと言ってると殺しますよ?」
なにか地雷を踏んだようだ。
リリィさん、寝たふりしないで起きてください。この人、こわすぎます……
***
「人間さん、退屈ー?」
寝たふり娘に、不穏少女、笑顔仮面の監視員。
そしてこれ以上失言を重ねないよう、口を閉ざし俯くボク。
すっかり静まり返った馬車の中で、居心地悪い思いをしていると、すぐ背後から声がかかった。
「赤狐さん?」
「ランだよ。うちの名前」
背もたれの赤いクッションからぴょこんとしっぽが飛び出した。正体は、先日の受付を担当してくれた職員の赤狐。主の快適な旅をサポートしようと、その身をふかふかクッションに変じて、同行してくれていた。
「暇なら、ランが観光ガイドしたげる」
クッションから生えた尻尾が、器用に窓の外を指した。
「見える? まあるっこい建物。あれね、中は畑だよ」
言われてみれば確かに。砂色のドームが、あちらこちらに建っている。
「ドームは全部で136個。東町は、魔界一の作物地帯だよ!」
自慢げに話すラン。
彼女の種族は"畑狐"。野菜を依り代に生きる魔族だそうだ。
「魔界はもともと、植物が少ないの」
僅かに自生する芋を依り代に、畑狐たちは細々と隠れ生きてきたそうだ。
「だけど、ねこ様がきてくれた」
魔王アダムによる闘技場制度で、争いばかりの魔界が少し落ち着いた。そこで次に、食糧の計画的生産が実施されたという。
「ねこ様、すごいんだよ! 見たことのない野菜を、たくさん作ってくれて」
赤瓜、青瓜、緑瓜。魔王たちがもたらした、見たことのない立派な野菜に、畑狐たちは大興奮。
さらに頻繁な砂嵐を防ぐドーム。外敵の侵入も防げるし、これまで依代の野菜から離れられなかった畑狐たちも、安心して出かけられるようになった。
「それでうちらもお手伝いして、畑はこーんなに増えました!」
ドームができたとはいえ、気候の厳しい魔界ならではの、耕作条件、品種改良の試行錯誤があったらしい。おかげで息を潜めるように生きていた畑狐たちは、数を増やし、元気に働き暮らしているんだとか。
話を聞いて、もう一度景色を眺める。たくさんのドームのすべてが畑――改めて圧巻だ。
「それじゃ、ランのおすすめ野菜ランキング――」
可愛らしい魔界ガイドが続く。
ランのお喋りが、この馬車旅の気まずさを和らげてくれた
***
数日も馬車に揺られると、北の町へ到着だ。
故郷の国に比べれば、魔界自体はそんなに大きくないのだろう。
(これならすぐに四天王すべてを回れそうだ)
果たしてその実力が伴うかは分からない。ボクは不安な気持ちで、北塔の受付カウンターへと向かった。
「挑戦者ウィウィコン、3等級。四天王・フレドリック伯への挑戦ですね」
受付の黒髪のお姉さんが、ボクのネームカードを確認した。そう、ボクは今3等級。四天王のねこさんに、「勝利した」ことになっている。
「伯は不在のため、最短でも数日、お待ちいただくことになります」
拍子抜けだ。
なんでも、四天王は常に領地と魔王城を行き来しているらしい。猶予ができたことにボクはほっとして、それでようやく周囲を見る余裕ができた。
「あの、気になってたんですけど」
綺麗な筆跡で、宿泊先の紹介状を書いてくれている受付女性に、ボクは声を少し潜めて聞いてみた。
「お姉さんは――もしかして、人族ですか?」
ペンをとめ、女性はにっこりほほ笑んだ。
「ええ。そうですよ」
どう見てもそうだと思ってたけど、やはりそうなのか。そうしたら――
「外で何人か見かけたんですが、この町、結構人族の方がいらっしゃいます?」
「ふふ。驚かれますよね」
なんと北町には、結構の人族が暮らしているという。その事実に、ボクは困惑した。勇者教育では「人族と魔族は相容れない」「魔界で人は生きていけない」等、散々聞かされていたというのに――
「それでは、早くて一週間後。伯が戻られましたら、宿へ連絡を差し上げますね」
なんでも、魔王と四天王を筆頭に、今は魔界代表者会議の開催中だという。
「あれ? ねこさんは参加しなくても?」
ボクの問いに、獣人少女はふいと横を向いてしまった。どうやら無断欠席らしい。
「良いのです。後で議事録を確認しますから」
魔王は裏切るのに、仕事はちゃんとするんですね。
「それより、せっかくですから、鍛えますよ?」
余計な思考がバレたようだ。「四天王戦対策」の名目で、その後ボクはねこ様から、強化訓練されました――
***
夕飯の時間になりました。
「本日のメインディッシュ。鯖の香草焼き、野菜のグリル焼き添えでございます」
いたた……激しい訓練のせいで全身が痛いが、お腹はペコペコだ。北塔の職員食堂で出された食事は、とてもよい匂いを放っていた。期待が募る。しかし告げられた原材料に、ボクとリリィは躊躇した。
(サカナって、あの化け物のことよね?)
