生きること即ち闘いだ!
1 見知らぬ草原より
朝か昼か定かではないが、瞼の裏に感じる光が相馬勇騎の睡眠を妨げた。
(何だよ、まだ眠いのに)
心の中で毒づいて見るものの、この調子では気持ちよく眠れそうにもないので面倒だが起床することにした。眠い目を擦りつつあくびをする。次の瞬間、ぼんやりとした視界に飛び込んで来たものは辺り一面の草だった。
「うわっ!何だっ?」
思わず声が出る。何でこんなところで寝ていたのか全く身に覚えが無い。実はまだ自分は夢の中にいるのだろうとあたりをつけてみたが、そこらの草で妙に体がチクチクする感覚をリアルに感じている。
(たしか昨日は夜遅くまでゲームをしていたはずだよな・・・)
周囲を確認するべく体を起こすと遠くから声が上がった。
「おいっ!こっちにゴブリンがいるぞ!」
(そうそう、それだ。たしかVRMMOの・・・)
思考が収斂しつつあったその瞬間、勇騎の右腕から激痛が走る。
「痛っ」
訳が分からない事態に気が動転する。腕を鋭利な何かがかすめて皮膚を切り裂いたようだ。しかし生物の本能から痛む箇所を確認したことが、更に勇騎の混乱を加速させる。
「何これ?」
勇騎は深く考えるよりも前に、身に迫る危険を回避するため声の方角とは反対方向に駆け出しながら確認できる限りの身体部位を一瞥した。どこもかしこも人間の肌の色ではなく緑色をしている。あろうことか布切れ一枚身につけていないではないか。だが、そのような混乱も吹き飛ばす言葉が聞こえた。
「おい、命中してねーぞ。ゴブリンが逃げた!」
「次は当てろよ。はっはっは。」
「うるせぇっ、黙って見てろ!」
後方に5名ほどの人影が見えた。どいつも武装している。先刻受けた傷は矢によるものらしい。
(一直線に逃げていては格好の的だ)
いくらあの下手くそ野郎を相手にしても、まっすぐ逃げるなんて度胸など持ち合わせていない。何とか生きて逃げ伸びるためにも的を絞らせないようランダムに方向を変えながら全速力で駆け抜ける。
飛んできた2本目の矢はあらぬ位置に突き刺さった。
(ざまあみろ)
「はっはっは、だっせー。見ろよ、また外したぜこいつ。」
男達が大笑いしている。矢を放ったであろう男が指をさされて嗤われているようだ。実際には初撃はかすめていたので大ハズレではないのだが、そんな弁明をしてやる義理もない。一生バカにされて生きるがいいさ。
だが男達の嘲笑が下手くそ野郎に火をつけてしまった。
「あのクソゴブリンが・・・。ぜってーブチ殺す!」
「おいガイウス、あんな雑魚放っとけよ。あまり熱くなるんじゃない。」
件のガイウス一行はもともとゴブリンなどをターゲットにしてはいない以上、偶然見つけたものが逃げたからと言って追いかける意味など毛頭無い。ゴブリンに手をだしたのも初めは戯れに過ぎなかった。だが軽く仕留めてやるつもりで外したとあっては格好もつかない。その上仲間にバカにされたとなれば、もはや収まりがつかなかった。
「熱くなってねーよ!あれは雑魚でもモンスターだ。それを狩るのが俺たちの仕事だろう。俺一人でもブチ殺しに行くぜ。」
「無駄だイネロ。ガイウスは一度あたまに血が上れば誰の言うことも聞かん。大いに恥を雪がせてやればいいさ。あんな雑魚相手にな、くくく。」
武装グループが相馬勇騎こと「ゴブリン」を追いかけ始めた。的を絞らせないため不規則に逃げた結果、皮肉な事にますますヘボ矢を際立たせて火に油を注いでしまったようだ。しかし今なお引き続く明確な痛覚を前にして、むざむざ射抜かれてやるわけにはいかない。
(これは夢なんかじゃない)
おそらくその先には本物の死が待ち受けているだろう。死の恐怖を感じながら逃げ惑うことになろうとは何とも情けない。何もしていないのに命を狙われる理不尽さに自然と涙がこぼれる。
「ちくしょー、ふざけんな。俺は何もやってねーだろーが!」
だが無情にも迫り来る現実の危機に流されるほか無かった。
逃げる間にも何本か矢が飛んでくる。一つ一つ丁寧に避けながら考えを巡らせる。
(ここは何処なんだ?どうすればアイツらを撒ける?身軽なのはいいが、一発でもまともにもらえば間違いなくアウトだ。)
どれだけ考えても攻撃されている状況以外何も分からず、考えはまとまりそうもなかった。しかし唯一の幸いはこの身体は足が速いということだった。無論、武装した人間と素っ裸の人間(仮)では本当のところどうなのかはっきりしない。だが事実、後方との距離は少しずつ開いている。
勇騎は逃げきれると踏んで反撃を考える。こんなことをしでかした馬鹿野郎どもに一泡吹かせてやらないでは自分の気持ちも収まらない。逃げつつ石を拾い、弓をつがえる先頭の男に投げつけた。
「喰らえ!そして死ね」
そんな石つぶてで死ぬ奴はいないだろうが、利き手ではない左で投げた怒りの剛速球(?)は見事ガイウスに命中する。
「あっ、本当に当たった。・・・いや、違う。右腕の礼だ馬鹿野郎www」
こんなことをしても受けた屈辱や傷は癒えるものではないが、少しだけ溜飲は下がろうというものだ。
(これに懲りたらもう追って来るんじゃねえ。この程度の反撃も避けられない奴が刃物持ってうろつくなんざ笑えねー冗談だ。)
「あ・・・、あの野郎・・・」
「大丈夫か、ガイウス。鼻血が出てるぞ。」
「ガイウス・・・、あのゴブリン野郎。味な真似してくれんじゃねーかよ。おう、お前ら!なめた真似したゴブリンは八つ裂きだ。」
怒りに震えるガイウスを前にリーダーのクラインが吐き捨てた言葉だ。この瞬間から勇騎は武装グループの敵となった。
「クライン、だがあいつはどうにも逃げ足が速いぜ」
しかしながらクラインは不敵な笑みを浮かべながら答える。
「大丈夫だ、このまま進めばこの先は・・・」
2 危機は音もなく
「くそっ、起きぬけに持久走かよ!」
毒づきながらも勇騎は走りつづける。何せ見渡す限りの草原だ。身を隠す場所も無く、安全を確保するには追手が諦めるまで引き離すしかない。背の高い草の中に潜り込んで身を隠す誘惑にも駆られたが、身の安全を保証する選択肢とは言い難い。後方を見やると追手は少し横に開いた隊形でこちらに迫って来ていた。勇騎はわずかな違和感を覚えつつもその意味を考えることは無かった。むしろ先ほどから少しずつ追手との距離を開いている事実に、緊張が緩んでいく。
(だが、まだ油断はできない。安全な場所に逃げ込んだ上で傷の手当てをしなければ。)
何とも哀れなゴブリンの一方で追手の武装グループは一歩先のことを考えていた。
「遊びは終いだ。横隊に展開して距離を詰めて行く。獲物をこの方角から外さないように右翼と左翼で牽制。」
左右への展開のため少し速度は落ちたものの相互連携ラインを保ちつつ進行する。この距離からでは矢も魔法も当たらないだろうが、進路のコントロールのための牽制としては充分だ。横隊でのローラーの方が頭に血が上ったガイウスや不意の反撃に驚いた仲間からのフレンドリーファイアの危険も無くなる。
「オツムの足りないゴブリンちゃんが良い具合に転がってくれるぜ。」
「いいか、あのクソ野郎は俺がブチ殺す。間違っても殺したりするなよ!」
ガイウスが大声でがなり立てる。雑魚モンスター相手に何度も矢を避けられ、挙句に同じ遠距離攻撃で反撃を喰らって怒髪天を衝かんとする勢いだ。
「誰もあんな雑魚の首を横取りして喜ぶ奴なんざいねえよ。」
「全くだ。あんな雑魚相手に余計な時間を取るなんて意味が無い。こっちだって付き合ってやるんだ。少しは頭を冷やしたらどうだ。」
呆れてケルンとイネロが不満を漏らす。元々どうでも良い余興にすぎないもので手を患わされる事になったのだ。それはもっともなのだが、クラインが助け船を出す。
「まぁそう言うな。良い機会だ、これも草原での戦闘や狩猟の訓練だと思えば良い。仕官するようなことがあればこれだって役に立つってもんだ。」
(そろそろだな。このラインを越えれば残りも少ない・・・)
「よし、獲物が網にかかった。もう奴に逃げ場は無い!」
クラインの口の端が上がる。じわりと追い詰められている事実にまだゴブリンは気づいていないようだ。
その一方、勇騎は後方を警戒しつつも今後の事を考えていた。現状は衣食住が全く揃っていない状況で、生命の憂慮までしなければならない。盤面は開始直後の投了を宿命づけられているとしか思えないレベルの無理ゲーだった。これが悪夢で、夢から醒めてくれるのであれば笑い話で終わるのだが殺伐とした鬼ごっこが開始されてからずっと傷は痛むし、走りつづけて息が上がっている。これらの事実から勇騎は確信する。
(俺は間違いなくこの身体で生きている!)
だが、何故?そんな声が胸の中に去来する。答えの出ない問いで行き詰まった勇騎に丘の稜線が迫って来た。あの稜線を越えたら追手の視界から逃れる隙ができるはずだ。隠れるにせよ逃げつづけるにせよ少ないチャンスは活かさないといけない。次の手立てを考えるのもつかの間、眼下に絶望的な風景が目に飛び込んで来る。
(・・・!?)
勇騎は絶句した。丘の稜線を越えた先に広がっていたのは断崖絶壁だったのだ。稜線から後方を振り返ると周囲も断崖絶壁になっている。不意に勇騎は武装グループが横隊に展開していた意味を悟った。奴等は自分をこの半島状の場所に追い詰めるために逃げ場を塞ごうとしていたのだ。
「う・・・、嘘だろ。」
じりじりと武装グループが近づいて来るのが見える。鞘から抜いた剣に光が反射し、勇騎の目を刺す。間違いなく相手は自分を殺すつもりだ。死に物狂いで突入して逃げようにも接近戦ともなれば叩き斬られて果てるのは目に見えている。
(どうにか助かる方法はないだろうか。情けないが命乞いをするしかない。)
万に一つ許してくれるかもしれない。いつ斬りかかられてもおかしくない距離にまで詰められ、ついに勇騎は囲まれてしまった。
「ごめんなさいっ!どうか命だけはお助けを」
武装グループが大声で笑い出す。
「何だこいつ、土下座で何か喚いてるぞwww」
「何かも何もこういう場面では命乞いでもしているのだろう。つくづく浅ましい生き物だな。駄賃にもならんが魔石だけでもいただくとしよう。」
「ゴブリンの鳴き声なんざ理解できねんだよ。ボコボコにしてから斬り刻んでやんよ。」
「ガイウス、殺るならとっとと済ませろよ。時間が押してるんだ。」
(どいつもこいつも容赦が無い。俺が会話内容を理解できているんだ、意志が伝わっていないはずは無い。わからないふりをして殺そうだなんてひどすぎる。)
「お願いします、何でもしま」
言い終える前に大きく視界が揺れた。直後に襲って来た鈍痛にパニックを起こしそうになる。どうやらガイウスとやらに蹴り飛ばされたらしい。本気でボコって斬り刻むつもりだ。
「言ったろゴミ虫。命乞いしても無駄なんだよ。」
(もうダメだ。他の奴等が高見の見物で油断している今こそいちかばちか包囲を突破してやる。今だ)
勇騎は決死の覚悟で倒れ伏した状態から飛び起きる様に駆け出した。が、すぐに身体の異常に気づく。膝が笑っており、思うように力が入らなかったのだ。今度は逆に隙を衝かれる形でガイウスに回り込まれてしまった。
「なーに逃げようとしてんだー・よっ」
不覚だった。ダメージが膝に来ているとは。ガイウスの蹴りが勇騎の腹に突き刺さると同時にサッカーボールのように弾き飛ばされる。
「あっ」
「何やってんだ」
「バカ!」
野次馬たちはその光景に落胆の声を上げた。勇騎がその意味を理解するまで数秒とかからなかった。崖の縁を視界に捉え、絶望的な状況を受け容れるほか無かったのだから。こうして殺戮者の手からは逃れたが、逃れた先は死神の懐となるらしい。下の渓谷に真っ逆さまだ、もはや助かるまい。
(お前らの顔は覚えた。必ず化けて出てやる。)
3 暗い森の片隅
(ひどく寒い、ここは天国ではないだろう。だとすれば地獄か。)
勇騎は気が付いた。身体もところどころ打撲しているらしい。あんなひどい目にあってまだ生きているとは運が良いのか悪いのか。それというのも無いもの尽くしで無頼漢どもが徘徊するわけのわからん世界に放り出されたのだから、そう思っても無理は無い。生き残ったとしてもまだ地獄は続くのだ。
(ここは一体?)
気づけば河原に打ち上げられていた。何にせよ生き残ってしまった以上は生きねばならない。勇騎は立ち上がったが、今まで水に浸かっていたためひどく体温が奪われている。顎がガタガタと震え出して止まる様子が無い。身体も重く、思い通りに言うことを聞かない。こんなところを野生の獣や他の人間に襲われては絶対に助からないだろう。
(どこかで暖を取らないと凍えてしまう。)
まさかこんなところまで先ほどの人間が襲いに来ることは考え難いが、できれば居場所を知らせるように焚き火をするのは極力避けたい。そんな思案もつかの間、丁度目と鼻の先に暗い森があることに気づき、開けた河原などよりは余程身を隠せると思われた。煙で何かしらの存在は認識されてしまうが相手に何者かまでは気取らせまい。わかっても火を使う生き物止まりだ。だが、ふと我に帰る。
(果たして現代人の俺に火なんて起こせるのだろうか。)
実際、木から火を起こすなんてこと日常ではほぼ皆無であろう。そんなことは小学校のキャンプにおいて実習形式でやったっきりだ。まして簡単な火起こし器を作ろうにも紐すら持ち合わせていない状況となると一気に現実味が薄れてくる。さらに悪いことに手でひたすら錐のように擦り上げようとも右腕が上手く使え無い。かくなる上は集落を探してコッソリ必要なものをいただいて来るしかないのか。こちらも残りの体力に相談して現実性は乏しい。
(ましてこんな姿で盗みに入ろうものなら今度こそ息の根を止められる。)
今更思い出すのも苦痛だが、川の水面に映る自分の姿は紛れもなくゴブリンだった。それまですこーしゴブリン似の人間なのではないかと淡い期待を抱いていたが、人間としての最後のアイデンティティまで粉砕される始末だ。
やっとの思いで森に足を踏み入れたものの、必死に枯れ木を集めて火を起こさないと今にも死んでしまいそうだ。
「何だありゃ?」
数メートル先の木々が揺らめいている。夏場にアスファルトで生じる陽炎みたいな具合だ。
(ん?あそこは地熱が吹き出して暖かいのか?場合によっては火を起こさなくても暖を取れるかもしれない。とにかく行ってみよう。)
うまく動かないほど身体が冷えているのでゾンビのごとく引きずるようにして近くまでにじり寄って行った。
(いよいよ身体も上手く動かないぞ。ここまで来るのも一苦労だ。ようやく身体を温められる。)
温度を確かめるべくそっと陽炎に手を近づけていった次の瞬間、パンッという乾いた音とともに勇騎は後方へと吹き飛ばされた。
(痛てえよ、何なんだ一体?)
