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第二章 空の青と真紅の神官 4

「一週間後の即位日は、晴れると占いに出ましたぞ。姫様」

 並んで庭を歩きながら、不意に大神官は言った。

「そうか。まぁ、雨や嵐にならなければよいな」

 気ののらない返事をすると、王女は肩を竦めた。

 今日はあの神官はいない。そのせいだろうか。何だか気が抜けてしまっている。

「ところで……」

 コホン、と咳一つすると、大神官は話題を変えた。

 どうやら、これが言いたかったことで、晴れ云々の世間話は、話の取っかかりであったらしい。

「侍女頭の話ですと、毎夜どこかへお出かけになっていらっしゃるそうで……」

 ぎくりとして、王女は足を止めた。

 バレてた?

 てっきり誰にも知られてないと思っていたのに……。

「そ、それ、侍従長も知ってるのか?」

 やや狼狽気味に尋ねる。

「いいえ。まだ私だけにしか言っていないそうです。けれども、侍女の間ではけっこう噂になっているそうですよ。……まぁ、皆王女様を信じております故、面と向かって王女様に尋ねる者はいませんが。……御身を大切にしてくだされ。王女様は一人の体ではございません」

 真剣な顔をして、大神官は言った。

「……つまり、自重しろと?」

「いやいや。そうは申しておりません。……けれど、もし万一のことがあったら……」

「別にやましいことはしておらん」

「それは判っておりまする。けれど、世の中には不遜な輩もおるのですし……」

「…………」

 王女が目を伏せ、返事をしないのを知ると、大神官は一つため息をついて話題を変えた。

「それにしても、思ったより王女様がお元気そうなので、安心しましたわ」

「そうか?」

 だとしたら、あの神官の祈りのおかげだな。

 と、声に出さずにつぶやく。

「ええ。それに何やら、前よりも輝いておられる。……その秘密は、夜毎の外出にあるのですかな?」

 にこにこと、邪気のない笑いをして、大神官は王女を見た。

「……結局、それが聞きたいのだな?」

 王女は軽いため息をついた。

 もちろん、言えるわけがない。



「王女様。王女様は、いつもどちらからお帰りになられるのですか?」

 小神殿を出ながら、フードを深く被る王女にサリアは尋ねた。

「裏門から森へ抜けて、城へ帰ることにしている」

「まぁ、森へ入るなんて、怖くはありません?」

「別に……。比較的街に近い道を行くし、危険なことは何もない」

「そうですか」

「それよりそなたは? 神殿は街外れにあるから、街の伯父さんの家とやらからは、大変ではないの か? 街内とはいえ、夜は人気ひとけもないし……」

「あ、それでしたら大丈夫なんです。パリスさんって神官の方が、大変だろうって毎晩送っていって下さるんです」

「パリス……?」

「はい。銀色の位にいる、なかなか素敵で親切な人なんですよ」

「銀色……」

 王女の脳裏に、初めて神官を訪ねた夜に会った、銀色の帯をつけた男の姿が浮かんだ。

 ひどく酔っていて、遊女をはべらせていた、あの男。やけにエディアールを敵視していた。

 あれが……素敵?

 信じられなくて、王女は目をパチパチさせてしまった。

「サリア。あの男と前に会ったこと、ある?」

「ええ。三年ほど前、エディを訪ねてきた時、少しだけだけどお話しました。彼も優秀な神官なのですってね」

「そう……」

「あの……王女様。王女様は、好きな男性はいらっしゃらないのですか……?」

 どうやらこれが聞きたいらしくて、王女に声をかけたらしい。

 恥ずかしそうに聞いてくる。

 暗にあの神官との仲を探りたいのだろうか。

 王女は勘繰った。

「いや、別に。今は女王職のことで頭が一杯で、そんなことにまで頭がまわらん。大臣や侍従たちは早く結婚させたいらしいがな。……そなたは、あの神官が好きなのだろう?」

 お返しとばかりに唐突に聞くと、サリアはみるみるうちに顔を真っ赤に染めた。

「やっぱり……分かります?」

「ああ。そなたを見れば、な」

 ただ、気の毒なほど、相手にされていないようだが……。

 まぁ、あの男相手ではしかたないか。

 そんな事を王女が考えているとは露知らず、サリアは顔を赤くしたまま嬉しそうにいった。

「小さい頃から好きだったです」

「昔から、彼はああいう性格だったのか?」

「はい……いいえ、そうですね、前はもっと笑ってたし、明るかったし、やさしかったんです。……人当たりもよくて……。きっと、神官になるの、つらかったんでしょうね。今は、あまり人に打ち解けてないみたいです。……あの人、不器用で感情を表すの苦手なんです」