右隣に座るリリィが、ボクの脇を突いて囁いた。
(食べれるの? 食べて大丈夫なの?)
目の前にあるサカナは、よく見知った魚のソテーにしか見えない。だけど怪物の姿はグロテスク。勇者の勘からも、とても食べられるとは思えなかったが――
「きちんと浄化してますので。狂気が感染することはありませんよ」
向かいに腰掛ける獣人少女が解説してくれた。訓練ではあれほど激しく動いたというのに、今は涼しい顔で、ナイフとフォークを使っている。
(待って! てことは、処理しないと、食べたら発狂するってわけ!?)
リリィによるボクの脇腹への攻撃が激しくなる。いや、ボクも動揺してますけど。
「ご安心ください。リリアンヌ。確かに、闇市などでは、未処理のサカナが流通してることは稀にあります」
鬼のミサが自らの皿を運び、リリィの右隣に腰掛けた。
「魔王様が、厳しく管理されてますからね。実際ここ数年、管理された食材を食べ、発狂した者はおりません」
一度自分の右を見て、左のボクに向き直ったリリィは、眉間にすごい皺を寄せていた。顔に「むしろまったく安心できない」と書いてある。リリィさん、ほんとミサが苦手みたい。
「ボクが先に試しますね」
実は勇者の勘によると、目の前の鯖は問題なさそうだ。生きてるサカナに相対したときは、駄目そうだったのに不思議だが。
ぱくり。
フォークで切り、小さめの一口を含んだ。
「……おいしい」
ふんわりとした身から、ジュワーッと汁が溢れ出す。焦がしたバターのような香り。塩気のなかに、ほんの少し甘みを感じた。
「リリィさん、これ美味しいです」
大丈夫そうだ。味はもちろん、食べることで確信できた。これはただの魚、美味しい魚。
「はむっ……ん。んん……」
強張った表情で、ボクよりもさらに小さな一切れを口に入れたリリィは、もぐもぐと長い間咀嚼した。そして辛うじて聞き取れる声で「おいしい」と呟いていた。
「リ、リリィさん!?」
ぽたりと涙を流す彼女に、ボクは慌ててしまった。やはり何か異常が? まさか勇者のボクと一般人のリリィさんだと耐性がちがうとか!?
「違う……ただ、美味しいだけよぉ」
涙を拭いながら、リリィはさらに一口食べた。ゆっくりと食べ進める彼女の様子に、ボクも自分の皿に取り掛かる。
(無理もないよね)
魔界に来てから、実はまともな食事をとれていない。魔族は食に関して無頓着なのか、はたまた単に味覚が違うのか。味のしない根菜、腐敗しかけた謎肉、そんなものが溢れていた。
そんな中市場を探し、無難そうな人族の国にも見かける、芋ばかりの食事だったから。
気づけば無言で食べていた。
サカナだけでなく、付け合わせの野菜もおいしい。
おかわりもした。
(特にこの、赤瓜なんか――)
ボクはもう一枚。香ばしくグリルされた、赤瓜のスライスを口に運ぼうとした。
「ラン、ごちそうさまでした」
綺麗な所作で口元を拭い、ねこさんが両手を合わせた。食事の終わりのあいさつだが、ランさん?
「ランさんは、どこに――?」
近くにいるのかと見回すが、赤狐の姿はない。
すると、壁際に待機していた給仕服の男性が、一歩前に進み出た。
「本日の付け野菜ですね。畑狐のランさんを使用させていただきました」
……は?
にこやかな給仕の宣言に、ボクはフォークを取り落とした。