何が起こったかわからないが、とにかく身体はバラバラになっていないらしい。身を起こして先ほどの方に向き直るとそこに現れたのはログハウスだった。
「こんな森の中に家があるなんて。だって、さっきまで木々が生い茂っていたじゃないか。」
あまりの出来事に思わず声が出る。だがそれが失敗だと気づくまで時間を要しなかった。
(さっきの音に気づいて家人が飛び出してくるかもしれない。俺にはもう逃げる体力は残ってないぞ。)
とっさにその場の地面に伏せて息を殺して様子を伺うが、幸いなことに家の方にはまったく動きがない。
(お留守かな?だったら・・・。)
背に腹は代えられないということで、最低限生活に必要な物を拝借させてもらうことにした。地を這うような姿でお宅訪問させてもらう。人の気配は感じないが・・・。
(別荘かな?庭の状態は特に異常は無い。罠とかー・・・、ある訳無いよな。ん?あれは・・・。)
庭に落ちているボロ雑巾の山みたいになっているものが視界に飛び込んできた。ものすごく気になるのでゆっくり匍匐前進で近づいて行く。
「これはー・・・、亡骸だね。事件の匂いがするよ、ワトソン君」
見たところこの家の主だった人間だろう。警察ではないのでサッパリだが、目だった外傷も無さそうだ。とは言え、独りでつまらない冗談を吐いている場合じゃない。このままでは自分が隣に並ぶのも時間の問題だろう。
「ここで体力を回復したらお墓を建てて供養するので、どうかお家を使わせてください。」
合掌したのち、ログハウス内部に入り込む。扉を開けると目に飛び込んで来たのは落ち着いた雰囲気のリビングだ。ここに人が住んでいたのだから特段、妙なものは置いていない。暖炉もあるではないか。文明的な設備に思わず目を輝かせる。しかし問題はやはり火おこし。先ほどよりも事態が深刻なのは全く薪も灰も無いということだ。使えるのか?ふと気づくと何やら暖炉の上部に赤いガラス玉のようなものが埋め込まれている。
「何だ?これ」
そのガラス玉に手を触れた瞬間、何と火が着いた。電気暖炉?しかし電線などどこにも無かったではないか。それに家を見渡してみてもコンセント一つ無い。我ながら不用意ではあったが、まぁ結果オーライだと思うことにした。何にせよ冷えきった身体を暖めて一つ問題は解決したのだ。
とはいえ、まだまだ問題は山積している。やはり激しく運動したことに加えて、水に落ちて失った体温を回復させるとなれば腹も減る。近くに川があるが釣り道具など無いのだ。かくなる上は森の恵みを探すほかないが。
(台所に何かあるかもしれない。)
冷蔵庫なんてないだろうし、あったとしても食えるのだろうか。家人が白骨化するほど時間が過ぎているのだ。しかし背に腹は代えられない、考えるより先に探すより他は無い。祈るような気持ちであれこれドアを開けていく内に食器類が並んだ棚のある部屋を見つけた。中に入ると暖炉にあったようなガラス玉が散見される。棚を探しているとガラス容器に入った小麦色の塊が入っている。これはパスタなのか?おそらく保存食なのだろう。他にも何かは不明だが様々な乾物が入っていた。とにかく胃に何か詰め込まないと何もできない。まずは腹ごしらえからだ。流し台のようなものがあり、鍋やフライパンも揃っている。案の定、先ほど同様にガラス玉に手をかざすと水も火も思いのままだった。
「うしっ!」
思わずガッツポーズが飛び出す。塩やハーブの類を茹でたパスタに絡めて食べたところ、とても美味かった。自分で料理をすることもあったので何とかしばらくは調理で食いつなぐことはできるだろう。一つ一つ、瓶の中身を味見していくのはなかなか度胸が必要だったが、味覚などはあまり変わらないようである。ゴブリンの身に毒となるようなものも無さそうだ。
服はさすがにこの家にあるものはあわなかったが人間の上着にベルトを巻いてひとまず良しとしよう。腕も布巾を当てて応急処置も済んだ。
(思えばここまで裸一貫から何とか這い上がったよ。・・・つか断捨離が過ぎる。裸一貫とか言っても素っ裸で草原からスタートとかミニマルすぎるだろうが。持ち物だけに止まらず安全や人間であることすら捨て去るとかアホか!)
生命の憂慮から解放されて少しは心に余裕も生まれたようだ。衣食足りて礼節を知るという格言がある通り、恩人へのお礼も忘れてはならないだろう。食休みをはさんで、当初の約束どおり俺はこの家の主を埋葬するため庭に赴いた。
4 追放者の砦
「さすがにこんなところでのたれ死にはあまりにも気の毒だ。立派なお墓は用意できないが埋葬して墓標も建てよう。」
勇騎は庭の一角に穴を掘り、そこへ家の主を運ぶために抱きかかえた。白骨化しているので運ぶのも幾分楽だ。すると主の手から何かが転がり落ちた。とりあえず墓穴に主を横たえた後、その何かを取りに戻るとそこには指輪が落ちていた。
「指輪か・・・。亡くなる瞬間まで肌身放さずつけていたんだなぁ。きっと大事なものなんだろう。」
副葬品として一緒に埋葬しようと指輪に手を伸ばした瞬間の出来事だった。指輪が強烈な光を発し、どこをどうしたのか自らの指に嵌っているではないか。
「うわぁ!何だこりゃ。」
驚いて指輪を外そうとするもビクともしない。さらに信じられないことには自分の指に嵌った指輪が指に吸収されるように消えてしまったのだ。
「指輪が消えたっ!?」
指輪のあった部分を触っても指輪があるような感覚すら残っていない。もしかして呪いの指輪なのか?恐ろしくなり震えが止まらなかったが、すぐに強烈な眠気が襲って来た。勇騎はその場で昏倒してしまった。
ーーー
一体どのくらいの間眠っていたのだろう?次に目を覚ました時には辺りは薄明かりに包まれていた。どうやらそのまま朝を迎えたようだ。
(俺はまだ生きているな。)
だが眠った割には絡みつくような気だるさが残っている。ひょっとすると家の主人を殺したのはこの指輪ではないのかとも思えてくる。生命力やら気力やらわからないが何かが吸い取られているような気がしてならない。力を振り絞って恩人の墓を完成させた後、再び家の中で倒れるように眠りこんでしまった。こんな調子で何かをやっては突如として泥のように眠り込む生活を繰り返した。だが4日も繰り返すとさすがに身体の方が慣れて来たようだ。
この指輪が一体何なのか、この手がかりを探さなければならない。
(俺はゴブリンなんだ。この世界には見渡す限り敵しかいないだろう。身体が慣れてきたとはいえ、今後いつ突然に昏倒しないとも限らない。そうなれば終わりだ。)
自分の命はこの「呪いの指輪」を外すことができるか否かにかかっていると言っても過言ではあるまい。とは言え、取扱説明書みたいなものを期待したって到底あるとも思えない。仮にあったとしても、この世界の文字なんて読めやしないのだ。
(手詰まり感が否めんな。書斎らしき部屋にあったたくさんの本だって全くわからん文字だった。)
しかし文字が読めないとしても挿絵があれば何かのヒントになるかもしれない。勇騎は初日の家探し以来、足を踏み入れていなかった書斎に向かった。扉を開け、中に入り机の上にあった紙束を手に取る。
(魔石生命体の進化について・・・、)
「読めるぞ?こんな形の文字なんて見たことないのに頭に入ってくる・・・。」
どうやらこの家の主はここで何やら論文を書いていたようだ。何かこの状況を打開するヒントもあるかもしれないと思い、手稿や日記を読み漁った。
家の主はクロヴィウスという聖職者らしい。学問の道も究めんとしており、研究を積み上げて築き上げた成果が次第に信仰と軋轢を生じるようになったようだ。この世界でも宗教と科学は揉めずにいられないらしい。何でも2500年以上も昔の哲学者がこさえた「世界書」なるものが現在もこの世の真理として通用し、その世界観を信仰が流用しているとのこと。そんな教会からすると調和した世界の事物に興味を持ち、研究をすることは神の創造を冒涜する「悪徳」だそうな。クロヴィウス自身の研究動機も当初は神の創造の秩序を理性によって裏付けて、信仰を揺るがぬ基盤に打ち建てることだった。そこにあるのは理性が信仰を否定するはずがないという確信だ。
だが理性のもたらす事実は教義を否定するものが多く、クロヴィウスは「世界書」をことごとく精査し始めた。現にこの家にある「世界書」には赤字でびっしりと何が検証されてどれが反駁されたのか事細かく書き詰められていた。余程の執念が無いとこんなことできないだろう。
(俺には理解できん。)
クロヴィウスは研究成果を基に「世界書」を「更新」しようと提案したのだが、いくら内容が正確な事実であっても信仰の基盤である「世界書」が書き換えられて信仰が無傷で終わるはずがない。教会が激怒し、宗教裁判の上「公敵宣言」とほぼ同義の「聖法外宣告」を下した。
(わざわざ形式上の裁判までしたのはクロヴィウスって、教会内部でもかなりの地位があったのか?
「聖法外宣告」ってのはよくわからんが、要は神の恩寵の下にも世俗の法の保護下にもないってことなんだろう。裁判が終了した瞬間からどこの誰がクロヴィウスを殺しても罪に問わないってことか。野蛮この上ないな。)
それにも関わらず、ここで生活して様々な研究で人生を全うした。クロヴィウスは魔術でもって窮地を脱したと記されている。宗教裁判なんて精神を屈服させるために催す結論ありきの茶番劇なのだから最初から周到に逃げ道を準備していた訳だ。
「『聖法外宣告』で周囲を見渡す限り全て敵だなんて、まんま今の俺と一緒だよなー。」
クロヴィウスに親近感が湧いたものの、言ってて悲しくなる。勇騎も一歩外に出て人間に見つかったら問答無用に殺されてしまうのだ。「男は敷居を跨げば7人の敵あり」どころの生ぬるい話ではない。既に経験済だ。
しかし状況に反して何かおかしいとも感じる。生命の危険を感じて生きなければいけない人間の臭い、言い換えれば悲壮感みたいなものがこの家には感じられないのだ。
確かにこのログハウスの周囲には結界が張り巡らされていた。しかも相手の認識を阻害し、侵入すら許さないレベルのものでクロヴィウスの死後も結界は勇騎が接触する瞬間まで機能していた。おそらく維持するための何らかのエネルギーが今も供給されていれば、結界に接触した瞬間に身体をバラバラにするくらいの威力はあったんじゃないか。しかし、その結界だって物量で破られる可能性はあるにも関わらず結界を突破された後の防備がまるで無いのも引っかかる。西部の開拓者だって自衛のためにはウィンチェスターやリボルバーは持つんだ。なのに武器どころか防具一つ無い。
魔術さえあればOKったって魔力が尽きれば肉弾戦になることは明白だ。しかし探しても一向に武器など見つからなかった。
5 丸腰の狩人
「あぁ、肉や魚が食べたい。」
干し肉は少しあったが到底食べられるようなものではなかった。引きこもり生活も既に2週間になっており、そろそろ限界だ。にも関わらずここを出て食べ物を探しに出ないのは身を守る術が無いのが非常に恐ろしいからだ。とにかく武器も防具もなく、狩猟に使う道具もない。弓を自作してみたものの鏃がないので刺さらないし、弦も弱い。武器では無いが手のひらサイズの小刀は見つけた。しかしせいぜい鉛筆削ることができる程度のものだ。鉛筆など無いだろうから大して使う場面も無いだろう。
(クロヴィウスはこんなところでどうやって生活していたんだろう。てか、そもそもどうやってこんなところにデカいログハウスなんて建てたんだ?家具や本とか運び込むのだって、幹線道路もトラックも無いのに。日々食べるものに困ったっておかしくない。乾物だってあれを全部自分で作ったなんて思えない。自給自足するための畑とかも無いし何か購入したりする術が無いとやっていけないはずだ。近くに町か村があるんじゃないか。)
そこまで考えたところで勇騎は袋小路にぶち当たる。いくら考えたところでゴブリンに食べ物を譲ってもらう術は無かろう。一つの道は閉ざされた。残された道は自ら調達する他無い。何にしても怖いからといっていつまでも引きこもっていては餓死が待ち受けている。勇騎は意を決して食糧を探しに行くことにした。
ーーー
敷地の外に出たところ何故か結界が復活していることに気づいた。勇騎が何気なく振り返るとログハウスが姿を消していたのだ。ビックリしてもう一度引き返すと今度はすんなりと結界を通過することができたので安心したのだが、ふと気づいて青ざめる。
(すっかり結界のことを忘れていた。吹っ飛ばされる可能性だってあったじゃないか。)
どういうわけか結界に弾かれることは無くなったようだ。敷地に入る前と後で変わったことと言えば服を着ていることと、呪いの指輪を身につけていることだが。素っ裸だと弾かれる?変質者侵入防止機能?いや、服の有無は関係無かろう。全裸でなければ暗殺者が侵入できるとは考え難い。おそらく指輪ではないだろうか。クロヴィウスが身につけていた指輪だから指輪の主は少なくとも弾かれないのだろう。
(いろいろあったが食糧調達に戻ろう。選択肢は住居周辺、すなわち森か川だ。森には獣や木の実、果物もあるかもしれない。獣は・・・、下手したら俺がおいしくいただかれる恐れもある。うん、まずは川だな。)
本当に魚が採れるか自信は無かったが、勇騎は見よう見まねで石を積み上げて流れを分けて小さい梁を作った。木切れや葦を集めるのに時間がかかったが労力に見合う対価が得られることを祈る。対岸に人間がいないか気をつけなければならないが日に何度か見に来ることにした。
次は森だが、本当に安全か勇騎は量りかねていた。ここは異世界である上に、己れは言うまでも無く丸腰だ。やむなく周囲を警戒しつつ食べられそうな木の実や果物を探す。自然薯とか無いだろうか。キノコはそこかしこで見かけたが安全性が未知数だ。キノコに関しては全く門外漢なので最後の最後に残された選択肢とせざるを得ない。
そうこうしつつしばらく森をさまよっていると何かの気配を感じた。
(前方に何かがいる。逃げるか?いや、せめて確認だけしておこう。)
勇騎は気取られないように恐る恐る近づいていくとそこには狼が横たわっていた。しかし様子がおかしい。先ほどから全く動かないのだ。こちらが襲われるおそれもあるので投石を準備しながら様子見する。よくよく観察すると何本か矢が刺さっているのが確認できた。もしかしてもう力尽きているのか。
警戒レベルを緩めて近寄ると不意に狼が起き上がった。
「今度はゴブリンか。しかしただでは死なん。喉笛噛み砕いてくれる。」
口上こそ恐ろしいものだったが最後の力を振り絞って威嚇しているのは明らかだ。後ろ足が踏ん張りきれていない。いや、そんなことより
「お前、言葉を話せるのか!」
言葉を話す狼など生まれて初めて出会った。その興奮に食糧調達の目的など一瞬でどこかに吹っ飛んでしまった。
「ゴブリンが我らの言葉を解するとは・・・」
一瞬驚きの表情を見せるや狼はその場に倒れ伏してしまった。息はあるので気を失っているようだ。しかしこのままではこの狼もそのまま死んでしまうだろう。ふと矢に目を向けると見覚えがあるものだった。おそらく人間に襲われたのだろう。そう思うと何故か自分の姿と目の前の狼を重ねてしまう。
(俺はあの時誰よりも助けを求めていた。そして誰からも助けを得られなかった絶望を知っている。こいつは何本も矢を喰らってそれでもここまで逃げ延びた。俺よりももっと苦しかったはずだ。俺はいま絶対的優位に立ってこいつにトドメを刺し、食糧にすることだってできる。それをしようとしている。だが目的の遂行にためらいがあるのだ。俺が生き残るにはそれは必要なことなんだ。俺は運が良くてこいつはツイていなかっただけだ。他の動物だってそうだ。俺はその動物の命を奪って俺の命をつないでいるんだ。ハンバーガーだって牛や豚の肉を材料にしているじゃないか。その作成プロセスから目を背けていられるからって、食べるってことはそういうことなんだよ。この狼だって虫の息じゃないか。苦しませるな、楽にしてやれ。)
「・・・。」
ーーー
