死にかけた傭兵ジルドの、いけ好かない出会い
本編「挿話6 傭兵ジルドの懊悩」(https://ncode.syosetu.com/n0553gi/39/)でジルドがボヤいていた「護衛のはずが雇い主に殺されかけた話」、かつ男装の傭兵オルガとの邂逅です。
※本編とは直接関係ありませんので単体でお楽しみいただけます。
黴臭くじめっとした石造りの地下牢に、鉄柵を殴りつける激しい音が響いた。慌ただしく看守がそちらに駆けていく。その日当番だった二人は、見るからにうんざりとしている。しかし仕事は仕事である。
「静かにしろ!」
「るせえ、俺を黙らせたかったら酒持って来い酒!」
牢に捕らえられている罪人らしからぬ言葉を吐いた男は、傭兵ジルド。腐れ縁の知り合いは狼狩人と呼ぶ。浅黒い肌に、色素の薄い髪。見た目からして裏稼業の人間と思われそうだが、れっきとした傭兵だ。
彼の横暴な要求に、一人の看守はうんざりと溜息を吐き、若い方は怒りで顔を真っ赤にした。
「酒なぞ持って来れるか、お前は罪人だぞ!!」
「頼むから静かにしてくれ、旦那様がお怒りになる。お前はその首が惜しくないかもしれんが、俺は俺の首が可愛いんだ」
怒り狂って顔を真っ赤にし唾を飛ばしながら激昂する若者を落ち着かせるように、年輩の看守は肩を叩いた。すると牢の中で胡坐を掻いたジルドは、頑丈な鉄鎖で拘束された手で伸びた無精ひげを梳きながら、片眉を上げた。
「ああ? 冗談だろ? 俺だってこの首は可愛いぜ」
「それなら静かにしておけ。明日旦那様が戻ってからお沙汰がある」
「それまで大人しく待ってられっかよ、せめて酒寄越せ。とびっきりの美女が来るってなら俺も待ってやるけどよ、野郎を素面で待つなんざ、どんな拷問だ」
嫌そうに吐き捨てるジルドの言葉は、どう考えても若い看守を挑発するような口調でしかなかった。元々、若い看守はジルドのことが気に食わないのだ。
ジルドはこの牢に入るまで拷問を受けていた。尋問という名目だったが、実情はただ看守と騎士たちの鬱憤をぶつけられていただけである。殴ったり蹴ったりするだけならまだしも、ジルドのような“余所者”を目の敵にしている騎士は鞭を引っ張り出して来た。そして拷問している者たちの息が上がった頃、ようやくジルドは拷問から解放され牢に放り込まれた。
騎士も看守も皆、拷問で弱り切ったジルドは、一人手狭で暗く黴臭い地下牢で、明日に控えている裁判に怯え震えているだろうと思っていた。しかし、夜半過ぎ――看守だけでなく他の罪人たちの平穏を崩す騒ぎが、ジルドの独房で起こったのである。
そして若い看守は、明らかな挑発に乗った。
「貴様、また鞭で打たれたいのか!」
怒鳴りつけて鉄柵を蹴りつける。次の瞬間、若い看守の体は鉄柵の内側から伸びて来た手に捕えられていた。
「――っ!?」
電光石火の早業だった。ジルドの両腕を縛っていたはずの鉄鎖は、いつの間にか彼の足元に落ちている。ぎりぎりと看守の襟元をジルドが掴み上げると、看守の足が地面から浮く。
「ぐぅ――っ」
若い看守の喉から潰れた蛙のような声が響いた。自分の体重で首が絞められて、若い看守の顔はどす黒く染まる。
焦った年輩の看守が慌てて剣を腰から抜き、ジルドに付きつけようとした。しかし鉄柵が邪魔をして思うようにならない。横目で切っ先を見たジルドはにやりと、犬歯を見せつけるようにして笑った。
そして――――――ガンッと足で剣を蹴り上げ、鉄柵に叩きつける。
「ひぃ――――!?」
年輩の看守は、あっさりと折れ曲がった剣を見て顔面蒼白になった。どさりと音がして、ジルドの手から離れた若い看守が床に倒れ込む。どうやら首を絞められ、酸欠で失神したらしい。恐怖に目を瞠った年輩の看守だが、彼がその場から離れるよりもジルドが動く方が早かった。あっさりと看守はジルドの手に捕らわれる。
鉄柵越しに易々と看守を拘束したジルドは、看守の衣服を嫌そうな表情で漁っていた。
「ったく、姉ちゃんならともかく、何が嬉しくて野郎の体なんざまさぐらなきゃならねェんだか」
