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三年間遊び歩いていた三男坊、なぜか世界最大級のアルフォード商会を継ぐことになりました ~周りが優秀すぎて、ぶっちゃけ俺の出番がない件~  作者: サトウジョシュア
第二章「三年間のその日暮らしが役に立つらしい――ただし、休日のメイド長への接し方は分かりません」

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15/15

第15話 二千金貨の冬と、潰れた商会の昼飯

「来週の荷物が、入りません」

 俺が本社へ着くなり、廊下でそんな声がした。

 女性が、分厚い帳面を二人の男へ突きつけている。

「冬物で倉庫が埋まっています。売り先を決めるか、別の倉庫を借りるか。今日中に決めてください」

「倉庫を替える案も出している」

「替えた先で売れるようになるなら、喜んで運びます」

 二人とも、黙った。

 俺も、足を止めた。

 開かれた帳面に、赤い字で数字が書かれていた。

 冬物在庫、二千金貨。

 春が来たくらいで消えるには、大きすぎる数字だった。

「ます様。お電話をつなげます」

 クラインに呼ばれて、俺は歩き出した。

 今日の用事は、旅先の革屋と話をすることだ。

 それでも、さっきの言い合いが気になった。

 振り返ると、女性はまだ帳面を開いたまま、二人の返事を待っている。

「その冬物、あとで俺にも見せてくれる?」

 女性が顔を上げた。

「倉庫を、ですか?」

「うん。どんな服が余ってるのか、見たい」

「ご案内はできます。ただ、倉庫で見学を受け入れる時間を確認させてください。今日は入荷もございますので」

「分かった。忙しいところ、悪いな」

 俺はクラインへ向き直った。

「案内できる日が決まったら、教えて。先に電話、済ませよう」

 クラインが頷き、予定を書き留めた。

*

「ます? 皿のますか?」

 電話の向こうで、懐かしい声がした。

 俺は受話器を持ち直した。

「ほかの覚え方なかった?」

「皿を割ったますだろ」

「一枚だけだって」

「割ったのはな。欠けたのが二枚だ」

 そこまで覚えていなくていい。

 南の宿場町で二週間働いた宿の親父は、俺の顔より食器の損害をよく覚えていた。電話口の奥では、鍋の蓋がぶつかる音がしている。まだ昼前なのに、あの厨房は忙しそうだった。

 少し、安心した。

「元気?」

「忙しい。お前は、また宿代がなくなったのか」

「今日は違う」

「じゃあ、何だ」

 俺は机の紙を見た。

 革屋の名前。港の名前。聞くことを三つ。

 その横にはクローディアの字で、話を聞くだけ、と書いてある。

 ダリオの品を送ったとき、数量と日付を決めてから話が進んだ。今回も、先に相手の都合を聞く。

 分かっている、と言おうとして、紙の端に小さな追記を見つけた。

 帰る日も決めること。

 そっちは、まだ信用がないらしい。

「裏通りの革屋と、椅子作ってた爺さん、まだいる?」

「いるぞ。椅子の方は、今は息子がよく働いてる」

「話を聞きたいんだ。王都へ品物を送れないかって」

 親父が黙った。

 それから、声を少し落とした。

「ます。お前、変な儲け話に捕まったのか?」

「違う!」

「先に金を払えとか言われてないか」

「俺から持ちかけてんだよ!」

 向かいでヘルマンが口元を押さえた。

 クローディアは澄ました顔をしていた。口元を隠した手の下で、肩だけが小さく揺れている。

「アルフォード商会で、仕事を手伝ってるんだよ」

「……あの、船の?」

「そう」

「お前が?」

「俺が」

「雇ってくれるもんだなあ」

 親父の感心が、電話線を伝わって胸に刺さった。

 まあ、皿洗いの腕を見ていればそう思うだろう。

 会長の息子だと説明するのはやめた。どうせ信じないし、信じたら今度は質問で昼の仕込みが止まる。

「まず、話を聞ける日を教えてほしい。港の担当の人からも連絡してもらうから」

「革屋は今週、祭りの注文で手が離せんぞ。爺さんの息子も町の集会所の仕事がある」

「じゃあ、来週?」

「二人に聞いておく。勝手に来るなよ。椅子に座って昼寝して帰るだけになるぞ」

「そんなことしないって」

「前はした」

 した。

 反論できなかった。

 約束したのは、連絡先を港へ伝えていいかということと、月末にもう一度電話することだった。旅の支度をする前に、相手の予定がある。当たり前なのに、俺の旅にはあまりなかった手順だ。