あれから森をひたすら歩いてようやくログハウスにたどり着いた。自分の身体よりも大きい狼を背負って行くのはさすがに骨が折れる。途中で昏倒することが無かったのは幸いだった。
「ふぅー、これでひとまず処理が終わったかなー。狼のことなんてわからないから手間取ったー。最初から毛を剃れば楽だったな。」
何とかあの小刀が役に立った。
「うぅっ・・・、ここは何処だ?」
狼が息を吹き返したようだ。あたりを見回している。
「ようやく気がついたか。あそこから運ぶのけっこう大変だったんだぜ。」
「くっ、なんだこれは。放せ。」
「あっ、バカ。せっかく巻いたのにほどこうとする奴があるか。止めろ、傷口が開く。」
包帯でぐるぐる巻にされた狼を何とか宥める。確かに狼からすれば包帯が巻かれていたら身体の自由が奪われたと勘違いしても無理は無いだろう。せっかく応急処置を施したのにまた傷口を開くことになっては元も子も無い。どう警戒心を解いたものだろうか。
「我をどうするつもりだ。ゴブリン」
「どうもしねーよ。せいぜいお前の怪我が治るまでは外に出さねーだけだ。あと俺の名前は相馬勇騎だ、ゴブリンなんて呼ぶな。」
狼が目を丸くする。大きな疑問符が目に見えるようだ。
「ソーマユーキ?お前はゴブリンではないのか。」
狼が首を傾げる。
「いや、ゴブリンなんだけども・・・。ゴブリンの中でも俺を特定するための呼び方だ。勇騎だけでもいい。お前にもお前だけの名があるだろう。」
「お前は人間みたいなことをするんだな。我に名はない。我は「我」だ。」
どうも狼には個体を名づけるという慣わしは無いらしい。まぁこれといって必要が無いのだろう。そもそも人間の常識で測ろうとするのが間違っているのかもしれない。だが、勇騎にとってはどうも居心地の悪い思いが拭えないことだった。
「名前が無いなら俺はお前のことを『ハヤテ』って呼ぶよ。」
「わかった。今から我は『ハヤテ』だ。」
意外にもすんなり受け容れたようだ。何でこの名前かって言うと昔飼っていた愛犬の名前がふと浮かんだからで、深い意味は無い。その方が愛着が湧くということもある。
「じゃあさっそくだがハヤテ。俺はまた食糧を探しに行ってくるから大人しく待っていろ。くれぐれも部屋にあるものを壊すなよ。」
「それなら我も行く。うっ・・・」
ハヤテは立ち上がろうとして痛みに顔を歪める。せいぜい止血したに過ぎないのだから無理もない。
「おい無理するな。心配しなくてもお前の分も探してくるから今はここで身体を休めておけ。」
ハヤテは残念そうな顔をしてその場に伏せる。どうやら言うことを聞いてくれそうなことに勇騎は安堵した。いろいろ聞きたいこともあるが、腹も減っていることだろう。
(落ち着いてからでも遅くはないさ。)
6 魔導の覚醒
梁の様子を見に行ったところさっそく5匹も魚が打ち上げられていた。大成功だ。あまりの嬉しさに思わず飛び上がって歓喜の声を上げた。家のグリルで塩焼きにしよう。
家に帰ると早速2匹を塩焼きにし、2匹をそのまま焼いた。残りはハーブと塩を塗って寝かせてある。素の焼き魚を作ったのは狼はそんなに塩分をとったらまずいかもしれないからだ。
「ハヤテは魚は食べるのか?」
「普段は食わないが、食えないわけではない。むかし鳥が落としたものを食ったことがある。」
「そうか。あまり食べないものだろうから心配だったんだ。今はこれで我慢してくれよ。」
串を外して取り皿にのせる。待ちかねたとばかりハヤテが身を乗り出したところ何か見比べている。
「ん、ユーキのと我ので何か香りが違うな。そっちも食べたいぞ。1つ交換してくれ。」
「これは塩焼きで狼には毒だからダメ。」
「ユーキは意地悪だ。1つくれても良いじゃないか。」
耳が寝てしまった。わかりやすく落胆するね。
「・・・、ハヤテは味覚が俺よりも敏感だから塩っ辛くて食えたもんじゃないと思うぞ。お試しに一口分だけなら取り分けてやるよ。」
「やったー!」
勇騎から譲歩を引き出してハヤテも上機嫌だ。塩も貴重なのでそこまでふんだんに使っていないが味がわかればハヤテも納得するだろう。
「皮がパリパリで魚の味も引き立っているじゃないか。そのまま焼いている魚も良いが塩焼きもうまいな。」
(まずいぞ、ハヤテは塩焼きを気に入ったみたいだ。あまり同じものをあげない方がいいな。これからは気をつけよう。)
「ところでユーキは何で魔力が無いんだ?」
(おや?何か核心的な問いをぶち込んで来たぞ。)
「ハヤテは魔力を感じ取っているのか?」
「うむ、いかにも。魔力を感知して相手の動きがわかるんだ。だから魔力を全く感じないユーキが突然現れた時は死ぬほど驚いた。魔力を感じないゴブリンなんて魔石を奪われた死体くらいしか我は知らないぞ。」
「そのことについては恐らく呪いの指輪のせいだろうな。その指輪が気力を奪う感じがしているんだが、吸い取っているのは俺の魔力だったのか。ん?待てよ。魔力を吸いつづけられれば魔石から魔力が枯渇して俺は死んでしまうのか?」
やっぱり呪いの指輪ではないかと勇騎は青ざめる。
「んー、でも大抵の奴は四六時中自分の魔力を垂れ流しているけどなー。今まで仕留めた獲物の中で魔石が枯渇していた奴はいないぞ。少なくとも身体の内部に魔石があるかぎりは魔力を生み出しつづけるんじゃないかなー。でも指輪なんてユーキのどこにもないじゃないか。」
「困ったことに俺の指がその指輪を吸収しちゃったんだよ。だから取り外し方もさっぱりだ。ところでハヤテは魔術の使い方を知っているのか。」
「我は風の魔術を使える。自分の内部に魔力をとどめて置ける奴は間違いなく魔術を使うな。かく言う我も狩りのために魔力を内部に還流させているぞ。」
え、やだ。この子すごい。
「ゴブリンも魔術を使えるのか?」
勇騎も異世界に来たのだから魔術の一つも使って見たいという思いは抱いていた。期待を込めて尋ねてみる。
「ゴブリンは魔力垂れ流しているからなー。」
使え無いのね。勇騎はがっくりと肩を落とす。やはり最弱モンスター風情が魔術などあり得ないのか。
「でも使える奴はいるみたいだ。ユーキもやってみればー。」
クロヴィウスの書籍群も魔術に関するものが多いのだが、さすがに魔術の使い方のような初心者向けの書籍など存在しなかった。しかし消えた指輪自体何らかの魔術によるものであることを物語っている。今も吸い取られている魔力は何に使われているのか?結界が復活したのもこの指輪に関係があるのではないだろうか。クロヴィウス自身も魔力を吸い続けられていたはずであり、主の死後も結界は作動しつづけた。
様々な疑問や事実の積み重ねから勇騎は仮説を立ててみる。
1指輪は魔力を吸い取る。
2その魔力は指輪に蓄積される。
3蓄積された魔力は結界の維持に利用される。
4指輪の用途は結界の維持にとどまるものではない。
4の仮説は今ハヤテと話ができていることから導いている。ハヤテはあの時、ゴブリンと会話していることに驚いていたことからもゴブリンとの意思疎通はあり得ないことなのではないか。その他にも当初読めなかった文字が指輪をつけた後に読めるようになったことなども気になっている。ソロモンの指輪みたいな話だが翻訳の魔術を行使しているとしか考えられない。もちろん魔術の構成など俺は知らないし無意識に魔術を使う可能性は低い。指輪が媒体になっているんだろう。もしかすると指輪にはいくつかの魔術の術式が内蔵されていて何らかの方法で発動させることが出来るのでは・・・。魔術暖炉などもあるほどだからモノに魔術を作動させる仕組みを応用していると考えるのが当然だ。魔術暖炉は機能が一つしかないが、勇騎の睨んだ通りこの指輪が複数機能だと都合が良い。この4つめの仮説は勇騎に残された希望でもあった。もしかしたら自分にも魔術を行使する余地があるかもしれないという希望だ。
「ハヤテは魔術を使うときどうしているの?」
「魔術を放つ部位に意識を集中して体内の魔力を集めてバーンだ」
(んー、説明の最後が残念な感じだな。でも体内の魔力を思い通りに流すということが必要なのはわかった。とすれば俺の場合、魔力が集中している指の部分から魔力を引き出すイメージかもしれん。)
勇騎はハヤテの示唆を基に精神を集中する。すると指輪の推定位置から熱い血が身体に巡って行く感覚を覚えた。
「おお、ユーキから魔力を感じるぞ。何だ、ちゃんと魔力があるじゃないか。あ、消えた。」
家の中で魔術を使う訳にはいかないので途中で止めた。どうやら指輪から引き出した魔力を使用しなかった場合にはまた指輪に吸収されるようだ。
(簡易魔力チェッカーがあると便利だぜ。魔力を引き出すことはとりあえず成功した。)
しかし魔術を使うにしても優先順位は存在する。今後何者かに襲われるのは火を見るより明らかなので受傷するのが最大の懸念だ。誰も勇騎を助けはしない以上、命を落とす危険がある。とすればまずは回復魔術を確保したい。攻撃や防御の魔術は二の次だ。ハヤテの傷を癒せたらばあるいは。
「ハヤテを今から庭に運ぶぞ。」
「え?我は居心地が良いからここが良いぞ。」
「いや、家の中は都合が悪いんだ。」
「何をするんだ。まさかユーキは我を捨てるつもりか?」
(人聞きの悪いことを言うんじゃない。まぁ回復魔術の実験に付き合ってもらうつもりだが。)
信頼関係がまだ築かれていない内から不安にさせるようなことを言うのは失策だと勇騎は思い直す。ある程度説明しなければ納得しないのも当然だ。
「違うよ。わざわざ助けてから捨てるなんて意味がわからん。これから外で魔術を使って見るからいろいろ教えて欲しいんだ。」
「なる程。そういうことなら協力しよう。」
とりあえず魔力の暴走が起こっても被害を最小限に食い止めるために庭に出た。風の魔術をためして見よう。
「魔力を集めて放つときに風をイメージするのか?」
「うむ。たとえば我の場合だと風の刃を飛ばすイメージだな。その風の刃で獲物がどうなるかまでイメージすると結果をコントロールしやすい。」
とりあえず対象は5メートル前方の窪地。そこに風の渦を生じさせるイメージで・・・
「おお竜巻か。すごいぞユーキ!」
見ると2メートル程度の小さな竜巻が発生し草や土埃を巻き上げている。自分のイメージはもっと小さい規模だったが、それ以上の大きさになって現れている。まだまだ制御出来ていないということだろうか。練習が必要だと悟る。では次は本命に移行しよう。
「回復魔術ってあるんだよな?」
「人間が使っているのを見たことがある。だが我も使い方は知らない。教えられないぞ。」
「わかっている。でも感覚はつかめているんだ。だからその・・・。」
勇騎が言いよどむとハヤテが首を傾げた。
「?」
「ハヤテの怪我を治してみたいんだが・・・。」
「おお、我の傷が癒えるのか?良いぞ。」
(失敗の可能性もあるんだが思い切りがいいな。どうしよう、騙しているみたいで気が引ける。)
生まれて初めて回復魔術を行使する。まして誰に教授してもらった訳ではない以上、失敗の可能性だってある。きちんと伝えておかなければ申し訳なく思えてきた。
「あの、実は失敗する危険もあって・・・。」
「ふむ・・・、良いぞ。もともと我はユーキが助けてくれなければ死んでいた身だ。役に立てたのならたとえ死んだとしても本望だ。」
(何てこと言うんだ。もし失敗して殺してしまったら一生もののトラウマになりかねん。やるべきか、やらざるべきか。)
「どうしたユーキ?」
相変わらずハヤテはキョトンとしている。出会って間もない勇騎を信頼していなければこれほど落ち着き払って受け容れるものではないだろう。この気持ちに応えるためにするべきことは決まった。
「いや、何でもない。ここでお前の傷を癒せなければどのみち俺も先は長くない。不安になるようなことを口走ってすまないな。必ず成功させるから。」
(そうさ。回復魔術は必ず成功させる。それに自分の代わりに制御するのはこの指輪だ。指輪には必ず回復魔術の術式が備わっているはずだ。先ほどの風だって俺は魔力の流れとイメージ以外に何もしていないじゃないか。)
ハヤテの包帯の上に手を当て、裂けた肉がつながり、傷口が閉じていくイメージをする。ハヤテの傷口から魔力を流し込んで行く・・・。
「どうだろう、ハヤテ。」
「うん、痛みが無くなった。自分で立ち上がれそうだ。」
「無理はしなくて良い。俺も初めて回復魔術をつかったんだ。まだ傷の治りが不完全かもしれない。」
俺の心配をよそにハヤテは立ち上がり、確かめるように走ったり跳ねたりしてみせる。
「見ろユーキ!完全に元通りだ!前よりも体が軽い気がするぞ。」
「わかった。俺もハヤテが元気になって嬉しいよ。だからまずは安静に。こ、こら」
俺はハヤテに押し倒されてさんざん顔をなめられた。正直まいったがたまにはこういうのも悪くないかもしれない。敵だらけの世界で初めて勇騎に仲間ができた瞬間だった。
7 草原の謝肉祭
当初の不安をよそに、思いのほか梁は好調で毎日魚の水揚げがあった。魚を開きにして干したりして保存食めいたものまで作ることができた。だがさすがに魚だけではもの足りないし、ハーブは庭先で採れるが塩ばかりは心許ない。川は海に流れ込むとすれば・・・。
「ハヤテの足で海までどれくらいかかる?」
「我は海など知らないぞ。」
(別に海水浴や釣りなどの用事も無いのに海まで行く訳ないわな。)
「なぁユーキー、狩りにいかないか?」
勇騎の回復魔術のおかげでハヤテはすっかり完治していた。しかし大事をとって2日の安静をハヤテに申しつけていたのだ。さすがにハヤテもそろそろ退屈を覚えているようにうかがえる。勇騎も自らの回復魔術の効果への疑念も解消しつつあったので、その提案を受け容れることにした。
「どこで狩るんだ?」
「何を食いたいかによって変わるかな。猪なら森だし牛なら草原だ。」
豚肉、牛肉と甘美な響きだが、少し引っかかる。
「牛だって?それはもしかして人間の集落だったりするのか?」
「そう言えば近くに人もいたような。」
やはり。牛などを狩りに行けば人間たちに返り討ちにされるではないかと考えたところで、ふとハヤテのことを思い出す。
「もしかして柵を乗り越えてその中の牛とか襲ったりした?」
「いいや、何の話だ?」
どうやら農場の牛を襲って返り討ちにあった訳ではないらしい。野牛であればその辺の懸念は払拭できそうだ。
「いや、いいんだ。気にしないでくれ。俺はしばらく前に草原で人間に殺されそうになったからちょっと怖くてな。」
「そうだな。あそこは馬で荷物を運んだりしているから確かに人間によく出くわす。気をつけないと襲われたりする危険もある。たまにゴブリンやオークも見るぞ。」
(そうか、あの草原は集落と集落をつなぐ街道みたいなものかもしれない。何とか調味料だけでも手に入らないもんかね。できれば作物の種や主食になる米、小麦とかも。気は進まないが近隣のことも知っておきたい。そうなるとどうしても草原に打って出る必要はある。)
「草原に行ってみよう。」
あれからクロヴィウスの書斎で研究し、魔術の試行錯誤も繰り返して来た。魔術は自分で術式を組めば使えるみたいだが残念ながらその方法はわからなかった。したがって指輪の術式を作動させることにより、やっと魔術を使うことが出来る状態にとどまった。
魔術を使う術が無い勇騎にとっては便利な指輪だが、そもそもの持ち主であるクロヴィウスの日記によるとこの指輪を作った目的はいくつかあるようだった。
一つは魔術の同時行使。複数の魔術を同時に行使することは理論上可能であるが、実践するのは神業の領域であるらしい。術式の構成を肩代わりさせれば同時行使も訳は無いということだ。
(ということは俺が一度に行使できる魔術は一つになる。俺は自分で術式を構成できないからな。)
そこで勇騎はふと思いついた。ひょっとすると指輪には何種類も魔術の術式が組み込まれているので一度に何個も発動させることができるのではないだろうかと。しかしながらさすがにそこまで都合よくいかないものだ。複数の術式を同時に発動させることはできなかった。
(でも翻訳や結界の術式は同時使用できているんだがなー・・・。ダメなのかい?他の方法でもあるのか?)