「……は?」

 王女は、目を丸くしてしまった。

「あの人、無愛想でしょ? 無口だし……。でも、不器用なだけなんです。本当はとてもやさしくて、……シャイなんです」

 頬を染めて言うサリア。

 しかしその口調には、王女への優越感が入り交じっていた。

 誰よりも、彼の事をよく知っているのは、理解しているのは、自分だと。

 ――そう目が語っていた。

「シャイ……そ、そう……か?」

 呆然としながら、王女はサリアをまじまじと見た。

「私には……あれこそ、何の感情も持ち合わせていないように見えるのだが……」

「そんなことはありません。誤解です、王女様。エディは感情を表すのが苦手なだけで……だから皆に誤解されやすいけど……私だけには、あの人のこと、ちゃんと判っていました」

「……」

 王女は目を輝かせるサリアに、何と言っていいのか判らずに、頬を手を当てて、困惑したような笑みを浮かべた。

 何ということだろう……。


 正面に行く道と裏門に行く道との分かれ道に来ると、王女はその場に誰か人が立っているのを見て、フードを深く被った。

 あの銀色の帯をしめた男だった。

 サリアは表情を輝かせて、王女に会釈すると彼の元に行った。

 サリアに手を振った王女は、フードの影の奥で男と視線がぶつかったのを感じた。

 それは、とてもではないが、友好的な視線ではなかった。

 眉をひそめながらも、裏門への道を進む。

 あの銀色の位の男のことを考えていたのは始めのうちだけで、やがて、王女の心はサリアの言ったことでいっぱいになった。


 やり切れない想いがした。


 森を早足で抜けるが、まっすぐ城へ帰る気がしない。

 そこで、城へ行く道を外れて、海岸へと回っていった。

 初めてあの若い神官と出会った、海辺へ。


 昼間よりも何倍もの速さで吹きつける潮風が、王女のマントを痛いくらいになぶっていく。

 夜の海は、自分の髪や瞳よりも真っ黒で、闇がそのまま蠢いているように見えた。星はない。空には、灰色の雲が、風と同じように速い速度で流れていく。

 ヒューヒューと、狂ったような風の音と、打ち寄せる波の音で、他には何も耳に入ってこなかった。入る余地はなかった。

 けれど、体の奥でくすっという笑いの振動が起こり、それは風の音が吹き抜ける耳の奥にも轟いた。


 くすくすくす。


 王女は笑った。おかしかった。

 涙が出るほど。

 ――何ということだろう。

 あの少女は、大きな誤解をしている。大きな間違いを犯している。

 王女はその生まれからか、表に出ない人の感情というものを読み取るのに長けていた。

 どんなに隠しても、無表情にしても、何となく判ってしまうのだ。

 言い換えれば、そのくらいのことを感じ取れなければ国王にはなれない。

 宮廷というのは、誰もがその心を押し隠し、表情だけはにこやかにしているようなところなのだ。

 だから、政治的手腕というのは、いかにその相手の腹を見極められるかにかかっている。

 王女は馬鹿ではないし、自分のカンと目に信頼をおいていた。

 だがそのカンをもってしても、あの若い神官の感情を読み取ることは出来なかった。

 不器用でも、無口でも何でもない。

 彼には、表に出すべき人並みの感情がないのだ。

 表情が鉄仮面なら、中身も然り。

 彼がやさしく人に接するのは、それが彼の対人のスタイルだからだ。やさしさではない。

 そもそもやさしさは感情ではない。

 怒りや悲しみ、喜び、憎しみ、そういったものが感情なのであって、いくら微笑もうともやさしく接しようとも、それは感情から出たものではないのだ。

 ――明確な、愛情でさえない。

 無口? シャイだって?

 とんでもない誤解だ。

 王女はくすくす笑った。目には涙さえ浮かべて。

 あの男は、人の半分も感情を持ち合わせていないのに。感情を、動かすこともないのに。


 かわいそうなサリア。

 哀れなエディアール。

 王女は海に向かって笑い続ける。

 何がおかしいのか。

 何が哀しく思えるのか。

 それすら分からずに―――


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