「宿は取っとくか?」

「日が決まってから頼む」

「分かった。今度は先払いな」

「分かってるよ」

「飯は食ってるか」

 急に、声が近くなった。

「食ってる」

「ならいい。変な話だったら、皿洗いに戻ってこい。今度は皿を触らせん」

「それ、何洗うの?」

「鍋」

 電話が切れた。

 俺はしばらく受話器を見て、それから置いた。

「次の仕事が決まりましたね」

 ヘルマンが言った。

「今の仕事、もう駄目だと思ってる?」

「いえ。帰る場所が多いのは、よろしいことかと」

 笑っていいのか分からない褒め方だった。

 受話器を置いた勢いで椅子にもたれかけ、クローディアの視線に気づいた。上げかけた片脚を床へ戻す。

「何も言ってないだろ」

「まだ、何も申し上げておりません」

「顔で言ってる」

 彼女は口元を押さえた。さっきから、よく笑う。

「お電話のお相手には、随分と気安くお話しになるのですね」

「鍋の底まで磨かされた仲だからな。今さら取り繕っても遅い」

「……そうですか」

 俺が机に肘をつくと、今度は注意が来なかった。視線が袖口へ落ちている。

「こっちはいいの?」

「よくありません」

 少し遅れて、いつもの声に戻った。

*

 南への出張は、先方の返事を待つことになった。

 なら、しばらく暇になる。そう思って予定表を覗いた。

「では、明日はリーヴェルトへ」

 クラインが紙を置いた。

 空きはなかった。俺に見えていなかっただけだ。

「リーヴェルトって、あの?」

「どのリーヴェルトでございましょう」

「学院の教科書に載ってた、でかい商会」

「そのリーヴェルトでございます」

 俺は紙を覗いた。

 工場見学。

 工業事業説明。

 旧本邸の資産整理状況確認。

「最後だけ、急に楽しそうじゃなくなるな」

「お屋敷をご覧になるだけでは、現在のリーヴェルトは分かりませんので、工場から伺います」

「潰れたんじゃなかった?」

「旧商会は経営が行き詰まりました。現在も続いている事業がございます」

 クラインは机の上に二枚の図を並べた。

 一枚目は、枝の多い木みたいだった。銀行。資源。物流。貿易。工業。俺が知っている大商会は、だいたいこんな形をしている。得意な仕事は違っても、箱の数だけはやたら多い。