そしてもう一つの目的は緊急手段だ。すごいことに術者が魔術を封印されるような事態に陥っても指輪による魔術行使は封印されないとのこと。さらに絶え難い激痛により精神の集中を欠き、術式を構成できない程の状態に陥っても精密な魔術の発動が期待できるとは何とも頼もしいではないか。魔術に頼り切りの場合、特に魔術師は物理攻撃に対して脆弱であるため切り札を用意する。本人の魔力が枯渇しても指輪に蓄積された魔力で魔術を使うことが可能なのも良い。制約はあるが、使い方次第でいくつもの戦術が組み立てられる。
ーーー
「すごい速い、最高の気分だ!」
俺は今、ハヤテの背に乗って移動している。俺と徒歩で移動していたら日が暮れると、業を煮やしたハヤテが乗せてくれたのだ。もし敵がいても騎兵でもないかぎりは確実に逃げきれるぞ。
「そうだろユーキ。我は速いのだ。もっと褒めていいんだぞ。」
ハヤテも久しぶりに全力で駆けられるのでとても上機嫌だ。バイクの免許は持っていなかったが、バイクもこんな感じなのだろうか。こんなに気分爽快なら乗っておけばよかったと勇騎は後悔する。いつの時代も人生でやれることはやれる内にやっておくべきなのだ。いつ死ぬかわからない異世界、後悔するような生き方しててもダメなのだ。
「ん?」
ハヤテが何かを察知したようだ。
「どうした?」
「向こうから血の臭いがする。行ってみるか?」
俺たちに迫る危険かもしれないから確認しておく必要はあるな。気は進まないが、遠くから様子を見て判断しよう。
「少なくとも巻き込まれない距離まで近づいて見よう。」
「よし来た。」
ハヤテが臭いのする方向に向けて駆け出す。様々な可能性を考えているわずかの間に現場付近にたどり着いた。
「あれか。」
茂みに身を潜めて確認すると馬車の周囲で戦闘が行われていたようだ。御者台から商人らしき男が引きずり下ろされたのが見える。野盗の集団に襲われたと言ったところか。野盗と護衛者それぞれの死体がそこらに転がっている。野盗は4人残っている。確認できる状況はそんなところだった。ゴブリンの勇騎からすれば人間同士の小競り合いに過ぎず、そこに自分たちの身を危険にさらす程の価値はない。
「馬車の荷は全て差し上げますからお命だけはお助けください。」
商人は泣きながら命乞いをしている。対して野盗は下卑た嗤いを返して剣を突きつけた。
「ああいただくよ。けどな、俺たちは野盗だ。お前を殺して奪えばいいだけだろ。俺たちの仲間が何人も殺られちまったからよー。お前を生かして帰すなんて選択肢はハナからねーんだわ。」
「はははっ、頭はおっかねぇなぁ。お前助からねーってよぉ。」
「お前この状況で俺たちと取引できる立場か?おめでたい野郎だ!」
(むぅ・・・、血も涙も無い悪党ってのはどいつもこいつも同じなのかねぇ。「どこを切っても同じ」って、金太郎飴かよ。まじテンプレ。腹立ってきた。アイツら油断しているから今ならやれそうだな。)
わざわざ人間を助けてやりたい訳ではないし、そんな義理も無い。小競り合いに介入するのは正義感ではなく、漁夫の利を得るという実利を優先するからだと勇騎は自分の気持ちをごまかして自らを奮い立たせた。
「ハヤテ、奴等の後ろに回り込んで奇襲するぞ。武器を持っている4人を殺る。できるか?」
「ああ。先制攻撃でまず一人にトドメを刺して見せるよ。」
「上等だ、行くぞ!」
合図とともにハヤテは回りこむように駆けながらトップスピードで野盗の首筋目がけて突っ込む。一方の勇騎はハヤテの背から飛び上がり上空からウィンドブレードを放った。
「うわぁっ、助け・・・」
ハヤテが野盗の首筋に噛みついて引きずり倒すとそのまま喰い千切ってしまった。その光景に慌てて武器を構えた野盗の首が相次いで宙を舞う。一瞬で3人を無力化した。
「あわわわわ・・・・」
地面に伏せていた商人は口を震わせながら頭を抱えて動けなくなっている。
「くそ、何だこりゃ。ファーウルフとゴブリンだと!お前ら何をした!」
野盗の頭が武器を構えているが明らかに狼狽している。
「ん?お前ゴブリンのくせに妙な格好しやがって。よく見りゃ丸腰じゃねぇか。お前から先にブチ殺してやる!」
野盗の頭が斬りかかって来る。しかし間合いに入る前にウィンドブレードで剣を握った腕ごと切り落とされてしまった。
「ぐがぁ、い、痛ぇ。チクショー。何でただのゴブリンが魔術を使えるんだ!」
切り落とされた部位を庇うように抱えて野盗の頭は怨嗟の叫びを上げる。無力化しているが油断すると足下を掬われるのは俺たちも同じだ。トドメを刺すまでは安心できない。右手を掲げて魔術を放とうとすると野盗が声を上げた。
「ま・・・、待ってくれ。俺を見逃してくれ。腕もこの通りだ、もう何もできねぇ。そうだ、俺の持っているものなら何でもお前にやる。だから頼む、助けてくれ。」
「なるほど。」
最期の足掻きに無理を承知でゴブリン相手に話しかけたのだろう。人語を解するはずが無いゴブリンからの返事を受けて野盗の顔に驚きと喜びが入り混じった表情が浮かぶ。
「お前、話せるのか?だったら俺の言ったことわかるよな。俺を見逃せば」
「お前はそこにいるそいつを見逃したのか?」
俺は相手の言葉をさえぎるように質問を被せる。野盗の顔が絶望に歪んだ。
「あ・・・。ああ、俺はそいつを見逃すつもりだった。」
一瞬言いよどんだ後、卑屈な笑いを浮かべて野盗が答える。目の前の男は明らかに嘘をついている。これにより勇騎の心は決まった。
「そうか、では俺もお前を見逃すとしよう。」
「ありがてえ」
その言葉を聞いて勇騎が野盗に背を向けると、野盗はやおら落ちた剣を拾い勇騎に斬りかかる。
「死ねやクソゴブリンが!」
その瞬間、野盗の視界が斜めに回転した。そして自らの状況を理解するまでにさらに数秒かかっただろう。目の前のゴブリンは振り向いたまま魔術を発動させて野盗の身体を真っ二つに切り裂いたのだ。
「隙を見せたら斬りかかると思ってたよ。」
戦闘を終えてハヤテが近づいて来る。
「ユーキは後ろにも目がついているのか?背中に魔力を集中させて何してるんだと思ったぞ。で、地面に伏せてるこいつはどうする?食べちゃう?」
「ダメだよハヤテ。今日は牛にするっていったろ。」
「うーん、それもそうだな。じゃあ早く行こうよ。」
8 背教者の素性
野盗を退治し、残るはこの商人なのだがどうしたものか。何かさっきからブツブツ呟いているのが気になる。
「ああ神様。哀れな私をどうかお救いください。お願いします。お願いします。・・・」
「なぁ、アンタ。」
「ひ、ひいぃー!ゴブリンが喋ってる!私はもう地獄にいるのか?た・・た、助けてー!」
白昼の惨劇を目の前にして、商人風の男は次は自分の番かとばかりに断末魔の絶叫を上げる。確かに目の前で行われた戦闘は一方的な虐殺に見えても無理は無かった。どうやって無抵抗の男を落ち着かせたものか。
「アンタは助かったよ、ここは地獄じゃあない。命を取ったりもしないから安心しなよ。」
「へっ?本当ですか。本当に?」
「ああ、ただし条件がある。」
「そ、それはもちろん。この馬車ごと貴方様に差し上げますのでどうぞ命だけはお助けください。」
どうやら条件という文言に震え上がってしまったらしい。そんな恐喝めいたことをするつもりはなかったのだがまいったな。すると向こうでハヤテが何やら見つけたようだった。
「ユーキ、こいつまだ生きているぞー。どうする?」
「おや、狼の側に倒れているのってアンタの仲間かい?あの人はまだ生きているってさ。」
その言葉に驚いた商人が慌てて倒れた仲間の元に駆け寄る。
「ハンス!生きているのか?お願いだハンス、返事をしてくれ。ハンス!」
ハンスは腹を貫かれて僅かに呼吸をしていたが、直に死が訪れるだろう。勇騎は泣き崩れている商人の肩に手を当てる。
「剣が腹に刺さったままだな。いくつか臓器をやられているかもしれんが、ひょっとしたら助けられるかもしれないぞ。」
「それは本当ですか?しかしこんな重傷ではハイポーションでも助かるかどうか。」
「まぁやってみるよ。ちょっと離れてもらっていいかい。」
「わかりました。どうかハンスを助けてやってください。」
「確約できないが、全力は尽くそう。」
(まぁ助かるかどうかは俺もやってみないことにはわからない。でも何も手を施さなければ死ぬのを待つに等しいんだ。どうせなら回復魔術の実験に付き合ってもらおうじゃないか。こんな瀕死の重傷を治癒する機会を逃す手はないだろう。)
勇騎は回復魔術を開始した。見る見るうちにハンスの出血が止まり傷口も塞がっていく。だがここが一番の正念場だ。
「気張れよハンス!今から腹に突き刺さった剣を抜くからな。それ。」
剣を引き抜くと同時に回復魔術の魔力を強める。腹部からさらに血が吹き出したがそれも一瞬の出来事だった。かなりの荒療治ではあるが、何とか身体内部の裂傷をつなぎ合わせて再生させた。失った血液はどうにもならんが後は本人の回復力次第だ。
「嘘みたいに痛みが消えた。こりゃあ一体?」
ハンスの意識が明瞭になり、いきなり身を起こすや否や自分の身体を不思議そうに確認し始めた。ハンスがあまりに忙しないので見かねた勇騎が声をかける。
「無理をするな。かなり血を失っているはずだ。」
「何てことだ!あの大怪我を?き・・・、奇跡だ!」
商人が口に手を当てて何かわなわな震えている。だが怯えているのではなく、表現しようにも表現しようが無い歓喜の震えだった。
「そうなのか・・・ってゴブリン!?今しゃべったよな。じゃない、俺の武器はどこだ!無い、無いぞ。た・・・、助けて!」
腰が抜けたのか血が足りなくて立ち上がれないのか身体を後方に引きずりながらハンスが悲鳴を上げる。
「落ち着けハンス。お前の命を助けてくださった方だ。戦わなくても良いんだよ。」
「へ?ゴブリンとファーウルフじゃないか。何でこいつらが俺たちを助けてくれるんだ?ジョセフ、俺は悪い夢でも見ているのか?」
ようやく二人が落ち着いたので話ができた。ジョセフはアーレンという町の商人だ。毛織物をダントンという港町で売り捌き、港町で仕入れた調味料や薬草などを本拠地のアーレンにて売り捌くといったことを生業としているらしい。ハンスは幼なじみで馬車を護衛しているそうだ。
(話を聞く限り俺に取っては何とも好都合。喉から手が出る程欲しいものばかりじゃないか。)
「我は暇だー。」
ハヤテは俺たちが話を始めたので暇を持て余している。見れば大きなアクビをして伏せていた。
「この臭いはオオカミ草じゃないか。こんなもの森に行けば山ほど生えているぞ。」
ハヤテが気になる事を呟いた。
「ん、何だそのオオカミ何とかって?」
「傷を治すために使う草だ。ユーキが助けてくれたあの日、我は森にあるオオカミ草を取りに向かってたんだ。たどり着く前に力尽きてしまったがなー。」
どうやらオオカミ草は薬草のことらしい。ハヤテと内緒話していると聞きなれない呻き声なのか目の前の商人が心配そうな声で尋ねて来る。
「どうされましたか?」
「すまない、独り言だ。気にしないでくれ。」
(そうか、同じものが森の中にも存在するのか。わざわざ遠方に出向いて入荷するのってアーレンで薬草は採れないってことだよな。もしかして取引の材料になるかもしれん。当初のBBQ作戦からは遠ざかってしまったが、調味料が手に入るならばこの機会を逃すわけにはいかない。)
ここは一つこちらの要望を切り出して見ることにした。
「ずうずうしいかもしれないが、お礼ってことなら塩や調味料なんか少しばかり譲ってもらえないかな。お金も少しなら持ってるんだ。」
「いいえ、ユーキさんからお金をいただくなんてとんでもない。私どもはハンスの治療費ですらロクにお支払いすることもできません。もし何かということであればここにあるもの何でも差し上げますから。」
確かに医療体制などまともに整っているはずも無い。野盗や馬車など明らかに文明水準は前近代レベルだ、治療費などもバカにならないだろう。しかし恩を売ってでも何とかこの商人とつながりを持ちたい。
「今回の治療はサービスしとくよ。ジョセフさんたちもこれからの生活だってあるだろ?」
カツアゲのような形では細い糸だって一発で千切れてしまう。取引なら持続的関係を構築できるんじゃないか。勇騎はそこに一縷の望みを託す。
「ユーキの旦那は男前だなぁ、泣けてくらぁ。でも安心してくれよ。野盗を討ち取った報奨金だってもらえるんだ。商品が無くなったって何とかなるよな、ジョセフ!」
やりとりを聞いていたハンスが声を上げる。どうやらもう勇騎たちに敵意はないようだ。この際、ハンスも取り込んでおきたい。
ーーー
アーレンまであと1日の距離ということで勇騎は護衛を買って出た。まぁ本当の目的は彼らから少しでも人間たちの情報を聞き出したいからだ。さすがに彼らの仲間も4人殺されて今や戦えるのがハンス1人では帰路も心許ないだろう。しかし5人の戦闘員で13人の野盗を相手にしていたのか、実は凄腕なんだな。
「旦那、野盗どもの装備品はどこに隠したんですかい?あっと言う間に消えちまいましたね。」
ハンスが不思議そうにしている。まぁ知ったところで俺から取り上げられる存在はいないだろうから教えてやってもいいか。
「知りたいのか?これだよ、ほら。」
空間に突如生じた穴に手を突っ込み野盗のナイフを取り出して見せる。
「うわ!何ですかい、それは。」
「強欲の淵っていう魔術だ。ここには何でも収納できて好きな時に取り出せる。」
「これは驚いた。ユーキさんといると本当に不思議なことばかりですな。商人の私からするとそんな羨ましい魔術はありませんよ。それは人間の魔術師も使えますかな?」
「ああ使えるよ。だってクロヴィウスが使っていた魔術だからな。」
「「クロヴィウスだって!?」」
おや、何か変なことを口走ってしまったか?ハンスもジョセフも驚愕しているぞ。
「クロヴィウスって、旦那!それってもしかしてあの背教者クロヴィウスですかい?」
(ああ、そう言えばクロヴィウスって教会から命を狙われていたんだっけ。しかし背教者って。俺にはクロヴィウスの方が遥かに誠実だと思うがね。まぁちょっとトボけておくか。)
「クラウディスだったかな?グラウコスか?何年も前の話だから人間の名前を忘れちゃったよ。」
「驚かさないでくださいよ、もう70年ほど前の事件ですぜ。聖教会が背教者クロヴィウスを聖遺物の加護によってこの世から消滅させたのは。」
(あーあ、まんまと逃げられてしまったことを消滅させたと言い繕っているわけね。誠実性の欠片も無い教会だこと。嘘っぱち協会の間違いでは?)