勿論探しているのは牢の鍵である。牢の鍵を持っているのは看守であって、色気のある姉ちゃんではない。
「――ねえな。もしかして、若い方が持ってんのか?」
呟いたジルドは、ついでのように頸動脈を抑えて二人目の看守も気絶させた。そして牢の中から腕を伸ばし、若い看守の体を引き寄せる。その衣服を探って鍵を探しながらも、彼のぼやきは止まらない。
「明日まで待ってらんねーんだよ。急ぎの仕事があってな。お前らみてえな定住野郎には分からねぇだろうが、俺たちみたいな流れの傭兵は信用ってのも大事でなァ? それにのんびりしてちゃあ金も入ってこねえんだよ。お前らの“旦那様”とやらが護衛の金払わねえで俺を殺して終わりにしようってなら、それ相応の――っと、あった」
ちゃり、と音をさせてジルドは看守の上着に隠してあった鍵を取り上げる。そして手探りで鍵の位置を確認すると、あっさりと扉を開けた。未だ意識の戻らない看守二人を牢の中に引きずり込み、適当に服を剥ぐ。二人ともジルドよりも華奢だが、つんつるてんの看守服の方がずたぼろになった服よりはまだマシだ。
「うえ、生温ィ」
他人の体温が残っている服ほど気持ちの悪いものはない。舌を出して「うげえ」と言いながら、ジルドは服を着替えた。そして自分を縛っていた鉄鎖で看守二人を仲良く一纏めに縛り上げ、鍵を持って牢の外に出る。ご丁寧に鍵までかけて、ジルドは意気揚々と地下牢を後にした。
*****
――――そして、翌日の午後。ジルドはその後手に入れた身の丈に合った服に着替えていたが、彼は多数の追手から必死の形相で逃げていた。
「ふざけんなよ、あの金ピカに飾り立てたハゲブタ野郎!!」
その年若い貴族に王都から領地に向かう間の護衛を頼まれた時、ジルドは最初渋った。貴族といえばあまり良い印象がない。確かにその領地に行く道すがら、最近魔物襲撃が増えていると噂の森がある。危険な道のりになるからか、報酬も高かった。ジルドはそれに目がくらんだ。
道中、魔物に襲われたりはしたものの、死傷者もなく無事領地に着いた。そして報酬を受け取ってそのままとんずらしようとした時、商人が声を掛けて来た。領地近くの森で薬草を取って来てほしいという、非常に簡単な仕事だった。だが提示された報酬はなかなか高額だった。何故かと問えば、森に魔物が出ているという。なるほどと納得したジルドは、小銭稼ぎのつもりで仕事を引き受けた――その商人が、領主とグルだったことも知らず。
「グルだったなら最初っからグルだったって言えや、くそったれ!」
怒りに任せて毒づく。勿論全速力で走って追手から逃げている最中である。
年若い貴族は領主の息子だ。無事に領地に到着して、どうやら高額の報酬を傭兵に支払うことが嫌になったらしい。それならばいっそ適当に罪状を付けて処分してしまえ、と彼は思ったのだろう。だが処分権限は彼にはない。一応、そこはちゃんと規則が守られていたらしい。だから、若く甘ったれた貴族の坊ちゃんは、明日戻って来る予定の父に頼んで傭兵を一人処分して貰おうと考えた。しかし件の傭兵は、報酬を貰って早々に領地から出て行こうとしている。
不味い、と思った坊ちゃんは懇意にしている商人に、傭兵の足止めを頼んだ。
それが全ての真相だ。
「うおっ」
叫んでジルドは横に飛び退く。苛立ったらしい敵が矢を放って来た。しかしその程度の攻撃を身に受けるジルドではない。
しかし、不味い状況であることは理解していた。驚異的な速度で走っているジルドではあるが、追手は馬に乗っている。一方のジルドが頼りにしているのは自分の足だ。徐々に距離が詰められてきている。
先ほどまでは奪った馬に乗っていたのだが、矢を射られて馬が転倒したため、自力で走るしかなかった。敵は――といっても雇い主側の人間なのだが――それでジルドを殺害できると踏んだらしいが、生憎とジルドはしぶとかった。そして身体能力も、彼らが思うより遥かに高かった。
「そろそろ、やっちまうか?」