 二枚目では、木の枝がずいぶん減っていた。

「金融や広域物流、資源権益などは、破綻時に他の商会へ移りました。アルフォードが引き受けたのは、主に工業部門です」

「いいところだけ、先に持ってかれた?」

「そう単純ではございません。どの事業にも、必要な資金と引き受ける責任がございますから」

 俺は残った箱を指した。

「じゃあ、うちは何が欲しかったの」

「明日、ご覧ください」

 また、その答えだ。

 説明を省かれた気もするが、見れば分かると言われると見たくなる。

 俺を動かすのがうまい。腹立たしいことに、少し楽しみになっていた。

「クローディアも?」

「午前は、ご同行できるよう調整しております」

 本人が答えた。

「午後は屋敷へ戻ります。旦那様のお薬を受け取る日ですので」

「分かった。じゃあ、工場で飯食えるか聞いといて」

「そちらが一番お楽しみですか」

「働いてる人と同じ飯、気になるじゃん」

 クローディアは一瞬考えてから、手帳に書いた。

「工場の方に、そのままお伝えいたします」

「そこは、もう少し格好よく」

「食堂の運営状況を視察なさいます」

「急に飯がまずそうになった」

 クラインが、下を向いた。

 この人が笑うところも、少しずつ分かってきた。

*

 翌朝、工場の門で俺を待っていたのは、花束でも案内板でもなかった。

 灰色の上着と、先の硬い靴だった。

「お着替えをお願いします」

 受付の女性に言われた。

「俺も?」

「はい」

 隣のクラインは、もう上着を脱いでいた。

 クローディアも、貸し出し用の靴を受け取っている。

 俺だけが少し遅れた。ネクタイを外すのに手間取ったからだ。

「ます様」

 クローディアが手を伸ばす。

「待て、自分でやる。引っかかってるだけだ」

「ですから、引っ張らないでください」

 クローディアが留め具を外すと、あっさり緩んだ。

「……助かった」

「どういたしまして」

 勝負をしていたわけではないのに、負けた気がした。

 受付の女性が、俺の名前を台帳に書き込む。

 ます・アルフォード。

 同行者の名前も一人ずつ確かめ、受付の女性は人数を数えた。

「お帰りの際にも、こちらへお寄りください」

 誰が入り、誰が出たか。会長の息子でも、そこは省略できないらしい。

 廊下の先から、金属を叩く音がした。

 扉が開いた瞬間、熱い空気と油の匂いが押し寄せる。

「危ないから、白線の内側へ!」

 いきなり怒鳴られた。

 足を引っ込めると、すぐ目の前を、金属の棒を積んだ台車が通った。

 押していた男が片手を上げる。

「すみません、お客さん!」

「いや、俺が!」

 こっちも声を張らないと届かない。

 格好よく名乗る余裕なんてなかった。

「お待ちしておりました」

 大柄な男が、布で手を拭きながらやってきた。

 背広ではなく、作業着。胸にリーヴェルトの小さな紋章がある。

「工場長のオットーです。まず、こちらへ」

「どうも。ますです」

「承知しております。頭上にもお気をつけて」

「え?」

 頭の上を、大きな鉄の塊が動いていた。

 俺は口を開けた。

 クラインが、横からそっと俺の袖を引いた。

 紹介より、安全。

 歓迎より、作業。

 世界でも大きかった商会の、今の姿を見に来たはずだった。

 なのに俺は、入って三分で思っていた。

 これの、どこが小さくなったんだ。

*

 最初に見せてもらったのは、手のひらに載る金属の輪だった。

 さっき頭の上を通った鉄の塊より、ずっと小さい。

 輪には穴があって、内側に細い溝がある。

「これ、何?」

「ポンプに使う部品です」

 工場長が答えた。

「水を送る?」

「水の場合もあります。油の場合も。使う場所によって材質も寸法も変わります」

「なるほど」

 分かった。

 何となく。

 俺が頷くと、隣にいた若い男が嬉しそうに別の輪を持ってきた。

「こちらは、内部の流れを変えた試作品です。従来品に比べて損失が――」

「ヨーゼフ」

「はい」

「まず、何に使うかからだ」

「はい!」

 ヨーゼフは深く息を吸った。

 そして、さっきより難しい話を始めた。

 俺は五秒で取り残された。

 クローディアを見る。

 彼女も俺を見た。

 助けてもらえると思ったのに、穏やかに頷かれた。

 頑張れ、という意味だった。

「ごめん。一回止めて」

 ヨーゼフの顔が固まる。

「何か、説明に不備が」

「俺の頭に、前の説明がまだ入ってない」

 工場長が咳払いをした。

 笑いをごまかす咳だった。

「これがいいと、誰が楽になるの?」

 ヨーゼフは金属の輪を見た。

 少し考えてから、奥の壁を指す。

 壁には、島の揚水設備の写真が掛かっていた。

「高い場所へ水を上げるとき、同じ量でも、機関を回す力が少なくて済みます」

「ああ」

「燃料が減ります。機械の大きさを変えずに、もう少し多く送れる場合もあります」

「それ、空島の畑とか?」

「そうです!」

 途端に声が大きくなった。

 俺はようやく輪を見直した。

 水桶を担いで往復した、島の畑を思い出した。あの坂を上る回数が減るなら、使う人間はずいぶん助かる。

「これ作った人、すごいな」

 ヨーゼフは、背後を振り返った。

「設計は私と先輩です。でも、ちゃんと形にするのは、あちらの方で」

 あちらの方は、小柄な年配の女性だった。

 作業台で何かを測っている。

 俺たちの視線に気づいて、顔を上げた。

「何?」

「ます様が、部品を」

「ああ。そっちの箱は触らないでね。不合格だから」

 俺が手を伸ばしかけた箱だった。

「見た目、同じだけど」