「でもクロヴィウスってどうもおかしいんですよ。」
ジョセフが奥歯にものが挟まったような言い方をしたのが気になる。
「何がおかしいんだい?」
「こんなこと人前で語ることはできないんですが、私たちの祖父母の世代はクロヴィウスを悪し様に言う人がいないんです。むしろ毎年一度は司教区各地を巡って傷病者を治癒したり飢饉の折には教会領から支援の食糧を届けてくれる偉い司教様だったと。」
「そうだよな、爺っさま婆っさまたちが嘘ついていたなんて思えねーし。実は俺もおそらくクロヴィウスは権力争いでハメられたんじゃねーかって思ってるんだ。今の腹黒司教に聞かせてやりてーよ。」
うん、知ってた。日記を読む限り信仰と学問の調和的「発展」を真摯に追求していたクロヴィウスが悪人のはずがない。実際ジョセフとハンスも指輪の力、すなわちクロヴィウスによって助けられたようなもんだ。聖職者の務めもこうしてしっかり果たしていたとなるとますます聖教会とやらは胡散臭いな。もちろんクロヴィウスのような真面目な信仰者もいることだろう。しかし、こんなプロパガンダを用いなければ庶民に慕われる司教を社会的に抹殺した正当性を語れないとは。まぁ教会なんて俺には関係ないが、いつかクロヴィウスの名誉は回復してやりたいもんだな。
「ユーキ、肉はどうなるんだ?」
「すまん、ハヤテ。今日は魚で我慢してくれ。次は美味いもん食わしてやるから。」
「約束だぞ、ユーキ。」
ハヤテが恨みがましく呟く。食べ物の恨みは怖いので肝に銘じておこう。
ーーー
「ありがとうございます。ユーキさんのおかげで私たちだけでもアーレンに帰ってくることができました。」
「いや、こちらこそありがとう。いろいろ分けてもらった上に地図までもらっちゃって。」
「いえいえ、全財産どころか命まで奪われることを思えば。でも本当にこんなささやかな謝礼でよろしいので?」
「ああ十分だ。金だと使い道がほぼ無いし、商品を山ほどもらっても俺に売り捌く術は無いよ。俺としては物々交換で薬草の得意先ができて大助りさ。」
「ええ、私どもも北方の戦乱で医薬品の原料の薬草が例年の三分の一しか手に入らなかったので渡りに舟です。しかも不足した薬草だけのためにわざわざダントンに出向かなくて良いので非常に助かります。買い取りもしっかり勉強させてもらいますのでよろしくお願いします。」
「不足はこの樽で二つ分か。じゃあ預かっておくよ。」
ジョセフから樽を受け取り、虚空に収納してみせるとハンスが目を丸くする。
「やっぱ何度見ても便利だな。今度俺の冒険者仲間にもそれ教えてくれやせんか?」
「うーん、俺ゴブリンだから教えるのって得意じゃないんだよ。魔術も感覚でしか使ってないから。お仲間さんは魔術を解析できたりするの?てかハンスさん。その人、俺を見るなり襲ってこない?」
勇騎は冗談めかしてハンスに探りを入れる。
「もし旦那に魔術をぶっ放そうとしたら俺がぶっ飛ばしてやりますよ。安心してください、ナシつけとくんで。でもあの酔っ払いは解析できないかもしれないっすねー。うーん、微妙。」
「あとユーキさん、あなたの回復魔術なんですが・・・。」
ジョセフが言いにくそうに話を切り出す。
「瀕死の重傷者を救うレベルの魔術は人間であれば王宮に召し抱えられてもおかしくないものなんです。もし悪い人間がその事実を知ればあなたを捕らえて利用しようとするかもしれません。助けられておいて恐縮ですが、何卒使用するときはご注意ください。」
(モンスターの俺たちを気にしてくれるのか?)
正直こんなことを言ってくれるとは思っていなかった。ジョセフたちも救われたとはいえ、相手はモンスター。警戒しないはずはない。今も心中穏やかではない部分もあるだろう。だがこの言葉はジョセフの心からの言葉に思われた。
「ご忠告肝に銘じておくよ。何から何まで本当にありがとう。」
アーレンの城壁は眼と鼻の距離だ。これ以上近づいたら勇騎たちは衛兵に追い立てられてしまうからここでジョセフたちと握手をして別れを告げる。彼らからの収穫は大きかった。特に護衛中にいろんな情報を聞くことができた。北方諸国の戦乱、西の帝国、魔族領やここバシレウス王国の内情などさすがは商人だ、耳が聡い。
「待たせてごめんな、ハヤテ。帰りは牛を狩って肉料理のフルコースだ。材料が豊富に手に入ったからいろいろ料理が作れるぞ!」
「何!それは本当か?ぜひ食べてみたいぞ!」
「寄り道もわるくないだろ?」
「それは料理を食べてからの判断だ。だが善は急げ。振り落とされるなよユーキ!」
「え?う、うおー!」
その夕方、俺たちはたらふく肉料理を堪能した。
9 森の狂戦士
さて、今日の俺は何をしているのかというと異世界ラーメンを自作しております。何せ魚醤があり、小麦があり、牛肉、牛骨があるとなれば作ってみたくなるのが情ってもんじゃぁないですか。野菜とかは不足しているけどそこはハーブなどで代用します。一方のハヤテさんはというと牛の大腿骨を頬張って終始ご機嫌なご様子。寸胴を使って煮込むこと丸一日。牛肉チャーシューの方も最高の出来ですな。
さあ完成したぞ。
「いただきます。」
ずずずー。もぐもぐもぐ。
「美味〜い!」
スープも・・・
「美味し!」
チャーシューは・・・
「まいう〜!」
正直、麺はつるつるシコシコ食感とは行かなかったがそれでも十分に美味い。はい、ハヤテさんの視線が突き刺さりますね。非常に痛い。
「何を食ってるんだユーキ?我も食べたいんだぞ。」
やだわハヤテさんたら、お口からたれてますよ。
「うーん、ハヤテには塩辛いものなんだが。そうだ、ハヤテにはお肉を焼いてあげよう!」
「いやだ!ごまかされたりしないぞ、我はユーキが食べているものが食べたいんだ。我にもちょーだい。ちょーだいーっ!」
「うふふ、ハヤテさんってば、ちょ、重い。わかった、わかったからちょっと待って。」
ハヤテの前足が肩にズシりとのしかかってもう悠長に食べていられる状態じゃない。
「料理を作ったならちゃんと我の分も用意するのだぞユーキ。」
「うーん、まだ熱いからハヤテは舌を火傷しちゃうよ。でも冷めたら油ギトギトで絶対美味しくないんだよね。ハヤテは気に入らないと思うんだ。まあちょっとこの麺だけ食ってみるか?」
そういってハヤテ専用取り皿に俺のドンブリの麺と切り分けておいたチャーシューを載せてみる。
「何だか細長いな。これは小麦というやつか。ふむ。この肉はチャーシューと言ったな。ふむ。味付けは濃いがチャーシューは食えるな。すごく柔らかくて味が染み込んでいる。ところでそのスープとやらはどうなのだ。」
「これは熱いよ。それに味が濃い。まぁいいや。ほれ。」
取り皿に少しスープを垂らす。
「おお、牛の骨の旨味と匂いが溶け込んでいるな。骨にこんな使い方があるなんてしらなかった。これはすこし旨い気がする。」
「そうか、じゃあ魚醤と混ぜる前のスープを少し持ってこよう。」
「魚醤も混ぜて。」
「すこしだけな。」
ーーー
今日も天気が良い。今回の遠征でかなりの収穫があったし、アレやっとくかー。
「ユーキは何をしてるんだ?」
「え、これか?この家の主のクロヴィウスにお供えと報告をしているんだ。俺たちの命の恩人だからな。」
「それは我もやった方が良いのか?」
「いいや、お前の分も俺がやっておくよ。ただし、ここにある食べ物とかはクロヴィウスのものだから絶対に食べちゃダメだぞ。食べたくなったら俺に言えば代わりのものをやるから。あとこの区画を踏みつけるのも禁止な。」
「うむ、わかった。我らの主なのだな。」
ハヤテは良い子だな、理解が速くて助かる。
俺は死後の世界とか信じていないが、今こんな世界にいるってことは神も死後の世界なんかもあるのかもしれない。ただ俺をこんなとんでもない状況に放り込んだ神とやらには業腹だ。俺に知識と力を授けてくれたクロヴィウスのみが俺にとっての神と言っても過言ではない。アンタから恩を受けた人間は最期までアンタの味方だったそうだよ。
「よし、じゃあ行こうかな。」
「今日はどこへいくのだ?」
「ジョセフさんとの約束もある。オオカミ草を採りに行かないとな。」
地図上では木で覆われていて何もわからない深淵の森。何が潜んでいるかわからないが、ハヤテが知っている範囲ならば帰って来れるだろう。
「ハヤテがいるから心強いな。」
「うむ。しかし森には魔物が棲みついているからユーキも気をつけないといけないぞ。我もたまに襲われるからな。」
「でも大した魔物じゃないんだろ。」
「うんにゃ、攻撃が全く通らない奴もいるんだ。そいつからはひたすら逃げるしかない。」
「なっ、何だってー!」
(薬草を採りに行くのが当たり前って雰囲気だしてたじゃん。え!?何。意外と本格的に命がけなの?こないだはよくハヤテを救出できたな。こればっかりは運が良かったのかも。)
装備を整える必要性を日頃痛感していた勇騎は森の探索に備えて既に装備品を作っていた。野盗から巻き上げたレザーアーマーは専用に胴回りを直し、余った部材で額当ても自作するなど随所に工夫を凝らした。剣は使いづらいのでナイフを装備して動きやすさを重視した形だ。自作のサンダルは心許ないので、野盗のブーツを参考に自作してみた。道具が増えると作れるものが増えて良い。
ーーー
午前中にも関わらず森の中は相変わらず薄暗い。いろんな生き物の鳴き声は聞こえて来るが姿を探そうにもなかなか見つからないものだ。本日はハヤテを移動手段にすることなく、風の魔術を使い自力で森の中をホバー移動している。こういう障害物のある環境でコントロールする練習を積まないといざと言うときに役に立たないだろう。今でこそハヤテのスピードについて行けるほどに上達したが、ホバー移動の練習も当初は惨憺たる有様だった。派手に転げまわったり、左右の調節が上手く行かずに独楽のように何度も高速スピンを繰り返したのはここだけの秘密だ。
「あんなにヘッポコだったのに我のスピードについて来れるなんてユーキはすごいな!」
「ヘッポコは余計じゃい!ふふふ、あれを実用レベルまで高めた俺の実力を、ふがっ!」
木の枝がデコにスマッシュヒット!歌って踊れるみんなのアイドル、相馬勇騎もこのヒットは嬉しくない。セカンドシングル『木の枝がデコ』 Coming soon!
「いてて、調子に乗ったぜ。」
「ははは、ユーキもまだまだだなー。」
「ハヤテパイセン、さーせん。」
(ちっ、これが野性の身体能力ってやつか。ハヤテはよそ見しながらもスイスイ障害を避けていくぜチクショー。悔しいがハヤテに一日の長があるってこったな。集中、集中。ふざけてるけど、よくよく考えると命がけだかんね。おや、あれは・・・。ヤシガニじゃねぇか?あれって食えるよな。)
「ハヤテ、待ってくれ」
「ん?」
「ちょっとアレ取って来るから待ってて。」
「何だ、あんなもの食えるのか?」
(おお。そこかしこにいるなぁ。美味しいものだったらまた採りに来よう。よし、すばしっこくないし楽勝。)
今日の夕飯が楽しみだ。
道すがら木の実を採取したり意外に楽しい時間を過ごしながらも30分程で目的地に到着した。
「おお、きれいな風景だな。遠くに湖もある。」
「ユーキ、目的地はここだ。ようやくついたな。」
「え、オオカミ草ってどこ?」
「何言ってんだ?そこら一帯全部オオカミ草じゃないか。」
「え?これ全部!だとしたら雑草みたいなものじゃないか。」
「ああ、でもこれすごく傷に効くんだ。食べるも良し、貼るも良しだ。」
「本当かよ。試してみよう。痛て!」
俺はナイフで自分の指を切り、薬草を水洗いして一口食べて見た。
「ああ苦いなー不味いなー、でも染み渡る。疲れも取れる気がするー。」
しかしエラく苦い代物だった。良薬口に苦しということか。
「残りを貼り付けて見よう。あっ、傷に浸みる。そんでビリビリ痛むわー。でも不思議だな、傷が少し塞がり始めているぞ。」
(なるほど、これを濃縮してポーションに生成するのか。それにしてもこれは質が良いんじゃないか?即効性がすごい。ジョセフは樽三杯で町の一年分をまかなうに十分と言っていたが、これ何十年分あるんだよ。そんで採取しても気づいたらそこら中にまた生えるんだろ?この群生地すごいな。よし、自家用にも少しばかり持っておこう。)
「じゃあ帰ろうか、ハヤテ。ん?どうした。」
「ユーキ・・・、湖の向こう岸を見てみろ。」
「んげっ!何だありゃぁ?」
見ると巨人を切り刻んでいる戦士の姿が見える。しかも腕が4本もあるではないか!