ジルドは速度を緩める。今彼がいる場所は領地の端の方――のはずだ。つまり、ここで追手を全員地面と仲良くさせても、ジルドは領地の外へと逃れられる。たとえ敵の援軍が来たとしても、逃げるだけの余裕はあるに違いない。
そう考えたジルドは地形を簡単に確認し足を止めた。振り返って追手と向き合う。総勢十二名の男たちは皆腕に覚えがあるようだ。ただしその内の一人は、ただ派手な衣装と煌びやかな剣を腰にぶら下げているだけで、戦力にはならないだろう。つまり領主のバカ息子である。
「さァて、どうしてやろうか」
生憎と護衛の報酬も薬草探しの金も受け取っていない。護衛の報酬はどのみち貰えないだろうと思っていたから、適当に金目の物を看守の部屋から拝借はしたものの、当初提示されていた報酬には到底足りない。それならば馬と武器でも頂いて帰ろうか、とジルドは抜かりなく男たちの装備を確認する。
やはり金に換えるならばバカ息子の装備が一番高いだろう、と見当を付ける。それならばバカ息子に関しては傷を付けないように捕えなければならない。
「バカ息子の馬が最初で、バカ息子は最後だな」
ジルドは腹を決めた。バカ息子の馬を走れないようにしてから残りの十一人を無力化し、それから息子を捕えるのが一番良さそうだ。
その時、ジルドの耳が後方から近付いて来る蹄の音を聞き取った。四十弱の騎馬だ。嫌な予感に、ジルドの目は逃走路を探す。しかし地理があまり良くなかった。
「くそ、十二騎だけなら最高の場だったのによォ」
追手だけならこの場で全員無力化する自信があった。だからこそ、その想定で足を止めたのだ。だが後方から――つまりジルドが逃げる予定だった方角から四十弱の騎馬が来るとは想定外だ。
一方、近づいて来た影に喜色満面になったのがバカ息子だった。
「父上!」
どうやらやって来たのは領主らしい。やべえ死んだ、とジルドは天を仰ぐ。勿論死ぬ気は更々ないが、金目の物を頂戴して撤退するという当初の計画は諦めた方が良さそうだった。
「如何にした」
近付いて来た領主は、バカ息子とは違って貫録を携えていた。しかし何となく間が抜けているのは何故だろう――と考え、ジルドは領主の着ている服に目を向けた。
なるほど、何故か領主は今は使われていない鎖帷子を着ている。使われなくなった理由は、粗悪品が出回り短剣でさえ防御できなくなったからだった。
「――なんであンなもん着てんだ?」
ジルドの拳であれば簡単に肉体を傷つけられる。呆気に取られているジルドを尻目に、バカ息子は父に向けて叫んだ。
「父上、その男は間諜なのです! 捕らえたのですが脱獄しました、ここで成敗を!!」
「はああっ!?」
何抜かしてやがんだあのアホ息子、とジルドは愕然とする。開いた口が塞がらないとはこのことだ。護衛を頼んだにも関わらず、金を払いたくないという理由だけで濡れ衣をジルドに着せようとしているのだから、間違いなく領主の息子の方がジルドよりも悪人である。
そして、アホ息子の親も馬鹿だった。否、親としては見知らぬ余所者よりも実子の言葉の方が信用が置けると判断したのだろう。
それにジルドは見るからに傭兵だ。下手をすれば裏稼業に手を染めていそうな風体である。更には明らかに異国の民だ。領主たちにとっては取るに足らない存在だ。息子の言葉を信じるのも当然だったし、一々時間を割いてまでジルドが本当に間諜なのか確かめる必要性も感じないのだろう。
領主は表情を険しくしジルドを睨み据え、自身が引き連れている軍勢に号令を掛けた。
「あの者を捕えよ! 必要とあれば殺しても構わん!」
「っざけんな、金払えくそ野郎共!!」
叫んだジルドは高く飛ぶ。射かけられた矢は次々と地面に穴をあけたがジルドを捉えることはない。そのまま体を捻って一番手近な馬から男を一人蹴り落とし馬を奪った。それと同時に手綱を引いて馬の方向を変え、隣の騎士が振り下ろす剣を避け、素手で柄を掴む。軽くひねれば易々と敵の手から剣を奪い取ることに成功した。
