第七話、肉体と魂。
この物語はフィクションです。実在する人物、団体、その他とは一切関係ありません。また物語を進めるにあたって、史実とは異なった描写を用いてる部分があります。ご了承ください。
この物語はアルファポリスにも投稿しています。
折田と山口、そして女性編集者が一つのテーブルを挟んで座った。
三人が居るのは旅館に備え付けられている談話室である。
時刻は夜半、もう二十一時になろうとしていた。
結局三人は彼女を見つけることが出来ず、加えて夜道を出歩くのは危険だと考えて渋々旅館に戻って来る羽目になった。
「こちらの事情に巻き込んでしまい本当に申し訳ない」
「いえ、こちらこそ先生がお騒がせしてしまい……」
この旅館に宿泊しているのは、幸か不幸か、先程行方を晦ました女作家含めこの五名だけだという。それを聞いた山口は旅館の外観を思い出して「そりゃそうだろう」と変に納得してしまった。
編集者は緑川苑子と名乗った。因みに作家のほうは細田かおりという。こちらは作家名だ。
「信じろと言うほうが無理があるのは重々承知。だが信じて頂けると嬉しい」
山口はそう前置きをして話し出した。
「簡単に言うと、怨霊が細田女史に乗り移った」
「……と、申しますと?」
「ちょっとしたミステリーに巻き込まれたとでも思っててください。後は僕たちが何とかします」
「事の発端はてめえだろうが……」
山口が折田の頭を平手打ちした。「痛い!」
そんなふたりを見て、緑川編集者は訝しげな顔をした。到底信じられる訳が無いと顔が言っている。
だが、彼女の口から出てきた言葉は妙に意外なものだった。
「一日で御願いします。先生には時間が無いんです」
「……こんな突飛な話、有り得ないとは思わないんですか?」
「思います。けれど、よく言いますでしょう? 『現実は小説より奇なり』。私は先生が脱稿出来れば充分です。それに、次回の小説のネタに丁度いい」
さすが編集者、と讃えるべきだろうか。
何を言うのが正解なのか判らなかったので、二人は取り敢えず礼を述べてその場を後にした。
「あ、山口さん折田さん、ひとつ言い忘れていました」
「なんですか?」
「明日の十八時までに解決しなかったら女将さんに事情を説明して警察に連絡しようと思いますので、その心算で」
◇◇◇
「伊東甲子太郎の怨霊が幸助くんに取り憑いていた……それで幸助くんの魂を核にしたまま今度は細田さんに乗り移った……」
「断言は出来ないが恐らくそうだろうな」
二人はまた椿の間へ戻った。折田がちゃぶ台に菓子類を並べて頬張り、その傍ら、山口が小難しい顔で手帳を睨んでいる。傍の布団の上では意識の無い幸助が横たわっていた。
「幸助くんは自分で気づいてたと思いますか?」
白い煎餅を頬張りながら折田が訊いた。山口は少し唸ったあと、「いいや」と首を横に振った。
「判んねえな。知ってても普通言えねえだろ。――しかし、なんでまた幸助が」
「それは幸助くん――平助が御陵衛士だったからじゃないんですか。 平助だって、近藤さんより伊東さんが正しいと思ったから伊東さんと一緒に新選組を脱退して付いて行ったんでしょう。信頼するほど隙が出来るって言うじゃないですか」
──時代は幕末まで遡る。御陵衛士とは、思想の違いを理由に新選組から脱退した伊東甲子太郎が、志を同じくするものを新選組から引き抜いて結成した組織である。
その引き抜かれた中に幸助の前世――つまり藤堂平助が含まれていた。
因みに。その後、伊東甲子太郎が新選組局長の暗殺を企てている事実が判明、酒に酔わせて油断が出来たところを土方歳三率いる隊士に囲まれて暗殺された。ついでに伊東の首を晒して御陵衛士を炙り出し、一戦を交えている。その一連の騒動が『油小路の変』。
とはいうものの。
「お前が言ったんだろう、あいつには記憶が無い。信頼もくそもあるか」
「それはそうですけど……まあ明日の夕方までに細田さんを見つければいいんでしょう? 幸助くんの魂を核にしているとすれば、少なくともこの旅館の敷地からは出られない。魂と身体は簡単に切り離せないから」
楽勝ですね、としゃあしゃあと言った折田の頭に山口の鉄拳が落ちた。
「いっ……たあっ……しかも二回目っ……『局長』に言いますよ!」
「勝手にしやがれ。俺はてめえの阿保さ加減にうんざりしただけだ。…………あのなあ、楽勝なわけあるか! 確かに人間の魂と肉体は一本の剛情な糸みたいなもので繋がってて簡単には切り離せねえ。だがいくら糸で繋がっているとはいえ、魂無き肉体は少しずつ弱体化するんだ。そして死に至る。生命活動が停止して死んだと確定した瞬間、二つを繋いでた糸は容易に切れ、分離せざるを得なくなる。それに本来なら『肉体が死んでから魂が分離』するんだ。それを無理矢理引っぺがしたんだよ、伊東の野郎は。どうなるか堪ったもんじゃねえが……兎に角、夕方なんてちんたらしてみろ。肉体の寿命が来て『はい、終わり』だ! 二度と目ぇ覚まさねえぞ」
言い切ったと同時に、山口が「ダンッ」と音を立てて煎餅を叩き割った。折田が息を呑む音が聞こえる。流石のこいつも事の重大さに気づいただろうと顔を上げた。が。
「けど、山口さんは打開策をもう考え付いたんでしょう? そういう顔してる」
「……てめえ」
目線の先には反省の色が全く見えない折田の笑顔があった。
しかし折田のその言葉は単に人任せなだけではなく「この人なら確実に間違いない」という信頼から来ているものなので、満更でもないと山口は苦笑する。そして言った。
「肉体と魂が分離していても何ともねえのは六時間、遅くても八時間だ。それまでに俺たちは細田女史を見つけ出し、伊東の野郎から引っぺがす。最悪の場合でも期限は明日の十八時まで。さもなければ警察呼ばれて俺たちは揃って切腹同然だ」
山口はそう言い切って手帳の頁を破り取って塵箱に投げ捨てた。今朝立てた計画は不要になったからだ。
そして片頬だけを歪ませた笑みを折田に向けて言った。
「取り敢えず酒持ってこい」