「黒騎士だ。あいつには魔法も攻撃も届かない。全て切り刻まれるんだ。見ろ、あのサイクロプスですら歯が立たないんだ。」
「水場に来た魔物を片っ端から切り刻んでいるのか。え、何で?」
「我にもわからない。わかるのは我が知る限りあいつが森で一番危険ってことだ。見つけたら即座に逃げることが重要なんだ。森で生きている奴はみんなそのようにして生き残っている。」
「わかった。すぐに転移するぞ。」
俺はハヤテに駆け寄り転移魔術を発動させた。ふう、あんなに離れていたのに生きた心地がしないな。転移により一瞬にして見慣れた庭の景色に切り替わる。恐ろしい奴もいたものだ。・・・、いや待てよ。
「もしかしてこの家もヤバいのか?」
「いや、大丈夫だと思うぞ。我は今まで湖の周囲でしか黒騎士を見たことがない。ここまで来ることはないだろう。」
「常にあの周囲にいるってことか。おそろしいな。戦って勝つためのヴィジョンが何も浮かばない。」
むしろ俺が奴に切り刻まれる姿ばかりが目に浮かぶ。所詮は雑魚モンスターのゴブリン様だ、逃げるが勝ちだってことよ。黒騎士を前にしては俺の装備なんざ紙切れ同然じゃないか。絶対に戦わないようにしよう。
10 天秤の傾き
そしてジョセフさんとの約束の日を迎えた。俺は転移魔術でアーレン付近に移動し、ハヤテとともに木陰から様子をうかがっている。
「あいつら来るかなー。」
「いや、どう考えても来るだろ。だってアーレンにとっては必要不可欠な物資だぜ。手に入らないと困るのはアーレンさ。」
「でもあいつら人間だぞ。ユーキも殺されそうになったんだろ?我は微妙だあ。」
「むぅ・・・、ハヤテさんは痛いとこ突くね。確かにそのとおりなんだよ。人間はゴブリンのことを嫌っているだろうから、もしかすると反故にするための空約束かもしれない。でもね、ジョセフさんは信用できると思うんだよ。」
勇騎はジョセフとの別れ際の忠告を思い出す。
「うーん・・・、ユーキの言うことなら我も信じてみるよ。」
ハヤテは納得していないが、それでも俺に免じて飲み込んでくれるようだ。
「まぁ俺たちにとってはいずれでも損はないさ。でも今日の取引が成功したらいろいろほしいものが新たに手に入るんだ。ふっふっふ・・・。」
「何か怖いぞユーキ。」
おや、門から隊商が出てきたぞ。馬車と2名の護衛か。
「もしかしてあれかな?おお、赤い布を腕に巻きだしたな。あれだよハヤテ。」
「でもだまし討ちも考えないとだぞ。油断は禁物だユーキ。」
「お・・・、おう。そうだ、そのとおりだ。つい浮わついてしまったよ。ハヤテが冷静で助かる。」
いかんな、ハヤテの方が俺よりも冷静だ。俺は多分まだまだ甘いのだろう。命を脅かされて育ってきた訳では無いので、この場合、圧倒的に正しいのはハヤテだ。
「俺が交渉している間、ハヤテは少し離れた位置で警戒を頼む。俺が襲われたら助けてくれ。いいか、俺が危害を加えられた時まで攻撃はしちゃだめだぞ。」
「わかった。まかせてくれ。」
俺はハヤテと遠巻きに回り込んでいくと馬車から手を振っているのを確認する。やっぱり、ハンスさんか。
「おーい、旦那だろー!持ってきやしたぜー!おーい。」
俺もそれに応えて手を振り返す。俺は新顔がいることを警戒しつつ接近していく。
「ユーキさん、ご無沙汰してます。」
「やぁジョセフさん、ハンスさん。また会えて嬉しいよ。おや、そちらの方ははじめてだね。俺はユーキだ、よろしく。」
相手に警戒感が伝わらないように牽制しておく。
「ええ、こちらこそはじめまして。私はソフィアよ。」
魔術師か。何かあれば対処できるか全くわからんな。状態異常の魔術を使われたらかなわんぞ。離れた位置でニラミをきかせているハヤテの魔力感知がたのみの綱だ。
「では早速だが、モノを確認してくれ。量も品質も悪くないはずだ。」
勇騎は強欲の淵から樽を二つ取り出して見せる。すると馬車の隣にいたソフィアが目を丸くして勇騎に駆け寄った。
驚いた。まさか今日初めて会った人間がいきなり目の前に飛び込んで来るとは。こうなるとハヤテがまずい。俺はハヤテに待機の合図を送った。そうしなければハヤテがソフィアの首筋に迷わず噛みついていただろう。あらかじめハンドサインを確認しておいて良かった。ハヤテのダイナミックエントリーなんて洒落にならん。
「これね!クロヴィウスの魔術って。本当にこんなのあるなんて、どうなってるのかしら。何て言うの?この魔術。」
目をキラキラさせているのはいいが、酒の臭いがスゴいな。何だこいつは?昼間っからへべれけかよ!
「え?・・・ああ!これは強欲の淵っていう魔・・・」
「神話から名前をとっているのね!オルフェウスかしら?そうね?そうなのね。」
ち、近いって。しかも俺の返答に被せて来たな。何を興奮しているかわからんが俺に聞いてもさっぱりわからんぞ。
「おい、旦那が困ってるじゃないか。おら、離れろ!旦那、すまねぇな。こいつ珍しい魔術に目が無いもんで。」
見かねたハンスがソフィアの襟をつかんで俺からひき剥がす。グッジョブ!
「ちょっとくらい良いじゃない、なによー。」
ソフィアが不満の声を上げる。酔っ払っているからか?遠慮が無いなー。まぁ敵意があるわけではなさそうだ。
「はっはっは、すいません。ソフィアはああいう娘なんです。決して悪い娘ではないのでどうか許してあげてください。」
「ああ、驚いたけど怒っていないよ。俺、ゴブリンなのにソフィアはあまり気にしないんだな。」
「あんた見ためゴブリンだけど、らしくないわね。服も来ているし沐浴も欠かしていないでしょ?その証拠に全く臭くないわ。服も洗濯しているわよね。」
おお、結構失礼なことぶち込んで来るなー。でも女性特有の観点なのか。エチケットに配慮していて正解だったかもしれん。
「こら、こいつ!臭いの臭くないの言い出したらお前は酒臭いだろうが。旦那、もうこいつは無視してくれて結構なんで。」
「気にしないでハンスさん。ナシつけてくれたみたいで感謝してるよ。」
「へへっ。」
「・・・悪かったわよ、私も話に加えてよね。」
バツが悪そうにソフィアが告げる。彼女にとってみれば未知の魔術に接するまたと無い機会なのだろう。いかんな、どんどん彼らのペースに巻き込まれている。いい加減毒気も抜けるわ!
「ではユーキさん、確認させてもらいますね。どれどれ。ふぐっ!」
ジョセフが確認のためオオカミ草を口にした瞬間、にわかに顔色が変わってしまった。まずい、もしかして違うものなのか?いや、そんなことより
「大丈夫ですかジョセフさん!?」
「これは・・・」
毒なのか?俺は毒薬を渡してしまったのか?
「すみません、何か手違いがあったみたいで」
「確かにモノが違いますねぇ・・・。」
「すみません。お詫びはするので」
俺は土下座をして許しを請うつもりで慌てて膝をついたところ予想外の反応が返って来た。
「これは・・・間違い無い、ハイポーションの原料です。価格はダントン産の薬草の三倍になります。これだと私どもがお持ちした品物では対価として全く釣り合わない。これはマズいことになったぞ。」
「へ?」
俺は思わずマヌケな顔をしてしまった。紛らわしいよ。
「本当かジョセフ?俺も確認しよう、どれ・・・。本当だ、この刺激と回復力の即効性。間違い無いな、とんでもなく良質な薬草だぞ。」
ジョセフが冷や汗を流しながら頭を下げだした。
「今すぐ戻って金をかき集めて参りますのでお待ちいただけますか?すぐ、すぐに戻りますので!」
「え?いやいやいや、追加でよこせなんて言わないから。そもそも物品に間違いがあったのは俺の落ち度なんだし!気持ちよく受け取ってよ、ねぇ頼むよ。」
(間違っても「これ湖の側の雑草です」なんて言えない。取引価格がどうであれ、俺にとっては濡れ手に粟でしかない。ん、湖畔の黒騎士のことを考えると正当価格なのか?いずれにせよ今回はこれでいいよ。)
「いや、前回も私どもは報奨金を不当に利得しています。それが今回もでは私の商人としての面目が立ちません。」
(真面目か!この人本当に正直だなぁ。そんなもん俺なら黙って懐に入れちまうよ。どうしたものか、ひとまず・・・。)
「だったら、これは俺からの先行投資だと思ってくれ。」
「先行投資・・・ですか?」
「ああ。ジョセフさんの将来性を見込んでのことさ。ジョセフさんが商売の規模を大きくして発展してくれれば俺が得られる恩恵も大きくなると期待してるんだ。これは善意なんかじゃなくて利益の天秤を駆使した冷徹な計算だよ。もし正当価格ということであれば、次回の取引から適用してくれれば何も問題はない。」
ジョセフはしばらく考えた上で何か答えにたどり着いたようだ。
「ユーキさん。そういうことであればこのジョセフ、この投資を最大限に活用させていただきます。」
ジョセフさんの目に力強い何かを感じるなぁ。温厚なジョセフさんもこういう顔するんだ。
「じゃあ今回の取引は成立だな!」
「もちろんです。」
勇騎とジョセフはがっしりと握手を交わした。お互いに疑心暗鬼な部分はあったものの、それぞれが抱く信頼がそれを打ち消して相互に利益をもたらしたと言える。勇騎にとっては異世界で大きな足がかりを見つけたに等しい。
11 The Rodeo with Monsters
「さて荷物も全部回収したし、そろそろ帰らせてもらうよ。」
ほくほく顔で緩みきった調子で別れの言葉を告げるとソフィアが待てといわんばかりに質問の続きをしようと声をかけて来た。
「まさかアンタたちわざわざ走ってここまで来たの?」
「ん?いいや。いくら何でも丸一日使ってこんなとこまで走って来たりしないさ。もちろん転移魔」
「転移魔術ですって!」
(俺のセリフを喰い気味なんですけど、この子。ソフィアは気が立っているのか?もうちょっと落ち着いてくれないと少し怖いなー。)
「え?どうしたのいきなり。」
「どうしたも何もアンタは賢者だとでも言うの?」
(何を言っているんだ?ことごとく受験に失敗しちまった俺が賢者なわけねーだろ!嫌なこと思い出しちまった。)
「やだなあソフィアさん、俺はただのゴブリンだよ。」
「ごまかしてもダメよ。さっきの魔術と言い、アンタはクロヴィウスと何か関係があるんでしょ。ねぇ、アンタどこに住んでいるの?」
「ソフィア、ユーキさんが困っていらっしゃる。やめなさい。」
見かねてジョセフさんが助け船を出す。
(俺は苦手だなーソフィア。このグイグイ詮索して来る感じ、嫌だわー。)
「父さん、決めたわ。私ゴブリンについて行く。魔術を極めるには必要なの。」
「なっ!」
「え?」
「はぁ?」
俺たち男性陣は揃って素っ頓狂な声を上げる。
「そんなのダメに決まっているだろう。バカな事を言うんじゃないソフィア。」
「ジョセフの言う通りだぜソフィア。エレノアも許すはずがない。」
ソフィアはジョセフの娘だったのか。って、そんなことより急展開すぎる。
「俺たちは魔物だ。ひょこひょこついて来たのを良いことに、よってたかって殺しにかかるかもしれないんだぞ。」
いくら何でもと思った勇騎は心にも無い脅しを入れて見たが、慣れない事はするものではない。ソフィアはにべも無く言い放った。
「そのつもりがある奴ならそんな警告なんてしないわよ。少なくともアンタはそんなひどいことするつもりはない。」
(しまった!思わず場違いな老婆心を出してしまった。)
この手のタイプはしっかり本音で話さないと理解してくれないのだろうと勇騎は観念した。もともと搦め手など得意ではないのだから、そうならそうで構わないだろう。
「やめよう、本音を言うとだ。俺とハヤテの住処がバレてしまうと俺たちの身の安全が図れないんだ。ソフィアさんたちとは違って俺たちには守ってくれる城壁も権力による保護も何も無い。常に生命の憂慮をしなければならない俺たちの辛さは君にはわからないだろう。俺たちの生存を危険に晒したくない。」
「そう、なら心配は要らないわ。私は決してあなたたちの住処をバラしたりしない。だから」
「やめなさいソフィア。そんな甘い考えで生き残れる世界じゃないんだ。」
「やめないわ。これは私にとって一生を左右するようなチャンスなの!私は」
パシンッ!!
ジョセフがソフィアの頬を平手打ちする。想定外の事態に勇騎は呆気に取られる。
(え?もしかして俺がジョセフさんを焚きつけたようなものか。いきなり重い話をしたのはまずかった。俺が泡食ってしまった。)
ハンスもジョセフとソフィアを前にしてオロオロしている。
「いい加減になさい。」
ソフィアが頬を押さえて口をつぐむ。俯いて表情がうかがえないのが少し気がかりだが。
「すみません、俺たちの都合を押し付けるような形になって。もう少し伝え方を考えていればジョセフさんにこんな役回りをさせることもなかったのに。」
「いえ、とんでもない。ソフィアを甘やかしていた私の落ち度です。そもそもこの場に連れてくるべきではなかったのでしょう。ご迷惑をおかけしました。」
俺たちは少し気まずい雰囲気で別れをすることになった。
「じゃあまた来月よろしく。」
「ええ、お待ちしております。」
さて転移魔術を発動して帰るか。ん?何だこの影は。
「うわっ!」
いきなり後ろから吹っ飛ばされるような形で転移してしまった。
ーーー
「痛てて、ハヤテは無事か?」
「おのれ人間!貴様はこの場でバラバラにしてくれる。」
「え?人間・・・。げっ!」
後ろを振り向くとソフィアが俺に抱きついていた。マズい、ハヤテが攻撃態勢に入っている。
「待てハヤテ!ソフィアを攻撃するんじゃない。」
俺の心配をよそにソフィアは転移魔術に感動しているようだ。てか、お前いま殺されようとしてたんだぞ。
「何ここ?素敵なお家じゃない!」
「やってくれたなソフィア。ここを知った以上、お前を生かしておくわけにはいかない。」
興奮しているソフィアにたいして俺は手をかざした。俺のただならぬ雰囲気にさすがのソフィアも顔色が青ざめる。
「え!ウソでしょ?待って、お願い。ほんの出来心なの。助けて!」
跪いて許しを請うソフィアに対して魔術を発動する。
「死ね。」
「きゃぁぁぁー!」
ソフィアが断末魔の叫びを上げた。もうおまえは助からない。後悔を胸に刻め。
「冷たーい!やめてー!あばばばば・・・」
思いっきり魔術で水をかぶせてやった。せいぜい頭を冷やせ。深く反省しろ!