「手強いぞ、油断するな!」
領主の一声で男たちの顔つきが変わる。ジルドは舌打ちした。思っていた以上に、領主が引き連れていた四十弱の軍勢は強い。無傷では済まなさそうだ。こうなれば、敵を叩きのめすのではなく逃げることを第一の目標とすべきである。しかし何の策もなく背を向けて逃走すれば、背後から矢を射られることは間違いない。せめて弓を無効化しなければと、彼は目を走らせた。
*****
疲労困憊、満身創痍でジルドは森の中をふらついていた。耐え切れずに大きな樹にもたれかかってその場に崩れ落ちる。
「――クソッたれが」
毒づく声にも元気はない。総勢六十騎程度を相手にジルドは善戦した。当初は息子の率いる十一騎と領主の四十弱だったが、途中で息子を追いかけて来た十騎ほどが加わったのだ。さすがに一人で相手取るには人数が多すぎた。
それでも弓を持つ敵から無力化し、ジルドは命からがら森へと逃げ込んだ。街道を走れば次の村に伝令が飛ばされる可能性があった。だが森に入れば、恐らく領主はジルドが死んだものと見做すだろう。そう判断してのことだった。
森に逃げ込んだ時には、ジルドは既に体のあらゆる場所に擦過傷を負っていた。森に入れば野獣や魔物が出て来る可能性もあるが、目先の危険を避ける方を優先した。
「休むか」
ジルドは低く呟く。長距離を護衛して魔物と戦い、そしてその挙句に拷問された。拷問によって出来た傷もまだ治ってはいない。蓄積された疲労と度重なる怪我で、体力には自信のあるジルドも動き続けるのは難しかった。
確実に身を守れる場所――例えば洞窟や木の上に移動するべきだと頭では分かっていても、体が思うように動かない。少し休んで体力を回復させなければと目を瞑った瞬間、ジルドの意識は真っ黒に塗り潰された。
*****
臭気に、ジルドは目を開けた。体は全く動かない。細目を開けて周囲の様子を窺う。辺りは一面真っ暗闇になっていた。どうやら少し休憩するだけのつもりが長時間寝てしまったらしい。ジルドは舌打ちした。
彼の目は真っ暗闇の中でもある程度周囲の状況を把握することが出来る。幸いにも今夜は月が出ているらしく、木々の狭間から僅かに漏れてくる月光はジルドにとっては十分な灯りだった。
「――出やがったか」
ジルドを取り囲んでいるのは間違いなく魔物だ。臭いと思ったのは魔物の纏う瘴気だった。
苦々しく顔を顰めたジルドは自分の体の状態を確認する。まだ回復はしきっていない。その上、虎視眈々とジルドを狙う魔物の数はそれなりに多そうだ。果たしてこの状態で戦えるのか――自信はあまりない。だがここで大人しく死ぬ気もなかった。
「こんな場所で死ぬなんざ、真っ平ご免だぜ」
吐き捨てて全身の神経を尖らせる。ジルドの変化に気が付いたのか、魔物たちが耳障りな声を立てて動き始めた。次の瞬間、牙を剥き出しにした魔物が四方から襲い掛かって来る。ジルドは姿勢を低くして、一番大きな魔物の懐に飛び込むと剣を喉元に突き刺す。勢い余った切っ先は魔物の頭蓋を貫いたが、ジルドは勢いを殺さず腕力で魔物の首を切り裂いた。
そのまま遠心力で背後から襲い掛かる二匹の横っ面を叩き斬る。
「くっそ、うぜえ」
痛烈な舌打ちを漏らして、ジルドは六匹目の魔物を斬り捨てたその剣を腰に戻す。魔物の牙や爪を受ければ、傷から腐り落ちて行く。そのため普通であれば剣や弓といった道具を使ったり、魔術を行使したりすることで魔物を倒す。しかしジルドは気に留めなかった。彼の得意分野は肉弾戦だ。
ジルドが武器を手放したことで、好機と見た魔物たちが次々に襲い掛かって来る。ジルドはその全てを見切っていた。次々と攻撃を紙一重の所で避け、魔物の急所に強烈な拳と蹴りをお見舞いする。ジルドの攻撃は重く鋭く、魔物たちは一撃で戦闘力を失っていった。
しかし、あまりにも数が多い。その上、瘴気を吸い続けているジルドの体力は消耗も激しい。徐々にジルドの動きも鈍り始めた。
「――――っ!」