「同じに見えるうちは、合格の方だけ見ていればいいよ」

 横でヨーゼフが笑った。

 厳しいことを言われたのに、変に気分が悪くならない。

 たぶん、誰にでも同じなのだ。

 工場長が声をかけた。

「マルタさん。少しだけ説明を」

「五分なら。これ、今日中に返す分だから」

 五分。

 俺たちの都合より、出荷先の都合が先だった。

 マルタさんは二つの部品を光へかざした。

「こっちは、この端に傷がある。圧力をかけると困るんだよ」

「こんな小さいので?」

「小さいから見逃していいなら、私の仕事はずいぶん楽になるね」

「そうだな」

 俺は笑った。

 マルタさんも、少しだけ笑った。

「分かればいい。あと、こっちの坊やが図面を書き直す前に、現物を見に来れば、もっと楽になる」

「先週は来ました!」

「戻ったら違うところを変えてたじゃないか」

「あれは性能が」

「削る道具が入らないんだよ」

 ヨーゼフが黙った。

 工場長は、止めなかった。

 俺も、何となく分かった。

 すごいものを作る人たちは、すごいものを作る途中で、普通に怒られるらしい。

*

 食堂では、工場長が俺の隣へ座ろうとして、席を取られた。

 マルタさんだった。

「そこ、いつも私の席」

「今日はお客様が」

「だから、隣で説明すればいいでしょう」

 工場長は向かいへ回った。

 俺は笑いを噛み殺しながら、皿を受け取った。

 豆と肉の煮込み。黒いパン。湯気の立つスープ。

 うまそうだった。

「これ、いつも?」

「今日は肉が多い」

 マルタさんが即答した。

「そういうこと、言わなくていいから」

 工場長が顔をしかめた。

「お客様に、いつもこの肉の量だと思われても困るでしょ」

「減ったら俺が来ればいい?」

 俺が聞くと、マルタさんは初めて声を出して笑った。

「いいね。毎週来なよ」

 隣のテーブルでも笑い声がした。

 俺は煮込みを口へ運んだ。

 熱い。うまい。

 うっかり二口目を急いで、舌をやった。

 クローディアが何も言わず水を寄せる。

 マルタさんが、それを見て目を細めた。

「いい人がついてるね」

「昔から怒られてる」

「怒ってくれるうちはいいんだよ」

 母親みたいなことを言った。

 クローディアが少し困った顔で微笑んだ。

 向かいでは工場長が、食堂の端の空いた席を見ていた。

 俺もそちらを見た。

 ほかは人がいるのに、窓側だけ、長いテーブルが二つ空いている。

「交替?」

 聞くと、工場長は首を横に振った。

「以前は、もう少し人がおりました」

 煮込みの味は変わらなかった。

 でも、さっきまで聞こえていた匙の音が、急にはっきり聞こえた。

「別の工場へ?」

「移った者もおります。自分で工房を始めた者も。今も、仕事を探している者も」

 工場長はそれだけ言って、パンをちぎった。

 俺は空いた席をもう一度見た。

 ここへ来るまで、工場が残ったと聞いていた。

 残った、の中にも、いなくなった人がいる。

「さっきの試作品、売れたら人が増える?」

 ヨーゼフが顔を上げた。

 工場長は、俺を見た。

「まずは、今いる者の仕事を切らさずに済みます」

「そっか」

「試験中です。売るのは、それが済んでからです」

 俺は輪を持つヨーゼフの手を思い出した。

 あんなに嬉しそうだったのは、試作品の性能に自信があるからだけではないのかもしれない。

 俺にはポンプを買う畑はない。

 だが、あの島で水汲みをしたことならある。

「試すところは、もう決まってる?」

 ヨーゼフが頷いた。

「工場内で、規定の条件を変えて試験します」

「島でも?」

「その段階は、まだ先です」

「だったら、そのとき聞いてほしい。機械のところへ行く道、すごく狭かった。昔の部品、二人で運べないと交換できないって、畑の人が言ってた」

 ヨーゼフの匙が止まった。

 俺は、手で幅を示した。

「性能がよくても、そこまで持っていけないと困るだろ。細い道の先で、誰が直せるかも」

「どちらの島でしょう」

 名前を言うと、彼は上着のポケットを探った。

 鉛筆はあった。紙がなかった。

 マルタさんが、俺たちの間へ献立の裏を置いた。

「ほら。冷めないうちに書きな」

 俺は覚えている港と集落の名前を書いた。

「売れるって話じゃないよ。今も同じ設備か、確かめないと」

「もちろんです。営業を通じて、現地の保守担当へ照会します」

 工場長が答えた。

 ヨーゼフは、俺の紙を折ってしまった。

 さっきまで、説明を聞いても何も分からなかった。

 その人が今は、俺に道の幅を聞いている。

 ちょっとだけ、背筋が伸びた。

 ヨーゼフが献立の裏へ、部品を運ぶ道、と書き足した。

「試験項目に入れます。現地の写真だけでは、交換する人がどこに立つかまで分かりませんから」

「立つ場所もないぞ。片方は水路、片方は崖だった」

「……先に伺えてよかったです」

 鉛筆が止まった。今度は俺にも、その顔の意味が分かった。

 飯の席へ持ち込んだ三年前の愚痴が、試作品を直す理由になったらしい。

「ます様、ほかにも何か」

「ある」

 ヨーゼフが鉛筆を構えた。

「煮込みが冷める」

 マルタさんが笑った。

 工場長も笑って、ようやく自分の皿を引き寄せた。

*

 午後、クローディアは先に帰った。

 帰り際、上着の襟を直してくれた。

「見学、いかがでしたか」

「面白かった。まだ分かんないけど」

「では、お帰りになってから伺います」

「難しい説明になるかもしれない」


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