ーーー
「ず・・・、ずびばえんでしたー。」
ズブ濡れのソフィアを正座させて軽く説教してやった。
「お前さー、ジョセフさんたちからすれば連れ去られたに等しい状況なんだよ。最悪、俺たちに捜索討伐の部隊が差し向けられたっておかしくない。そんなのは勘弁してくれよ。」
「そんなことないわよ、大丈夫。大丈夫。」
「お前、ハンスさんのこと聞いていない?死ぬ間際で俺に助けられたって話。」
「聞いたわ!だからここまでついて来たんじゃない。」
はぁ、絶対何もわかってないな。何故俺がこんな話をしたのか。
「お前を死ぬ寸前まで切り刻んで回復させるってのを繰り返してやってもいいんだぞ。」
「し、しないわよ・・・ね。ね?」
俺は肯定も否定もしなかった。こいつは何を言っても自分に都合良くしか考えないんじゃないだろうか。
俺は先ほど仕入れたロープを虚空から取り出した。すかさず俺はハヤテに向けて待機のハンドサインを送る。
「動くなよ。動いたらハヤテがお前の頭を噛み砕くことになる。」
「ひぃぃっ!」
「ふん!今さら泣いても遅い。お前は俺を本気にさせたんだ。」
俺はソフィアを後ろ手に縛ってやった。ソフィアが不安気な眼差しを向ける。
「私をどうするつもりなの?」
「ハヤテ、こっちにおいで。」
「ソフィア、お前はこうしてやるのさ。」
今にも泣き出しそうなソフィアを尻目に俺たちは再びアーレンに転移した。
ーーー
同じ場所に戻ると力なく肩を落としたジョセフにハンスが寄り添っていた。
「おい、ジョセフ!旦那が戻って来たぞ。ソフィアも一緒だ。」
「おお、ソフィア!ソフィアー!」
ジョセフが涙を流して駆け寄り、ソフィアを抱きしめる。年頃の娘さんをズブ濡れにしてしまったのはやり過ぎたかもしれないと今さら反省する。あれから10分も経たない程だが、親御さんからすれば長い苦しみの時間だったんじゃないか。最悪そのまま連れ去られてそれっきりになる可能性だって否定できないんだからな。
「はっはっは、どうしたソフィア?後ろに手が回ってるうえにズブ濡れじゃねーか。」
あ、ハンスさんやめて。懲らしめすぎたっぽいから。ちょっとだけ怖い目にあわせようとしただけなの。
「うるさい!放っといて!」
顔を真っ赤にしてソフィアが怒る。まぁこれくらいで意気消沈するような奴じゃないか。
「ソフィア、お前がユーキさんのところに行くにしてもこんなやり方はあっちゃいけないよ。残された私やエレノア、ハンスだって悲しい思いをするってことはわかってほしいんだ。」
「・・・、ごめんなさい。」
ソフィアの目に余る暴挙に俺も頭に血が上ってたのは確かだ。少しばかりイジメてやった後ろめたさもある。わだかまりを残さないためにはどうすれば良いものかな。
「ユーキさん、うちの娘がご迷惑をおかけしました。何とお詫びしてよいやら。」
「いや、娘さんの行動力と胆力には脱帽だ。もし親御さんの許しが得られるようであればソフィアさんに限り我が家に招待しても構わないよ。飽くまで許しが得られたら・・・、ね。ただ最初に言っておくと、我が家にはソフィアさんが見て喜ぶようなものは恐らく何一つ無いよ。」
「本当に良いの?」
まだ気まずさが残るのかソフィアが伏目がちに聞き返す。あれだけひどい目に会わせた後だ。正直、半ば社交辞令のつもりだったがソフィアはまだ諦めていないご様子。見かけによらずタフだねー、この子。
「ああ。しかしこちらの流儀に従ってもらうぞ。先ほどみたいな勝手気ままは許されないと思ってくれ。何にせよ君はまずご両親の許可を得なければいけないことを忘れちゃあいけない。」
「わかった。必ず説得して見せるわ。」
「健闘を祈るよ。じゃあ俺たちは今度こそ帰るわ。」
「あ、あの!」
ん?まだ何かあるのか。
「急に押しかけて悪かったわ・・・、ユーキ。」
(ん?何だこの違和感。・・・あ!そういえば、ずーっと「アンタ」だの「ゴブリン」だの言ってたソフィアがはじめて俺の名前を呼んだのか。ソフィアはゴブリンに対してその者に固有の名を呼ぶことに抵抗を感じていたんだろうな。何せ相手は知能の低いゴブリンだ。言ってて悲しくなるが、逆の立場だったら俺もそうだったに違いない。これはお互いに歩み寄るための一歩と言えるんじゃないか?)
そう考えると勇騎の中にソフィアに対する親近感が芽生え始めた。
「ああ、ソフィアを招待できる日が来ることを心待ちにしているよ。」
「うん、ありがとう。」
照れが混じっているのだろう、少女らしくはにかんだ笑顔が眩しく感じた。
(でも、どう見ても未成年なんだよなー。何で酒を飲んでいるんだろう?)
12 黒ヒゲ危機一髪
ソフィアとのすったもんだはあったが概ね納まるべきところに納まったのではないだろうか。ソフィアはクロヴィウスにご執心だったが、実は俺もクロヴィウスについて知りたいことはいっぱいある。蔵書や草稿をひも解いてもわからないことが多すぎてどうにもならないのだ。特に「存在の階梯」というのが非常に気になっている。どうも魔石を持つモンスターの中には高位の存在に「昇華」するものがいるというのだ。この用語の意味もよくわからない。人口に膾炙した用語なのか?
「ユーキはまたショコに籠っているのか?我も入りたいぞ、入れてくれー、おーい。」
ん?扉の外からハヤテの声が聞こえる。扉を叩き始めたな。
「どうしたハヤテ?」
「ショコには何があるんだ?」
どういうわけかハヤテは書庫に入ることができない。気になるのも無理はないよね。
「え?書庫には本があるんだよ・・・って、そうか。本って言ってもハヤテにはわからないのか。」
「ホン?食べ物?」
「違うよ。俺から何か美味しそうな臭いなんてしないだろ?本ってのは自分の知らないことや、ためになることを知るためにあるもんだ。」
「それは親に聞けば済むのではないのか?」
「んー、親も知らないようなこともたくさん知ることができるんだ。」
「ふーん、そんなものか。」
あまり興味無い顔しとるなこやつ。まぁ必ずしも生存に必要なこととも言えないから仕方ねーなー。家でゴロゴロも飽きてしまったのだろう。
「よし、そろそろ冒険してみるか!」
ーーー
俺たちの当面の方針は定まっている。それはマッピングをして行動範囲を拡大していくこと。こないだもそうだが、転移魔術のためには一度その場所に行く必要がある。しかし転移魔術は良い。何より助かるのはどれだけ遠出をしても転移で必ずログハウスへ帰って来れるので野営の準備が不要なのだ。翌日は前日の到達地点がスタートになるので異世界を踏破することも理論上は可能と言える。とは言え、どこかで転移魔術の限界にぶち当たる可能性はあるから飽くまで理論上の話ね。
と言う訳で本日の俺たちはダンジョンを目指している。ダンジョンに潜るつもりはさらさら無い。目標が無ければ気が緩んでしまうからダンジョンを目標にしてるだけ。
「これ楽だな。」
俺はハヤテに騎乗こそしているが、この区間は俺の魔術でハヤテごとホバー走行している。しかしコントロールが単体ホバーの比じゃねーな。ハヤテを介して魔術を発動させるの難しいし、疲労が蓄積する。まぁこれも修行だ。いつ必要になるかわからないから、やれることは今のうちに増やさないと。
「おうよ、次の区間は頑張ってもらうからたっぷり休んでおけ。」
「ぐぅ」
「寝ちゃった!?」
ホバー走行は便利だが、当初の目論見は全く違った。飛行するつもりで試行錯誤していたが空を飛ぶほどの風魔術は全くコントロールすることができなかったことがきっかけになったんだ。落下する自分の身体を支えるなんて無理だったね。見っけもんだったのが、墜落する時の衝撃を回避しようと発動した風魔術により地面への激突を免れたこと。激痛を覚悟したにも関わらず次の瞬間、背中で地面を滑走してたんだ。これは使えるぞと喜んでいたのもつかの間、そのまま木にぶつかって派手にコブを作ったのは秘密だ。
「ふー、もう集中力も限界。ハヤテを介して魔術を行使するのは1時間持たないな。」
「お、着いたのか?」
「まだだよ。地図上では今この辺りだから全行程の5分の1ってとこか。しかしこの地図わりと大雑把だから微妙なんだよな。都市や村落との位置関係しか明らかにならん。」
そんな無駄話をしていたその時、周囲に展開していた風魔術に揺らぎが生じた。勇騎は咄嗟に風魔術の最大防壁を展開する。次の瞬間、高速で繰り出される刺突を紙一重ではね返すことに成功した。
背後から繰り出した必殺の一撃を弾かれた刺客の目が見開かれている。
「今の攻撃を弾くだと・・・。貴様、ただのゴブリンではないな。」
フェイスガードから確認はできないが女の声だ。この女がこれといった殺気を感じさせずに即死級の一撃を放ったというのか。勇騎も不意の一撃を防いだとは言え、衝撃に身を竦ませた。このまま戦ってはこちらも致命傷を負いかねない。
「ちょっと待ってくれ、俺はあんたと、わっ!」
女騎士は問答無用で刺突を繰り出して来る。勇騎は身を躱し、あるいは魔術で弾きながら次の手を考える。
(威力の強い魔術を発動させるには距離が近すぎる。・・・ならば)
女騎士は防戦に徹するゴブリンを前に奇妙な不気味さを感じていた。
(おかしい。いや、おかしいどころの話ではない。そもそもゴブリンに私の攻撃が弾かれてたまるものか!しかもそのゴブリンが言葉を話すだと。小賢しいにも程がある。)
「貴様はゴブリンなどではないな!本性をあらわせ外道!」
相手の気迫に押されて後退しながら猛攻をいなしていた勇騎が一瞬バランスを崩す。
それを好機ととらえた女騎士が渾身の一撃を勇騎に向けて繰り出した瞬間、絶体絶命の勇騎がニヤリと微笑んだ。
(もう一匹を当てにしているのか!だが貴様は仕留めた。)
しかしその一撃に手応えはなかった。まるで虚空にレイピアが飲み込まれたかのようだった。
(嘘だ、奴の頭はそこにあるではないか!)
「覚悟しろ。」
貫いたはずのゴブリンの頭部から声が聞こえるや否や女騎士の意識は刈り取られてしまった。
ーーー
(私は死んだのか?)
そんな疑問とともに女騎士は瞼を持ち上げる。どうやらロープで縛り上げられているらしい。
「気がついたのか。」
先ほど頭部を貫いてやったはずのゴブリンが話しかけてくる。
「貴様は私を殺さなかったのか?何のつもりか知らんが辱めを受けるつもりはない。今すぐ殺せ!」
女騎士は観念したのか吐き捨てるように言ったきりおし黙ってしまった。勇騎はため息をついて話しかける。
「お前にとっては残念かもしれんがお前が期待するようなことは起こらんぞ。」
「誰が期待などするか!早く殺せ!ごほっごほっ!」
「無理はするなよ、お前が強いから完全回復は施していない。」
言われて女騎士は自分の周囲を確認するとズタズタになったアーマーが転がっていた。それを見ると自分が生きていられることが不思議としか思えないといった表情で固まってしまった。
「貴様はあの時、私に何を仕掛けたんだ?」
「それは言えない。次にお前に命を狙われたら俺に助かる術はないだろうからな。」
「では、結果として私はどうなったんだ?手品の種は明かせないというなら結果くらいは教えてくれてもいいだろう。」
勇騎はニヤリと笑う。
「お前なかなかおもしろいことを言うなー、いいだろう。風魔術でぶっ飛ばしたのさ。3方向から同時に衝撃を喰らわせて意識ごとすり潰してやったんだ。」
それを聞いて女騎士は顔を歪ませたが、すぐにコロコロと笑い出した。
「ああ、笑うと胸が痛い。そうか、私が貴様を殺せる道理など最初から無かったわけだな。」
「すまないな、多分それは肋骨が折れているんだろう。長期間安静にしていれば直にひっつくさ。お前は俺から命を奪おうとしたんだ、そのくらい我慢してくれ。」
笑顔を見せた女騎士から笑みが消え、また刺すような雰囲気に戻ってしまった。
「言えた義理ではないのだがな、私を殺すつもりが無いのならば私を解放してもらえまいか。本来ならば私の死ぬべき場所は別の場所なのだ。」
「死に場所とは穏やかではないな。今度は俺がお前に質問する番だ。だがその前に自己紹介させてくれ。俺は相馬勇騎、ユーキと呼んでくれ。あいつは俺の相棒のハヤテだ。」
女騎士が目をやるとハヤテはアクビで応えた。
「そうか。魔物に名があるとは。しかも家名まで。良いだろう、私はマリー・ド・ヴェランだ。」
13 忍び寄るゴブリンの手
「そうか、魔物の群れが農村を。」
「ああ、それはひどいものだった。だから我々はコロニーを潰さねばならんのだ。」
どうやらここら一帯はヴェラン子爵の領内であり、突如として生じたスタンピードの鎮圧のためマリーが戦っていたらしい。しかしマリーの部隊が背後からコロニーに奇襲をかける際に、ここらにいるはずの無いトロルの群れに襲いかかられて部隊は潰走してしまったというのだ。ちなみに俺はその群れの斥候と見なされて殺されそうになった。
「ユーキは何か知らされていないのか?」
「俺はそいつらの仲間じゃないよ。そいつら人間の言葉なんて話さんだろ?俺はできることなら穏やかに生きていきたいんだ。だからそんな奴らにゃ何のシンパシーも感じないね。しかし部隊が無くなったってのにマリーはどうするつもりなんだ?」
マリーの目が鋭くなる。
「私だけでもコロニーを潰しに行く。」
「無茶言うなよ、せっかく生きているんだからさ。それにヴェラン家の当主の仕事だろう?マリーが命張ることないじゃない。」
勇騎はこんな過酷なことを年若い女の子に負わせるべきではない、そんな常識的感覚から言ったつもりだったがどうやらこの世界では通用しないらしい。
「父は先の内戦で、兄はトロルとの遭遇戦で討ち死にしてしまったよ。ヴェラン家の当主は今や私だ。こうなった以上私も高貴なる者の義務を果たさねばなるまい。私は一刻も早くコロニーを壊滅させねばならないのだ。」
言葉とは裏腹にマリーの心と身体はボロボロだ。立て続けに肉親を失って半ば自暴自棄になっている。勇騎にはそう思えた。
「気が変わったよ。」
勇騎の言葉にマリーが怪訝な表情を返す。
「マリー、君は俺に殺せと言ったな。ならば君の命、俺がもらっても文句はあるまいな。」
マリーは軽く息を吐くと目を閉じて言った。
「今さら翻すことは無い。ユーキの気が済むようにすれば良いさ。最期に少しだけ祈りの時間をくれ。」
「駄目だ、諦めろ。」
マリーはその無慈悲な言葉に目を見開く。その瞳からは涙がこぼれ落ちた。
ーーー
勇騎は森を疾走していた。モンスターのコロニーということは野良ゴブリンが一匹紛れ込んでも違和感はあるまい。
「さて俺を歓迎してくれるかな。十分近づいたし、そろそろ徒歩で行くとしよう。」
(野盗から巻き上げた棍棒と腰布を装備して由緒正しいゴブリンルックまでしてきたんだ、頼むぜ。)
猫背で棍棒を肩に担いで歩くその姿は紛うことなく普通のゴブリンだった。勇騎が廃墟の手前までたどり着き、目を凝らすと廃墟には様々なモンスターがひしめいているようだった。
(見張りは俺と同じくゴブリンだな。でも俺って外から見るとあんな感じなのか。改めて見るとへこむわー。)
「おい、お前!」
(あっ、何か声かけられた。ゴブリンってどんな感じなんだろう?とにかく小物っぽく振る舞ってみるか。)
「へい、なんでやしょ。」
勇騎は内心辟易しながらも引きつった愛想笑いを浮かべながら返事をした。
「弱そうなツラしやがってコラ。おめぇここの番代われや。」
勇騎は早速イキりまくったゴブリンに絡まれて何か昔を思い出す。
「代わるのはいいんでやすが、オークの兄さんに頼まれてやしてね。そっちをお願いしても良いっすか?」
イキったゴブリンもオークの用件を出した途端、顔を歪めた。
「んなもんてめぇがやれや。どっか行けぼけぇ!」
(あいつ門番失格だな、野良ゴブリン素通りとか・・・。まさにザル。)
まぁ、人間相手の番犬みたいなもんだからそれでも良いのかもしれない。だがゴブリン界のテロリストを自認するこの相馬勇騎さまがすり抜けるたぁお釈迦様でも気づくめぇよ!