ジルドは愕然と目を瞠る。一匹の魔物を倒した瞬間、眼前に突然魔物が現れたように見えた。否、疲労のあまりジルドの動体視力が、俊敏に動く型の魔物の動きに追いつかなくなり始めていた。
反射的に体が動こうとするが、間に合わない。正面から鋭い爪で袈裟切りされると覚悟を決めた瞬間、ジルドは空気が薙ぎ払われるような感覚を覚えた。
周囲の草木が薙ぎ倒され、森の中では感じられるはずのない強風がジルドを襲う。目を開けて居られないほどだったが、戦闘中に目を瞑っては死に繋がる。そのためジルドは意地でも薄目を開け状況を確認しようとした。しかし、草や土が舞い視界が悪い。
少ししてから風が収まり、ようやくジルドは自分が倒した以上の魔物が周囲に倒れ、瘴気も薄くなっていることに気が付いた。
「――なんだってんだ?」
一体何が起こったのかと訝し気に眉根を寄せる。考えられる可能性は、たまたま通りかかった何者かが魔物を倒しジルドを助けた、というものだ。しかし、街道ならともかく森の中で“たまたま通りかかる”などあり得ない。
警戒を解かないジルドの前に現われたのは、少し長めの金髪に金色の目をした男装の女だった。彼女は服装だけを見れば傭兵だが、物腰が傭兵のものより洗練されている。傭兵の格好をした女騎士という表現が一番適切に思えた。
「無事のようだな」
男にしては少し高い、そして女にしては少し低い声でその人は言う。ジルドは首を傾げた。
「俺を助けようって思ったのか?」
「結果的にはそうなった。私は元々魔物討伐の依頼で来たんだ」
「へえ」
ジルドは目を瞬かせる。どうやら傭兵らしい。しかし、ジルドは思った――気に食わねえ、と。
男装の傭兵が口を開けば余計にその思いは強まった。彼女の言葉遣いは明らかに貴族やそれに連なる者のそれだったからだ。
今回の護衛の件だけが理由ではなく、ジルドは貴族と名のつくものが嫌いだ。護衛として雇われたにも関わらず殺されかけたことも、ジルドの貴族嫌いに拍車を掛けた。だからこそジルドを助けてくれた男装の傭兵に素直に礼を言う気も怒らない。
「礼は言わねえぞ」
「別に構わない。私は必要なことをしたまでだ」
「そうかよ」
相手の返答にジルドは更に渋面を作る。男装の傭兵は本心からそう思っているようで、余計にジルドは気分が悪くなった。これならまだ上から目線で恩を売りつけられる方がマシである。もし恩着せがましい台詞を吐かれたら、遠慮なく反発できる。しかし女は親切にも自分が来た方向――つまりジルドが逃げて来た方角とは逆を示して告げた。
「私はあちらから来た。それほど時間もかからず集落に出られる。貴殿はどちらから来られたのだ?」
「――うへェ」
貴殿、という言葉にジルドはげんなりとする。気取った喋り方しやがって気持ち悪ィ、と思うが、それを口にして得体の知れない女と話す時間が伸びる方がはるかに嫌だった。
「あっちの方だ。行けばそれなりに栄えた町があるが、そこの領主もその息子もクソだぞ」
男装の傭兵は目を瞠る。そして面白そうに口角を上げて「そうか」と頷いた。
「情報提供、感謝する。それでは」
片手を上げて彼女はその場から離れようと歩き出す。ふと、そこでジルドは妙なことに気が付いた。
「あぁ――?」
しかし女は反応すらみせず、ジルドが逃げて来た方へと歩み去った。どうやら魔術を使って足元を照らしているらしい。そして魔術の灯りで照らし出された髪は、いつの間にか半分ほどが暗褐色に変わっていた。
「――――まぁどうでも良いか、俺には関係ねェことだ」
見間違えたのだろうかと思うが、ジルドは首を横に振って考えを振り払う。どのみち二度と会うことのない相手だ。
それよりも、魔物と戦ったせいで体が休息を訴えているにも関わらず、神経が昂っていた。森の中で休息を取ろうにも落ち着けないし、再び魔物に襲い掛かられても面倒だ。それならばさっさと森を抜けてしまった方が良いだろうと、ジルドは森の中を歩き出す。
森から抜けて集落に出る頃には、ジルドは森の中で出会った男装の傭兵の存在をすっかり忘れ去っていたのだった。