しかしコロニーとは言っても掃き溜めみたいなところだ。辺りから何かが腐ったような匂いが立ちこめている。だがしばらくするとその理由も明らかになった。うずたかく積み上げられた死体の山だ。それらが食い散らかされてそこらに散らばっているのも確認できる。こんなものをマリーに見せられたものではない。
ーーー
コロニー潜入前に勇騎はマリーとコロニー掃討作戦を打ち合わせていた。
「最期の祈りなど不要だ。」
「うぅっ。」
勇騎の言葉にマリーは弱々しい呻き声を漏らす。先ほどから涙があふれて止まる様子が無い。しかし気丈にも必死に泣くのをこらえているマリーには勇騎もさすがに堪えた。
「勘違いするな、俺はチャンスをやると言っているんだ。」
「チャンス?」
予想外の言葉に思わずオウム返しをしたマリーはキョトンとしている。
「ああそうだ、俺がコロニーに潜入してボスを暗殺して来る。こういうのは大抵、トップ以外は烏合の衆だからな。頭を潰せば総崩れさ。」
「私はどうすれば良い?」
「マリーは逃げ出したモンスターを片っ端から潰せ。あいつらに武器を持つ余裕なんて与えねーから。全てコロニーから丸腰で焼きだしてやるさ。」
マリーは考え込むように黙っている。死に囚われたマリーをみすみす死地に送るような選択肢は取り上げてやった。もしかすると死に場所を求めていたマリーはこの提案を拒絶するかもしれない。
「わかったわユーキ。もともと私たちに力が無かったことが災いの元だったのだから。」
マリーの返答に安堵しつつも勇騎は激戦に身を投じる覚悟を固めた。
14 狙われるもんより、狙うもんの方が・・・
何やらコロニーが騒がしくなって来たのを勇騎は肌で感じていた。何か魔物たちがどこかへ集まり始めている。
「どけチビすけ!」
「ふぎゃ!」
後ろから来たコボルトに弾き飛ばされた上に後続のゴブリンにも踏みつけられた。
(まだ何もしてないのに。もしかして俺のことバレたかな?)
しかし絶妙なタイミングで勇騎の不安を吹き飛ばす単語が飛び込んで来た。
「オークジェネラルさまが戻って来られた。広場に急げ!」
(オークジェネラルさま・・・ね。わざわざ集まってくれるとは手間が省ける。)
土埃を払って立ち上がると勇騎も殺到する魔物の群れに混じって広場になだれ込んだ。
見ると一際高い壇上にバカでかい武装オークが鎮座している。オークが2メートル位だとするとジェネラルは3メートルはあった。同じオークでもまるで別物、ただでさえデカいのに大人と子供ほどの差があるとはさすがに肝を冷やした。あの諸刃の大戦斧も見るだけで恐ろしさが募って来る。
(あんなのを暗殺?バカ言ってんじゃねー。こっちが瞬殺だわ。無理じゃない?逃げようかな。)
そもそも誰に頼まれた訳でもないのにこんな危険な役回りを買って出ているのは何故か。縁起が悪い表現だが、まるで走馬灯のようにこれまでの経緯が頭の中でクルクル回っている。
(そうか、何度振り返ろうとも俺がこれを引き受ける道理などどこにも無かったな。しかし・・・。)
そう、勇騎が逃げたらマリーが地獄に堕ちるのだ。あの時出会わなければこんな死地で道化を演じることもなかっただろう。だが今さら繰り言を述べても仕方あるまい。
(俺はもう舞台に立っちまったからな。三千世界の片隅で必死に生きるゴブリンの心意気、見せてやんよ!)
俺はモンスターの群れの内部に紛れてオークジェネラルに向けて爆炎を投げつけた。すると周りのオークがジェネラルの壁となり炎上する。続いてオークたちに着火した炎を竜巻で特大の火柱にしてやった。それを皮切りに広場の周囲を火炎魔術で取り囲む。一瞬で魔物達の阿鼻叫喚の地獄絵図の完成だ。
(火柱を確認したハヤテとマリーがそろそろ動き出す頃合いだ。野良ゴブリンの俺がこんな魔術を使っているなんて見つかったところでどの魔物も信じまい。群衆の中にいる方がやりたい放題だ。)
「ヴオォオオオオオオォォォ・・・・!」
だが勢いがついてきたところでオークジェネラルの大絶叫が広場に響き渡った。あまりの大音量と威圧に他のモンスター同様、勇騎も気圧されて足が竦んでしまった。ジェネラルは動けなくなったモンスターを横薙ぎにしながら進んで来る。
「ギャー!」
「助けてくれー!」
「ぐがぁ!」
そこかしこから断末魔が聞こえて来た。ジェネラルに粉砕されたものだけではなく、動けないためそのまま焼け死ぬモンスターも大勢いる始末だ。
「どこだ、出て来い!この卑怯者がぁっ!」
ジェネラルが方向を変えてこちらに向かっている。このまま動けないのはまずい!勇騎は状態異常を回復させるように魔力を込めて己れを鼓舞した。
「動けた!」
思わず呟いた言葉がジェネラルの耳に届いた。
「ほう、貴様か?」
次の瞬間、勇騎に向けて金属の塊が飛んできた。とっさに横っ飛びして難を免れたが、先刻勇騎が立っていた場所には溶けてひん曲がった大戦斧の残骸がめり込んでいた。こんなものが直撃していたら間違いなくミンチになっていただろう。勇騎は体中からドッと汗が噴出するのを感じた。暑さで流れる汗ではなく、恐怖から来る冷や汗だった。
(くそ、バレたのか。ところどころ焦げてはいるが堪えてねえ。パワー半端ねーなコイツ。)
「魔力が無いではないか。貴様、アンデッドか?まぁ良い。何故アンデッドが火炎魔術を使えるのかを含めてどいつの差し金か聞かせてもらおう。」
言い終えると同時に巨体が猛スピードで突っ込んで来た。ジャンプでは躱し切れないと勇騎は判断した。
(ブースト!)
ジェネラルが石柱に激突して止まる。
「何だいまの動きは。貴様何をした?」
「お前に教えることなんてねーよ。いま焼き豚にしてやっから待ってな大将!」
勇騎は再びオーク達を消し炭にした火炎魔術を発動する。避けられないと判断したジェネラルは何とそのまま勇騎へと突っ込んで来た。
「ぐおぉおおぉぉぉぉぉ!」
ジェネラルは絶叫とともに渾身の一撃を勇騎に見舞う。
(まずい、火炎魔術発動をキャンセルしてブーストで。いや、間に合わないっ!)
「うぎゃぁあぁぁあぁー!!」
勇騎は激痛に絶叫を上げる。横っ飛びで避けたものの足がジェネラルの拳によってずたずたに砕かれてしまった。
オークジェネラルは右上半身を犠牲にして勇騎の火炎魔術を耐え抜いてみせた。拳の慣性力で勇騎の両足をもぎ取って見せるとは恐ろしい膂力だ。荒い息をあげながらジェネラルは口の端を上げる。
「俺をここまで追い込んだ貴様を雑魚とは言わぬ。最期に言い遺すことはあるか?」
「そうかい、そりゃあどうも。くたばれ、豚野郎!」
勝利を確信したジェネラルが残った左腕を振り上げる。
(右腕一本と交換じゃ割に合わねー。くそ、こんなところで死んじまうのか!ちくしょー!)
その時死を覚悟した勇騎が想像だにしなかった出来事が生じた。
「ぐぅぅぅっ」
オークジェネラルが膝をついているではないか。思わず勇騎が怒鳴り声を上げる。
「遅えよおめーら!!」
オークジェネラルの肩越しにマリーの姿が見えた。
「ユーキ大ピンチじゃないか。」
瞬時に勇騎はホバーでジェネラルから距離をとった。すぐさまホバーを解除して今にも千切れ飛びそうな足に全力の回復魔術をかける。さらには取り出したオオカミ草をもりもり口に放り込んだ。脚部の激痛と口に拡がる強烈な苦味が勇騎を苛む。今にも意識を失いそうな勇騎にとっては気付け剤がわりになった。
「痛えー、痛えーよぉー。」
勇騎は泣き言を叫びながらも遠くを見やるとハヤテが周りのモンスター達をばっさばっさと捌いているのが確認できた。痛くて怖くて堪らないが、隅っこでいつまでもしくしく泣いている訳にもいかない。ところどころ内出血は残っているがとりあえず骨もくっついて、元の足の形にはなった。
「人間ごときが我が城に潜り込み、神聖な戦いを汚すとは。その罪・・・、万死に値するっ!」
怒りに震えたオークジェネラルが呻くと同時にゆっくりと動き始める。
(マズい!)
それを目にした勇騎は叫んだ。
「離れろマリー!」
勇騎の警告を受けたマリーはとっさに距離をとろうとした。しかし無情にもオークジェネラルの攻撃態勢は整ってしまった。
(俺はあれにやられたんだ。マリーはもうだめだ。)
勇騎が間に合わないと思った瞬間、飛び込んだハヤテがマリーの襟首を引っ張って強引にジェネラルの攻撃を回避した。マリーは自分の立っていた位置を確認して絶句する。ジェネラルの拳が石畳をかち割ってめり込んでいたからだ。
(ナイスだハヤテ!)
「マリー、ボサッとすんな!俺はお前を倒したアレを見せてやる。必ず仕留めろ。」
勇騎の渾身の叫びに一瞬呆けていたマリーが我に返る。
(よし、マリーの目に力強さが戻った。だがジェネラルの剛拳はそう何度も逃げおおせるものではないし、そろそろ魔力枯渇の心配もある。次で決めなければ俺たちは全滅だ。)
「小細工をいくつ弄そうとも全て粉砕してくれる。」
地力で圧倒するジェネラルは再び剛拳の態勢に入った。勇騎は迷わずジェネラルの懐に突進する。それを見たジェネラルは勝鬨を上げる。
「ふははは。まずは一匹だ!」
ジェネラルは勇騎をまるごとミンチにしてやった。そこでは臓物が破裂して血肉が吹き飛ぶ惨劇が繰り広げられた。
・・・はずだった。しかし一向に目の前のゴブリンは粉砕されない。
(まだか、我が拳はまだゴブリンに届かないのか。早く砕け散れ!血の華を咲かせろ!・・・おい、まだなのか?どうなっている!)
ジェネラルは奇妙な錯覚に囚われていた。時間が進まない、いつもあっという間に砕け散るものがまだ砕け散らない。その瞬間が永遠に遅延されてついには実現されない。勝利をその手につかんでいるはずなのにその勝利が手からゆっくりと滑り落ちていく。
「うおぉぉおぉぉぉぉ!」
オークジェネラルの右腕が崩れ落ちて生じた開口部からマリーが容赦の無い高速刺突を叩き込む。むき出しの骨肉が削られてオークジェネラルの魔石が次第に露になって行く。
「何故だ。何故貴様は砕けない。先ほどは足を潰してやったではないか?」
目の前で潰れたはずのゴブリンの口がつり上がる。
「覚悟しろ!」
ジェネラルの顔が憎悪に歪む。勇騎はジェネラルの頭部に火炎魔術をお見舞いした。
ーーー
「終わったのか。」
マリーがオークジェネラルの魔石を砕くと断末魔を上げてジェネラルは果てた。
オークジェネラルは勇騎、ハヤテ、マリーの共闘により討ち取られたのだ。コロニーのモンスターはほぼ全滅し、命からがら逃げ出したモンスターも脅威は少ないものばかりだ。緊張の糸が途切れた勇騎が頭の片隅に排除していた痛覚から一斉攻撃を受け始める。
「くそ、やっぱまだ痛えよ。ちくしょー!」
足は応急処置なので完治させたわけではない。あとは薬草でごまかして魔力が蓄積されたら完治させるようにしよう。
「本当にやったんだな。私たち。」
マリーが涙を流して大仕事の完遂を再確認している。
「ああ、お前さんも兄貴の仇が討てて良かったじゃないか。」
「うん、ありがとうユーキ。全てお前のおかげだ。」
「そう言ってもらえるとありがたいけど、俺もマリーには感謝してるんだぜ。マリーがトドメを刺さなければ俺はトリックがバレて今頃はジェネラルにペチャンコにされてたよ。」
二人で笑いあっているとすっかり蚊帳の外にいたハヤテが勇騎とマリーの間に突如割り込むように座り込む。人間の側に近寄ろうとしなかったハヤテがここに来ると思っていなかった勇騎は面食らってしまった。
「お前もだ、ハヤテ。助けてくれてありがとう。」
「忘れてないよハヤテ。お前が周りのモンスターを牽制排除してくれなきゃあっという間に袋叩きにあってたさ。」
「そうだ、我の活躍あってこその討伐なのだ。ふふん。」
ハヤテは誇らしげに胸を張った。人間に触れられるのを嫌がっていたのだが、今回の作戦でマリーを運ばせたことでマリーに撫でられることを許容するようになったらしい。
「この中の誰が欠けてもオークジェネラルは討てなかった。そういうことだな。」
廃墟に夕日が差し込み、まるで祝福するかの様に暖かい光が彼らを包み込んでいた。
15 エピローグ
「マリーの家はどこら辺にあるんだ?」
勇騎は持っている地図を見せて確かめる。
「あぁ、これは簡易地図だな。私はもっと詳細な縮尺の地図を持っているぞ。」
この世界にさらに正確な地図があることに勇騎は驚きの声を上げる。
「え?本当。その地図を見せてもらえるか。」
マリーは地図を取り出して位置を指し示す。
「おぉ、何か全然違う地図だな。本当に細かく測量して作ったみたいじゃないか。」
軍用の地図は民間に流通している地図とは比較にならないほど精度がまるで違う。ジョセフにもらった地図でおおまかな位置関係は把握できるが、実地に出て見なければ修正できない。一方でこの地図は頭でいちいち修正していく必要はあまりないだろう。知らない村や洞窟なども記されている。
「なぁマリー。お願いがあるんだけど言っていいかな?」
「もちろんだ、私にできることであれば何だって構わない。オークジェネラル戦の前に怪我を完治してもらったし、ジェネラルの首ももらえるのだから。何でも言ってくれ。」
「この地図ってもらうことできないかなぁ。」
たかだか地図くらいもらったってバチは当たらないはずだろうと気軽に尋ねて見たが、マリーからは思わぬ答えが返ってきた。
「ダメだ。知らないかもしれないがこの地図は国家機密だ。これが外部に漏れたら一大事なんだ。」
「そうなのか。ならいいよ。気にしないでくれ。」
今回手に入れることはできなかったが、どこかで戦利品として手に入る可能性はある。無理筋を押し通すこともできないので勇騎は諦めることにした。
「あげることはできないが、貸そうじゃないか。ただし、絶対にお前たち以外に存在を知られてはならない。守れるか?」
「良いの?絶対その約束は守るよ。しばらく貸してくれ。」
マリーはお固い印象があったので規則を柔軟に解釈してくれるなんて思っていなかった勇騎にとって予想外の出来事だった。
「じゃあ話題を戻すけど、この地図だとマリーの家はどの辺だ?」
「ここだ。だが何をする気だ?」
マリーが差した都市は勇騎たちが通って来た経路の近くだった。
「現在地がここだろ。結構離れているなぁ。そろそろ日も暮れてしまう。」
「今日はさすがに野営しなければならなそうだな。」
激戦の後になるべく野営はしたくない。ここも完全に安全なわけではないのだから。
「心配するなマリー。俺たちが今からこの辺りまで送り届けてやるよ。そうすればマリーも今日中に帰れる。」
その言葉にマリーが驚愕の表情を見せる。
「この距離は無理だろう。それに今から動くのは危険だ。私は反対する!」
「ハヤテもおいで。じゃあ行こうか。」
「ちょっと聞いて・・・、って?何これ!」
遠くを見渡すと城壁が見える平原のど真ん中に立っている。日が沈む前にこんなところに到達することなど考えられない。マリーは信じられない事態を目の前にしてその場にへたり込んでしまった。
「ななな何なのあなたたち・・・。こんなことまでできてしまうの?」
「ははは、じゃあオークジェネラルの首も渡さないとな・・・って。あ、アレ?」
いつもならば開くはずの強欲の淵が発動しない。このようなことは今まで一度たりと無かったことだ。
「あれ?おかしいなぁ。どうしたんだ・・・ぁ・・・」
勇騎はその言葉を最後にして糸が切れたかのように地面に倒れた。




